紙の本
ポスト暴走資本主義はディープパープルになれるのか?
2008/11/15 22:48
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
資本主義とは、赤か黒かのせめぎ合いの世界だ。
赤字なのか黒字なのかが世間に公表されてそれがほとんど株価
ボードというゲームボードに反映されて必然的に勝ち負けが生まれる。
とてもはっきりしている。はっきりしすぎて痛すぎた。
本書では、暴走する資本主義の処方箋として、民主主義を機能させる
ことの重要性を説いている。そして今月アメリカでは赤か青かの戦いに
ひとつの結論が出た。生身の体を持った人間の一票が、膨張する
赤か黒かの世界に判定を下したわけだ。アメリカの民主主義は崩れ行く
暴走資本主義と併走するように2008年を駆け抜け、バラク・オバマ
というひとりの生身の人間に収斂された。
私は本書と今回の大統領選挙の結果に、アメリカという国の底知れぬ
力を感じた。この11月にアメリカ人は、赤か黒かだけでもなく、
赤か青かだけでもなく、白か黒かだけでもない実に多面的な顔を
世界に発信したのだ。
そうこうしている間にも世界はすでに猛烈な勢いで変化している。
気が付けばG7は3倍近いG20にまでなり、資本主義のプレイヤーも
多様化した。フラッグの色彩も鮮やかに多彩なキャラが勢ぞろいで、
暴走を演じたブッシュアメリカは、何だかユルキャラにさえ見える。
これからアメリカは過去の威光の残照を放ちつつも緩やかに世界に
解けていくのだろう。
ここに来て、日本は資本主義の暴走を止める重要なプレイヤーだ、
などという論調が国内にはだいぶ溢れてきている。確かにそうなのだろう。
でも本書が言うように、これからは「民主主義を機能させること」が
まず重要なのだ。我々はどんな世界を見たいのか、それが主権者である
わたしたちひとりひとりに求められている。
その世界は、赤か黒かの経営者の世界より、白か黒かの裁判員の世界より、
実は難しい世界なのではないだろうか?わたしたちがこれから直面
するのは、青か赤か(なんと日本では自民党のHPは青、民主党は赤で
どこかの国と正反対だ)だけではないはずだ。両者が混ざり合った
ミヤビなムラサキの選択を見出さなくてはいけないのかもしれない。
そのとき、バイオレットがバイオレンスに行き着かないように、
ディープパープルな決断ができるかどうか、それがわたしたちに
突きつけられた、むき出しなポスト暴走資本主義だ。
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投稿者:撫子の丘 - この投稿者のレビュー一覧を見る
結局のところ日本は米国の後追いをしていることをを改めて感じた。
資本主義を再勉強。
とにかくなぜだか読みにくい。
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経済面では、資本主義が進化・高度化して消費者や投資家としての我々は、ますますハッピーになっている。だが同時に、働く者の条件や地域社会、環境などはむしばまれて行っている。こうした認識の下、いかにしてこうした民主主義の弱体化がすすんだかを解明していく。
終盤にやや提言めいたものがあるが、ほぼ全編が「診断」の書だ。やや冗長なところがなくもない。だが、この本に書かれているようなことがいわば常識化して、議論の前提として広くみんなに共有されると良い。その意味では、できるだけ多くの人に読んでもらいたい本。
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出張の往復の飛行機の中で読んだ。ウォルマートなどの個別企業と政治のかかわりに関する記述は、日本人にとってはピンとこない。しかし、資本主義が民主主義を凌駕するにいたった背景・理由の説明はわかりやすい。
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「暴走する資本主義」とは本書でいう超資本主義である。
成長が続き企業が利害関係者に(従業員、株主、地域社会)にたいして利益をもたらす余裕がある時代は終わり、競争激化によって「消費者」と「株主」の方向を向くようになってしまった。その結果、市民としての私たちの幸せへとつながらなくなってしまった。たとえば格差社会の到来である。資本主義が豊かさをもたらしたが、暴走した資本主義は市民を幸せにしない「超資本主義」へとなってしまったと言うわけだ。
米国ということでウォルマートが出てくるが、
・低価格を求める消費者
・コストを最低限に抑える企業(低賃金で社会保障がない雇用形態)
輸出企業にとっては生産工場の海外移転
・リスクに見合うリターンを求める資本家
と言う利害関係者のなかで、従業員の力は弱体化してしまった。
この利害関係者はすなわち「私たち」であるという二面性があることを本書は思い出させてくれる。
結局は企業の論理で歯車が回転するので暴走してしまっているというのが著者の主張である。
だからこそ、
大資本を持つ企業は、単に現行のルールに従ってビジネスを展開しているだけである。しかしそのルールを作るべきは「私たち」なのである。そしてそのルールには消費者や株主としての価値観だけではなく、市民としての価値観を反映させなくてはならない。
私たちの内なる市民が、内なる消費者・投資家に打ち勝つ唯一の道は、購入や投資を個人的な選択ではなく社会的な選択にする法律や規則を作ることである。
と主張している。このあたりの主張は「大きい政府」「小さい政府」という枠とおなじであろう。あくまでも自由に企業活動をおこない規制を弱める「小さい政府」と自由な企業活動ではなく一定のルールを設定する「大きい政府」という選択でいう後者の主張だ。
どちらが良いというものでは無いのかもしれない。ただ、民主主義においては「私たち」が方向性を決める権利を持っていることは事実だ。
そんなことは小学生でも知識としては知っているのかもしれない。でも、大人になってすっかり忘れていたのを実感させられた…。
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<HS>
民主的資本主義v.s.超資本主義
…大企業の力が強大となり、民主主義の力が低下しつつある。
市民・労働者v.s.投資家・消費者
…その理由は実は市民としての我々の力が弱くなり、投資家・消費者としての我々の力が強くなったことによる。
自分は「社会のことを考えて行動している」と思っている人に、
「本当に?あなたの何気ない行動1つ1つが社会を破壊しているのでは?」
と自分の足元を見つめ直す機会を与えてくれます。
「社会貢献」を将来の目標とする人が多い当勉強会の参加者には、
是非読んでほしい1冊です。
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ちょっと、私には荷が重いテーマなものの、とても考えさせられる内容であり、頭から離れられないです。
今日の一部の最富裕層にのみ富が集中する格差の問題等、「市民」としての私たちにとって望ましくないことが起きてきているのは、 超資本主義の力がますます強まり、民主主義の力が失われていることによるのだとのことです。
しかし、そのような状況を生み出したのは、少しでも安いもの、少しでも多くの儲けを要求する、消費者であり投資家である他ならぬ私たち自身なのだとの指摘。
その前半部の、現在起きている問題とその原因の捉え方は鮮やか。
何か漠然と感じていたパラドックスのようなものを見事に説明してくれており、
資本主義と民主主義の関係・状況、私たちの二面性、という点について
言われてみて気付かされ、それだけでも非常に味わい深いものがありました。
しかし、もっと驚くべきは後半部で、その解決策。
「企業の社会的責任」では、解決にならない、というところが目からウロコで、また、果たして全面的に受け入れてよいのだろうか?と考え込んでしまうのです。
そして実際、物議を醸しているようですが、、、。
それにしても、ものすごい説得力!
私は説得されちゃいました^^
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フリードマンの「資本主義と自由」の後に、この本を読んで本当に良かった。
たぶん、「資本主義と自由」を読まなかったら、この本はそれほど印象に残らなかっただろう!
たしかに、消費者である私と投資家である私の2面性はあると思う。
投資している企業のみで生活できればいいが、そんなことは絶対無い。
私は良い消費者になろうと努力しているが、投資家としてはどうだろうか?
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株主は自分の資金が慈善目的で使われることを想定して投資するのではない。彼らは高い収益のために投資するのだ。
企業は社会的責任を持った道徳的な存在であるというメッセージは、そのための法律や規則を制定する取り組みから、そもそも人々の関心をそらせてしまう。
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メモ「2006年時点で、ビッグスリーの組合加入労働者の自給は賃金・手当てを合わせて約60ドルで、依然として、組合非加入の自動車労働者と比べて非情に高い水準であった。日本の在米自動車メーカーは、非加入従業員に自給約40ドルを支払っていた。ビッグスリーはまた、組合加入従業員に対する以前からの約束、つまり、退職後も多額の年金と医療保険手当てを負担するという約束に縛られていた。日本の在米メーカーにこの負担はなかった。だから、ビッグスリーが衰え、トヨタ、ホンダ、日産という日本の三社が米国で成長し続けることに不思議はなかった。2006年、ビッグスリーでの労働者の数は全盛期の半分以下となり、その数はさらに減り続けた。(略)米国人が購入する車のうちビッグスリーの占める割合は6割にすぎず、若者がビッグスリーを選ぶことはほとんどなかった。一方、ウォール街も、ビッグスリーに投資しなくなりつつある。GMやフォードの社債はジャンクボンド扱いだった。給与をもう一段下げようという計画も、ウォール街を満足させはしなかった。700億ドルの資産を運用する資産運用会社ルーミスセイルズのポートフォリオ・マネージャーであるデビッド・サウアビーは、こう問いかけた。『過去20年間、GMは何度もリストラを発表したが、それで株価が上昇したでしょうか』」
「ウォール街を満足させ、同時に組合のご機嫌もとろうとして、会社は労働力を分割することにしたのだ。従来からの従業員にはそれまでどおり賃金・福利厚生を合わせて自給42ドルを支払ったが、新規雇用者には22ドルしか払わなかった。キャタピラーグループの社長ダグラス・オーバヘルマンはNYタイムズ紙の記者に『競争力の維持と中産階級であり続けることの間に妥協点を見つけなければなりません』と語った」
「見せかけの黄金時代における民主的資本主義の中心的制度であった大手寡占企業、産業別巨大労組、そして規制機関を通じて地元やその利権を代表してきた政府はいずれも落ちぶれてしまった。地域社会と従業員の利益を考えた企業ステーツマンは権力を失い、権力は消費者と投資家に移り、超資本主義が民主的資本主義に取って代わった。このようになったことを我々は良いと認めるべきなのか。ほとんどの人は率直なところ、決めかねている」
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・各章の最後のチャプターを読めば、理解できる
・内容は理解に時間を要する
・本質を突いている、消費者、企業、政府がそれぞれの現状で
最大のリターンを生み出すためには、現状の行動が当然しかるべきである。
・とめるためには、立ち返り、政治が主導権をとり、暴走をとめるべきである
?
・巨大企業は、大量生産を目指す
・カルテルを目指す
・役員、管理職、労働者が馴れ合いのもと、それぞれが利益を得る
・生ぬるい環境の下、あまり目立った企業はアメリカ70年代において出没しなかった
?
・インターネットで爆発的に環境は変わる
・業種間の壁はない
?
・個人ではなく、社会的選択で、法律、規制をつくる
・有価証券取引税をかす、といったように、資本の動きを遅くする
?
・加熱する企業の資本行為により、政治への介入が深くなり、特定企業に有意な政策が導入される
?
・法とは、公的な根拠を持って制定されるべき
・企業のために法が制定されている
?
・わたしたちは、消費者であると同時に投資家である
・社会的コストを下げ、商品価格を下げることができる
・民主主義を守ることにより、資本主義の暴走を止めることができる
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やっと読了。経済書は難しいし、読みやすくはない。でも必要だとも思う。
本書では主にアメリカの政治意思決定に際し、企業、企業群がいかなる行いをするか、
またそれら企業は何を目的に、マスコミが騒ぎ立てるような非道徳的な行為をするか、
そして、それを促しているのは消費者であり、投資家でもある我々だ、ということを色々な側面から述べている。
必要なのは一人一人の理想だろうし、それをおこなえる手段だと思う。
何が好きか、何がしたいか、何をするべきか。
目的を与えることはできないが、手段を助けることはできる。
資本主義が暴走した結果、今様々なものが上手く進まなくなっている。
これからの課題として、職業人工のシフト、都市集約型モデルから地域分散型モデルへの移行(これが正しいとは必ずしもいえないが、人間的には正しいと思う)、構造的な欠陥の修復、その他色々あるけれど、国がどうにかしなければならない課題が山積している今だからこそ、本当に力のある人が活躍できるのではないか?と思う。
新たな時代のヒーローに期待。
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1970年代以降、超資本主義の状況下、人々の消費者や投資家としての力は強くなり、公共の利益を追求する市民としての力は弱くなった。超資本主義が民主主義に与える影響を防ぐにはどうしたらよいか。変革への方策を論じる。(TRC MARCより)
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quote
いったい企業はどうすればいいのか。著者は、企業はCSRやコンプライアンスの自縄自縛をいったん解くべきだと考えている。そして、問題を政治や社会のプロセスに戻し、そこに市民たちが加わるべきだと説いている。また、企業の社会的責任をやたらに追及するマスコミやメディアの判定に、待ったをかける。
で、それでどうなっていくのか。ロバート・ライシュはそれ以上の回答は用意していない。ただ、資本主義と民主主義があまりにもあべこべになってしまったことだけが残るのだ。 しかし、ちょっと待ちなさい。その、もともとの資本主義と民主主義の原理には、問題はなかったのか。
quote
『暴走する資本主義』ロバート・B・ライシュ 松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1275.html
Supercapitalism - 池田信夫 blog http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/7d36866073635966cfd9263c58f1c4cd
暴走する資本主義 - 池田信夫 blog http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/97d2d79eee1adcb7bbec359dc5526805
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ライシュ一つ前の著作は、ネットバブルに浮かれるころだったので前のめりでしたが、この作品は少し冷静になったときに現在のサブプライムを予感させる内容になっています。一人の人間が会社に勤める労働者であり、株に投資する投資家の顔であり、労働者と投資家の間に会社の経営陣を挟んだシーソーゲームになっていることを見事にまとめています。