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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2008.4
- 出版社: 三省堂
- サイズ:19cm/207p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-385-36371-4
紙の本
ニッポンには対話がない 学びとコミュニケーションの再生
大切で美しいメッセージでも、対話のプロセスがなければ、人を説得する力は生まれない。「違い」を前提として互いの考えを粘り強くすり合わせていく対話の発想を軸に、気鋭・奇才のふ...
ニッポンには対話がない 学びとコミュニケーションの再生
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商品説明
大切で美しいメッセージでも、対話のプロセスがなければ、人を説得する力は生まれない。「違い」を前提として互いの考えを粘り強くすり合わせていく対話の発想を軸に、気鋭・奇才のふたりが、教育と社会の再生を語り合う。〔「ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群」(日経ビジネス人文庫 2013年刊)に改題〕【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
北川 達夫
- 略歴
- 〈北川達夫〉1966年東京生まれ。フィンランド教材作家。教育アドバイザー。
〈平田オリザ〉1962年東京生まれ。劇作家。演出家。劇団青年団主宰。大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。
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紙の本
他者と生きていくために
2008/05/25 20:12
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、元外交官でフィンランド教材作家である北川達夫氏と、劇作家で演出家でもある平田オリザによる、ある危機感に基づいた「対話」の記録である。その危機感とは、表題通り、「ニッポンには対話がない」ということにつきるのだが、それはどういうことか?
2人が論じる話題は、学校教育の問題から、それぞれのフィールド、さいごには日本の移民問題にまで及ぶ。そこで一貫して問題化されているのは、このままではいけないということだ。ではどうするか、言葉本来の意味での「対話」が求められるだろう、と。これが、本書の主張であり、実践的提言である。日本は、経済をはじめこれまでうまくいってきて、まだなんとなくその貯金で生き延びているが、社会は変わり世界が動く中で、一挙に貯金の残額が底をついていたことに気付くだろう。そうなる前に、考え、コミュニケーションをとり、他者と共生していくことを、理念的/実践的に考えていく必要が、緊要の課題としてある。
ここで問題となるのは、今なお陰に陽にその「威力」をもっている、ムラ意識である。察し合ったり、仲良し同士では相互批判を控えたり、異物を排除する、あのメンタリティである。これを切り崩していくには、文字通り、一人一人の意識改革が必要なのだが、学校教育が機能不全に陥り、「他者」を「他者」としてまなざし、想像し、何事かを「伝え合う」そうしたコミュニケーションにまつわる経験が致命的に不足しているというのだ。そこで平田オリザは、教育現場における「対話」教育の重要性を訴えていくのだ。というのも、「異文化理解」や「他者とのコミュニケーション」という問題は、対岸の火事などでは決してなく、われわれは例外なく、近い将来移民社会と化した日本で暮らしていくことになるのだろうから。そこで平田オリザは次のような提言を示している。
《平田──だから、ぼくが考えている異文化理解、国際化というのは、三つくらいあって、一つは、従来型の、日本人が海外に出て行くということと外資系の企業が国内に入ってきたりすること。もう一つは、移民の問題ですね。三つ目は、日本人同士がもういままでみたいにわかり合ったり、察し合ったりできなくなるということなんです。日本人同士でも価値観がばらばらになっていくから。これはどの先進国も経験してきていることです。この三つくらいをセットで考えないといけない。》
その困難はあまりにも明白だが、しかし、考えを改め、実践を展開していくことを、国内外の現実が求めている現在、本書を手がかりに、変革への意志を持つことがはじめの一歩となるだろう。
紙の本
―対話のできる社会を築くための提案―
2011/10/26 00:09
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る
「対話」は単なる話し合いとも違う。 それぞれの主張のぶつけ合いでもない。 数学的な唯一の解を求めたり、相手の考え方に身も心も帰依したりするようなことでもない。 議論や主張の勝ち負けではなく、相互の立場を理解してそれぞれの提案事項にpros and consを並べて建設的に到達点を求め、その時点で妥当な判断をともに求めることでもある。 だから対話を通じて逆に自分自身や自らの考え方も見えてくるであろう。
本書のタイトルは否定形で終わっているが、内容は極めて建設的であり、未来の展開を肯定的にとらえる考え方を育む教育や社会の在り方が述べられている。 本書では、教えること、個性をいかに伸ばすか、自らを立て創造的な考え方を展開していくにはどのような教育思想や具体的教育項目が必要なのか、といった観点からそれらを具体的に実行するためのツールについて展開し、その中で、例えばPISA型学習と呼ばれる手法やシンパシー型のコミュニケーションを提案していく。
ところで、国内では、各省庁と民間あるいはアカデミーも交えて「官民対話」と称される会合が開催されることがよくあるが、対話と言える議論が果たしてどれだけ展開されているだろうか。 時として非公開であったりする。 しかし、それぞれの主張を羅列して終わることもままある。 しかも、当局が提出する議事録が極端に遅い。 企業ならば翌日以降一週間以内に提出というのが常識的感覚だが、驚くなかれ、これが1年もかかることは何ら珍しくない。 対話の成立レベルと合わせて社会への確認手段はまだスキルアップが求められよう。
中には、対話などは表面的であり、本当に大事なことはアンダーグラウンドの部分で決まることが多いという人もいよう。 実はそれはそうなのだ。 というか、そんなことは当然と言えよう。 今やジュネーブで米朝高官協議が行われようとしている。 金桂寛(キム・ゲグァン)第1外務次官、李根(イ・グン)外務省米州局長、そのほかの北朝鮮代表団がなんと、米国の対北朝鮮政策特別代表チームと同じジュネーブ市内のケンピンスキーホテルに宿泊する。 米国と北朝鮮が同じホテルに宿泊するということは、公開されない会合が行われるということだ。 そこで丁々発止の議論が行われるのは必至だろう。 考えてみれば、対話は公開の場で行われるという「一部の側面」はあるだろう。
著者の一人、北川達夫氏はフィンランド教材作家・日本教育大学院大学客員教授との肩書きであるが、外務省勤務等を経た後、英・仏・中・フィンランド・スウェーデン・エストニア語の通訳・翻訳家としても活躍されている。 そして、言語能力に関してはポリグロットpolyglotである。 ポリグロットとは「数か国語に通じた人」という意味だ。 ただ、そのような訳語はあるにはあるが、これに本当に相当する日本語は実際にはないと思う。 これは、単に言葉を解するということだけではなく、それぞれの文化的背景や社会観を解するということでもあるからだ。
もう一方の著者、平田オリザ氏は、劇作家であり演出家である。 高校生の時に休学して自転車で世界一周をした(当時、この計画に賛成したご両親の考え方は傾聴に値するのだが、今回は割愛する)。 韓国にも一年留学されていたことがある。 人間性を実に幅広くとらえ、その違いを認識しつつ、日本語の特徴に鋭く切り込んだコミュニケーションに関する著作も多い。
この本は、そのような識者二人が展開する「対話」を元に作られた一冊だ。 対話にはそれなりの知識も教養も必要だ。 そのためには、対話ができる人材を育成する社会の機能も高めていく必要があろう。
全体に教育現場を中心にとらえた内容となっているが、対話のできる社会を築くための提案にもなっている。 社会の各階層に通ずる事項でもあり、是非、社会人や、官民対話向けなど発展型の続編が欲しい。