紙の本
「喪男」【モダン】のケータイ小説論考
2008/04/07 17:08
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本屋の店頭を覗いて不思議に思うことは「ケータイ小説」と言われている単行本が華やかに陳列されていることだ。実際に200万部を越えるベストセラーもある。一桁の2万部も売れる単行本の小説なんて数えるほどでしょう。ファンタジーとか、ミステリーとかエンターテイメントとしてカテゴライズされたライトノベルにしろ二桁の部数になれば、大ヒットでしょう。
先日、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』のサイン会&トークに参加したら、上野さんは、75万部も売れたとそのサプライズに、こんなに売れたら、「おひとりさま現象」と言ってよいと社会学者らしいコメントをしていました。
そういう文脈で言えば、「ケータイ小説現象」とも言うべき社会学的考察が必要なんでしょう。社会学者の鈴木謙介がかような現象を凛、美嘉、Chacoなど匿名性の強い著者名。読者の反応にじかに触れる点でも、「小説以前の口承文芸に近いのではないか」と朝日新聞でコメントしたり、bk1の書評者SlowBirdさんが『説教節』(東洋文庫)の書評で「聴衆はこの語りに涙したという。つまり中近世のセカチュー、コイゾラである。」と書いてもいたが、確かに「ケータイ小説現象」って、地方の女子中高生の生き様と風土と接続した説話的な考察は有効かもしれない。
中央からはじかれた、資本主義社会の消費からも、恋愛からもソッポをむかれた「悲劇の説話」が伏流として横たわっているのではないか。
そのような格差・下流問題と接続して、中西新太郎が『世界・07年12月号』で、「自己責任世代の一途を映すケータイ小説」という優れた論考を書いていたが、
その一途さは、著者が言う10代の少女を取り巻く七つの大罪(売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺、真実の愛)のシャワーを浴びて浄化されて行く道行きにリンクして行く。
誰でも参入出来るクリシェで、実話という「自分だけの物語」(自己責任)を編み出し癒されてゆくデバイスとしてケータイが発見されたとも言える。
ケータイは彼ら・彼女らの「いのちのID」とも言える。
著者はそのような実話系ケータイ小説を忌避しているのですが、そんなケータイ小説に嫌々対峙することで、モテ系/非モテ系で言う、非モテ系を貫徹して『喪男【モダン】の哲学史』で論究する二次元の「喪男萌え」による文脈で叙述を進める。
著者は、その対称として「ライトノベル」ときっちりと仕分けしながら、同じ、出版社、編集担当者で、同時期に刊行したのが『ライトノベルの楽しい書き方』となるわけ。
著者の仕事は「喪男」という大きなテーマでこの二作品をつながっているのでしょう。
僕は、ケータイとライトノベルとを同じような小説と括って、いわゆる近代文学(小説)と全然違うと考えていたが、そういう分析は無効でなくとも、ケータイ小説とライトノベルにも深くて越えがたい溝があるとは気がつかなかった。
《文学者も思想家も「物語」を作らない。だから彼女たちは、自分自身で「物語」を作ることにした。そこにケータイが現れた。》
東京と地方の格差の最たるものは「情報」(メディア)でしょう。
だだっ広い国道、カラオケボックス、ホームセンター、コンビニの背景が生みだす物語を「日常をまったりと生きなさい」という補助線で、それなりに耐えるには、ケータイ小説という物語以前の実話(説話)を「吾がこと」の如くシンクロすることでしか癒されないのではないか。
かくのごとく、資本主義体制の生きづらさをおカネ(消費)で癒されることから遠ざかされれば、「真実の愛」にしがみつき、信じるしかないのであろうか。
著者は遥か昔からそんな三次元の愛に断念して「ギャルゲーマー」として潔く萌えているみたいですが、それで、貫徹できたら、老後にならなくとも「おひとりさま」として豊かな性愛の日々を送ることができるでしょうね。
≪考えて見れば、現実と物語の区別がついていないケータイ小説少女のほうが、より悲惨なのかもしれない。その実人生の先に、「真実の愛」など待ってはいないのだから。しかし逆に、「真実の愛」を真剣に信じられる彼女たちのほうこそが、ほんとうに救われているのかもしれない≫と著者は嘆く。
だからこそ、彼は叫ぶのだろう!≪筆者は命があるうちに、いつかきっとこのニヒリズムを超越するための「新しい物語」を生み出したいと願っているのだ。≫
本田透がそのような小説(新しい物語)を上梓したら是非とも読みたいですねぇ。
歩行と記憶
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著者の説が全部正しいかどうかはわからないけど、たいへん面白うございました。パソコンとケータイ、このデバイスの違いが嗜好の違いを生むという話や、真実の愛による救済を信じる者は幸福だとか、いろいろ考えさせられました。
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今話題のケータイ小説、一応流行というので有名どころの『恋空』を紐解き、
10分で挫折した自分と世間の溝に興味を持ち、選んだ一冊。
ケータイ小説が売れる理由を一つずつ論理立てて説明していく。
要するに供給の不足している需要(年若い女性が読み他がるような小説)を
埋めるのがケータイ小説であり、元来の小説は古典(但し安定してる)と言う考え方。
筆者はケータイ小説が好きではなく、批判的なため、
熱が入りすぎて根拠の無い断定的な下りが要所要所に入るのを読み流せば、
今のケータイ小説の在り方が見えてくる。
ケータイ小説を全く読まない人がケータイ小説を追うための本であり、
ケータイ小説を読む層をターゲットにしていないのがポイント。
『なぜケータイ小説は売れるのか』と言うタイトルより、
『ケータイ小説とは何なのか』と言うようなタイトルのほうがしっくり来る。
また、嫌いなものを嫌いと一蹴せず、
本一冊にするまで書き綴った筆者は素直に凄まじいと評価できる。
(物凄く遠回りに見下していると言う穿った見方も出来るが)
ケータイ小説に興味があるのに読むのが億劫と言う人にお勧め。
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視点がおもしろいと思ったら、電波男の人だったか、なるほど。
ケータイ小説が地方と東京の環境の差を如実に反映しているというところは面白かった。
また、ケータイ小説がインタラクティブなものだというのも勉強になった。
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私自身がケータイ小説を全く読んだことがなかったため、そういえば流行っているらしいけれどどうしてそんなに売れるのだろう、と気になって読んでみることにした。そもそも私はケータイ小説がどういうものなのかあまりよく知らない、というよりも読んだことがなかったので、どういう経緯でケータイ小説が生まれたのかも書いてあってわかりやすかった。著者の意見も読みやすくてよく理解できた。実際にケータイ小説を読んだわけではないので間違っているかもしれないが、おそらく読者と同じもしくは近い視点で書かれているから売れるのだろうと思う。ケータイ小説がどういうものなのかなんとなくわかったような気がする。
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今更読んだ。
面白かった…
で終わらせても良いんだが、適当に時流に乗った本だと思っていたけど、ものすごいちゃんとした論考になっていて3時間も使わずに一気読み。
特に激しく納得したのはいい大人達(特にPCネット住人)がケータイ小説に怒っているのは、自分たちの文脈で読み解けないからであってケータイ小説を読むためのリテラシーがないからだという点。これまでインターネットを読み解くリテラシーを!とか叫んでる人も多かったのに自分が読み解けないと怒るとはなんという身勝手!
ただ、最後の方の自分語りはちょっと余計だったかなと。
まぁ、そんなことはおいといても非常に面白いのでオススメ。
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[ 内容 ]
『恋空』『Deep Love』『赤い糸』…次々とベストセラーを生み出し、メディアミックスを展開するケータイ小説。
売春、レイプ、妊娠、薬物、不治の病、自殺、そして真実の愛と過激な要素が満載のケータイ小説に若者はなぜハマるのか?
その市場や社会的背景、作品分析に至るまでを鮮やかに読み解いていく。
誰もがケータイを持つ時代に咲いた徒花か、それとも新しい文化の始まりなのか、ケータイ小説を読まない人でも、これ一冊で分かる画期的な内容。
[ 目次 ]
序章 ケータイ小説七つの大罪
第1章 ケータイ小説のあらまし
第2章 ケータイ小説市場の最前線
第3章 ケータイ小説の内容
第4章 ケータイ小説を巡る言説
第5章 なぜケータイ小説は売れるのか
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ケータイ小説についての評論を読んでみた(その1)。
著者がライトノベル系の作家の方でもあるので、リアル系ケータイ小説の話から、「物語」の効能とか意義みたいなところまで言及されており、非常に興味ぶかく読んだ。
物語を書くということは、つまり、ニヒリズムとの戦いなのかもしれない。
読者の「そんなワケあるワケないやん!」っていうツッコミを説得出来なければ、“スイーツ(笑)”の一言で片づけられてしまうワケだ。
ケータイ小説で戦略的に、ニヒリズムから脱却するような物語が書けたら面白いだろうな。
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前半はなかなかニュートラルな立場での取材。
ケータイ小説についてよくわかる価値のある資料。
後半は大袈裟というか外連味というか持ち味というか、作者らしい論の展開。
大きな物語の下りはリオタールというよりは動物化するポストモダンのまんまではあるが、超人に対する考え方や、文学の定義なんかはなかなかおもしろい。ま、元ネタ読んでないだけなのかもしらんが。
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「ケータイ小説」は一過性のものであったのか。残念ながら、2011年の「紀伊國屋書店」年間ベストセラー(総合30位まで)に「ケータイ小説」は入っていない。もっとも、このランキング自体、大川某氏が1位を獲得しており、必ずしも世相を反映しているとは言えないが。
この本を読んで思ったのは、「ケータイ小説」を一過性たらしめたものは何だったのかということ。たしかに、一時の隆盛から見れば「ケータイ小説」市場は凋落をしたと言える。でも、それをとって「女子高生は飽きっぽい」とか「『女子高生文化』に有りがちな一時の流行だった」とか言うことはできないんじゃないかなーなんて。ひょっとしたら、「ケータイ小説」を一過性たらしめたのは出版社を初めとする「仕掛け人」たちではなかったか。
例えば、「たまごっち」は大変流行した。でも、急速に廃れていった。その一因をバンダイ社になすりつけることは可能だと思う。当然、盛り上げた要因もバンダイ社に帰結される。現在「たまごっち」は復権を果たしたように思うが、これは、「古いことが逆に新しい」という思想があったにせよ、バンダイ社の成果の一つと評価されよう。廃れさせるのも、盛り上げるのも、「仕掛ける側」に理由がある。
同様に考えれば、「ケータイ小説」の廃れには出版社側やケータイ小説サイト側に原因があると捉えられるはずだ。
「ケータイ小説」って、実は悲劇の文化ジャンルなのかもしれない。
【目次】
はじめに
序章 ケータイ小説七つの大罪
第一章 ケータイ小説のあらまし
第二章 ケータイ小説市場の最前線
第三章 ケータイ小説の内容
第四章 ケータイ小説を巡る言説
第五章 なぜケータイ小説は売れるのか
あとがき
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■携帯小説の構造
強姦や堕胎などの罪→真実の愛によっ てすべてが許され、救われる。
真実の愛=南無阿弥陀仏@浄土真宗
同じ構造の話の繰り返しは、聖書やイ ソップ童話や日本昔話にもみられる。
「実話である」とされることも聖書や民間伝承と共通する。フィクションで あることを前提として読むと×。
■携帯小説の読み手
地方都市の女子中高生
地方都市…テレビの過剰な東京中心主義からの排除された感。
携帯小説に出てくる罪は、自分でなくても周りの誰か(それが噂レベルでも)が経験している話→リアリティーのあるインパクト
中高生…特に狭いコミュニティーに生きてる、恋愛による救いは分かりやすい
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作家の目線からケータイ小説を分析した一冊。
ケータイ小説はともすると、既存の文学から一段低く見られがちだが、その現状を踏まえた上でブームの理由とその通り一辺倒な内容を分析している。
ケータイ小説(特にノンフィクション)を愛読するものとして、全ては頷けないものの、その論説はさすがの一言。
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ライトノベル作家である著者が、「ケータイ小説」の世界に分け入って考察を展開している本です。
著者は本書を執筆するにあたり、ケータイ小説の編集者や作家への取材もおこなっているようですが、読者である女子中高生への取材のようなものはなされていないようです。ケータイ小説のじっさいの読者からアプローチしていくと、著者と読者のあいだに隔壁のないケータイ小説のインタラクティヴ性に焦点があてられることになると思うのですが、本書ではむしろ、自身もプロの作家である著者が、ケータイ小説のドラマトゥルギーを読み解くことで「読者」像を浮かび上がらせようとしています。
本書では、Yoshi『Deep Love』、Chaco『天使がくれたもの』、美嘉『恋空―切ナイ恋物語』(以上スターツ出版)、メイ『赤い糸』(ゴマブックス)などの作品がとりあげられ、ストーリー・ラインを紹介するとともに、著者による「ツッコミ」が入れられています。著者自身がケータイ小説の読者層と対立する文化トライブであるオタク文化圏の住人なので、ケータイ小説読者のツボを押さえた解読になっていない可能性も憂慮したのですが、おおむね適切な解説になっているように感じました。
結論としては、ケータイ小説の読者は「真実の愛」というやや安易な救済の物語を求めているというところに着地しています。「大きな物語」は崩壊したものの、「終わりなき日常」に耐えて生きていくには弱すぎる人びとが、自分たちが共感できるような等身大の「救済の物語」を求めるようになったと、著者は論じています。
ただし、『電車男』のような「メタ」の観点と「ネタ」が直結しているようなオタク文化との差異や、近代の自我の目覚めによって素朴な「救済の物語」が有効性をうしなったという歴史的経緯など、さまざまな論点が提示されていて、少し論点がぼやけているような気がします。