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紙の本
エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社ノベルス)
著者 深水 黎一郎 (著)
モディリアーニやスーチンら、悲劇的な生涯を送ったエコール・ド・パリの画家たちに魅了された、有名画廊の社長が密室で殺されるが、貴重な絵画は手つかずのまま残されていた。生真面...
エコール・ド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ (講談社ノベルス)
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商品説明
モディリアーニやスーチンら、悲劇的な生涯を送ったエコール・ド・パリの画家たちに魅了された、有名画廊の社長が密室で殺されるが、貴重な絵画は手つかずのまま残されていた。生真面目な海埜刑事と自由気ままな甥の瞬一郎が、被害者の書いた美術書をもとに真相を追う。芸術論と本格推理をクロスオーバーさせた渾身の一作。【「BOOK」データベースの商品解説】
悲劇的な生涯を送った画家たちに魅了された、有名画廊の社長が密室で殺されるが、貴重な絵画は手つかずのまま残されていた。生真面目な海埜刑事と自由気ままな甥の瞬一郎が、被害者の書いた美術書をもとに真相を追う。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
深水 黎一郎
- 略歴
- 〈深水黎一郎〉1963年山形県生まれ。慶應義塾大学文学研究科後期博士課程修了。大学教員兼作家。「ウルチモ・トルッコ犯人はあなただ!」で第36回メフィスト賞を受賞し、デビュー。
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紙の本
美術論の部分は可もなく不可もなし。無論、美術について詳しくない人には十二分なもの。でもユーモアは空回り。ミステリと美術の部分は分離独立派のように溶け込まず・・・
2008/06/23 19:48
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
出版社から出版案内をかねたメルマガが定期的にきますが、そこに深水が
そこでこの小説では、成功しているかはさておき、本格ミステリをみなさん
に愉しんでもらいながら、同時にエコール・ド・パリとその周辺の美術につ
いて通暁していただくことを理想としてみました。本格ミステリも美術書
(画集)も、それぞれ単独でも需要があるわけですから、一冊でその両方を
愉しめる本が作れたら良いな、というのが出発点でした。
と書いているのを読んで、この本を読みたくなりました。
カバー後の案内は
モディリアーニやスーチンら、悲劇的な生涯を送った
エコール・ド・パリの画家たちに魅了された、有名画廊の
社長が密室で殺されるが、貴重な絵画は手つかずのまま
残されていた。生真面目な海埜刑事と自由気ままな甥の
瞬一郎が、被害者の書いた美術書をもとに真相を追う。
芸術論と本格推理をクロスオーバーさせた渾身の一作!
です。ちなみにカバーは平均的なもの。名画をもってきちゃうと平凡になる?そんなことはないんじゃないでしょうか。辰巳四郎さんだったら、全く違う意匠を用意していたでしょう。そんなカバーデザインは、片岡忠彦、ブックデザインは熊谷博人・釜津典之です。では、作品の出来はどうでしょう、1+1が2で終ったのか、ビジネス界でいわれるシナジー効果はあったのでしょうか。
結論を言います。シナジー効果までは行かなかった。芸術論がミステリと融合したというよりは、分離・独立したままです。メタ化して境界線が曖昧になり、真偽のほどが不明になるのが理想だったと思いますが、美術論がまっとう過ぎました。とはいえ、足を引っ張り合っているわけではありませんから、マイナスにはなっていません。ただ、思ったほど効果的ではなかったということです。
ミステリ部分、これも平均的。海埜刑事がしっかりしているせいでしょう、甥の瞬一郎があまり捜査の現場に立ち入らないことには好感を抱きますが、一歩間違えば夢水清四郎になりそうな気配があります。それと海埜刑事の上司、課長の無責任な発言や行動がすこしも面白くありません。ある意味、夢水清四郎が瞬一郎と課長に分かれただけみたいな感があります。
そして動機。実は、この手の話って美術界にはよくある話なんです。ま、そこらの事情は、美術初心者には面白いでしょうし、事実ですから文句はありませんが、驚きはありません。犯人像もです。そういう意味では、高橋克彦の美術ミステリーの完成度っていうのは凄いと思います。身銭を払って美術品を買ったことのある人と、外にいる人の違いかもしれません。
最後に目次です。
プロローグ
第一章 発端
第二章 エコールド・パリの画家たち
第三章 モディリアーニ『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』
第四章 ハイム・スーチン『カーニュ風景』
第五章 ジュール・パスキン『花束を持つ少女』
第六章 佐伯祐三『顔のない自画像(立てる自画像)』
読者への挑戦状
第七章 急転回
第八章 事実上の真犯人
第九章 呪われた芸術家たち
あとがき
紙の本
芸術論と蘊蓄を楽しむミステリ(ミステリ部分は甘めに見るべし)
2010/10/17 14:51
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:惠。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は先に読んだ『花窗玻璃 シャガールの黙示』に続く芸術探偵シリーズの第一弾。初めましての作家だったので最も興味のあるシャガールから読み始めたのだが、これがまんまとハマってしまい、最初から読み進めることにした(といっても既刊は3冊だけだけれど)。
本書で登場する芸術蘊蓄は、タイトルにあるとおりエコール・ド・パリに関するものである。
まずエコール・ド・パリとは何か? 実はこれを説明するのは難しい。「エコール・ド・パリ」と一言でまとめて言うのは簡単だが、その内情はとても一言では言い表すことができない。
物語は作中作である『呪われた芸術家たち(読み:ルザルテスト・モウヴィ)』という芸術書の序章から始まる。この書物を著したのは暁宏之という有名画廊のオーナー。彼は自書でエコール・ド・パリについてこう述べている。
(略)エコール・ド・パリを定義づけようとすると、どうしても次のような、奥歯にものが挟まったような長ったらしい言い方にならざるを得ないのである。すなわち第一次世界大戦をはさんで1910年頃から20年代に、パリを中心に花開いた国際的美術の一派であり、そのほとんどが外国人で、モンパルナスにあった、フランス語で『蜂の巣』を意味する《ラ・ルッシュ》という長屋兼アトリエに住みつき、それぞれ貧困や痼疾(こしつ)の病と戦いながら、己の芸術を追い求めた画家たちの集団である――と。
つまりエコール・ド・パリというこの呼称は、同時代にパリで芸術政策を続けていたということ以外に、ほとんど共通点を持たない彼らを総称するために、後代の美術史家が作りだしものであって、何らかの芸術的主義主張や志向を持って集まった一派であると考えるのは、そもそもが間違いなのだ。
ちなみにエコール・ド・パリに数えられる画家の例には次の者がいる:モディリアーニ(イタリア)、レオナルド・フジタ(=藤田嗣治・日本)、シャガール(ベラルーシ)など。彼らの絵を少し眺めればすぐに気付くことだが、絵における共通点は見あたらない(専門家レベルではできている、という可能性はあるが…)。
さて、冒頭から読者にエコールドについての基礎知識を与えてくれた暁氏だが、彼は自宅(豪華な邸宅)で殺されてしまう。現場は密室。警視庁の海埜刑事が捜査に当たっているところに、甥の瞬一郎が登場する。
瞬一郎は日本画の大家を祖父に持つ芸術一族の出で、彼の母は海埜の妹にあたる。しかしその母は既に他界。父が娶った後妻と合わないのか高校卒業後すぐに渡欧して以来、遊学を続けていたはずなのだが、『呪われた芸術家たち』を片手に暁コレクションの見学のために暁邸に現れたのだ――当の暁氏が殺されたとも知らずに。
というのが物語の導入部分。この後、海埜と主に瞬一郎が殺人事件の捜査をしつつ芸術論を展開するのだけれど、そこから広がる蘊蓄の楽しいことといったら!
芸術書を読むのってどことなく堅苦しくて苦手だけれど、こうやってミステリに盛り込んでもらえるとすーっと入ってくるから不思議だ(その分すーっと出ていくけれど)。
ミステリ部分に関してはご丁寧にも著者は「読者への挑戦状」を用意している。が!個人的にはこの挑戦状がすごく気に入らない。犯人やトリックに拘らないわたしが言うのもなんだけれど、わざわざ読者を挑発するほど素晴らしいトリックというわけではないのだ。現に、トリックと犯人に拘らないわたしにもおおよその見当がついてしまった。
おそらく読者がこのシリーズに求めているのは本格トリックではない。タタルにおける現実の事件が拍子抜けしても許されるように、現実における事件の解決は大きな要素ではない。たとえ本書がミステリに分類される作品だとしても!
同じような考えの読者が多いのか、はたまた著者や編集部の意向か、この挑戦状は次巻からは登場しない。声を大にして言いたい!! それ正解!
ミステリなんてそこそこにして、このまま芸術蘊蓄満載で突き進んでもらいたいものである。