紙の本
「津波てんでんこ」というコトバに託された著者の思いを、日本人全体で共有しよう!
2011/05/11 14:55
12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サトケン - この投稿者のレビュー一覧を見る
「津波の際は、とにかく躊躇せず、一人一人バラバラで全力で高台に逃げろ!」これが著者による本書の最大のメッセージである。そして、「津波は他人事じゃない!」、これが本書を一読してのわたしの率直な感想だ。
タイトルになっている「津波てんでんこ」とは、明治三陸大津波の悲しい歴史を背負った貴重な教訓である。「てんでんばらばら」の「てんでん」に東北地方言の「こ」がついたもの。親兄弟が災害時に助け合うのは人間として当然の感情だが、こと津波に限ってはそれは例外でなければならない。なぜなら津波は不意打ちで突然襲ってくるから、共倒れを避けるためにはそれしかない、ということを意味している。
「津波てんでんこ」という表現には、著者が子どもの時に体験した「昭和8年の大津波」が原点にあるという。「七人兄弟の末っ子だったが、両親も兄たちも、誰も手を引いてくれなかった。そのため否応なしで一人で逃げ、雪道を裸足で山まで駆け上がっている。後で聞くと、友だちの多くもみんな同じことだったらしい。助かろうと思ったら子どもでそうせざるをえないのである」(P.223)。今年87歳になる本書の著者・山下文男氏は、今回の大津波でも九死に一生を得たことが報道されていた。
吉村昭の『三陸海岸大津波』は読み継がれるべきロングセラーだが、津波はけっして三陸海岸だけのものではない。本書はこの重要な事実に読者の注意を促してくれる。「津波は他人事じゃない!」とはこのことだ。
本書によれば、関東大震災のときには相模湾沿岸では津波と山津波の挟み撃ちになっている。戦時下の東南海地震津波(1944年)は厳しい情報統制のため知られていないだけ。敗戦後の南海地震津波(1946年)はそれどころではない状況だった。日本海中部地震津波(1983年)では秋田に大被害、北海道南西沖地震津波(1993年)では奥尻島を中心に、沖縄の石垣島でも大津波の被害を受けている。
日本は、地震と津波の多さにかんしては、同じくプレートのうえに乗っかり、周囲を海に囲まれた島国のインドネシアとならんでいるのだ。。津波が tsunami として英語になっていることからもわかるように、この国は「世界有数の津波大国」なのだ。
自然災害である津波は、人間サイドの事情にはいっさいお構いなしに突然襲ってくる。しかも、集中豪雨や台風など、毎年の決まった時期に定期的に襲ってくる自然災害に比べると、大津波と大津波のあいだのインターバルがきわめて長いのが特徴である。そのため、どうしても体験が風化しやすい。また逆に体験していると、どうしても実際より軽くみなしがちという側面もあることが指摘されている。津波への対応は、マインド面でも難しいのだ。
狭い意味の専門家ではなく、三陸海岸に生まれ育った一市民の立場から書かれた、日本国民に覚醒を促す本である。ぜひこの機会に眼をとおして「自分の問題」だと受け止めてほしいと強く思う。
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津波てんでんこ―近代日本の津波史 / 山下 文男
著者の山下文男さん(87)が新聞に出ていた.大船渡市の病院で今回の津波に遭遇.これだけ津波の知識のある人でも今回は想定外だったようだ.
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東北関東大震災で、津波の恐ろしさを感じて。津波の実例を紹介している本だが、頻度が低いから風化しがちだけど、日本は地震・津波大国なんだと改めて認識。知らなかっただけで、関東大震災のときに相模湾沿いは大変だったんだ…。
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津波が来たら親子兄弟を気にかけず、全力疾走で逃げる。それが、被害を最小限に食い止める方策。
明治の大津波の教訓を伝えて来た三陸地方が、再び同程度の被害を出してしまった。「復興」に向けて、何が足りなかったのか?を考えさせられた
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岩手県田野畑村 海抜24mに20トン津波石があるとのこと。
写真が掲載されています。もし写真がなかったら,ピンと来ていなかったかもしれません。
実物を見たことがある人たちはどう感じたのでしょうか。
「凄まじいスピードと破壊力の塊である津浪から逃れて助かるためには,薄情なようではあっても,親でも子でも兄弟でも,人のことなどはかまわずに,てんでんばらばらに,分,秒を争うようにして素早く,しかも急いで速く逃げなさい,これが一人でも多くの人が津浪から身を守り,犠牲者を少なくする方法です」という哀しい教えが「津波てんでんこ」
自動車での避難はあらかじめ合意しておくことが大切だとの事。
避難途中で,寄ったために亡くなられた話は悲しい。
どうやって語り継ぐべきか「津波てんでんこ」
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P23「それぞれの特徴でいえば、明治三陸津波は震度わずかに2-3という弱震の後で襲って来た巨大津波であったし、チリ津波は、事前の地震を感じなかったことから、音もなくやってきた津波といわれ、また日本中部地震津波は、日本海側には津波が無いとの俗説が災いを大きくした防災の虚を突く大津波ともいわれた。」
東南海地震は1944年12月7日。南海地震津波は1946年12月21日。
明日にも来るかもしれないし、50年経っても来ないかもしれない。
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2011年著者の山下氏が亡くなられた。
東日本大震災にも、被害にあわれ、九死に一生を得た。
貴重な津波教訓本。
今まさに必読書。
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津波が来たら他の人を助けようとしないで、それぞれバラバラに(てんでんこ)逃げろ、という「津波てんでんこ』なる言葉は有名になってきているが、なんと1990年くらいに著者がでっち上げた言葉らしい。同じく津波に関するお話として有名な『稲むらの火』も1854年の津波がモデルというから、意外と津波の教訓を伝承するというのも歴史が浅いのかもしれない。
津波てんでんこ、となると、基本的に要介護老人などはおいてけぼりになる。だから人道的ではない、様な気もするが、実際はこっちのほうが人道的なんだろう。比べる対象は、助けるか、助けないか、ではなく、一人の老人のために5人死ぬか、1人の老人が死んで4人助かるか、なのだろうから。
3.11死亡者の死因の90%が水死との認識だったが、どうも本書によると溺死とされている人の殆どは脳挫傷とかが原因らしい。それで死んでしまったあとはもみくちゃにされてとりあえず水死、と分類されるようだ。津波に飲み込まれたら基本的に死ぬ、と認識すべきだろう。(クリント・イーストウッドのヒア・アフターの津波の描写は、建築物があまり壊れてなかったり、水が透明だったり、ぬるかったな。)
『体験者多く死すの教訓』
一度それほどでもない津波を体験した人のほうが、甘く見ていたので死んだ人が多い。(これも3.11でみられたこと)
(死体が転がる被災地の状況がいくつか紹介されているが、今回ので見た地名ばかりだ。。。)
同じ地名で、また壊滅的な被害を受けたところを見ると、不謹慎ながら、結局被災地の人間がこれまで何も学ばずにまたちんたら海岸沿いに住んでたからこれだけ多くの人が死んだんじゃないかという気にもなるが、「田老村の場合、前の津波での死亡者があまりにも多く、生存者があまりにも少なかったために体験を語り継ぐべき人が少なかった」とかいわれるともう。。。なんとも。。。自然の脅威には基本かなわんな
『津波警報はなぜ出遅れたのか』
という節があるのだが、むしろ警報は遅れるものだ、と認識すべきな気がする。。。
『歴史は繰り返された』(本書が出版された2007年まででも、3.11でも)
体験者多く死す
共倒れ
海岸から遠いほど油断し、多くの人が死んだ
一度は高台に逃げて助かったのに途端に欲が出て、金品などを持ち出すべく避難場所から下がり、そのまま死亡
「災害弱者」(自力で避難できない人)の犠牲が多い(こういう人達は高台に生活拠点を持っておくほかないよなぁ。。。)
三陸海岸沿いの地域はこの150年で4,5回は津波に襲われている。漁港の再建はともかく、低地に住居を再建してまた流されたら、正直馬鹿としか言いようがない。
日本海側でも、東京でも、和歌山でも、高知でも、名古屋でも、過去100年間のうちに1回は津波が襲ってきているし、死者も出ている。
思いの外、津波防災の歴史は浅い。 #ischool2011 で津波てんでんこを鬼ごっこみたいな遊びにして風化させない、というようなアイデアが出たっぽいが、地味にアリな気がしてきた。
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あとがきにある「私には、津波に対する恨みがある。」という一文が印象的
東日本大震災の直後でもあるので首肯しながら読みましたが 風化をさせず意識をもって地震がおきたときに本書を思い出せるよう 心に留めたいと思います
みんなにも読んでもらいたい
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「知識は命の保障」防波堤・防潮堤の効果には限界がある。機敏に早く避難することが究極の津波防災。津波情報を受けても住民の避難率の低さ、津波体験が風化していくのは防災教育の不足からくる。「命のほかに宝はない」避難訓練、教育によって個人の防災意識を高めることで、自然災害に強い国づくりにつながる。東日本大震災の時著者は、陸前高田市の病院に入院中で津波被害に遭われたが助かったそうだ。なんとも皮肉なことに「歴史は繰り返される」歴史に学ばなければならない。
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著者は2011年3月11日に陸前高田市の病院に入院中、東日本大震災の大津波に遭遇し九死に一生を得たといいます。
その後、2011年12月13日に氏はお亡くなりになられましたが、郷土史研究家として、三陸で二度三度と大きな被害をもたらした津波について、歴史を紐解き、本書を含む書籍を執筆され、現代に生きる我々に警告を発していました。
紹介されている事例は、明治三陸(1896.6.15)、昭和三陸(1933.3.3)、チリ地震(1960.5.23-24)といった三陸を襲った津波の記載にとどまらず、日本海中部地震、北海道南西沖地震といった記憶に新しいものも含まれます。地域の言い伝えや新聞の記事から悲惨な現場の惨状を今に伝えることで、読者がただしく恐れることを意図しているようです。
愛知、静岡、三重などに被害をもたらした東南海地(1944.12.7)は発生当時報道管制が敷かれて言い伝えが不足しています。高知、和歌山、徳島などに被害をもたらした南海地震(1946.12.21)も同様に、強く語り継がなければ忘れ去られてしまいそうです。
防災と、災害に遭遇したときの対処法を、常にイメージして暮らし、不測の事態に備えていきたい。
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津波の悲劇の歴史を学ぶことができる。結構写真などもあるので、本格的に悲惨さを知りたい人には良いかもしれない。
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この本を読んでイヤと言うほど痛感したのは、津波が同じ海岸、同じ集落を、数十年から100年ほどの周期で定期的に襲っていること。すなわち、経験したことのない災害ではなく、過去に何度も繰り返されてきた、想定可能な災害であるということ。
復興の時点で、教訓が生かされず、被害のあった場所が再び居住地として利用されるということを繰り返していること。
必ずしも津波に遭った先人の教訓がきちんと伝承されていないこと。「津波てんでんこ」は三陸海岸の住民に以前から伝わっていた言葉ではなく、これから国民全員が肝に銘じるべき行動規範である。
もう一つ、堤防は、ある程度しか効果がないこと (防潮堤が無傷でも、その高さを超えた津波で集落が壊滅的な被害を被った奥尻の例あり) 。
東日本大震災以前にかかれたこの本に書いてあるような、教育、啓蒙が適切に行われていれば、今回の震災でも津波による被害が、また違ったものになっていたのでは? (99.8%が生き残った釜石の小中学生が好い例)
思えば震災から3年以上、ずっと目をそむけてきた気がするが、これをきっかけに、きちんと向き合っていこうという気になった。
最後に、自らも被災し、同年に亡くなられた著者の御冥福をお祈りする。
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☆信州大学附属図書館の所蔵はこちらです☆http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BA84672796
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本土で発生した8件の津波被災を、章ごとに取り上げる。第6章で1960年の「チリ地震津波」を「地球の裏側から遥遥 昭和のチリ津波(1960年5月23~24日)」(p157-169)をあてる。
主題はエピローグで示されていると、言えよう。
「三陸だけが『宿命的津波海岸』ではない」。「世界でも一、二を分ける津波の国」「体験の風化は恐ろしい」などをまとめて、「自分の命は自分で守る」と、主張点は明確。
題名『津波でんでんこ』の「てんでんこ」。
著者は「てんでん」「てんでんばらばら」の末尾に、「こ」をつけた「地域語」と。
津波が予知されたら、「各自めいめい」「てんでんバラバラに」。それがたとえ親子であろうと、知人であろうと、「津波のときはお互い問わず語らずの了解のうえで」と、解説(231p)。
緊迫感のうえに、永年の伝統が生んだ一語と示す。