紙の本
演繹法、帰納法、そして第三の推論・アブダクション!
2009/09/30 21:30
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:反形而上学者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
アメリカの科学者・論理学者であるパースは、今でこそ色々な分野からその思想が注目されているが、存命中は極めて不遇な学者生活を送っていた。
もともとの専門であった科学者としての研究に加え、独自に「記号論」や「宇宙論」といったものにまで思考の範囲を広げ、それぞれ論文に残してもいる。
しかし、パースといえばやはり「記号論」が有名であり、何かとソシュールの「記号学」と並び称されることが多いのだが、ソシュールとパースのやっていることは全く違う。ソシュールは「記号の生成」について研究したが、パースは「記号とはどういう風に我々に認識されるか」という研究である。
つまり、言い直せばソシュールは「記号が出来るまでの学問」、パースは「記号が出来てからの学問」ということになる。
そしてパースはやたらと「三つに分類」することが好きだった。大抵は何事も「三つに分類」している。
さて、本書のタイトルにもある「アブダクション」であるが、これもデカルトの演繹、帰納という論理展開法にもう一つ「アブダクション」というものが加わるのではないか、というのがパースの意見だ。
「アブダクション」とは簡単に言うと、「発見法」とでも言えるものである。そしてこの「アブダクション」による新しい推論の方法を「探求の論理学」として、科学などにおける「閃き(ひらめき)」のような状態を今までの演繹、帰納という方法とは分けて第三の論理学として、独自に理論化していったもんである。
本書においてユニークなのは、多彩な才能と実力のあるパース自身が明らかに「思考モデル」となっていることであろう。当人が図抜けて学際的思考を容易くできる人間であるからこそ、こういう論理を展開できたというのが事実であろう。
そしてこれはあくまでも私の感想であるが、ポランニーの「暗黙知」ともほぼ似たようなものであると理解している。
人間は必ずしも最初の閃きというか、発見のようなものは、デカルト的論理思考によるものではなく、「飛躍した思考状態」が大きく働いている。そしてこれはいつの時代の偉大な学者も経験しているにも関わらず、それを論理化してこなかった。そう考えると、パースの「アブダクション」は完璧ではないが、後世に続く学者へのバトンのような気もする。
そう、ここから何かが始まると気づいた人にとっては、大きな手がかりとなるほどのインパクトを持った思想であり、「本」であると言えないだろうか・・・。
投稿元:
レビューを見る
科学的な思考として演繹、帰納とがあり、材料を並べれば水が高いところから低いところへ流れるがごとく、自ずと新たな考え方が顔を出すと思っていたがさにあらず。万有引力のときもそうであるが、その裏に隠されている真実を如何にえぐり出すことが重要となる。仮説をたてるセンス磨くことの方が重要である。論理的な説明は見つけたものを周知させるときに役立つのだろう。
投稿元:
レビューを見る
パースのアブダクションという概念が結構分かりやすく説明されていた。教養学部時代、記号論理学けっこうすきだったけど、やっぱりそれとは違う論理もあるんだなぁ、と。あと、アブダクションっていう名前よりリトロダクションって名前のほうが分かりやすいと思う。。。。
投稿元:
レビューを見る
学びはあったけども、少し「ふーん」って感じも。アブダクションなんて、この本を読むまでもなくふだんからやってるわけで。
(追記:読後時間がたって、徐々に面白さがわかってきたかも。科学的探究に限らず、人間が意味を獲得するプロセスにおいて重要かもしれない。やはりアフォーダンスと近い概念だと思う。)
探求の論理学は、思惟の動力学。
論証の論理学は、思惟の静力学。
アブダクション:発見の文脈
帰納:正当化の文脈
演繹
→論証力と拡張力で並べることができる。
論理学の数学化。数学は推論の運用。論理学は推論の研究。
パースの考える規範科学:
美学 →基礎付け → 倫理学 → 基礎付け → 論理学
パース自身の本来のアブダクションって科学的探究に限ったというかけっこう狭い領域の話なんじゃないかという気がしてきた。広い意味で使われてる現状に対して。
知識の本質は一般化である。一般化は説明の本質である。引力は仮説。引力を直接観察することはできない。
「ということの発見」→ケプラー
「なぜかの発見」→ニュートン
レトロダクション(遡及推論):結果から原因へと遡る推論
自然について正しく推論する本能的な能力
驚くべき事実Cが観察される。
しかしもしHが真であれば、Cは当然の事柄であろう。
よって、Hが真であると考えるべき理由がある。
ニュートンにとっては「林檎が垂直に落ちるということ」が「驚くべき事実」であった。この非凡な感性がアブダクションを起動する。アートと科学の接点。
自然に問いかけて真理を引き出す。
自然について正しく推論する本能的能力
仮説採択基準:もっともらしさ、検証可能性、単純性、経済性
あ、パースのなかでは、人間の原始的な自然理解と、科学的探究は連続してる、地続きなのかな?/質的な決定的断絶がないというか。
アブダクションで仮説が生まれ、帰納的に鍛えられ、法則となった理論の上に次の仮説が生まれる。
新たな仮説が演繹的に導かれることもある。それは特定の事象の存在を予見する形でなされる。
演繹は事例の一般化である。「かつてナポレオンが存在した」という単称的 (singular) 仮説は演繹からは導かれない。
「アブダクティブな観察」→着想のための観察
「帰納的観察」→実験的実証的観察
「仮説が事実をつくる」N.R.ハンソン
『いかにして問題を解くか』ポリア→発見法的見地からの数学教授法
デューイの「常識」→使用と享受
質的言表
真理は意味の一類である。
投稿元:
レビューを見る
パースが提唱した「発見の論理」であるアブダクションについて詳しく説明する本。従来の論理学で扱われてきた「厳密な推論」である演繹と、「蓋然的な推論」である帰納(一般化)に加えて、仮説発見のための新たな「蓋然的な推論」としてのアブダクションの必要性が、形式論理学と科学哲学の観点から分かりやすく説明されている。本書によれば、ニュートンやケプラー等、近代以降の物理学における発見はアブダクションで説明可能であり、演繹推論の権化と見られがちな純粋数学の研究者すら、新たな理論を作っている最中は帰納やアブダクションを行っているという。すなわち、「完成した数学」と「作りかけの数学」では、取り扱う際に用いられる推論の種類が異なるのである。
私は長年、「長大な演繹の繰り返しに耐えてさえいれば、誰でも必ず新しい定理にたどり着ける」という信念で生きていたので、それをひっくり返されるのは結構つらいものがある。アブダクションの類義語である「創発」「発想」「ひらめき」といった言葉は、その山師的な響きが大嫌いなんだよね…。一切の間違いを排除した美しい世界は、イデアの中にしか存在しないのか??
投稿元:
レビューを見る
書店でなんとなく購入したわりには面白かった。不慣れな分野なのでゆっくり読み進めたのが良かったのか、なるべく分かりやすく書かれているからか、いままで名前しか知らなかったアブダクションについての理解が深まった。
投稿元:
レビューを見る
○仮説発想の論理「アブダクション」についての入門的な本です。ふつう推論といえば演繹と帰納、つまり前提が先か現象が先かという2つの考え方があります(以下、ちゃんと論理学を学んだ人からすれば投石モノの酷い文章でしょうが許してください)。C. パースは、それに加えて、前提(仮説)を発想する第3の論理を「アブダクション」と名付けました。
○「アブダクション(abduction, 誘拐)」とは論理の誘拐、つまり結論となる仮説を強引にもってくるというようなニュアンスがあるのではないかと思います。たとえば、ニュートンはリンゴが落ちたのをみて、そこから「引力」という目に見えない働きを想像したといわれます。
○リンゴが落ちたという現象から帰納的に考えるならば、「すべての物体は落下する」としかいえません。帰納は観察された事実に基づくものだからです。ですが、「引力」という説明要因は「りんごが落ちた」という事実を明らかに超えています。だからこそ、それが正しいかを証明するために演繹や帰納が用いられるのです。つまり、きわめて発見的でありながら、きわめてあいまい(蓋然的)であるしかないというのが「アブダクション」のもつ大きな特徴です(7・8章で登場するW. ニールやG. ポリアは、こうした仮説的な思考を帰納の一種としていました)。
○この本は、まず「アブダクション」という論理の説明から始まり、K. ポパーの仮説演繹法やF. ベーコンやJ.S. ミルの帰納主義的な考え方を紹介したうえで批判的に検討しています。その検討をつうじて、非形式的(非論理的)とされてきた人間の思索の段階を論理形式として示し、演繹と帰納の違いを明確にしてゆきます。当然のことなのですが、それぞれの議論にはアブダクションと重なるところがあります。
○「アブダクション」についてはアマゾンのレビューなどでも丁寧な説明があるので省きますが、この本は論理学を取り扱っているのに非常に読みやすく、そのために「そんなの当たり前のことだ」と思ってしまう方もいらっしゃると思います。つまり、「アブダクション」はそれだけ人間の思考に寄り添っているものなのです。ここで重要なのは、それを科学的探究における論理として打ち立てることによって、科学的探究において非科学的とされてきた思索の段階の重要性、そして科学的探究のあり方を唱えていることではないかと思います。
投稿元:
レビューを見る
新しいアイデアを「発想」するということはどういうことなのか。そのようなことに取り組んだ人に、チャールズ・S・パースという人がいます。彼は、これまでの論理学でいわれてきた「帰納」(induction)と「演繹」(deduction)に加えて、「アブダクション」(abduction)というものがあると考えました。アブダクションとはどのようなものか、そして、創造的思考とどのような関係があるのかについて学びます。
・まえがき、第1~5章
投稿元:
レビューを見る
科学的論理的思考の方法には、演繹、帰納の二種類が有名であるが、もうひとつの思考の方法として、アブダクション、または、リトロダクションがあるが、これをイロイロな角度から紹介する本である。また、このアブダクションはコンピュータ関係の研究者から注目されている。
実際にはニュートンの重力の発見は、演繹、帰納ではなく、アブダクション、仮説が必要だという。しかし、この本を読み解くのはかなり骨が折れる。実際つぶさに読んだ訳ではない。抽象度が高く、概念で説明が進んでいく。個人的な要望は図表を増やしてもらいたい。結局イメージしにくいのでアタマに残りにくいからだ。
コンピュータ関連の研究者としては、この本で書かれているアブダクションをコンピュータで行うようにすることはかなり難度が高そうだと思った。文字に起こせば大した量ではない。しかし、あるものとあるものを組み合わせる時に本来はくっつかないとされているものをある意味無理やりくっつけるという話である。しかしコンピュータはこれが苦手だからだ。
集中力のある若いうちにじっくり時間をかけて読み込むべき本である。
投稿元:
レビューを見る
人工知能が話題になっています。
色々な人類の能力を超えていき、仕事を奪っていくという予測も話題です。
その人工知能に人類が最後まで優っていると言えそうなのが、仮説を作る能力だと思います。そしてそれが全ての科学を作ってきた、らしいです。
パースという哲学者は、その仮説を立てるプロセスに着目して、演繹と帰納にならぶアブダクションという推論を提起しました。この本はその推論方法を分かりやすく説明してくれて、お勧めです。
投稿元:
レビューを見る
現在、推論は演繹と帰納の2つがあるとされる。しかしながら、この本では3つ目の推論として、アブダクションというものが紹介されている。
アブダクションとは、簡単に言うと、仮説を立て検証していく事である。
この本では、アブダクションの例がわかりやすく述べられていて、アブダクションとは何かということを理解する事ができる。
しかしながら、アブダクションの方法を学ぶだけではもったいないと思う。
例えば大学の研究ではアブダクションを使う事で新しい物事を見出す事ができる。私たちの身近にはアブダクションは存在していて、それによって新しい物事が作られている。
新しい物事を作り出すために、私たちはアブダクションを理解すべきである。
投稿元:
レビューを見る
『論理思考と発想の技術』で触れられていたアブダクションに興味を持ち、この書籍を手にした。三段論法である、演繹、帰納、アブダクションの違いがよくわかる。
パースがいわんとしていることが、とても丁寧に紐解かれているという印象。
アブダクションがどのような論理であるかをようやく理解したという感じ。
投稿元:
レビューを見る
【星:4.5】
個人的に大変興味深い内容であった。
「アブダクション」なるものを私は初めて知ったのだが、要は「仮説思考」である。
ただ、仮説思考というとコンサルがビジネススキルとして述べているのは結構見るのだが、この本に記載されているように「哲学」「論理学」「科学」という面から考えられているというのは初見で新鮮な知識であった。
この本を通して仮説思考の本質を見た気がした。
ただ、このアブダクションについて具体的に内容を掘り下げている訳ではなく、「アブダクション」という思考法もありますよ、程度に終わっているのがやや残念。
投稿元:
レビューを見る
[関連リンク]
アブダクション―仮説と発見の論理 - 情報考学 Passion For The Future: http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/04/post-976.html
投稿元:
レビューを見る
課題に関する答えや、解決策、方向性を導出するための、検討の仕方について、体系的に整理するため、購読。
・推論┬分析的手法―演繹
└拡張的推論┬帰納
└アブダクション
・アブダクションは科学的仮説や理論を発案し発見を行う拡張的推論。
・アブダクションの考え方は下記のようなもの。
驚くべき事実Cが観察される。しかしもしHが真であればCは当然であろう。
よって、Hが真であると考えるべき理由がある。
・アブダクションは帰納とは下記2点において異なる。
①アブダクションは直接観察したものとは違う種類の何かを推論する
②アブダクションは直接観察不可能な何者かを仮定する。
・アブダクションは可謬性が高いことに留意が必要。
科学的論理のみならず、社会的課題への新しい方向性を見出すのに、
しばしば使う方法です。