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商品説明
舞踏家の父と暮らす12歳の少女、野宮朔。夢は、作家になること。一歩一歩、大人に近づいていく彼女を襲った、突然の暴力。そして、少女が選んだたった一つの復讐のかたち。【「BOOK」データベースの商品解説】
舞踏家の父と暮らす12歳の少女、野宮朔。夢は、作家になること。一歩一歩、大人に近づいていく彼女を襲った、突然の暴力。そして、彼女が選んだたったひとつの復讐のかたちとは−。待望の長篇小説。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
島本 理生
- 略歴
- 〈島本理生〉1983年東京生まれ。「シルエット」で第44回群像新人文学賞優秀作、「リトル・バイ・リトル」で第25回野間文芸新人賞を受賞。他の著書に「ナラタージュ」など。
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紙の本
朔ちゃんへ
2007/09/28 11:29
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:紗螺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
朔ちゃんの言葉で綴られた話を読んでいたら、お手紙が書きたくなりました。
朔ちゃん。朔ちゃんのお父さんは、とても素敵な人ですね。舞踏に無我夢中で、お母さんにも捨てられてしまう、生活面では少し頼りない人かもしれません。でも、きらきらしています。お父さんは舞踏のことを「舞踏とは、身体表現であり、思想であり、文学であり、また哲学である」と表現しますね。朔ちゃんは「分かんない、全然分かんない」と即答します。そこを読んで、くすっと笑ってしまいました。私も全く同じ気持ちだったからです。でも、それは「分かんない」から切り捨ててしまう気持ちではなく、何かに夢中になっている人の表現の純粋さが窺われて、分からないながらに憧れに近いものを感じた気持ちです。朔ちゃんも、「分かんない」と言いながらお父さんに対してそんな思いを抱いているはずです。それと同時に嫉妬も。朔ちゃんには、まだお父さんのように夢中になって、命をかけてやるほどのものが見つかっていません。物語を書くことは、朔ちゃんにとって漠然とした夢であって、絶対的なものではないのです。気を悪くしないでください。朔ちゃんはまだ小学生、そのほうが自然なのです。いいえ、大人になったって、そんなものを見つけられる人は一握りでしょう。朔ちゃんのお父さんはその一握りの人なのです。だから、朔ちゃんはお父さんに対して憧れと仕方ないなあという気持ちと、そして嫉妬も抱いているにちがいないと思うわけです。もちろん否定的な意味ではありません。《仲がいい》という一言で表される以上のものが、朔ちゃんとお父さんの間にはつまっています。ああ、お父さんは「娘を可愛がってくれる女の人がタイプだ」って言いますよね。あれはすごく素敵なせりふだと思いました。そういうのは詭弁(キベンって、わからなかったら辞書でひいてください)だって言う人もいるかもしれないけど、ちがいます。朔ちゃんのお父さんは、心底そう思って言っていて、本当にそうしてしまう人ですね。いいお父さんです。
朔ちゃんには、いいお友達もいますね。クラスの女子に敵視されている鹿山さん。いじめられている、という見方もできるのに、鹿山さんの態度は清々しいほど潔くて、そんなことを感じさせません。性教育の授業の時に「男女わけられてこういう授業を受けさせられているのがすごく屈辱的なの」と言い、挙句の果てに先生と喧嘩して出て行ってしまうところなんか、笑いをを誘われながらも尊敬してしまいました。本当に筋の通った考え方ができる子です。朔ちゃんはそんな鹿山さんにコンプレックスを感じていますが、でもある意味彼女の傍に自然な形でふわっと寄り添っていられる朔ちゃんこそ、とてもすごい人なのかもしれません。初恋の相手となった田島くんも、やはり特別な相手ですね。うわあっと一気に好きになったり、その気持ちがあることで冷めたり、胸が潰れるような痛みを感じたり…朔ちゃんに、そういったことを味わわせる田島くんに、逆に嫉妬を感じた誰かもいたんじゃないかな。
朔ちゃん。この話を読んでいて、私が一番印象的だったのは今まで書いてきたようなことです。決して、暴力のことじゃない。それをまず言っておきます。いいことばっかりじゃない、でもとても《いい》人間関係が、朔ちゃんの周りにはあって、それを感じるのが楽しかった。《いい》というのは、あったかいけれどベタベタしてはおらず、ドライだけれど突き放してはおらず…といった雰囲気でしょうか。それが、朔ちゃんの語り口からとても素直に滲み出てきていました。
朔ちゃん。朔ちゃんは、とてもつらい思いをしました。物語を書いたノート――不幸にも事件に絡んでしまったそれを、朔ちゃんが捨てないでくれて嬉しかった。捨てないで。そう思っていたから。だけど、朔ちゃんの決意は少し悲しいです。文章というのは、人を傷つけたり告発したりするためにあるものではありません。いえ、そのための文章というのもあるけれど、物語や小説というのは本来そういったものではないんです。ある意味、朔ちゃんは小学生ながらにもう私よりも遥かに大人になってしまったのかもしれません。朔ちゃんの選択は、そのためかもしれません。でもだからこそ、お願いします。文章を、そんなことに使わないで。しかも、あなたの一生を、そんな安っぽい復讐のために使わないで。これが言いたくて、私は手紙を書いたのかもしれません。
黄金色の水辺に鳥が飛び立った光景を胸に、どうか強く生きていってください。