紙の本
最高に面白い。遺伝子研究から導かれた人類の足跡とは?
2017/01/28 19:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たまがわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
女系を辿れるミトコンドリアDNAと男系を辿れるY染色体、その研究結果と、
考古学や気候学の研究結果とをつなぎ合せて推測していく人類の歴史。
扱っているジャンルは違うが、ジャレド・ダイアモンド著の
『銃・病原菌・鉄』を上回る知的興奮と衝撃だった。
最高に面白かったのだが、唯一の弱点が、原著の発行が2003年と古いこと。
それでも、新鮮な驚きの連続だった。
中でも個人的に興味深かったのが、人類の出アフリカはおよそ
8万5000年前のただ一度だけだった、つまりアフリカ人以外のすべての人間は、
そのとき出アフリカしたグループの子孫であると言えるらしいのだが、
実はそれよりもずっと以前、およそ12万5000年前ごろにも出アフリカした現生人類の集団が存在して、
その人々は中東地域で3万年以上も生活していたが、その後の気候変動の影響により、
アフリカに戻ることもできずに、他地域に進出することもできずに、絶滅してしまったようだという話。
おそらく本書の主張や、その根拠となった証拠などは、それ以降の研究の進展により
否定されるものも出てくると思われるが、それでも著者の現時点での材料からの推理は、
非常にスリリングで、面白かった。
紙の本
「人類は地球上をそう歩いたのか」と頷く 考古学・古気象学・分子生物学の結晶
2023/05/28 07:11
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:大阪の北国ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
アフリカで誕生し、そこを出発した人類はいつ、どういうルートで全世界に広がっていったのか。それをかつての考古学や骨格・歯形などの古人類学のみでなく母系遺伝子ミトコンドリアDNA、父系遺伝子であるY染色体の樹形系統図分析の成果も取り入れて詳述した書である。
あまりの内容の濃さ、盛り沢山な情報量に読み終えるのに1か月もかかってしまった。特に本書で面白かったのは全編に亘って氷河期から今日に至るまでの気候と海面の高さを詳しく分析し、人類の移動と居住環境について考察を加え、考古学的データと遺伝子データ同士の整合性を検討していくという論考方法によるところだ。今までも類書を多く読んだが、ここまで海面と陸地の姿を遡って詳細に分析し、且つ生物科学的分析を織り込んで詳述した書はなかった。
本書は「一般向き」らしいが、文系の私からみると学術論文の壮大な集積であり、論文の専門用語を平易な一般語句で言い換えただけの書とも思えた。それだけに深く読み応えのある書である。分子生物学がこれほどの隆盛を極める前、日本においても「先住民である縄文人」と「渡来人である弥生人」という二重構造が推察されていた。本書ではアフリカを出た人類のうち、海岸採集民の一部が日本に渡ってきていることを指摘する。これらと同類の人々がバスク地方にも存在するとの説明には息を呑んだ。
日本人の起源は、これまで日本語の類をみない特異な特徴から出自不明として語られてきた感が強い。また言語学ではバスク語も周囲の言語との関係は極めて希薄であり、日本語と同じく孤島の言語と言われている。この背景は、本書によると、全く不明点はなく「なんだそうだったのか」というレベルに落ち着く。
またアメリカ大陸における原住民の遺伝子構造の分析結果から極北の大陸の存在にも言及する。考古学、分子生物学のみならず言語学の知見まで加えた議論が展開するところである。但し本書が登場した2007年以降今日までの急速な研究進化により、本書では謎の先住民とされたケネウィック人が既に謎でもなんでもなくなっていることにロマンの一つが失われたのは少々残念である。
人類の壮大な歴史を全地球的視点から綴ったスケールの大きい書であった。
投稿元:
レビューを見る
無理矢理読みましたがな。…盛りだくさん過ぎて読みやすい本では決してなかったです。要点だけ知りたいならたぶん章ごとの後半を読めば大丈夫ではないかと。
投稿元:
レビューを見る
内容→基本的には遺伝子「Y染色体」、「ミトコンドリアDNA」を使って現生人類は一体どこからやってきたのか?ということを気象学、考古学、地質学等をときおりまぜながら説明している。
現生人類はそれぞれの地域で進化(多地域進化論)したのではなく、たった一度のアフリカからの脱出でその脱出した際のグループが進化していった。つまりすべての人類の遺伝子をたどればこの時に脱出
したグループにいきつく。(出アフリカ論)という説を説いている。もちろん現在では後者の説が有力。原著自体は2003頃に出版されている。
強点→まったくこういった知識がない私でも、大まかな内容は理解できた。また、それぞれの地域(アジア、アメリカ、オーストラリア等)ごとに人類の足跡をたどっていてわかりやすかった。
ただ単に人類の足跡を追うのではなく、「すべての人類は元をたどれば皆同じ」という観点から人種差別の無意味さを説いている場面もみうけられた。著者に好感がもてた。
弱点→遺伝子の話なので、多少こんがらがる。(仕方ないけど)。丁寧に読めば理解できるが、軽く読み流すと理解が半減するかも(私だけ・・・?)。時間がない人にはお薦めしません。
読後の変化→すぐなにか結果がでるわけではないが、自分の知識の糧として大変ためになる。人種間の偏見が馬鹿らしく思えてきた。人類の進化の歴史に大変興味がわいてきた
投稿元:
レビューを見る
人類の種としての究極の起源はアフリカに現れた最初の現生人類まで遡り、
そして、ただ一つのグループが7万年以上前にアフリカを離れたのである。
投稿元:
レビューを見る
世代間で交差することなく、そのままコピーされて受け継がれるミトコンドリア(女系)とY染色体(男系)のDNA分析からアフリカを出た人類が全世界にその住域を展開する歴史を記述したものです。朝日新聞の書評欄で柄谷行人も評価していたこともあり、手に取りました。
この類の本は知的好奇心をうまくくすぐるらしく、最近多く出版が目立ちます(Amazonでたくさんレコメンドされる)。その中では、少し前の本ですが、ブライアン・サイクスの『イブの7人の娘たち』と『アダムの呪い』が有名です。こちらと比べると娯楽性ではサイクスに軍配が上がるでしょう。一方本書は娯楽性よりも、学問的な誠実さに基づき、考古学や気候学の知見を効果的に援用して人類の空間的展開ルートをDNAの系統樹から演繹しています。またこの類の本では問題となりがちな人種差別主義に対しても非常に慎重な姿勢を終始保っています。その誠実さと慎重さがときに読みやすさを損ねているように思われますが、記述の信頼性を高めているところでもあります。まだまだ学界でも未決の問題が多いというのもよく伝わってきます。統計的な正確さはサンプルの数が増えるにしたがい増えていくので、今後も新しい発見が期待できそうです。
それにしても、先祖をたどるとただ1人の人にたどり着くというのは不思議なロマンスを感じさせますね。どういう歴史を経てアフリカからこの日本まで人類が辿り着いたのかもきっちりと信じさせてくれる本です(まだ未確定なところもあるそうですが)。
なお邦題の『人類の足跡10万年全史』ですが、出アフリカの8万5千年前やアフリカのイブの15万年前とも合致していません。原題は、"Out of Eden: the peopling of the world"で直訳風にすると『エデンの園から - 人類の殖民の全軌跡』という感じでしょうか。この手の本のタイトルでは年数が書かれたものが多いのでそのせいかもしれません。8万5千ではキリが悪いですしね。
投稿元:
レビューを見る
第1章 出アフリカ
第2章 現生人類はいつ生まれたのか
第3章 二種類のヨーロッパ人
第4章 アジア、オーストラリアへの最初の一歩
第5章 アジア人の起源を求めて
第6章 大氷結
第7章 だれがアメリカへ渡ったか
投稿元:
レビューを見る
この5,6年で読んだとても刺激的な本の最高峰。「ミトコンドリア・イブ」から枝分かれしてきたホモ・サピーエンス・・・
投稿元:
レビューを見る
人類の昔のことを考えるにはその当時の気候のこととか気候による土地の変化まで考えないと駄目なもんなんだな。
投稿元:
レビューを見る
ミトコンドリア・イブから、人類がどのように移動していき、どのように世界に広まったか…という壮大な人類の歴史書である。
投稿元:
レビューを見る
本書の内容自体はまだ研究中であるし、サンプル数も少ないので鵜呑みにする事は出来ませんが、長いスパンの人類の移動の歴史として本書の内容は刺激的です
2013現在にアップデートされた結果も見てみたい良書
投稿元:
レビューを見る
700万年前にアフリカで生まれた人類は、その後何度かの出アフリカを経験し、各地に拡散し、現在に至った。もちろん、このことは、北京原人が現在の中国人、ジャワ原人が現在のジャワ人、ネアンデルタールが現在のヨーロッパ人と言うことではない。では、現在の人類とは、どのような経緯で世界に拡散し現在に至ったのか?この疑問に迫るのが本書の役割である。 世界各地に住む現代人のミトコンドリアDNA(100%母系遺伝するので、母系の変遷が追跡できる)やY遺伝子(100%父系遺伝するので、父系の変遷が追跡できる)の変異、地質学(氷河期や、間氷河期などで海面位置が変わることなど)、古跡、発掘学などの知識を駆使し、現代人の出アフリカは一度のみ発生し、場所は紅海の出口であり、その後、彼らの一部は海伝いにインド、インドシナ、オーストラリアと拡散していったことなどを明らかにする。 考古学は、発掘が中心だと思っていたが、前記したように遺伝学、発掘学、地質学の統合科学に進化していたことに驚かされる。
投稿元:
レビューを見る
人類のアフリカ誕生から全世界に拡散するまでの歴史について、考古学、気候変動、遺伝子解析(ミトコンドリアDNAとY染色体)を総合的に考察しており、多くの証拠から丁寧に説明している。
エチオピアにいた海洋採集民が8万5000年前に紅海の開口部からアラビア半島南部にわたったこと、7万4000年前のトバ火山の大噴火前までにマレー半島まで到達した可能性があること、欧州へはアラビア湾からザグロス山脈沿いに北上してアナトリアから進出したこと、インダス川沿いに北上して5万2000年前から中央アジアへ進出し、そこから東西にヨーロッパやアメリカに広がったこと、モンゴロイドはマンモス・ステップで誕生して寒冷化に伴い各地に広がったこと、アメリカへは北米の氷の通路が閉じた最大氷期以前に到達していたことなど、推論もあるが、根拠を示した説得力のある主張が興味深く、読み応えがあった。
プロローグ
・寒冷化し草原が拡大した800〜700万年前、類人猿の数が急激に減少した。
・二足歩行はアウストラロピテクス・アナメンシスが始めた。
・ケニヤントロプス・プラティオプス:360万年前。平たい顔を持つ。
・250万年前、寒冷になり氷河時代の更新世に移行した。
・ホモ・ハビリス:190万年前〜。最も早く道具を製作
・ホモ属とパラントロプスの共通の祖先に、大きな脳を選択する共通の行動があった。
・ホモ・エレクトス:ハンドアックス(握り斧)を製作
・ホモ・ローデシエンシス:100万年前〜。アシュール石器を使用
・ホモ・ヘルメイ:30万年前〜。中部旧石器時代に関連。25万年前にユーラシア一帯に広がった
・ホモ・サピエンス:17万年前、総人口が1万人に減少した後に誕生した
・ミトコンドリアDNA:母親から受け継がれるとき、約1000世代にひとつの割合で突然変異する。7〜15の突然変異を持つ
第1章 出アフリカ
・前回の間氷期(イーミアン、イプスウィッチアン):12万5000年〜9万年前
・U6:北アフリカのベルベル人の半分以上を占める。ヨーロッパ・レバントの系統が3万年前に移動
・出アフリカイブの年代は約8万3000年前。エチオピアは出アフリカ系統の根元近くで、著しい多様性がある
・アフリカとアラビアが離れ、紅海南端(悲しみの門)が200万年前に水につかる前に、ホモ・エレクトスはインド、東アジアに到着した
・温暖な間氷期には北ルートから、氷期には南ルートからアフリカを出た
・ホモ・ゲオルギクス:エルガステルとハビリスの中間にあたる。180万年前の間氷期に北ルートからグルジアのドマニシに到着した
・ホモ・ヘルメイ:現生人類の誕生を機に急速に減少。最後の記録は13万年前。16万3000年前以降のインドや、イエメンとアラビア半島南岸でも中部旧石器時代の道具が発見されている。
・エリトリアのアブドルで12万5000年前の海岸採集の証拠。黒曜石で作られた石刃が見つかっており、現生人類によるものである可能性が高い
・バーブ・エル・マンデブ(悲しみの門)が干上がりそうになったのは、44万年前、14万年前、1万8000年前
・過去10万年で2番目に寒冷だったのは8〜6万年前で、6万5000年前には海面は104m低かった。紅海は蒸発し、塩の湖になったが、開口部は数キロメートルの水路が流れていた
・8万5000年前に海面が一気に80m下降したことが出アフリカを促した
・M1:最近になって、アジアから紅海を超えてエチオピアに再植民した
・ナスリーン(N系統):出アフリカイブL3から出現。誕生した可能性が最も高いのはアラビア湾。5万年前の亜間氷期に肥沃な三日月地帯とイラクが緑に覆われ、レバントやヨーロッパへ進出した
・西ユーラシアの上部旧石器時代の考古学的証拠は4万7000年前
第2章 現生人類はいつ生まれたのか
・ネアンデルタール人には言語のための舌骨があった
・中部旧石器時代は、欧州、北アフリカ、レバント地方ではムスティエ文化、サハラ以南のアフリカでは中期石器時代と呼ばれる。石器が小さくなったこと、柄をつけたこと、調整された石核をつくり剥片石器を打ち出したことが特徴。現生人類が紅海を渡ったときは、中部旧石器を使っていた。
・上部旧石器は、石刃の発達と使用が特徴
・ネアンデルタール人と現生人類は4万年前から2万8000年前までヨーロッパで共存していたが、居住地域はほとんど重なっていなかった
・埋葬の習慣は西ユーラシア独自の発明で、ネアンデルタール人にも広がった。アフリカの同時代の現生人類では見られない。
・モード3(ロバート・フォーリー、マルタ・ラー):30万年前にホモ・ヘルメイがもたらした。調整された石核、石刃が特徴。
第3章 二種類のヨーロッパ人
・オーリニャック文化:4万6000年前〜。3万8000年前にはポルトガルの大西洋岸に到着。
・グラヴェット文化:3万〜2万1000年前。背のある石刃と尖頭石刃が特徴。
・ロハニ(R系統):多様な形が南アジアで見られる。インドのロハニ型のほとんどは他で発見されない。5万5000年前に拡大(P210では7万3000年前)。
・エウロペ(U系統):インドの近くでロハニ(R系統)から出現。レバント、西中央アジア、湾岸、地中海沿岸、ヨーロッパに限定される。
・U2i:インド人の9.5%。5万3000年前。レバントやヨーロッパには不在。
・5万1000年前の温かく湿潤な亜間氷期は5000年間続いた。肥沃な三日月地帯が開き、レバントも人が住めるような場所になった。
・U5:5万4400〜5万年前。最も早期にヨーロッパに入った系統。
・セト(Y染色体F系統):中東で支配的、イランから地中海地域の1/4〜半数を占める。
・ジャハンジル(Y染色体J系統):ペルシャ湾北東岸が起源。レバント地方30〜60%、アナトリア40%、バルカン半島とイタリア20〜30%、アルジェリア41%。イラン35%、南カスピ海55%、ザグロス山脈地域59%。
・HV:N系統。3万3500年前に拡大。V系統は南西ヨーロッパ。H系統はスラブ、フィン、ゲルマンの半分を占める。中央アジアの1/3を占めるナスリーンの半数を占める。
・イノス(Y染色体I系統):ウクライナとバルカン半島で支配的。
・4万7000〜4万5000年前、レバント地方に上部旧石器技術。3万4000年前、シャニダール洞窟。3万6400年前、ドン川上流のコステンキにスピツィニアンが殖民。3万9000年前、ロシア・アルタイで早期上部旧石器。
・クリシュナ(Y染色体K系統):セト系統
・TAT(Y染色体N系統):クリシュナ系統。バルト・フィン人、ロシア人に顕著���みられる。中央アジアが起源で、カシミールと南アジアに由来。
・M17:クリシュナ系統。ハンガリー人の60%。
・ルスラン(M173):M17の祖先。世界で最も多い単一型。バスク地方で86%、イギリス諸島でも同様の高い割合。ヨーロッパの50%を占める。祖先のポーロ(P系統)はインド、パキスタン、中央アジアに限定されている。
第4章 アジア、オーストラリアへの最初の一歩
・インド南部東海岸の原オーストラロイド民族であるチェンチュ族、コヤ族は、地域で最も早く受け継がれた遺伝子を持つ。
・M2:最も古く、最も多様性のあるマンジュグループ。7万3000年前。マンジュがインドで誕生したと考えられる。
・6万5000年前、オーストラリア沿岸の海面は100m低かった
・ニューギニア人とオーストラリア人の間に遺伝子の共通性はなく、ニューギニア固有のミトコンドリアDNAが広がったのは7万7000年前。
・コタ・タンパン(マレーシア・ペラ州レンゴン渓谷):粗雑なペブルトゥールが火山灰の中で見つかる。7万4000年前のトバ大噴火の前に現生人類が到着していたことを物語る。
・パキスタンのマクラニ族:ネグリト。インダス川河口とバルチスタン海沿岸に生活。サハラ以南の特徴であるアフリカだけに見つかるY染色体を持つ。同じ標識はイランでも高い頻度で見つかる。
・カイン(Y染色体C系統):南アジア、東アジア、オセアニア、アメリカに低い割合。インドで5%を占める。
・セト(Y染色体F系統):オーストラリアとニューギニアで高い割合。インドで95〜98%を占める。
・M17:インド全体の27%、パンジャブ州の47%。イラン、インド、パキスタンで最大の多様性を示す。
・アベル(Y染色体YAP系統):極東だけに分布する分枝と、アフリカ北部と中東に植民した分枝に分かれる。
第5章 アジア人の起源を求めて
・出アフリカ以降、すべての民族で身体が縮小しており、過去1万年の間に最も急激に変化している。穀物中心の蛋白質の少ない食事のため。
・アフォントヴァ・ゴラII遺跡:バイカル湖西岸。2万1000年前。モンゴロイドの特徴を持った遺骸が見つかっているが、異論もある。
・歯:東南アジア先住民、アイヌ、ポリネシア人、ミクロネシア人、アンダマン諸島などのスンダ型と、北モンゴロイド、北東シベリア人、アメリカ先住民の中国型に分かれる。
・顔の平板化したモンゴロイドの特徴は、モンゴルや南シベリアのバイカル湖地域で発達したと推測される。
・マンモス・ステップ:ヒマラヤ山脈とチベット高原の北の地域。旧北区生物群系。モンゴロイドの始祖が過酷な環境に適応した説。
・ウスチ・カラコル、カラ・ボム遺跡:4万3000年前の上部旧石器時代。アルタイ地方。下の層には、7万2000〜6万2000年前の中部旧石器様式も見られる。
・マカロヴァ遺跡:3万9000年前の上部旧石器時代。バイカル湖西岸。
・ヴァルヴァリーナ・ゴラ、トルバガ、マライア・シイア:3万5000〜3万年前。
・上部旧石器技術の起源はイランとイラクの北ザグロス山脈(マルセル・オット説)
・南中国では、過去数百年にわたって土着の人々が漢族の養子になったり同化した。
・ウズベキスタンとキルギスタンで遺伝的多様性が高い。
・5万2000年前からアジアの気候が改善し始め、中央アジアへの殖民の年代と一致する。
・B,F:タイ、ベトナム、カンボジアの先住民族集団で最大の多様性を持つ。
・R9(前F):マレー先住民に一般的。海洋採集民とつながりがある可能性。
・カイン:東インドネシア、オーストラリア、ニューギニア、日本、韓国に到達。子孫は北東アジアに広がり、西モンゴル、中央アジアに入り、アメリカへも行った。
・アベル:インドネシア、台湾、日本に到達。チベットで高い割合。東南アジアから川を上って高原に進み、モンゴルやアルタイに広がった。
・セト:セトの系統はアジア・太平洋諸島の93%を占める。インドで1/4を占め、その子孫が残りの大半を占める。中央アジアで10%を占め、次世代の4系統も見られることから、インドから直接北に拡大した可能性を示している。
・クリシュナ(Y染色体K系統):セトの子孫。ほぼすべてのアメリカ先住民と大半のユーラシア人の父祖。全世界の40%を占める。インドで誕生。
・ホー(Y染色体O系統):クリシュナの子孫。中国、インドシナ、東南アジアに分布。アメリカへは渡っていない。
・ポーロ(Y染色体M45系統):クリシュナの子孫。北アジア、中央アジア、アメリカに分布。パキスタンから4万年前に中央アジアに到着し東西に広がった。
第6章 大氷結
・マリタ:バイカル湖付近。2万3000年前。マンモス文化。
・最終最大氷期(LGM):海水面が130m下降。
・ソリュートレ文化:バスク地方のピレネー山脈の両側で細かく割られた石の木の葉形尖頭器が特徴。
・エピ・グラヴェット文化:イタリア、ウクライナ、西スロヴァキア、ドニエストル川流域。
・V,ルスラン:バスク地方で頻度と多様性、年齢が最も高い。LGMの直後に誕生し、その後広がった。
・新石器時代の中東から欧州への移動は、現在の系統の15%を占める。
・M17:ポーランド、スロヴァキア、ハンガリー、ウクライナで高く、バルカン半島にLGMの避難地があったことを裏付ける。
・ポリネシア人:1万7000年前に到着した東南アジアに由来。東南アジア大陸部で見られるB4系統の分枝をもつ。
・マレー先住民:前ナスリーンと前Fがそれぞれ1/4ずつを占める。
・ホー:インドシナと東南アジア島嶼部で優勢。
・ニア洞窟で発見された4万2000年前の「深い頭蓋」は繊細なタスマニア人やアイヌに類似している。
・中央ジャワで発見されたワジャク頭蓋は早期モンゴロイドと同一で、1万560〜6560年前。
・アイヌ:港川1号頭蓋に類似しており、前モンゴロイドの基層をなしているかもしれない。
・YAP+(アベル):縄文人を特徴づける。沖縄では55%を占める。
・カイン:日本人の10%を占める。
・チョッパー・チョッピングトゥール:東アジアの石器時代の道具製作様式。100万年前の中部旧石器時代から継続している。
・黄河流域は中央アジアの上部旧石器文化の影響を受けた。
・極東ロシア、日本、韓国はLGMの間に技術の飛躍的な変化を見せた。
・日本では、2万〜1万8000年前に剥片や石刃、1万4000〜1万2000年前に細石刃と両面尖頭器が使われるようになった。
・ジュクタイ:北東シベリアで1万8000年前から
第7章 だれがアメリカへ渡��たか
・クロヴィス最古説:早期のクロヴィス尖頭器の炭素年代は1万1500〜1万1000年前。氷床が融けて通路が開いたのは1万3000〜1万2000年前。
・モンテベルデ遺跡(チリ南部):有機遺物の炭素年代は平均1万2500年前。クロヴィス遺跡より1000年早い。
・メドウクロフト岩窟(ペンシルヴァニア州):炭素年代は1万9000〜1万6200年前。
・カクタスヒル(ヴァージニア州):炭素年代は1万6000〜1万5000年前。
・トッパー(サウスカロライナ州):ルミネッセンス年代は1万3000年前。
・グリーンバーグはアメリカの言語をアメリンド(97%を占める)、ナデネ(北西と沿岸地域、アサパスカ語、ハイダ語、トリンギット語)、イヌイット語とアリュート語(アリューシャン列島と北極地方)の3つに分けた。後者2つについては異論はない。
・ミトコンドリアDNAのA,C,Dの始祖型の年代は4万1000〜2万年前。Bはクロヴィスと同時期(トッローニ、ウォレス)
・D1:アメリカの始祖のD型。アメリンドに特有。
・D2:イヌイット・アリュート語の地域。
・A1:アメリンドのみに見られる。
・A2:アメリンドにも見られるが、ナデネとイヌイット・アリュートでは唯一の型。シベリアのイヌイットとチュクチ族でも見られる。
・始祖系統のA1,A2,B,C,D1は氷の通路が閉じた2万2000〜2万1000年前より以前に到着した。A2は1万1300年前(フォースター)
・ポーロの系統はアメリカ先住民の90%以上を占める。
・ルスラン:ヨーロッパの30%を占める。アメリカ先住民の12%。
・ケツァルコアトル(Y染色体Q系統):アメリカ先住民に独特のもので64%を占める。シベリアのイヌイットとチュクチ族、エヴェン族、満州族、ウズベク族にも見られる。2万2000年前。
・M217:カインの海岸採集民系統。北アジアと東アジアに存在。満州、オホーツク、アムール川流域周辺で高い頻度。東南アジアでは10%以下。ミトコンドリアDNAのBと符合するかもしれない。
・ケブラダ・ハクアイ、ケブラダ・タカウアイ(南ペルー沿岸):1万1000年前の海洋採集民の遺跡。
・1万4000年前から沿岸部を移動することができた。
エピローグ
・考古学遺跡の放射性炭素年代測定法は4万年前を大きく超えると信頼性が低くなる。
・オーストラリアに6万5000年前に到達していたことは、大半の考古学者は認めていない。
・7万年前からミトコンドリアDNAの系統が著しく増加した。
投稿元:
レビューを見る
人類の足跡10万年全史
(和書)2011年01月07日 16:10
2007 草思社 スティーヴン オッペンハイマー, 仲村 明子
柄谷行人さんの書評から読んでみました。
とても参考になりました。
西欧中心主義や人種差別の根拠の否定は痛快だった。
ただ書評にあったほとんど同じ資料からの全く反対の見方が存在するということにも驚く。
関連作を何冊か読んで比較してみたいです。
投稿元:
レビューを見る
本著はゲノムという新しいツールにより、人類のルーツを探る壮大なドラマであり、研究成果である。今や定説となっている出アフリカの歴史、ミトコンドリアイヴが正しい事を解説する。人類発祥からの樹形図が整理される。自分はその末端の突起にある、微生物よりも小さな存在であり、しかし、きちんと人類を受け継いだ事を理解する。
母親からのみ受け継がれるミトコンドリアDNA、父親から受け継がれるY染色体。これらが謎解きの鍵だ。現生人類の遺伝子を解明し、見えてきたものとは。ジャレドダイヤモンドは発展と世界の力に不平等が生じるのは、集団ごとに人が生来持っている知性に差があるためではなく、機会が訪れるのが歴史的偶然に任されていたためだと説明した。著者スティーブン・オッペンハイマーは、何を主張するのか。
僅かな遺伝子の変異を追跡して人類の移動過程の北ルート説を支える背景にヨーロッパ中心主義があることを批判する。進化的多様性の重要性から、台湾人の医師に、トラと実験用マウスの生命の重みの違いを説明する。しかし、結局の所、ルーツの解明が明らかにしたのは、人類の遺伝的多様性が低いという事だ。
人類の脳は、移動を開始する10万年以上前に成長を終えた。進化への見返りがないのだという。その代わり、文化が多様化する事で文明が進化してきた。これも、利便性の飽和度合いと実現するための富の平均化により、現代では画一的になりつつあるのではないか。人類自身も、付託された文化自体も多様性を失う。やがて、思考も同一GPTが担い、労働も標準化され、生活はデジタルの枠組みに格納され遺伝子グループに最適なリコメンドが与えられる。ルッキズムも外観を非差別化し、肉体の差は身体拡張機能が補う。
我々の足跡は、一体、どこに向かうのか。多様性が無いのなら、有性生殖にも個々の生存価値にも、どんな意味を見出すべきなのか。