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商品説明
求めない−すると 簡素な暮らしになる 求めない−すると いまじゅうぶんに持っていると気づく 求めない−すると いま持っているものがいきいきとしてくる…。「求めない」という想念から生まれてきた詩集。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
加島 祥造
- 略歴
- 〈加島祥造〉1923年東京生まれ。早稲田大学英文科卒業。信州大、横浜国大等に勤め、トウェインをはじめ数多くの翻訳・著作を手がけた後、詩作、墨彩画の制作を行っている。著書に「伊那谷の老子」など。
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紙の本
私の解釈が間違っている可能性大ですが……釈然としない
2007/10/21 23:13
16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は「求めない」生き方を提唱する。求めなければ、自由で幸せになれるのだと。でも私は色々なものが欲しい。
天蓋付の豪奢なベッドはいらないけれど、安心して眠ることができる清潔な寝場所が欲しい。フランス料理フルコースはいらないけれど、飢えに苦しまないくらいの食べ物は欲しい。毛皮のコートはいらないけれど、寒さから身を守る上着は欲しい。
多分これは極端な意見で、著者は、生きていく上で必要な物まで求めるなと言っているわけではないと思う。「過剰に求めるな」が真意だろう。でも、どこまでが必要で、どこからが贅沢や無用だと、誰に線が引けるだろう。
さらに物質を離れて、目に見えないものになると、話はさらに難しい。特に人に対して、求めるということ。
私は、自分に対する誰に対しても言いたい。
愛や尊敬、好意、同情、共感をくれとは言わないけれど、同じ人間として扱ってください。私を殴ったり、嘲笑ったり、怒鳴ったりしないでください。話を聞いてくれ、理解してくれとは言わないけれど、私の口を封じないでください。
踏みにじられる人たちが、正当な扱いを求めることを止めてしまったら、それはとても恐ろしく悲しく、空しいことではないだろうか。
身近な例では、ドメスティックバイオレンスに苦しむ女性が、「この人に期待するからいけないんだ、人間扱いを求めなければ楽になる」と自分を納得させてしまったら?
そこまで深刻でなくとも、「求めない」は、「諦め」や「コミュニケーションの否定」に繋がる。
行き着くところは「他者の切捨て」「自己完結」「世俗からの逃避」だ。それは、先ゆき暗い社会にあっては、心の平安を保つ一つ選択なのかもしれない。かの「竹林の七賢」がそうであったように。
でも私はやはり、求めることは大切だと思う。手に入れられず悶々とし、手に入れて喜び、失って悲しみ、奪われて憤り、また求め……日々ジタバタするのが人間らしい。こういう考え、古臭いのか、青臭いのかわからないけれど。
紙の本
まだまだ修行が足りない様子。
2009/10/11 21:52
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクヤマメグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『求めよ。そうすれば与えられる』
という一句がたしか聖書にあったと思う。
本書はその逆だ。
『求めない』ことで新たなものが見えてくる、と作者は言っている。
求めてばかりいると、そのうち求めるという行為が一人歩きして、自分が本当に求めているものが分からなくなる時がある。
余裕をなくして他人のせいにしたりもする。
ならば、そもそも求めなければいいのではないか…?
というのが作者の考えなのかもしれない。
それは初めからゼロだったわけじゃなく、一度は『求めた』上での経験なんだろう。
全て承知の上での『求めない』。
否定でなく、肯定すること。
その場所へたどり着くのは相当時間がかかりそうだ…。
紙の本
素直に受け入れることはできないが、色々なことを考えさせてくれました!
2007/12/18 06:17
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけくん - この投稿者のレビュー一覧を見る
とある所で、本書を読む機会を得た。小さくて正方形に近い形でかわいらしい。本文も、短い文章で、「求めない」というワードが川の流れの様に出てきて、とてもテンポがいい。それぞれの「求めない」心について、じっくり読んだ方が良いのであろうが、時間的な制約もあって、一気に読み通した。
本書の前提には、とりあえず現段階において、最低限の生活する糧を得ていることを前提としている。つまり、「求めない」でも今の中に良いものや見失っているものが沢山あり、「求める」からそれらを見逃しているのであって、「求めない」ことで、それらを良く見ることができるし、見逃さなくなるし、とても素晴らしいことであったことに気付く、・・・、という事が延々と述べられている。
ただ、結局人は、前提となる『最低限』のとらえ方がそれぞれ異なり、そこのレベルに格差ができてしまう以上、なかなか本書通りとならない様な感想を持ちました。ひねくれているのかもしれません。貧しい心の持ち主なのかもしれません。著者が言いたい事は理解できるんだけどね。
子供を見ていると、常に新しいものを欲しがる。もっと今あるものをじっくり追求すると、色々なものが見えてくるし、気付かないことの発見もある。親としてそんな事も感じながら、前述の様な感想を持ってしまう。もっと素直に読むべきなのか?しかし場合によっては、求める心があってもいいのではないだろうか。欲求がないと、社会の進歩はないし、心が豊かにならない様にも思う。
要は、時に求める心を抑え、時には自由に求めさせる、そんな周囲の思いやり、指導、躾が必要であると思います。今あるもの、今周りにいる人の良さを気付かせ、大事にする心を育てる、そんな環境作りが必要な様に思いました。
著者の考えを素直に受け入れることはできなかったのですが、本書から考えることは沢山あった様な気がします。是非ご一読を!
紙の本
もっと素直に人生に警鐘を鳴らすことは可能なはず
2008/09/13 17:10
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者のいわんとするところは分からないではありません。
何かを強く求めることで心の安寧を失うような気持ちを強く感じることは、誰しも経験があるわけで、それならばいっそ求めないということで失ったものを取り替えそうというのは、ひとつの方便としてはありうると思うのです。
仏教がものごとに拘泥することで心ががんじがらめになることに強い警鐘を鳴らして、「執着(しゅうじゃく)」を戒めていることと底は通じています。
しかし、一方で人類はなにかを強く求めることで、前進してきたと思うのです。新しいものを発明し、未知なる人々との強いつながりを築いてきたのもまた事実だと私は思うのです。
著者が綴る言葉からは、疲弊しきってしまった現代社会からの逃避の奨めという、一種退嬰的な臭いを私はかぎとってしまうのです。
人間は、特に若い人は、何かを強く求め、そこへと向かって自己実現することを夢見ることが必要だと思います。
著者はすでに齢(よわい)八十を超えています。やはり人生において達観と諦観の大切さを実感し実践するのが通例である年齢に達したといってよいでしょう。
そんな著者の言葉を若者が実践するのは、「老成」という言葉によってそしられることを潔しとすることが大切かもしれません。
人生にとって大切なことを一言でいうなら「求めない」ということではなくて、「誰かを傷つけない」ということではないでしょうか。この「誰か」には自分自身も含まれます。
心と体と生命(いのち)を大切にする。そう素直に綴ればよかったのではないでしょうか。「求めない」という言葉の使い方は、結構難しくて誤解を生むわけで、だからこそ幾度も著者は「求めないというのはなにもしないということではない」と釈明をする必要に迫られるわけです。
求めよ、しかし傷つけないかぎりにおいて。
私はそう考えて生きています。