紙の本
彼と私の違いはどこか。
2012/03/21 14:09
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る
裕福な家庭で育って、将来を嘱望もされていたであろう青年が、なぜ、どうして、全てを捨てて、荒野の奥深く分け入って行ったのか。そして帰ってこなかったのか。
「帰れなくなってしまった人」の話、だと思っている。
「リップ・ヴァン・ウィンクル」や「ウェークフィールドの妻」のような。
文明やお金や人間関係に嫌気がさす、というのは誰にも多かれ少なかれあることで、そこで共感もするのだけれど、でも一度は世を捨てようとも、大抵の人はどこかで帰ってくる。
でも、彼は帰ってこなかった。
帰れる分岐点はあったはずなのに。
彼と私の違いはどこか。
なぜ彼は帰らず、私はここにいるのか。
彼は「悲惨」だっただろうか。
それは彼以外の誰にもわからない。
わかると思うとしたら、それは奢りではないだろうか。
ショーン・ペンが監督して、エミール・ハーシュ主演で映画にもなった。
うつくしい。うつくしいけれど、うつくしいと思ってしまってはいけない、と思う。
紙の本
青年の内側に迫る。
2017/03/23 19:12
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:AtsuNii - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんな青年がいた。こんな青年が死んだ。
人によっては単にそれだけの印象を受けるかもしれない。
実際、多くは亡くなった青年がどういう人だったか、どういう暮らしをしていたかを証言者や遺留物から読み取る記述が多い。しかしそれ以上に私は青年の未熟な部分であったり、多くの人が持っているけれど隠したい部分に対し正直になった青年の息吹を感じました。
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クリスの究極的に思い描くものに共感できる自分はいた。でも、本当に全身全霊でその世界に行くのであれば、郵便を使ったりヒッチハイクをしたりしていてはいけない。文字通り身体一つで、この社会制度から成り立つすべてのものを断ち切って生きていくしかない。そして結局のところ、誰もこの文明社会とのつながり無しには生きていけない。だとすれば、その中でどう生きるかだ。そしてクリスはこう生きた。彼の孤独に胸が痛む。
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1992年、アラスカで腐乱死体で発見された青年、クリス・マッカンドレスの生涯を追ったノンフィクション。筆者のクラカワー自身も、アラスカの氷の山に単身挑んで危うく死ぬかも、という体験をしていたり、クリスの思い・行動に少なからぬ共感を覚えたがゆえに、家族や友人をたよってクリスの生涯とアラスカの荒野で餓死するに至るまでを出来る限り再現し足りない部分は推測で補って再構築した物語。
自然や原野に憧れ、冒険や挑戦の名のもとに命を落としている人というのは知らないだけで意外と多いんだ、ということにショックを受けながら、それよりもショックだったのは、死んでしまったクリスと、死なずに生還している人々との違いが、ほとんど差がわからないほどの僅かなことである、ということ。
ショーン・ペン監督で映画化されてます。
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(映画)面白かった。原作は読んでいないけれどショーン・ペンが10年間も主人公の親族を説得してやっと映画化にこぎつけるまで入れ込んでいたというのは内容からして納得がいった。アラスカ踏破に踏み出すまでに死ななかったのがむしろラッキーというぐらい無茶な冒険で、あちゃーと思ったが、もっと荒野へ、という気持ちは好きだ。それにしても領土にこれぐらいの冒険ができる土地、冒険するしないにかかわらず、がある国はいいなあ。
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本人が死んだ後に綴られたドキュメンタリー小説。
著者はひいき目だが、冷静に主人公マッカンドレスまたの名をスーパートランプの真理を追っている。
マッカンドレスは恵まれた家庭に生まれ、学業も優秀。
しかしながら荒野(アラスカ)を目指し、厳しい自然と共存する、いわば文明のない古代の狩猟暮らしを試みた。
彼が求めた彼の真実(自分が自分になる旅)は何だったのか。
それは私達の中に確実にある若い衝動、理想主義、何かを求める力を、純粋に実行したに過ぎない。
荒野で餓死したマッカンドレス、死の前日の日記に書かれた最後の言葉は「僕は幸せでした。ありがとう」。
彼の死んだのは確か1992年くらいで、ごく最近のアメリカでこういう人生もあったのだと思うと、
そしてきっとこういう人生は世界にいくらかはあるのだと思うと、悲劇だけれど私はうれしい気もする。
なんてピュア。なんて逞しい精神。
心のきらめきを大切に、自分の思う道を突き進む。
現実的になれない人間もいる。それは素敵なことだと感じるのです。
追記:『カモメのジョナサン』だったけな。飛ぶのが好きすぎて食べることもしない鳥。『よだかの星』も、この話に似ている。
生命を維持することさえ忘れて生まれでる本能(と呼ぶべきか、あるいは・・純粋な遂行?)のままに行動する生き方。
そんなような異端、美しきアウトロー。交わることはなくてもそんな人達がいることを知り、そのものを愛することは大切だと思う。
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バスを訪れた母親は
『息子が死んだ場所がここで良かった…』と、
『場所』って、
この場合とても大切ですよね。
この部分を読んだとき、涙が出ました。
これは、母親に特有の感覚でしょうか?
(私は母ではないですが)
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なんだろ、自然と、意識したわけではないけれど、距離を置いて読んでしまった。一気に読んだことにはかわりないが。ただ、作者の経験のところはほとんどすっとばしました。
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沢木耕太郎が映画版のレヴューを書いてたんだったかな?
なんか、そういう流れでこの本はいわゆる自分捜し系なのかな?とも思ったけど
読んで見たらちょっと違ったかな。
完全な大人になる前に読んでおきたい本だと思う。
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冬のアラスカで餓死した青年の話。
著者がその足跡をたどって、青年の思いを探る。
エリートが、自分自身や家系を否定するストーリーって良くある設定だけど
これはまぎれもないノンフィクション。
天才って思いっきり馬鹿にもなるんだ。
去年映画化されました。(観てないけど)
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裕福な家庭に育ったエリートが中二病をこじらせて放浪の旅に出、アラスカで野垂れ死んだ出来事を描いたノンフィクション。
いやー、こういうの好きだわ。
いろいろ批判はあるだろうね、やっぱり。
ボンボンの中二病ほど性質の悪いものはない。
旅先で出した手紙なんてもろに中二病。
それも重症。
でも男、特に青年時っていうのはギリギリの死線を彷徨ってみたいという憧れって絶対あるはず。
個人的には自分探しの旅、みたいなのは好きではないんだけど。
経験なんていうものは実は大して必要じゃないと思う。
認識さえしっかりしていればそれで十分。
誰もが素晴らしい経験ができるとは限らないから(その素晴らしさを未経験者に共有させようとすることは良いと思うが)。
認識をしっかり持って素直にハーバードのロースクールにでも進んでいれば、旅よりももっとスリリングな経験だってできたかもしれないのにね。
救いは主人公が楽観的で、決して死のうと思っていたわけではないことだろうなー。
その辺りの筆致は同様の経験をした著者ならではの上手さを感じた。
ノンフィクションとしては中立的ではないが(筆者もそれは認めている)、読み物の面白さとしてはポジティブに肩入れしているくらいの方がその温度が伝わると思う。
映画化もされていてその評判も上々のよう。
やっぱりみんなこういうの好きなんだよ。
中二病を突き詰めたものが創造につながるんだよね、結局。
この主人公は紙一重で死んじゃったけど、いい線だったと思う。
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-無意味で退屈な人間の饒舌などもう結構だ、崇高な言葉などもうなにも要らない、そんな気持ちになるときがどれだけあるだろう!自然、見かけはまったく口のきけない自然のなかで安らぎたい、あるいは、骨の折れる長時間労働とか、熟睡とか、ほんものの音楽とか、感動のあまり言葉を失った人間の悟性といった沈黙のなかで安らぎたい、そんな気落ちになるときがどれだけあるだろう!-
裕福な家庭に育ち、学業・スポーツともにエリートの青年が、文明をすて、独り荒野をめざし、4ヶ月後に腐乱死体となって発見された。ショーン・ペン監督で映画化されたInto the Wildの原作。経済社会の中にあって、文明を捨て、自然のなかで生きたい、という欲求はだれしも一度は持つのでは?自分の分身かもしれない青年の心の軌跡を旅しよう。逆説的に「社会適応」について考えるきっかけにもなる。
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文明や社会から離れ アメリカを旅しながらさまざまな人に出会い、アラスカの荒野をめざす。
不満足な装備ながらアラスカでその土地が与えてくれるものを食べて自分探し。そして死。
彼は社会や日常から離れて、自分の好きな本から生きていく道や思想を発見しながら旅をした。
まるでネイティブアメリカンのビジョンクエストのようです。
長い時間、ひとりでいると自然と自分を洗脳してしまうような気がする。
好きなように時間をすごすということは一見自由だが、自分の中では様々な制限が発生してくる。
彼の死はある種の事故であるが、もし彼が生きてアラスカから自宅へ戻っていたら社会をどう生き抜いていったのかにとても興味がわきます。
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■目的
娯楽の読書。 「2009 夏の文庫フェア」3冊目。
■見たもの・感じたもの(テーマ)
極端な真理の追求は身を滅ぼす。
■感想
ノンフィクションです。クリス・マッカンドレスは結果、亡くなってしまいます。これは不運としか言いようがないですね。
彼は、「生きている実感を得たかった」のではないかと個人的に思いました。「食べるために生きるのではなく、生きるために食べる」そういう原始的な生を、極限の状態で体験する。その中から見えてくるもの、物事の真の価値や美しさや天の恵みといったものを、生きている喜びとして実感したかったのではないでしょうか。
生きることに何の価値も見出せないなんて悩むのは、恵まれているからなんですよね。ストレス社会が抱える問題に頭を悩ませられるのは、恵まれている証拠なんです。食べ物を口にすること、体を休める場所を確保すること、こういった極限状態を生きる人にとっては、煩雑な悩みなどはどうでもいいことですから。
そういった誰もがあこがれる生の喜びを実感し、これからの人生の糧にできるはずだったのに。うーん、残念ですね。自然も運命も、美しいだけに無常なのかもしれません。
不運だったというだけではなく、「極端な真理の追求は身を滅ぼす」ということを感じました。
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アレックスは自分を信じてまっすぐで行動力があって.そして最期の方は周りが見え始めて新しいスタートを切る予感を見せてくれて.必用な旅.彼はいなくなったけれども,その存在を周知したい.そんな思いで,尊敬する.