「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
- カテゴリ:一般
- 発行年月:2007.3
- 出版社: 祥伝社
- サイズ:20cm/219p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-396-63279-3
紙の本
〈新釈〉走れメロス 他四篇
著者 森見 登美彦 (著)
異様なテンションで京都の街を突っ走る表題作をはじめ、先達への敬意が切なさと笑いをさそう、五つの傑作短編。【「BOOK」データベースの商品解説】あの名作が、京の都に甦る!?...
〈新釈〉走れメロス 他四篇
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
異様なテンションで京都の街を突っ走る表題作をはじめ、先達への敬意が切なさと笑いをさそう、五つの傑作短編。【「BOOK」データベースの商品解説】
あの名作が、京の都に甦る!? 異様なテンションで突っ走る表題作をはじめ、先達への敬意が切なさと笑いをさそう、5つの傑作短編を収録。若き文士・森見登美彦の近代文学リミックス集。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
森見 登美彦
- 略歴
- 〈森見登美彦〉1979年奈良県生まれ。京都大学大学院農学研究科修士課程修了。「太陽の塔」で日本ファンタジーノベル大賞を受賞しデビュー。他の著書に「四畳半神話大系」など。
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
森見作品リミックス風味
2007/04/27 22:21
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中乃造 - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代文学作品をベースに書かれた短編集で、リミックスと紹介されています。選ばれている原典は『山月記』『藪の中』『走れメロス』『桜の森の満開の下』『百物語』。
私の場合、『走れメロス』は、脳内で照らし合わせることがある程度可能でした。原典をずらしたり逆さにしたりという仕掛けが面白かったし、文章の細かい部分でもアレを引いているなとほくそ笑んだり、ならではの楽しみ方ができたと思います。
『走れメロス』では特に文章に気を配ったと、あとがきにあります。私は太宰の『走れメロス』をこよなく愛していて、それもあの文章による部分が大きいので、なるほどなあと納得しました。『山月記』の力強い独白も、言われてみればになりますが確かにそうだと感じられます。
悔しいことに『百物語』は未読、他の二作も記憶が薄れていていて、リミックスとしては堪能し尽くすことができませんでした。しかしそれによって興がそがれるということは決してありません。原典を読み返したくなってソワソワしたり、森鴎外の『百物語』はどんな小説なのかもひどく気になります。そして、『【新釈】走れメロス』に収録された各作品が、それ自体で大変魅力的であることは、言うまでもありません。
一番気に入ったのは『山月記』でした。
『走れメロス』がユーモア全開の『夜は短し歩けよ乙女』系で、『百物語』が静謐な『きつねのはなし』系と、便宜上無理矢理に囲ってしまうとすれば、『山月記』はその中間に位置すると感じられました。
主人公である斎藤秀太郎は奇想天外で、訳の解らない言動には紛れもないユーモアが散りばめられています。しかし印象に残ったのはそれらの乱反射ではなくて、底にひっそり横たわっているものでした。
斎藤秀太郎は、十一年経ってもまだ在学しているダメ大学生です。七輪で焼く秋刀魚に拘り火事を起こし掛け、小火を尻目に猫を追い回す姿は珍妙です。しかし、自分を想う女性に対しての「癒してどうする、この俺を」「今までの苦労が水の泡だ!」という、一見ちょっと笑いを誘うような台詞の中に何かが見え隠れしています。
著者が意識したという要素である独白の力強さ以上に、軽妙な筆こそが掬い得ると思えます。そうであるなら、リミックスという形を取って為し得る表現の、最上かもしれません。
作風は様々でも収録作全てに、小説の醍醐味が溢れていました。抽象的ですが、森見登美彦の作品は「小説を」「味わう」という、両方の要素をとても強く実感できるのです。読了した今、幸せに満足です。
紙の本
走れ森見登美彦!
2007/11/28 01:22
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつてこれほど名作と謳われる作品を罪深いほどに愛し愚弄し生まれ変わらせた作家がいただろうか?新解釈なんて生易しいものではない、「メロス」の言葉をかりればまさに
「あるのだ。そういう○○もあるのだ。型にはめられた○○ばかりではないのだ。賞賛して甘ったるく助け合い相擁しているばかりが○○ではなない。ありふれた型にはめられてたまるものか」
○の部分には本文では「友情」が入るわけだが、ここに文学・小説・作品・心意気でも信条でも、好きな言葉を入れるといい。
メノのコトバは著者の原作者にたいする、ひいては読者にたいする心意気そのものである。常軌を逸した主人公たちが繰り広げる展開は、原作と同じ本筋を辿りながらもやはり尋常ならざる展開を見せてくれる。名作という線のみの下絵にレトロな森見色を着色した塗り絵のようだ。モナリザの線を筆ペンでなぞり白髪にしゲジ眉と髭を加え橙色の服を着せる…著者の塗り絵は読む者に笑いとにんまりをもたらすにちがいない。アッパレ!
紙の本
森見のほどよく力の抜けた佳作は万人を楽しませる
2007/05/27 22:28
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
森見は『夜は短し歩けよ乙女』で一気にブレイクした。そして、この傑作に続く本書は、ほどよく力の抜けた作品であった。「山月記」「藪の中」「走れメロス」「桜の森の満開の下」「百物語」などの近代のよく知られた作品群を下敷きに、森見ならではの舞台設定で、物語が展開していく。
森見独特の世界観が広がっているので、実は、もとになった作品群を思い起こせなくても楽しめる。もちろん、もとの作品と照らし合わせながら、森見の想像力のすばらしさを確かめながら読むのでもよい。
本書に収められた5作品は、登場人物が少しずつ重複しているので、連作となっている。その意味では、あいだを置かずに続けて読みたいところだが、無理にそうしなくてもやすやすと読めてしまう。森見の小説はとても読みやすいからだ。さらに、読者に、「この先どんな風に展開していくのかな・・・」とわくわくしながら読ませてしまう筆致も確かだからだ。
『夜は短し歩けよ乙女』は、広く評判を得ることを念頭に、かなり力を込めて書いた作品ではないかと思われる。その点、本書の5作品は、肩の力を抜いて書いたように思われる。だからといって手が抜かれているということはない。逆に、力が抜けた分、小説としての味わいが増しているように思われる。森見の力量の確かさを確認できた。
この5連作もよく構想が練られている。そして、『夜は短し歩けよ乙女』では、やや強引に押し込んだ感のある古風な言い回しや漢語も、本書では収まりがよい。
京都を舞台として選んでいるが、登場人物たちが、京都の町を右に左に、北に南にと走り回る様が目に浮かぶようだ。その意味では『夜は短し歩けよ乙女』よりも読者に現実感を覚えさせる。
こういったハチャメチャなことが、現代の街でも本当に繰り広げられていたらさぞかし愉快だろうなと思う。そう思ってしまった私は、森見の小説世界に遊ぶ楽しさを知ってしまったようだ。順番としては、『夜は短し歩けよ乙女』のあとに読まれることをおすすめしたい。
紙の本
笑えない、という点を考慮して★一つ減じました。森見ゆえに厳しい採点。でも考えてみれば、底抜けに楽しいというよりはどこか陰のあるお話こそ森見の真骨頂かも。でも元話の換骨脱奪胎ぶりはお見事です。
2008/11/28 19:33
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
好きなカバーです。まず基本となる地の色、アイボリーに少し黄味がかって、それに少し汚しが入っている。ま、この汚し具合が、なんていうか日焼けみたいな感じで、その部分がとても上手にできています。それと、絵に関していえば、五つの話に対して夫々原稿用紙、雨傘、ブリーフ、女性の横顔、蝋燭が描かれているんですが、それが童話風でとても愛らしい。
縁取りがないグラデーションを利用した小さな絵を中央に横並びさせていて、いいんですが、その絵とタイトル、著者名を柔らかな線、多分、巻紙を模しているんでしょうがそれで囲う。その色が茶色なんですが、これがまた優しくていい。そんな装画は山本祐布子。私好みの画風です。
そして字がいい。絵だけだったらここまで味わい深いものになったかどうか。なんていうか台本を見るような雰囲気ですが、その字の色もいい。字と絵がともに高めあっている、しかもです、文字や絵の間に * が入っているんですが、その様が夢いっぱい。これなら女学生がもっていてお洒落だし、売れて当然だと思います。これぞコラボレーションの醍醐味。そんな装幀は chutto 。
余談ですが、私が手にしている本は平成20年2月25日で14刷、初版第1刷が19年3月20日ですから、大雑把に言えば毎月増刷している勘定になります。出版社も森見も潤う様子が目に浮かんで、いいな、と思います。それには『【新釈】走れメロス』という本のタイトルが利いているのかも知れません。これが『【新釈】桜の森の満開の下』だったら、ここまで売れたかどうか。私は大嫌いですが、日本人の太宰にたいする条件反射に脱帽です。
で、です。目次を見れば分かるのですが、そういうアプローチをしない私にとって、大嫌いな太宰の作品がタイトルにある本というのは、できるなら避けて通りたいものでした。だから実際に手にするまで、出版から一年以上が経ってしまったわけです。で、読み終わって思ったのです、そんな必要は全く無かったなと。
基本は、森見お得意の京都異聞、みたいな連作で、それに名作が絡んできている。名作を知らなくても十分楽しめますが、知っていればもっと面白い、そういう内容です。ちなみに名作というのは中島敦『山月記』、芥川龍之介『藪の中』、太宰治『走れメロス』、坂口安吾『桜の森の満開の下』、森鴎外『百物語』ですが、私はヘタレ太宰以上に嫌いな軍人鴎外の作品だけ未読でした。
各話について初出とともに簡単な紹介をしておきます。
◆山月記(「小説NON」2005年10月号):己の文学的才能を信じて疑わず留年を繰り返す孤高の大学生、斎藤秀太郎。言い寄る女を友人の永田に譲り、学業を捨てた男の行く末は・・・
◆薮の中(「小説NON」2006年3月号):最後のキスシーンを巡って様々な噂が飛び交う映画『屋上』、監督の鵜川徹、女優の長谷川菜穂子、男優の渡邉真一、知り合いの斎藤、様々な視点から浮かび上がるのは・・・
◆走れメロス(「小説NON」2006年7月号):友情のために裸踊りをしろ、と命じる図書館警察長官、詭弁論部のために受けて立つ茅野、茅野を知るがゆえに友を信じない芹名、京の町を疾駆する男たちは・・・
◆桜の森の満開の下(「小説NON」2006年11月号):哲学の道に面する部屋で一人小説を書きつづける男、彼が唯一尊敬するのは隣のアパートに住む斎藤秀太郎。そんな男の前に一人の女が現れて・・・
◆百物語(「小説NON」2007年3月号):Fくんに誘われて真如堂で開かれるという百物語の催しに出かけた私が、会場を捜している時みかけたのが、大きな麦藁帽子をかぶった男、斎藤さん。会場には茅野、芹名、永田が・・・
好き嫌いはともかく、斎藤秀太郎がお話の中心にいるんだなあ、でも、こういう人間を友だちにはしたくないなあ、なんて思いました、常識人の私めは・・・
紙の本
引き込まれたのは、原作のよさとアレンジの妙
2012/06/26 10:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:のちもち - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題をはじめ、5つの名作古典をベースに、現代風に大胆にアレンジされた短編集。その5つがビミョウにつながっている、という設計も見事ですが、その作品が書かれた当時の時代背景と、現代の社会が見事なマッチングで描かれています。
以前に、「パスティーシュ」という作風が取り上げられたこともあったが、それとも異なる。古典の展開、テイストを本質的な部分を崩さずに、微細な「脇役」を現代に置き換えた感じ。昔の楽曲を自分の色をつけてカバーしたアルバム、そんなイメージです。
森見さんの作品を読むのは初めて。そして恥ずかしながら、ここに掲げられた「原作」をどれも読んでいないことに気づいた。『走れメロス』は読んだ気になっていたが、太宰の他の作品だったか。もちろん「原作」を読んでいる人には、とても刺激的な内容だと思う。もしかしたら賛否両論あるかもしれないが、大きな構えで読めばきっと新たな発見もあるのではないかと。
そして、(私のように)まったく読んでいない場合でも、十分に楽しめる。著者が「あとがき」で触れているように、原典を読んでみようか...というきっかけにもなった。
5篇の中で、特に引きつけられたのは(やはり)「走れメロス」である。そのスピード感、著者(太宰)の筆も早かったのではないか、楽しんで書いているのではないか、と思われる、その空気が伝わってくるような。やはり原典を早々に読まねばっ、と。
京都を舞台に、一風変わった学生たちが躍動します。全篇が別々のようで小さなつながりがあり、そのテクニックに唸らされました。
曲解されるとよろしくないけれど、古典はこのようなカタチでも受け継がれていくもの、という感覚を改めて思います。よいものは時間を経てもいつまでもよいものであり。その意味で、この本に巡り合ったのは自分にとってもいいきっかけになります。...といってすぐに原典を読まなくては意味が半減してしまいますね。
【ことば】男は自分が確かに掴んでいたはずの世界がどこかへ消えてしまったことを考えました。それを何とか取り戻そうと思っても、男にはもうしの在処がわからないのでした。
「桜の森の満開の下」より。自分ではない者のペースで「見た目の」成功を収めても、そこにいるのは自分なのか、迷う時が来る。自分が本当にあるべきは...答えはないし、答えは変わるのだけれど、それを追っかけるのが、すなわち生きることなのかもしれない。