「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
30年に一度起こる町の「消滅」。忽然と「失われる」住民たち。喪失を抱えて「日常」を生きる残された人々の悲しみ、そして願いとは。大切な誰かを失った者。帰るべき場所を失った者。「消滅」によって人生を狂わされた人々が、運命に導かれるように「失われた町」月ケ瀬に集う。消滅を食い止めることはできるのか?悲しみを乗り越えることはできるのか?時を超えた人と人のつながりを描く、最新長編900枚。【「BOOK」データベースの商品解説】
30年に一度起こる町の「消滅」。忽然と「失われる」住民たち。喪失を抱えて「日常」を生きる残された人々の悲しみ、そして願いとは。時を超えた人と人のつながりを描く長編小説。『小説すばる』掲載に加筆修正し、単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
三崎 亜記
- 略歴
- 〈三崎亜記〉1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部史学科卒業。デビュー作「となり町戦争」で小説すばる新人賞受賞。ほかの著書に「バスジャック」がある。
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
このウエットなところが、よくある話になっちゃってるんじゃないでしょうか。でも、一番肯けなかったのは登場人物たちの会話です。アリエネー、ですよ
2007/02/19 19:35
10人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
直木賞候補だったわけですよ。作品を読まないくせに、私は「三崎が受賞したら、これは事件だよな、でもやっぱり本命は佐藤多佳子かな、名前に癖がないし。問題は、同時期に三浦しをんが『風が強く吹いている』っていう、似かよったジャンルで傑作を書いちゃってることかな。」なんて決めてたわけです。
で、それは受賞者なしという至極まっとうな結果に終ったんですが、それなら読むか、って思いました。私にとっては『バスジャック』に続いて三崎二作目ということになりますが、「町」シリーズ第2弾!!なんて書かれると、私、シリーズ一作目の『となり町戦争』読んでないし、なんて思わず言いたくなってしまいます。安易なシリーズ売りはやめましょう。
本の色合いがいいですね。お話はブルーですが、カバーは黄色、幸運を招くといわれる我が家のイメージカラー。で、街を描いた表紙に町の住民が描かれた透明なカバーがかけられていて、それをめくれば街から人が消えてしまう、これは装丁をやっている大久保伸子のアイデアでしょうか。プリミティブ・アート風の野田あいの装画も、あまりに可愛いのが内容に合わないとは思いますが、好きです。
時代は近未来、或いは併行世界とでもしておきましょう。その世界では、およそ30年ごとに「消滅」という現象が起きます。いろいろな場所で起きるようですが、この話の舞台となるのは「月ヶ瀬」という町です。その町で殆どの住民が消えてしまいます。「失われ」ない人たちもいるのですが、その人たちもいつしか消滅する運命にあります。
で、原因不明ではあるものの消滅しなかった人々が僅かに居ることから、その人たちは危険視をされ差別を受けることになります。日本人得意のヤツですね。しかも、行政は消滅そのものの痕跡を消そうとします。汚染を防ぐ為ですが、そのために町の名前が出ている文書を、公私を問わずに回収していきます。
そして消失を免れた人たちを研究することで、次の消失を何とか防ごうとするわけです。その機関というのが管理局で、消滅の影響で視力を失いながらその仕事に従事するのが、特別汚染対象者である白瀬桂子です。ただし、こう書いたからといって彼女が主人公という訳ではありません。
他にも、町に汚染され27歳のままの記憶を30年にわたって持ち続ける和宏、彼の描く画に魅せられ恋する茜、桂子とともに消滅現象を解明しようとする由佳、彼女に心惹かれる勇治、由佳の幼馴染みで将来を約束したまま、「月ヶ瀬」に消えていった潤、町を見下ろす場所でペンションを経営する中西などがいます。
構成がしっかりした話だと思います。この「消滅」という設定もいい。ただし、人間の行動については、私は全く納得しません。
例えば主要人物の一人である茜の言葉遣い、これはあり得ない、といっていいでしょう。初対面の、それも年上らしき異性に対して、今時の高校生だってこんな雑な言葉遣いをすることはありません。それはまた、写真家である脇坂のそれにしても同様です。無頼だって、初対面の女性にこういう乱暴な声の掛け方をするはずがない。
しかも、あまりに簡単に恋におちる。ま、多くの登場人物が居るのですから、一組くらいはそういうのがあってもいい。でも登場人物全員が安直な関係を持ってしまうとなると、正直、これを喜ぶ読者がいるのか!(実際には、多くの人が喜んでいるんですが)と私は言いたい。全体に安っぽさが漂います。
その俗なところがないのが、「プロローグ、そしてエピローグ」であり、「エピローグ、そしてプロローグ」、そして「エピソード4 終の響い」だと思います。それにしても何故「エピソード」?スター・ウォーズじゃあるまいし・・・なんていうか、媚を感じるんですね。むしろ前作『バスジャック』のクールさのほうが好きでした。
紙の本
ゆらゆら
2006/12/18 20:40
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
数十年に一度、ある日忽然と町から人が消滅してしまう。そこに住んでいる人は、それが自然なことだと思い、そこから逃げ出そうとはしない。そんな世界の常識に対して、それぞれが様々な悲しみを抱えながらも、それぞれの方法で向き合っていく人々を描いている。
1冊のそれほど厚くない単行本の割に、メインとなるキャラクターが多すぎるのではないか?という印象を抱いた。そのために、誰の視点で世界を見たらよいかが分からない。ある人の視点から見れば今の日本と変わらない世界のようにも見えるし、別の人の視点から見るとまったく違う、華僑風の、地球外に移住したような世界にも見える。
そういうよく分からない世界観を受け入れて、気にせず読める人で、しっとりと繰り広げられる物語が好きな方ならば、気に入るかもしれない。
紙の本
失われない何か。
2007/09/30 21:11
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:放浪紳士 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2007年の本屋大賞における、第九位作品。
失われる町、タイトル通りのことが起こる世界の中の物語。
高校生の少女、写真家の男、仕事に生きる女性……
あらゆる人々が、失われる町という共通点を持って繰り広げる。
形式は典型的な群像劇であり、多くの物語を読みたい人、
もしくは頭をフル回転させて話を考えたい人にはオススメできる。
ただ、登場人物が多すぎる感は否めない。
それぞれが目まぐるしく登場して物語をかき回すせいで、
誰が本当の主人公なのかわからない。
誰でも主人公になりえるといえば聞こえは良いのだが……
物語としても纏まりがなく、内容を掴み辛かった。
紙の本
待つということ。 それは消極的でもなく受け身でもなく、誰よりも強くその場に立ち見守り続ける強い意志。
2011/09/13 11:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「町」とは何だろうか?前作「となり町戦争」では隣り合う町同士が、ある日突然「戦争」をはじめ、ただ静かに不気味に戦争が続いていくという不思議な物語だったが、町そのものの存在はあまり描かれていなかった。それに比べて今回の町はまるで意識を持った大きな生命体のように、意図的に人間をとらえ、自身(町)の消滅に町民たちを巻き込み、外部からの侵入を拒む恐ろしい存在である。
いや、そうした「消滅した町」へと静かに、徐々に、人々の無意識のうちに移行していくと言った方が良いだろう。「消滅」という名の通り、その時その町にいた人々は消え去り、街全体が廃墟と化し、そこに踏み入る物は「汚染」されて身体的精神的に様々なダメージを被る。
まるで先の2011年3月、東北関東の大震災とその後の放射汚染のように。
現実問題、あの震災で原発が壊滅し、流れ出た放射能などの汚染がどの程度の物か・・・安全性が曖昧なままだったため被災現地の農業や酪農、漁業などがその風評により多大な被害を被った。
非難でもなく罵声でもなく、そうした不安から広まる「拒絶」は、本書に登場する被災者たちにも大きな影を落としている。
この物語は町が突然人々とともに消滅するという非現実的な物ではあるが、その実中身はしごく現実的、リアリティに富んだ切実な物語であることを心して 震災後の今、読んでほしい。
まず本書の世界では町が消滅するという不可思議な現象が随分前から不定期に、何度となく起きている。
退廃でも過疎でも撤去でもなく、その名の通り住民を含めあらゆる物が消滅し、機能が停止し、廃墟と化す。消滅の影響や感染、汚染を広げないため国は率先して町の記憶を回収および撤去し、文章や写真、検索記憶など歴史そのものから町の名前とその町に関するあらゆる物を削除する。
人々は消滅した町の生き残りや汚染された人間を汚物のように裂けある言葉を吐いて遠ざける。
そうした誰もが忌み嫌う町「月ヵ瀬町」を静かに、ただじっと見つめるペンションが「風待ち亭」だ。
この風待ち亭には失われた町を前にして、目を背けるわけにはいかない事情を持った人々が集まる。
町の消滅とともに家族を失ったオーナー。
自らの「場」に戻りけじめをつけて再び向き合えるようになって戻ってくるという男を待つ女。
恋人への重いとともに町に記憶と言葉を持っていかれた男と、彼がいつしか自分と時間を取り戻す日を待ち、支え続ける女。
愛する妻と子供が静かに消滅するのを見届ける、ただその時を静かに温かく待つ夫。
消滅した友人が託した消滅回避データを引き継ぎ研究に人生を捧げた女と、その女を支えいつしか成功する日を待ち続ける男。
本書に描かれたのはこの他数人の、失われた町とともに大切な物を失ってしまった人生だ。
どれも哀しく、重く、けしてハッピーエンドとは言いきれないストーリー展開ばかりだけれど、
その一つ一つに彼ら大切な物を失ってしまった、失われつつある人々の切なる願いと思いがある。
彼らは失われた町、大切な人を奪った町を憎むでも無く拒否するでも無く、ただ静かに見下ろして「待って」いるのである。
そして無関係であった彼らの人生が、この「風待ち亭」で少しずつ繋がり再生のときを迎えていく。
この物語の町の消滅という現象がいったいなんなのか、結局のところほとんど解明されていない。
ただ私たち現実世界でも「消滅」は日々起きているのではないかと、ふと思う。
人と人とはふいに切り離されたり失われたり、時にはすべてを瞬時に失ってしまうことがある。
例えば今回の震災のように。例えば大きな戦争・・・被爆のように。
けれどそうした絶望の中でも誰かの帰りを待ち続け、取り戻す日を諦めない思いがあれば
心は失われないとそう思う。
消滅した町(失ったこと)を受け入れ、それでも取り戻す日を諦めない。
生き残った自分を受け入れ、その身一つで出来ることを探し生きていく。
待つということ。
それは消極的でもなく受け身でもなく、誰よりも強くその場に立ち見守り続ける強い意志だ。
先の震災で多くの人が悲しみと苦しみに苛まれ多くの物を失った。
けれど失った物を見つめ、まずその場にすくと立ってほしい。
そんなことを改めて教えてくれる、待ち人たちの物語である。