紙の本
実は楽しい数学者の岡先生
2016/11/30 23:26
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投稿者:あっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
その表題の通り、十話で構成されています。
日本初ノーベル賞学者の湯川秀樹先生と同じく、岡先生の夏目漱石を熟読されていたらしい。内容は決して堅苦しいことではなく、軽い気持ちから入るとスイスイ読めます。
自然を愛する方だったんでしょうね。。。
紙の本
数学と情緒
2009/08/14 18:35
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:simplegg - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ぼくは計算も論理もない数学をしてみたいと思っている」
と大学3年のときにいい,大数学者となった岡潔.
先日紹介した「考える人」からセレクトした第1弾.岡潔がジャンプしている写真が非常に印象に残っていた.
本書に収録されているのは,岡潔がこのくにのありさまを憂慮して,いよいよ語らねばならないと語ったものである.1963年に初版がでている.戦後復興を遂げ,日本人が世界に追いつけ,追い越せと意気揚々としていた時代,そんな時代だからこそ見失いがちな人の本質について意見を述べている.
岡潔は,何より情緒が重要であるという.人の中心は情緒であり,これがないことには,数学はできないと.さらに,情緒は時期を見計らって,じっくり育てていくべきであると.
特に,当時の教育が表面的で,目先の事ばかり(ex. 受験,就職)を評価基準としていること(恐らく今も変わらない状況)を,岡潔は非常に危惧している.これは裏を返せば,教育こそが当時の日本を変えていく事ができる,という岡潔の信念でもあった.
まぁ,この状況は現在も変わってはおらず,藤原雅彦の「国家の品格」がベストセラーになったのは,記憶に新しい.また,社会の真っただ中で社会を動かしている人じゃなく,社会から少し距離を置いた人からこのような意見が出てくる構図もあまり変わってはいない.
距離を置くからこそ見えるものはある,それは確か.ただ,本書は,「国家の品格」のようなメチャクチャな事は言っておらず(藤原さんの他の本は結構好きなんですが),「国家の品格」でがっかりした人は,こちらを読んで頂きたい.恐らく言いたい事は,さほど変わらないのではないかと思う.
でも,科学の頂点にいると思われる数学者がどうして,論理ではなく「情緒,情緒」というのだろうか.これについて,少し考えてみた.
そもそも,数学という学問が極度に抽象化し,自己完結性を帯びてくるのは19世紀ごろであったらしい(森毅著の「数学の歴史」より).それまでは,数学と物理学は互いに影響し合いながら平行して発展してきていた.この“数学”としての“独立”が,物理と結びつくことで保持されていた通常のイメージを数学から消し去り,常人ではなかなか理解しがたい芸術的な学問へと数学を変えて行ったのではないかと思う.
本書の中で,岡潔が数学を志す人に是非味わってもらいたいといった,19世紀の数学者ポアンカレの次の言葉
「数学の本体は調和の精神である」
はまさにそのことを表しているような言葉である.そう考えると,数学と情緒が結びつくのを想像するのは難しくないだろう.
最後に,まとめておこう.本書で岡潔が主張する意見には,そこまで新鮮さは感じないかもしれない.しかし“情緒”とは何かという事を,日本の歴史,文学,宗教をひきながら解釈を与え,さらに,自分の経験から具体的に述べているあたりは,あまりお目にかかれない内容であるので,興味がある方は是非.
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スミレはただスミレのように咲けばよい
2023/05/24 06:18
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投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
数学に情緒を持ち込んだ岡。しかし数学と情緒って、とても素人には理解できない。「数学とは自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つ」ということだが、理解は深まるどころか、その端緒も掴むことができない。「数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人」に答えて、「スミレはただスミレのように咲けばよい、 そのことが春の野にとってどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ」もう、こうなってはこちらが理解できようが、できまいがどうでもよいことに思えてくる。
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【2008/09/23】
数学者の岡氏の随筆集。毎日新聞に連載された春宵十話に始まり、教育、宗教、数学の極意といった話題にうつっていく。詩的な言い回しが多いだけでなく、一芸に秀でた人だけあって洞察が鋭く、目の覚める思いだった。
●春宵十話
・p33「よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。」
・p36「種子を土にまけば、生えるまでに時間が必要であるように、また結晶作用にも一定の条件で放置することが必要であるように、成熟の準備ができてからかなりの間をおかなければ立派に成熟することはできないのだと思う。」p38「発見の前に緊張と、それに続く一種のゆるみが必要ではないか」
・p51「私の生活のやり方は、一言で言えば自然に従うと言うことである。」
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非常に深い一冊である。数学者の本というのは、なぜこれほどにまで含蓄があるのだろうか。「数学の本体は調和の精神である」という指摘、「数学は語学などではない」、「数学と物理は全く異なる」という認識などは深く深く染みてくる。
調和の精神とは何か?数学を専門としている自分には(ほとんど勉強してないけど。。)さっぱり分からない。
数学と語学は何が異なるのか?個人的には、数学は世の中の事象を数式という共通言語で描写したものだと考えていたが、この大数学者は違うと言い切ったのだ。検討してみたい。
この本を最も感じた事は、やはり数学も自然科学なんだ、という事だ。個人的に、物理や化学・生物とは異なり、自然に立脚しているのか?という疑問があったのだが、なんとなく分かった気がする。自然のリズムを最も反映しているのが数学なのではないか。
教育に対しての考察が多いが、あまり詳しくないのでここには書かないが、教育に興味ある方はご一読をお勧めします。
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数学者・岡潔のエッセイ集。専門の数学のほか、教育、社会、人生などについて語った一冊。もとは新聞連載だったそうだが、数学者としての人生の歩みなど興味深い箇所が多々あった。
数学者の藤原正彦の本は以前から読んでいたが、こちらがその源流か。論理より情緒を重要視する視点は数学者に共通なのかもしれない。とはいえ、少々古めかしく、かつ説教臭くもある。
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21/10/21 数学の美は分かりづらい。今も昔も教育は難しい。
本当の数学は黒板に書かれた文字を普通の目玉で見てやるのではなく、自分の心の中にあるものを心の目で見てやるのである。これを君子の数学という。この方法でちゃんとやれば、白昼の光の中に住むことができる。自分で自分がわかるということなのだから、計算などというまだるっこいことをしなくても、直観でわるのである。
教育>何よりいけないことは、欠点を探して否定することをもって批判と呼び、見る自分と見られる自分がまだ1つになっている子供たちにこの批判をさせることである。
人は壁の中に住んでいるのではなくって、すき間に住んでいるのです。むしろ、すき間でこそ成長するのです。
本当によいものとはこうしたもので、つまり自分で自分が良くわかるということにつきるのだろう。
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実感覚から滲み出た、スパリスパリと切れるような論は、数学者だからこそ書けるものなのであろうと感心。嘘くささや媚びがまったくないのもいい。 それでいてユーモラスでもある。 「ちなみに○×試験であるが、あれは一体何だろう。パチンコの一種だろうか」
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昔の角川文庫でぱらぱらと再々再読してます。研究者のMotivationをあざとい形ではなくさりげなく高めるには良い本です。情緒的・詩的という面では寅彦に比べきもありませんが..(比べる必要も無いし)
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ジアスニュース編集長有福さんとGreenTV編集部長岡さんが二人同時に読んでいたらしい岡潔さんの本。「絶対好きだと思う」と奨められた。ロマンス力に溢れているらしい。楽しみ!
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昭和の大数学者である岡潔による随筆集。
岡潔という一芸を極めた大数学者を通じて改めて本質的な教育の在り方であったり、敗戦を経て変化した日本人の様子がよくわかる一書。
子供の頃から与えられる表面的な教育ばかりだからこそ、子供は育つ過程で情緒や感受性を失い、結果的に創造性を喪失し単なるシステムに従事する人材しか生み出さない世の中になった。
岡潔の指摘するところは戦後から現在に至るまでの戦後教育の弊害と本質的な教育の在り方の部分であり、昔の日本人が如何なる気質で学問に打ち込み、幾つもの偉大な業績を残すまでに優秀だったのかがよく理解できる。
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こういうお話は、もう少し若い頃に読みたかったです。が、若い頃だと理解不能だったかも。
高校生の頃に、この随筆に触れていたら、たぶん進路は変わってたかな。上手く言葉にできないでいるもやもやしたことのいくつかを、すっきりしてもらえたとも思います。必ずしも全てに対して、なるほどとうなずけるわけではないのだけれど、こんな視点もあるのかと、別の意味で頷けるところがいくつもありました。
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自分はこの本に出会うまで岡潔という数学者を知らなかった。
本屋でたまたまこの本を見かけて、本の題名に魅かれて手にとってしまっただけのこと。
『春宵十話』
魅力的な題名だなと思う。
数学者ってどんな事を考えているのか気になって、本を開いていてみる。
なんか理屈っぽいような、まるで数式のような文章があるのかと思いきや、
情緒豊かな人間の随想録だった。
学者っぽくないw
野を歩いて、その中で草花を見つけるかのように、
数学を発見する姿がなんとなく目に浮かぶ。
この人が、この『春宵十話』で言わんとすることは、
はしがきに要約されているのかなと思う。
▽▽▽▽▽▽▽
人の中心は情緒である。
情緒には民族の違いによって色々な色調のものがある。
例えば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。
・・・
△△△△△△△
情緒が重要だということ。
情緒が欠けた人間が、
人の心の悲しみをわかるだろうか?
人の心が分からなければ、
緻密さがなくなり、粗雑になる。
粗雑。
それは、対象を見ずに観念的にものを言っているだけ。
つまり、対象への細かい心配りがない。
それで学問ができるだろうか。
そして、戦後の教育は子供たちの情緒をを育んではいないのではないかという不安。
以上のことを中心に語られていたと思う。
・・・とりあえず!
なかなか、どうして、情緒豊かな数学者の話だった(笑)
あと、数学なんて何の役に立つの?なんて言う人が時々いるけど、
この人はこう答えていた。
”・・・スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ”
役に立つ立たないなんて、考えるまでのないことだと、そう思う。
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何をするにしても「情緒」が醸成されていることが重要
→同意見。教育には一番重要なことだと思う。
【その他、印象的な点,言葉】
・人が悲しいと自分も悲しいと言う洋服屋さんがいた。岡潔によると、これは宗教的な考えらしい。
・よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのではおのずから違うというだけのことである。
まだ途中までしか読んでませんが、小林秀雄との対談「人間の建設」を読んでみたいと思いました。
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「情緒」を中心として書かれたエッセイ。タイトルもそうだが、一つ一つの言葉がきれいで、読みやすい。
あまりエッセイは好きではない方だが、最後まで楽しく読めた。
気に入った言葉は、「春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいい。」「咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。」