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2008年7月の課題本。淡々としていて読みにくい、というのがブッククラブのメンバーの共通した意見でしたが、自由とは何かについて考えさせられる本でした。感想を言い合うことで本の深みが味わえる、ブッククラブ向きの本だったように思います。
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「社会の中における個人の自由」を描く。メルヴィルの「バートルビー」を思わせるような、絶対個人的主張と社会がそれを見るときの不可解さが存在する。
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『日本橋丸善の掘り出し物』という謳い文句で平積みされていました。
最初の一頁を読んで「これは!」と思い購入。
私の好きな「ちくま文庫」でしたし。
読み進めてはじめて分かりました三部構成になっています。
第一部、および第三部は三人称、第二部のみが一人称で描かれています。
なんといっても三人称の語りが力強く心に迫ります。
主人公から常に一定の距離を保ち、敵でもなく味方でもなく、決して感情的になることもなく、目を背けることもなく、マイケルを観察し続ける。
神というのはこういうものなのかとさえ感じる、絶対的な第三者、その視点。
第二部はキャンプでマイケルのケアをする青年医師が語り部となります。
彼は生身の人間であるからもちろん感情もあるし、彼自身のストーリーももっている。
そのためか、第一部、第三部に比べると、読みやすいトーンになっています。
この章の存在により、私たちはよりマイケルに近づくための手がかりを得ているように思います。
この物語のテーマをひとつに集約するとすれば「生きること」なのかしらん。
生きること、自由への渇望・・・。
遠い南アフリカが舞台ですが、きっと読む人みなの心に響く作品だと思います。
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乗ってくるまでに時間がかかりましたが、
第2部に入ったあたりからやめられなくなりました。
このお話、後半のくだりで思わず身を乗り出して読んでしまいました。
ここでこんな風に自分の人生と重なってくるなんて!!
という、読書をしていて幸運だと思える瞬間にめぐりあったからです。
「当座の生活手段がないやつのキャンプ」
「街の娼婦のためのキャンプ」
そういった「キャンプ」に属さないということ。
それはキャンプの外。そしてそこは途方もなく生きづらい。
人は自由を渇望するだろう。
けれど自由とは本当に苦しく、辛く、渇いている。
けれどもね、そのキャンプの外を不器用に生きていくしかない。
結局、それが、何かひとつの正しい道のように思えるのです。
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とにかくぐいぐい押されて読んだ。何が起きるというわけではなく、戦争という異常事態のなかに巻き込まれた1人の男のあり方。深読みすればいくらでも解釈できる作品だけど、読んだだけでとりあえずお腹いっぱい。作者の力量がノーベル賞級であることは理解できるけど、ストーリーとしての意外性とかなんかには欠けるので、星2つ。でも、必読。『恥辱』も読むぞー。
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マイケル・Kは「庭師」として生きようとした。しかし、内戦下の南アフリカという時代が許さない。そうか?実はどの時代でも生きにくい望みをマイケルは持っていたんじゃないか。人々はマイケルに施しを与えようとするが、マイケルには必要がない。望みを言え、腹いっぱい食いたいだろう、女を抱きたいだろう、えっ、そうじゃない?そんなのウソだよ、望め、そう望めと言っているかのようだ。生きること、そして自由、これもひとつの形なんだ。
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[2011年]
ときどきふいに自分の価値観が変わる本が訪れる。いや、以前からなんとなく思っていたこと、世界における人間のヒエラルキーについて。ある社会における立場の高いものから、その階級に属さないものを見る目。
自分で耕して作った食べ物、それは大地からの贈り物であるという純粋な認識。
今置かれている現実に疑いを持たない人間がいるとしたら、そのひとは一生無垢でいられるだろう。
本を書くことは傲慢じゃなければならないんだな、と読みながら、思った。
[2015年]
再読中
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最初、この小説のあらすじを見たとき、
“悲惨な境遇の主人公が過酷な現実と闘いながら人間的に生きる”
的な趣旨の作品かなと思ったんですよ。
まぁ、実際、読み終えて、全く違うとは言わないんですけど、
ことこの本に関しては、そういう小説を読んだ時ににありがちな、
お決まりの感情は芽生えなかったんですよね。
なんというか、もっと超越的というんでしょうか。
主人公の一貫した意思決定をもってして、
自分の価値観に揺さぶりをかけてくる感じなんですよね。
主人公は(悲惨な境遇とは言え)常識に反した行動をとっている訳ですが、
内観の丁寧な描写を読んでいると妙な納得感があり、
読む前には思ってもみなかった感覚を植え付けられる、そんな感じです。
その土地の文化的背景を反映していながら、普遍的な内容ですし、
そういう意味でも、ノーベル文学賞作家らしい、良い作品です。
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クッツェーによる移民文学の代表傑作。自由と孤独と虚無の世界に生きるKはこの世界と自分の人生に何の意味も見出さずただそこに生きるともなく生きている。陽炎のようなつかみどころのないKという人間の中に生という営みは結局何なのかという本質的な問題を見る思いがする生々しい作品です。
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[ 内容 ]
内戦下の南アフリカ。
手押し車に病気の母親を乗せて、騒乱のケープタウンから内陸の農場をめざすマイケル。
道々待ち受けるさまざまなかたちの暴力にマイケルは抵抗し、自由を渇望する―。
全篇を通じ、人間の本質を問いかける緊迫した語りに圧倒される。
2003年にノーベル文学賞を受賞した作家クッツェーが、世界的名声を獲得した記念すべき作品。
1983年ブッカー賞受賞作。
[ 目次 ]
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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移住に必要な許可は、待てど暮らせど公的機関から発行されない。夜間外出禁止令の禁を破り、徒歩で母親の故郷へ旅立つ男に、数々の困難が立ちはだかる。捕らわれの生活の中で露わになる、管理社会の非人間性。逃れ出て山にこもり野に暮らす生活は、男に安息をもたらすが...。
寓意的な物語という印象を受ける。解説を読んで気づかされたのだが、発表当時、アパルトヘイト政策化にあった南アでは、抑圧側の組織名は当然出せず、思うところは暗に示す形にならざるを得ない事情があったのだ。その背景を知れば、寓意のマントに隠れて、その実、踏み込んだ内容だと思える。
男の行動は、何かに反抗するためのものではなく、己が真に求めることを突き詰めていくと社会の要求から逸れていく、という性質のものだ。言葉を変え視点を変え、終始一貫してその事が語られていく。読んでいて引き付けられる力があり、時間が許せば再読したい箇所が、いくつかあった。
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ブッカー賞、訳:くぼたのぞみ、原書名:LIFE&TIMES OF MICHAEL K(Coetzee,J.M.)
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三部構成。
?と?は主人公視点の三人称で淡々と、
でも畳み掛けるように進む。
雰囲気は「ガープの世界」と「デイヴィッド・カッパーフィールド」を足して2で割った感じ〜。
で、だ。「?」よ。
野垂れ死に寸前の主人公が収容された病院職員が
彼に惹きつけられていく。あっという間に。
強引に。ほとんど恋みたいだ。
ひたむきさが主人公のスタンスと滑稽なくらい対極で、
この人、これからの人生どうなっちゃうんだろ。
作者はまったく構ってやる気がなさそうで、
気の毒〜
生まれつき障害を持ち、家族とは死に別れ、
何も待たない最下層の生活をしながら
(平成ニッポンじゃない、南阿でよ)
めぐり合う僥倖に目もくれず、
悪意にも構わずやり過ごし、憑かれたように
荒野を突き進む。ただここじゃない場所へ。
この神々しいまでの潔さの眩しいこと。
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p200「ただし、都会の鼠だったために土地か生活の糧を得る術を知らず、ひどい飢餓状態に陥った。そこを幸運にも発見され、また船に引き上げられた。だったら何をそんなに憤慨しなければならない?」
ノーベル文学賞受賞者の著作ということで。
獣のような漠然とした力に動かされ、生きて畑を耕し、隠れ、眠る、マイケル・K。戦争や暴力や難民キャンプに巻き込まれた、知恵のない男が、ケープタウンからプリンスアルバートの大地へ。
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途中から難しかったので正しく理解できたか分からない。
南アフリカで恵まれない境遇に生まれ育ったマイケルが、状況に適合できずにさらに状況を悪くしていく。でも、自分のことは自分ができるところまでは何とかしたい、とはいえどうにもならなくなっても施しやおせっかいは受けたくないという、強さなのかヤケクソなのか希望なのか分からないようなある意味ポジティブな感情を持ち合わせているように感じた。
三章に別れているが、一章が179ページ、二章が60ページ、三章が19ページと、非常にバランスが偏っている。
一章はマイケルがついに限界を迎えるまでの物語で、ここは普通に読める。
物語の舞台が何年頃かは記述がないが、本が出版されたのは1983年で直前にはローデシア紛争が起こっていて、物語内で進行中の戦争はそれではないかと思われる。
二章はマイケルを受け入れたキャンプの医師に視点が変わる。ここでは主に「マイケルの理解できなさ」が中心になっているようだが、急に文章が長くなり、つながりも分かりにくく、一文一文の意味も取りづらくなってくる。
三章は再びマイケルの視点に戻るが、文章はやはり難しい。
何となく自分なりの世界の理解の仕方を見つけて、自分なりの希望を持てたような終わり方ではある。