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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2006.5
- 出版社: 文藝春秋
- サイズ:20cm/259p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-16-324870-7
紙の本
被爆のマリア
著者 田口 ランディ (著)
60年後の原爆小説!無原罪のマリア像が見つめる現代の闇。著者渾身の問題作。【「BOOK」データベースの商品解説】無原罪のマリア像が見つめる現代の闇。マリアさま、人の目は武...
被爆のマリア
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商品説明
60年後の原爆小説!無原罪のマリア像が見つめる現代の闇。著者渾身の問題作。【「BOOK」データベースの商品解説】
無原罪のマリア像が見つめる現代の闇。マリアさま、人の目は武器です…。表題作のほか、「永遠の火」「時の川」「イワガミ」の3編を収録した、「60年後の原爆」をめぐる著者渾身の問題作。【「TRC MARC」の商品解説】
収録作品一覧
永遠の火 | 7-61 | |
---|---|---|
時の川 | 63-105 | |
イワガミ | 107-181 |
著者紹介
田口 ランディ
- 略歴
- 〈田口ランディ〉東京都生まれ。「できればムカつかずに生きたい」で第1回婦人公論文芸賞を受賞。他の著書に「コンセント」「アンテナ」「モザイク」など。
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紙の本
平和に耐え得ない狂気を鎮魂するとしたら…
2006/07/21 23:13
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒロシマから語り継がれた「原爆の火」で<私>の結婚式のキャンドルに火を灯す父親のアイディアに娘は違和を感じる。その過剰なメッセージは社会的正義を体現しているからこそ、頭では抗うことは出来ない、そこに、素晴らしい「戦後平和民主主義」のメッセージが刻まれている。でも、娘は言葉にならない違和感を裡に蔵して、父親が聖人さんから分火してもらった「原爆の火」を「フツーにやりたい結婚式」に点火することに、ためらいを感じる。
結婚式だからこそ、好い加減に妥協したくない、最初の物語『永遠の火』は全編に流れる4つの物語の助走に相応しいフツーの日常の風景の中に原爆という異化を行う。それがいかにも工夫を凝らした一番バッターのクリーンヒットという感じ。原爆に関心のない人でも、ふと、そのことについて娘とともに考え初めていることに気がつくかもしれない。
閘門式運河のように4つの物語は4つの閘門ですね、2番目の閘門は広島平和記念公園での小児癌に罹ったことのある中学生とホールで被爆者体験の語り部をやっている老婆とミンミン蝉の降りしきる夏の盛りの真っ昼間、ベンチに並んでそれぞれの思いを噛みしめる。『時の川』は二番バッターで、三番目の『イワガミ』、四番目の『被爆のマリア』の本流につなげる役割といった格好でしょう。 『イワガミ』では等身大の作者らしい作家が登場しドキュメンタリーの趣がある。取材で訪れた全国紙の広島支局で、『磐神』という小説を発見する。それまで、様々な原爆資料や被爆者にインタビューしたのですが、一番目の『永遠の火』の娘のように言葉にならない違和を感じて作家は原爆について書くことを半ば諦めて東京に帰ろうとした矢先、被爆者宮野初子著『磐神』に出会うのです。
記者に巫女が書いた御詠歌のような小説だと言われるが作家はこの小説に取り憑かれる。でもそれは作家にとって「イワガミ」は「賢者の石」であったのでしょう。ランディさんは一気に最後の閘門を開けて広い海原に飛び出す。満を持して弓を放つ、それが四番バッター(物語)の見事に弧を描いた『被爆のマリア』です。
《マリア様、人の目は武器です。/どうしよう。あの人が見ています。なにか言いたげです。だんだん近づいて来ます。目が光っています。赤く光っています、》
ランディさんの原爆の火は60年後のこの街にも灯っている。『被爆のマリア』の無惨さを日常の皮膜をめくれば、すぐそこに見出す、今そのものの世界の生き辛さ、一人一人の実存を通して発見してゆく、その呻きの向こうに作家は政治的なメッセージで回収されない、何かを作品化するしかないのであろう。キャンドルに火を灯す戸惑いをランディさんが持ち続ける限り表現の泉は枯れないと思う。
歩行と記憶
紙の本
被爆の悲劇を立体的に、かつ現代をも問う原爆小説集
2006/07/02 16:15
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
その地図は資料館のもので、爆心地を中心に同心円が描かれていた。この地図は無情だと思う。松田さんは爆心地から1・5キロで被爆した。だが、その距離が意味するものは何だろうか。そのようにして被爆も計測され、爆心地に近いほど悲惨さは増す。そうやって被爆は平面の中に位置づけられ、同心円のなかに閉じ込められてきたのだ。
本書には「永遠の火」「時の川」「イワガミ」「被爆のマリア」が収録されている。著者自身が取材し、「文学界」2005年8月号から11月号に連続して掲載された。これだけでも著者の原爆に対する問題意識をうかがい知ることができる。
冒頭は「イワガミ」の中の引用であるが、ここにこの4作品を書いた著者が行き着いたひとつの意識が表現されている。
「この地図は無情だと思う」には、心底著者の気持ちが込められている。被爆者の問題だけではなく、現代を生きる人々にも向けられた問題意識がある。社会や政治が行う線引きとはいったい何なのだろうか。そんな簡単に計ることのできない問題を計ろうとする罪悪とは何か、それは正しいのだろうか。著者のこの問いかけが、「平面」的ではなく、「同心円のなかに閉じ込め」ない4つの小説として構成されている。
「原爆の火」は今も継がれ燃え続けている。被爆体験を語り続ける「語り部」の思いは人々の心に訴え続けている。そこには簡単には割り切れない思いがこもり、それを支える人たちがいる。
被爆の事実を受け止め、原爆問題を考え、それを社会や政治、戦争と平和の問題へと関心を高める人々がいる。その一方で、人が死ぬことがわかっているのに原爆を投下した人々の意識とは何だったのか。
この「原爆を投下すれば人が死ぬ」とわかっての行為とは、原爆だけの問題なのか!現代の社会にも原爆とは程度の差はあるものの、「わかっている」のに平気で人を苦しめることを行う政治や人間の行為が沢山ある!著者の視点は、そうした現代の問題にも踏み込んでいる。
では、私たちは如何になすべきか。著者はまだそれを示してはいない。そのことに踏み込んだ著者の作品を読んでみたい。