紙の本
愛と孤独に対する深い洞察に満ちた恋愛論の名著
2009/02/21 19:30
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
『愛の試み』は福永武彦氏(小説家・詩人)が説く恋愛論。
「夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず。」
冒頭に雅歌の第三章を引用して、人間の持つ根源的な孤独の状態を簡潔に表現していると説き、この孤独はしかし、単なる消極的な、非活動的な、内に鎖された孤独ではない。「我心の愛する者をたづねしが」―そこに自己の孤独を豊かにするための試み、愛の試みがあると説く。
スタンダールの恋愛論の結晶作用と融晶作用、愛につきもののエゴ、嫉妬、憐憫、自己犠牲、愛と理解の違い、愛することと愛されることの隔たりや人間の愛の限界について語りつつ、恋愛と孤独を対立させることなく相補的に説きつつ、その論が観念的に終始しないように「釣のあと」「花火」「細い肩」「女優」「盲点」「音楽会」「雪の浅間」「歳月」「砂浜にて」と題する9つの掌編を関連する章の後に挿入している。
著者の恋愛論の実践編とも思える9つの掌編は文学性も高く、著者の論の理解を促す作品であった。いずれも一筋縄ではいかない男女の心の機微が巧みに描き出されている。現実の恋愛も孤独も不完全であることを認めた上で展開される著者の恋愛論には説得力が感じられた。本書は薄っぺらな恋愛の指南書ではない。
「自己の孤独を恐れるあまり、愛がこの孤独をなだめ、酔わせ、遂にはそれを殺してしまうように錯覚する。しかし、どんなに燃え上がろうとも、彼が死ぬ以外に、自己の孤独を殺す方法はない。」と説く著者の言葉に愛することをひるむ読者もいるであろう。しかし、人間が根源的に孤独な存在であるとすれば、愛することを試みた以上、苦しみから逃れることは出来ないのではないだろうか。著者の言葉に愛することへの覚悟を促された。脆弱な孤独からは豊かな愛は育たないのだ。
「愛は持続すべきものである。それは火花のように燃え上がり冷たい燠となって死んだ愛に較べれば、詩的な美しさに於て劣るかもしれぬ。しかし節度のある持続は、実は急速な燃焼よりも遥かに美しいのだ。それが人生の智慧といったものなのだ。しかも時間、この恐るべき悪魔は、最も清純な、最も熱烈な愛をも、いつしか次第に蝕んで行くだろう。従って熱狂と理智とを、愛と孤独とを、少しも衰えさせずに長い間保って行くことには、非常な努力が要るだろう。常に酔いながら尚醒めていること、夢中でありながら理性を喪わないこと、イデアの世界に飛翔しながら地上を見詰めていること、―愛における試みとはそうしたものである。その試みは決してた易くはないが、愛はそれを要求する。」
新約聖書のコリント人への第一の手紙十三章(愛の章)を彷彿させる著者の言葉にその恋愛観が凝縮されているように思えた。愛と孤独に対する深い洞察に満ちた恋愛論の名著として蔵書にしたい一冊。
紙の本
繊細すぎて合いませんでした
2016/10/10 21:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
恋愛と孤独の関係を短い文章と挿話を用いて説いた論説文です。
初恋に関する文章などはなるほどなと思えるところもなくはなかったのですが、着想が繊細すぎて文章が肌に合いませんでした。恋愛に関する一思想だと割り切れたら読める文章ではあると思います。
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愛について、色んな角度から検証し、その例文をのせる、という形式も面白かったけれども、例文の内容がまた、面白かった。
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高校生の時に福永と出会い、初めて読んだ時はよくわかりませんでした。読み返すたびに新しい発見があります。
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福永武彦にハマるきっかけとなった忘れられない一冊。
ところどころに挿入されてる超短編小説が、またいい味出してるんだな。
愛ってなんなんだろうね。
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昔、知人がある人に、
この本をプレゼントしている場面に居合わせたことがあって、
「なんだろーあの本」と、
長年心にひっかかっていた一冊。
愛とは相手の孤独を所有しようとする試み。
もしくは、
本質的に孤独を運命付けられた人間が、
その運命に抗しようとする試み等々。
発見いろいろ。
さっくりしてていいよね。
納得できるし。
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「そうか、それは知らなかった。お前たちのことは私が何とかしよう。それに今晩のことは冗談だよ。私は癌でも何でもないんだ、ちょっと悪い冗談を言っただけさ。家の者たちにはどうか黙っていておくれ。癌じゃないんだから。お前をびっくりさせて、本当に済まなかったね。」(釣のあと)
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福永武彦の恋愛論。
人は生まれながらにして孤独であることを大前提に論が展開されていくので、それ自体に疑問を持つ人は付いていけない。
個人的にはとても好き。
初恋は(というか恋愛全般は)往々にして錯覚である。
決して冷たくはないのだが、かといって情熱的とは言い切ることができない彼の恋愛観がある意味ストイック。
これこそが『草の花』の作者という感じだった。
挿話がまた秀作ぞろい。
「花火」がよかった。
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僕はただ、人間が生きるために他者を求めて行くその魂の願いのようなものが、生きるための人間の希望の一つであると考える。(本文より)
愛と、その表裏一体の孤独について語ったエッセイ。主に男女間の愛について語っているのでいま恋愛している人、又は失恋した人にとってお薦めの名著。
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愛について考えるエッセイ。短いフィクションの挿話を挟みながら、人を愛するということ、真実の愛とは何か、孤独とは何かを思索していく。
少し理屈に走っているきらいはあるけれど、愛するということについて、深く考え続けてきた方なんだなあということは、前に読んだ『忘却の河』や『草の花』からも伝わってきました。
そんなふうに深く、自分の存在をかけて人を愛したことはないなあと、こういうのを読むたびに思います……
もっと若いうちに読んでいれば良かったかも、とも思い、あるいはもっと人生経験を積んでから読んだらまた印象が違うかもしれないとも。
孤独とは、忌み嫌うべきものではなくて、自らのうちに抱え続けていくもの。人を愛することで消えてなくなるものではなく、死ぬまで抱え続けていくもの。そういう考え方は、なんていうか、すごくしっくりくるなあって思います。
ちょっと引用。
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二人の人間が一つの愛に統一されているならば、彼等は、自己の眼で見ると共に、常に相手の眼でも物を見なければならぬ。相手の傷を自分も嘗めなければならぬ。それでこそ孤独が癒される筈なのだ。しかし悲しいかな、人は傷つけられたのが自己の、自分一人の、孤独だと思いやすいし、相手が無条件にそれに同情してくれることを望みたがるのだ。まるで愛する対象が、自分のためのものであるかのように。自分もまた、相手のためのものであることを忘れたかのように。
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読みながら、むかし、カトリックの方から聞いたお話のことを思い出していました。
そういえば福永さんは、キリスト教にご縁の深い作家さんなのだそうです。わたしはいいかげんな仏教徒ではありますが、愛されることよりも愛することに重きをおくカトリックの精神は、実践するのがなかなか難しいものであるだけに、すごく憧れるところがあります。
そういうことを、教義や議論の中にあえていわなくてはならないというのは、本来の人が、愛されることばかりを望みやすい生き物だからなのでしょうけれど。
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吉行淳之助の『恋愛論』に比べると、やや宗教的というか、精神的な印象を受ける。
僕としては、『恋愛論』のほうが実体験に即して理解できたため、身近に感じられた。
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20年前以上に読んだのですが、もう一度読みたいと思って登録しました。本当の自分をわかっているのは自分だけ。人は本来孤独である。というメッセージが強烈なインパクトで心に残っている。
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愛より孤独にどう向き合っていくか、ということ。
孤独を癒すのは愛だけ・・・
挿話が具体例、実践編のような感じでわかりやすかった。
愛が見つからないとき、愛を手にいれたとき、愛を失ったとき・・・
何度でも読み返そう。すべてのフェーズできっと心に響くだろう。
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愛について必要なテーマを設けたエッセイと、それに密接に関わっていることがわかる短編小説を挿入した本。プラトン、ゲーテ、スタンダール、ジッドと、福永武彦の幅広い教養が見てとれる。
福永武彦の本には必ずつきまとう孤独という命題ですが、愛と絡めてこの人が語ると人間の孤独という抽象的なものがとても実感に迫る感じがして少しだけこわい。
愛の試みとは、人間の孤独を豊かにするための試みである、と読み取ったのですが、果たして福永武彦が語ろうとしたことなのかどうか。もう一度、時間が経ったら読み返したい本ではある。今のわたしには無理がある部分がおおかった。
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孤独、そして愛。
人を本当に愛するとはどういうことか。
大学4年間で読んだ中で5本の指に入る良書。
人を好きになり、両想いになり、別れが来る、どの段階で読んでも素晴らしい本だと思います。
何度でも読み返したいです。
気が向いたら全体的にまとめてレビュー書こうかな。