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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2005.6
  • 出版社: 扶桑社
  • サイズ:20cm/449p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-594-04966-4

紙の本

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

著者 リリー・フランキー (著)

【本屋大賞(第3回)】【読ませ大賞(第1回)】それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。東京の中心に。日本の中心に。ボクらの憧れの中心に。この...

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東京タワー オカンとボクと、時々、オトン

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商品説明

【本屋大賞(第3回)】【読ませ大賞(第1回)】それはまるで、独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。東京の中心に。日本の中心に。ボクらの憧れの中心に。この話は、かつて、それを目指すために上京したオトンと、ボクと、オカンのちいさな話です。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

リリー・フランキー

略歴
〈リリー・フランキー〉1963年福岡県生まれ。武蔵野美術大学卒業。文章家、小説家、コラムニスト、絵本作家、イラストレーター、アートディレクター、デザイナーなどジャンルの壁を自由に往来しつつ活動。

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みんなの評価4.3

評価内訳

紙の本

マザコンに対する考え方が変わった

2005/10/30 12:46

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:RIKA - この投稿者のレビュー一覧を見る

この書評コーナーや雑誌やらラジオやらで絶賛されているこの本。私も絶賛します。なぜなら1冊通して全然退屈な部分がないから。
リリー・フランキーの自伝ということにも驚くけれども、それが自伝かどうかということは、この際どうでもいい。というか、作品の良し悪しや読後感を左右するものではないということ。リリー・フランキーへの興味で読む人も、普通の本好きでも、あまり本を読まない人でも絶対に読んでよかったと思うはずです。そしてそういう本は、たくさんあるものではありません。
主人公「雅也」と、息子を女手ひとつで育てた「オカン」。風来坊で破天荒な「オトン」。筑豊の風景。小説は子ども時代から始まります。ごくごく日常のエピソード散りばめられていつのまにか雅也は大人になって東京で働いている。好きな女の子ができてそれを母親に知られたくないとか、親不幸と思いながらも母親が必死に働いて貯めた金を遣ってしまう、無心をしてしまう。誰もが抱えるであろうそうした葛藤があり、それでもオカンはいつも、いつも、とにかく優しいのです。心を打たれます。
そして、東京で生きていくということについて。きらびやかでスノッブで高飛車な街。街の冷たさやいい加減さに疑問を感じながらも、東京に惹きつけられてしまうという不条理。美大→留年→イラストレーターという、いかにも東京的な大人である雅也が感じることは、東京以外の場所で生まれ育ち東京で働く人たちは誰しも共感するのではないでしょうか。
私は女なので、これまで正直言って「お母さん大好き」な男性(結構多い)の心理がいまいち、わかりませんでした。でも、この本を読んで変わりました。こんなに細やかな愛情を注いでもらっている男性を私はただ羨ましく思っていただけなのかもしれないと。恋人を愛しても、母親には勝てないという事実を、心のどこかで面白くないと思っていただけなのかもしれないと。
この本は、親が子どもを愛するという素晴らしさを教えてくれました。切ないけれども、とても希望に満ちた本だと思います。

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紙の本

自分の姿を見ている気がした

2005/12/23 11:21

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みやこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

バラエティ番組などにもよく出演しているリリー・フランキーさん。
淡々とあまり表情を変えずに変な発言をする人、という印象があります。
エッセイなども今まで色々出版していて、どれも面白いのだけれど、読んでいて「この人はマジメに生きてるんだろうか、人生ふざけっぱなしなのでは?」と思ってました(失礼!)。
でも、この「東京タワー 〜オカンと僕と、時々、オトン」を読んだら、なぜリリーさんがああいうスタンスでいられるのか少しわかったような気がします。
子どもにとって、“お母さん”という存在は、とても大切なもの。
お母さんが守ってくれるから、安心して“子どもらしく”していることができるのだと、私は思っています。
リリーさんのお母さんは、明るくてやさしくて、とても強い人だったんですね。
お父さんが、“家族のお父さんとしての役割”を果たさない家だからこそ、自分の力でリリーさんを守ろうとしたのでしょう。
「お母さんとずっと一緒にいると、負担を増やしてしまうのでは」
そう考えて、東京に出る決意をしたリリーさんですが、学費や生活費はお母さんに頼っているわけですから、実際は余計に負担を増やしているわけです。
それは自分でもわかっていて、迷惑はかけたくないと思っているのだけど、やっぱりどこかでお母さんに甘えてしまう。
自立したい、でも甘えたい。
私自身も、母や父との距離のとり方がわからなくて、いまだに試行錯誤しています。
だからでしょうか、気持ちのバランスがうまくとれないリリーさんの姿に、自分の姿が重なりました。
子どものころから現在までのエピソードが、淡々とつづられていて、時に突然話が違う方向に飛んだりするので、読み始めはとまどいました。
でも、読み進むうちに、リリーさんがそばで語っているのに耳を傾けているような、そんな気持ちになっている自分に気づきました。
この構成のあり方が、読者とリリーさんの距離を縮めてくれています。
しみじみと、あたたかい気持ちにさせてくれる本でした。

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紙の本

母親がいる、ということ

2006/05/15 14:07

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

遅ればせながら、この話題作を読んだ。
「たっぷり泣いてね」と友達が貸してくれた。
半分くらいまでは平気だったのに、後半部分はここ数年これくらい泣いたことがないというくらい泣けた。
リリーフランキーさんとオカン、そしてオトンの話。
オカンの居るところに、ただ居る。
それだけが心のよりどころだった。
事情があってオトンとは一緒に暮らせなかった子ども時代、
オカンはありったけの愛情でリリーさんを育てた。
その後、進学のためにリリーさんは1人上京する。
その頃のオカンの人生は十八のボクから見ても、
小さく見えた。
それはボクに自分の人生を切り分けてくれたからと、リリーさんは思う。
「おなかすいたやろう、いっぱい食べなさい」
久しぶりに東京から帰ると、
テーブルいっぱいの手料理で迎えるオカン。
なにくれとなく世話を焼く姿が本当にうれしそうだった。
そしてリリーさんが東京で働き始めるようになってしばらくして、
東京にオカンを呼び寄せて、また一緒の暮らしが始まる。
大きくて、やわらかくて、あたたかだったものが、
ちっちゃく、かさついて、ひんやり映る時がくる。
子どものために愛情を吐き出し続けて、風船のようにしぼんでしまった女の人の姿をリリーさんは、こう表現する。
その後、オカンは病を得て壮絶な闘病の末、帰らぬ人となった。
オカンの遺書は
「マー君
長い間どうも有難う」
から、始まる。
いろんな感謝の思いが綴られているなか、
「ただ一度たりとも
自分のことをお願いしたことはありません」の箇所を読んだとき、
涙がそれまでの倍となって流れた。
オカンは神仏にいろいろとリリーさんやリリーさんの彼女の幸せを願うのに、いつも自分のことは無なのだ。
それがオカンなのだ。
東京の雑踏の中でリリーさんは思う。
「当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、
大切にすべきものがあって、
心の中に広大な宇宙を持ち、
そして、母親がいる。」と。

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紙の本

五月にある人は言った。「オカンは偉大なんだ」と。

2006/05/24 22:51

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:由季 - この投稿者のレビュー一覧を見る

泣きました。
あの、ただのエロおやじ(失礼^^;)は、ただのエロおやじではなかった。
淡々と丁寧に書かれた文章は、うまさというよりもオカンのことを本当に思った愛の溢れた文章の集合体、という印象を受けました。
リリー・フランキーの決して順調ではない壮絶な半生、家族の不可解な形、そして何よりオカンの素晴らしさ、愛おしさが何度も何度も涙を誘います。
私はこれを読んで、家族、そして何より「お母さん」を大切にしなきゃいけないということを、言葉で教えられるより、テレビドラマで見るより、ずっと深く、自然に思うことが出来ました。
もう絶対買います!!!

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紙の本

少し見方が変わりました

2005/09/28 23:20

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:瀬尾みずは - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私はリリー・フランキーさん自体をまるっきり知りませんでしたが、この本によって知ることができ、収穫でした。前半、オカンが東京に来るまでの作者の生活は私には腹立たしいものでした。オカンを大切に思っているのなら何故貧しいのが分かっているのに送金を頼んだり、留年したりするの?!と感じたりした訳です。でも、作者は申し訳ないとは思っていて、その気持ちを感じることができたから最後まで読む事ができたんだと思います。
 やはり素晴らしいのは後半。東京でのオカンとの暮らしの記憶。この人は正直だと思う。大好きなオカンであることは分かっていても、やはり人間。所詮、子供。母親と一緒に暮らすことによって煩わしさも感じる。自分の少ない稼ぎから生活費を催促される度、苛立つこともある。その反面、オカンには幸福でいてもらいたいという子の願い。そういう一筋縄ではいかない感情を丁寧に書いている。それが、より一層胸にギュっとくる。
 好きなシーンはたくさんあるけど、皆でハワイに行った時。オカン達は恐れ多くも「アメリカ人がステイタスとしている高級リゾートプール」で頭にスーパーの袋を被ってキャワキャワと騒ぎアメリカ人は冷た〜い視線・・・でも作者は恥ずかしいとは思わないのである! これには「偉い!」と一言! 私ならきっと外聞を気にしてとめるだろうから。そしたら、きっとオカン達は(子供に申し訳ないことをした)と萎縮してしまう。せっかくの楽しい気分を台無しにしてしまうだろうな。私はこのエピソードでまず引き寄せられちゃったかな。
 まぁ、こんな感じで後半は一瞬一瞬がとても大切な、美しくも生々しい記憶でいっぱい。
 読むべし!です。

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紙の本

七夕の夜 東京タワーはライトダウン

2008/07/07 21:14

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 どこかに出かけた帰り、ナビのとおりに運転できず六本木あたりで道がわからなくなってしまった。迷っていると、突然、目の前に東京タワーが現れた。夜空にライトアップした東京タワーは光り輝いていました。ゆっくり眺める余裕はなかったけれど、その姿は美しかった。
 書評を読み、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を購読しました。本を開くと、新宿の高層ビルが写っている写真が。あっと思い、裏をみると東京湾が写っていました。そうかぁ、これは東京タワーの展望台から見た景色だわ。本のカバーは白、上下のふちはゴールド。題名の東京タワーの文字の『京』の字の『口』の中に東京タワーの絵が。その文字は手で触るとかすかに盛り上がっています。カバーを取ると本の色は東京タワーの色です。なんて、おしゃれな本でしょう。装幀・挿画・撮影は中川雅也、リリー・フランキーさんです。
 オカンとボクとオトン。オカンとボク。オトンとボク。オカンとオトン。小倉のばあちゃんとボク。筑豊のばあちゃんとのボク。3歳からのリリーさんの人生が書かれています。私には二人の息子がいます。子どもの成長とともに母親にならせてもらいました。息子たちは大人になり、相次いで家を出ていきました。オカンの嬉しさもさみしさも共感できました。
 オカンはガンで壮絶な死を遂げます。そのことを書き綴っているリリーさんはすごい。すごいという言葉しか思い浮かびません。
「オカンが死んだら開けて下さい」とかかれている箱。
ママンキーのひとりごと。日記に間に挟み込まれてあった紙切れ。オカンが亡くなってから届いたオトンの手紙。涙がとまりません。
 最後に本文より、
五月にある人は言った。
「どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。」

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紙の本

日本民族の風俗史

2008/06/13 19:36

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る

東京タワー リリー・フランキー 扶桑社

 読み始めの2ページで、圧倒的な魅力に惹(ひ)きつけられます。自叙伝ですが、私自身も、ひとつひとつの出来事が自分自身の体験と重なります。複雑な親族関係、酒乱の男たち、頻繁な転居、貧困、花札、性風俗、暴力。読みながらなつかしくて涙がにじんできます。かつ笑えます。事実の列挙→著者の考え→事実の列挙という繰り返しの記述方式がまるで音楽を聴いているようです。
 自分の親の世代、祖父母の世代の生活もよみがえってきます。自叙伝を超えて、日本人という民族の研究書にまで発展しています。
 著者の母親に対する愛情は格別なもので、著者は病死した母親の遺体と布団で一夜を過ごします。
 著者の生き方は私からみれば虚無的で、いささかいいかげんで、私にとっては対角線上 にある個性の人です。しかし本来私は著者と同じポジションにいたかった人間だとは思います。 距離感を感じつつ羨望(せんぼう)のまなざしで、作者を本来の人としてあるべき姿ととらえるのです。

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紙の本

母は偉大

2009/05/01 22:41

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る

母は偉大です。

今の自分の存在は、母なくしては語れません。物心がつく前からそばにいてくれ、物心ついたあとにもそばにいてくれた唯一の存在。

大ベストセラーになるには、訳があります。

この物語は、どんな家庭環境の人でも共感できる内容のものだからです。

家庭環境が複雑であっても、そうでなくても子供にとって母の存在は変わりません。

また、だれしも母の死に向き合う時が必ず来ます。

そんな大切な存在である母の死のときも、世の中はなにもなかったように昨日と同じ時間が流れている。

その象徴が東京タワー。

リリーフランキーの軽妙な文章と不思議とマッチする内容でした。

龍.

http://ameblo.jp/12484/

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紙の本

母を想う子の思いは万人に共通していて

2007/05/30 23:50

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あん - この投稿者のレビュー一覧を見る

ココリコミラクルタイプで毎週見る変なオッサン。リリー・フランキーの印象はそんな物でした。
ドラマ化されても映画化されても、「原作を読むまでは」と頑なに観ませんでした。
そして漸く読んだ原作。
最近知り合いのお母さんが亡くなって、危篤の時を知っているだけに、後半はあまりに酷似していて読むのが辛かったです。
母を失う気持ちを少し実感しました。現実と思いたくない気持ち、何もかも嫌になる気持ち。
リリーへの印象が変わりました。

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紙の本

ついにドラマ化!

2007/01/10 20:39

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:タワー - この投稿者のレビュー一覧を見る

東京タワーを読んでとてもおもしろかったです。
ドラマ化にもなって今後も売り上げが上がるでしょう

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紙の本

故郷を遠く離れた人へのバイブル

2008/04/12 13:24

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一番は原田宗典の『しょうがない人』であった。
 何がというと、「読んで泣いた本」の順位だ。
 今回の読書で、『東京タワー』は文句無しのトップに躍り出た。正直な話(恥ずかしい話でもあるのだが)、「ずっと」、冗談ではなく「ずっと」、涙が止まらなかった。「このまま読んでいったら間違いなく涙が出るのでもう読みたくない」なんて、大げさだが思ったりもした。

 リリー・フランキーという人は、今では充分知名度があるけれど、おそらく、普通の人は(私含む)、この本が売れに売れて、本屋大賞を受賞して、初めて知った、のではないだろうか。特別テレビドラマ化、テレビドラマ化、映画化までもされ、以降は順当により多くの人の涙を誘っていった。私は先に大泉洋主演の特別テレビドラマを見て(その時もおおいに泣いた)この作品を味わうことになった。大泉洋の好演はもちろん(オダギリももこみちもなんだかイメージが違いすぎる)、ビギンが歌う主題歌『東京』は、頭の中でしばらくリフレインしていた。ドラマなんて滅多に見ない私だけど、あのドラマは良かった。

 私はいわゆる「家族もの」に弱い。泣いてしまう。それも、「家族全体」よりも、「父と子」、「母と子」などの方が涙腺を刺激する。
 『東京タワー』はまさしくそういうタイプだ。「家族全体」よりも、「父と子」、「母と子」。さらに、「父と子」よりも、「母と子」。タイトル通り、中心にはオカンとぼくの関係があり、それに多くを割き、その二人だけの話に時々オトンが顔を出す。だから、原田宗典、志賀直哉のように「父越え」の話ではなく、水上勉のような「母執着」の類型に入る。家族という、どうしようもない程自分が付き合っていかねばならないものに素直に向き合い、ストレートに接した家族小説だ。

 東京にはどうやらより多くの悲喜こもごもがあり、それはそれでどうしてなかなかタイヘンな土地だと伝え聞く。私のような田舎者には、いつまでたっても永遠の憧れみたいになってて、「いつか東京で一旗挙げてやるぜ!」思想は、この先多分無くならないだろう。田舎がある限りそれはずっとであり、日本だけでなく、世界中のあちこちで、東京のような憧れの土地は存在し続ける。人間が人間である限りは、そういう羨望のような胸のもやもやは無くならない。
 だからかどうか知らないが、そんな「国の中心」を描いた都会小説は今までたくさん生産されてきた。そこは書きやすいし、選ばれやすい土地だ。本当に昔の小説の舞台が京の都であり続けたように。そして、いつの時代でも都会者、田舎者は二極として存在し続けるように、都会「側」、田舎「側」は存在し続ける。

 『東京タワー』は、舞台は東京でありながら、視点は明らかに田舎側だ。郷里の母という田舎者が、東京という都会側で生活する所にどうしようもないノスタルジーがある。母と子という関係が、都会というあやふやで怖い所に至っても崩されないイメージに広がる夢がある。
 母と子は最後まで母と子であり、どこまでいっても田舎側。都会的なウィットもソフィスティケートもドライもないけれど、スノッブなんかじゃない。
 都会で繰り広げられるこの夢物語は、ありがちのようでありがちじゃなく、すごく、「ええなあ」って思う。
 
 リリーさんの渋い声がずっと頭の中で音読してくれていて、それと同じくしてビギンの『東京』がエンドレスに流れる。私のような田舎者、それでいて故郷を離れた者は、郷愁にむせび泣くしかなかった。

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紙の本

家族というしがらみ

2005/07/03 23:44

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

何度も笑った。そして泣いた。
本人が本名そのままに出てくる、完璧な自伝小説。小説というよりも記録に近い。そこで綴られるのは、子ども時代からオカンの死までの、家族の歴史である。
本人は雑誌の対談で、こんなに辛い文章は書いたことがなかった、書き上げてからしばらくは文章を書くのが嫌になった、と言っていた。
突き放したような語り口には、母親への愛情と、決して取り戻せないものに対する後悔とに、どうやって折り合いをつけたら良いのかわからない彼自身の苦渋が滲み出ている。恐らく、その折り合いをつけるために、身を削る思いでこの文章を綴っていったのだろう。その真摯さが胸を打つ。
『漠然とした自由ほど不自由なものはない。それに気付いたのは、様々な自由に縛られて身動きがとれなくなった後だった。
大空を飛びたいと願って、たとえそれが叶ったとしても、それは幸せなのか、楽しいことなのかはわからない。
結局、鳥籠の中で、空を飛びたいと憧れ、今いる場所の自由を、限られた自由を最大限に生かしている時こそが、自由である一番の時間であり、意味である。
就職、結婚、法律、道徳。面倒で煩わしい約束事。柵に区切られたルール。自由は、そのありきたりな場所で見つけて、初めてその価値がある。
自由めかした場所には、本当は自由などない。自由らしき幻想があるだけだ。
故郷から、かなた遠くにあるという自由を求めた。東京にある自由は、素晴らしいものだと考えて疑いがなかった。
しかし、誰もが同じ道を辿って、同じ場所へ帰って行く。』
オカンのもとを離れて東京で自由を手に入れるが、自由に倦むにつれ、自分の自由がオカンの人生を切り刻むことで成り立っていた幻想だったと気付く。
そして、30を過ぎて再開されるオカンとの奇妙な共同生活。
可笑しみと哀しみに溢れたそのディテールの一つ一つが愛おしい。
冷たくなった身体を一晩中抱き締めても、骨を食べても、失われたものは取り戻せない。その喪失感を乗り越えて、男はやっと一人前になる。
親とうまく付き合えず、妻と家族を作ることもできない自分にとって、家族は一番痛いテーマだ。家族から逃げ続けている限り、自由は、所詮、かりそめのものでしかない。
それを改めて痛感させられる本だった。

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紙の本

オトンが効いている

2006/02/11 13:47

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 妻にすすめられて読みはじめた。某女流作家の東京タワーは村上春樹の焼き直しみたいな感じでもうひとつふたつ みつ よつ いつ かいやになったが、このタワーは面白い。
 オトンが意外と効いていて、
「アホなことでもかめへん。5年やれ。なんにもしたくない。働きたくない。ええやろ。だらだらしたい。OKじゃ。それを5年やれ。それもでけんと、1−2年ぼけーとして、やっぱり働こ、とゆーて働きはじめるのがサイテーや。5年それがでけんかったらお前はプータローもでけん人間以下の屑や。」
正確に引用すると
「バイトはするけど、とりあえずまだ、なんにもしたくない」と言う1年留年して大学を卒業したが就職する気になれない主人公。
これにたいしてオトンは言う。
「そうか。それで決めたならええやないか。オマエが決めたようにせえ。そやけどのぉ。絵を描くにしても、なんにもせんにしても、どんなことも最低5年はかかるんや。いったん始めたら5年はやめたらいかんのや。なんにもせんならそれでもええけど、5年はなんもせんようにしてみぃ。その間にいろんなことを考えてみぃ。それも大変なことよ。途中からやっぱりあん時、就職しとったらよかったねぇとか思うようやったら、オマエはプータローの才能さえないっちゅうことやからな。」
 という言葉を息子になげかけるのだが、なかなか言えるものではない。人生の真実というか。衝いている。ところが世の中にはこういうオトンの発言がまったく理解できないアホがごろごろしている。学歴の高いのに限ってそういうのが多い。そういう人たちは自分の地の言葉(リリーさんの場合は九州弁、わたしなら
大阪弁)を適切に使えない。
 オトンの言っていることを言い換えれば、自分の感じていることが本当に切実だと思うならその切実さを徹底的に生ききってみよ。それをしきれば自分が分かる。なんとなくそう思う(例えば就職したくない、働きたくない)けど、お金がないとやっぱし困るから就職しとこかというのが中途半端の典型だということだ。こういう人たちには永遠に「自分の人生を生きる」瞬間は訪れないだろう。
 話しは変わるが、この作品で、東京が巨大な掃除機で、若者を吸い込んで若者はこのトンネルの先に自由があると勝手に思い込んでいるが、そのうちに不自由しかないと分かって、結局はゴミの山のなかにほり出されるという比喩があったが、的を得ていると思った。立派な東京文明批判だ。
 この辺のこともさっぱり分かってないアホが世の中にはいっぱいおる。しかしリリーさんは分かっているし、オカンもオトンも分かっていた。それは素晴らしいことだ。
 ところが、この本の帯のところを見て情けなくなった。アホの言葉のオンパレード。扶桑社のブラックジョークなのか、それとも真剣にこうした評で人の財布の紐をゆるめようとしているのだろうか。少し紹介する。
「泣いてしまった。涙が止まらなかった。」、「新作にして不朽の名作」、「すごく泣ける」、「涙ポロポロ」、そんなに「泣く」ことが大事だとは恐れ入った。福田和也までが「現在の日本文化の、もっとも高い達成というべきです。」と。褒めすぎじゃ。そんな福田をみて江藤淳ならどう思うだろうかと他人事ながら心配になってきた。

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紙の本

「今更」考

2008/07/22 17:00

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 つれあいと、グアムに行ってきた。
 恥ずかしながら(そういえば、終戦後28年目の1972年にグアムの密林から救出された横井庄一兵が日本に戻ってきた時に「恥ずかしながら帰って参りました」と言って流行語になったことがある。遠い記憶だ)五十歳を過ぎて、つれあいともども海外旅行というのは初めての経験であり、いくら「無所属の時間」がもたらした幸福な時間とはいえ、税関の通過の仕方から勉強しなければならなかった。まさに五十の手習いである。常夏のグアム。紺碧の空と透きとおる海そして多くの家族連れの観光客を前にして、しかし私には慙愧の念があった。もっと若い時に来ればよかった。確かに、会社での仕事があったし、お金もなかった。だが、今更グアムは私たちにとってはしんどい観光地だったような気がする。海で泳ぐ年令でもなく、買い物に夢中になれるわけでもない。仕事もお金もなくなればなくなったでどうにかなるものだ。しかし、時間だけはどうにもならない。もとにはもどらない。
 そのグアムに何冊かの本を持っていった。そのうちの一冊がリリー・フランキーの「東京タワー」だった。ちょうど帰りのグアムの空港で物語は終盤の感動的な場面を迎えていて、バカンス帰りの陽気な日本人の中で私だけがもしかしたら異質な感情の中にあったかもしれない。この本を今読んでいるのも今更なような気がするし、この本に書かれている家族の物語も全編今更ながらの物語なのだ。そもそもが親子の関係などは現在進行形でなく過去形でないと書けないものかもしれない。楽しそうにはしゃぐ観光客は、今この時間を楽しんでいる。そして、私は今更の感動物語を読んでいる。つれあいは疲れて居眠りをしている。
 今更(いまさら)。大辞泉によれば「もっと早ければともかく、今となっては遅すぎる、という意を表す。今ごろになって」とある。英語で書けば「too late now」となる。どちらかといえば後悔に近い感情だろう。しかし、今更という時間的なものを表現するという観点からみると、もっと違う側面が、それは表現する側にとって有効な手段であるが、読み取れる。この本の中の母の姿も父の行動も、今更だから描けているといえる。あまりにも近い距離が、その相手を描く時にじゃまになる。そういう空間的は障壁を時間をずらして表現することで解決する。機運が高まるとよくいうが、あれも一種の今更かもしれない。もし、今という時点でオカンのこと書いたとしても、ある種の母自慢に終わってしまうが、すべてが終わってしまった時点で書くことで読み手に感動をあたえる。
 しかし、それは表現方法として有効なだけで、生活の場面として今更と思うことはすべきではない。オカンがこの本を読むことがあれば、オカンとボクの関係はまったく密度の違うものになったにちがいない。やはり、人は今なにをすべきかをいかにわかるか、だ。グアムの空港で私はこの本を、それがいかにクライマックスであったとしても、読むべきではなかった。つれあいと海の美しさを語り合うべきだった。こう書いていることさえ、今更なのだが。

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紙の本

人の一生のうちでただ一度だけ起こること

2006/06/01 23:06

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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 だれでも一生に一冊、小説が書けるという。笑いや涙、感動や共感を誘う小説。誘わなくとも、読者の心の奥深いところ、情動にはたらきかける小説。ありのままの事実をただ書き連ねるだけでは、そのような小説は書けない。人生は小説ではない。ありのままの事実をありのままに書くことなど、並の力量ではできない。そもそも、ありのままの事実などどこにもない。ありふれた出来事などどこにもないように。ありのままの事実であれ、ありきたりの出来事であれ、それはそのような事実や出来事を生きる人の、当の事実や出来事に対する態度のうちにしかない。
 小説を書くということは、小説を書くという強い意識を伴う行為である。知らぬ間に小説を書いていた、などということはない。知らぬ間に書いた文章が、それを読む人の心の奥深いところ、情動に知らぬ間にはたらきかける、などということはもっとない。しかしそのあり得ないことが、人生に一度だけ起こる。それが書物として世に現れることは、もっともっと稀有なことだ。リリー・フランキーの『東京タワー』を読むということは、そのようなあり得ない稀有な出来事に遭遇することである。
 この人の文章はひどい。しかし、そのような文章でしか表現できない実質がある。というより、ある実質がそのような文体を強いている。この作品を、たとえば堀江敏幸の文体で読むと、読者はより深い文学的感銘を受けるかもしれないが、それはもう『東京タワー』ではない。当たり前の話だが。リリー・フランキーは、堀江敏幸とは異なる次元で、小説には「いま」しかないということを作品を通じて表現している。
 この作品には、ほんとうは相互に無関係な異なる複数の「いま」が、それぞれの「いま」に固有の感情と体感にくるまれて息づいている。だから、この作品はけっして回顧譚ではない。読者はほんとうはそのことに気づいている。だから、リリー・フランキーにとってのかけがえのない「いま」が、だれにとってもかけがえのない「いま」としての輝きをもって表現されていることに愛惜の涙を誘われるのである。人の一生のうちでただ一度だけ起こる表現の奇跡に立ちあえたことに、深い感銘を覚えるのである。

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