紙の本
戦時の東京での生活が描かれている希少なエッセイ
2007/01/08 00:09
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投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は吉村昭が第2次大戦に関する記憶を綴ったものである。終戦から62年も経たこの東京も戦争という悪夢の中に存在した都市であった。さすがに62年も経過するとあれほどの辛い経験をした人々も世代交代によって少なくなり、存命の人も記憶が薄れていくばかりである。
米軍機B−29による空襲の猛烈さは何回も聞かされたことがあるのだが、戦後世代にとっては実感が伴わない。空襲によって非戦闘員一般に犠牲者が多数出たわけだが、当時は処理出来ずに道端に黒焦げになった死体が遺棄されていた。今だったら、食事がまともに喉を通らないであろう。これがこの大都市東京で実際におきていた事実なのである。
かなり些細なことにも戦時特有の現象が出ていたようだ。空襲によって鉄道も相当の被害があり、戦後の買出し客で長距離であるにもかかわらず、列車は超満員であった。家の着物などと物々交換した上に得た食糧を、また超満員の列車に乗って東京まで運ぶわけである。要所要所で取締りが行われ、没収の憂き目にあう。
かと思うと、吉村少年(中学生)はそういうさなかに一人旅を敢行した。旅行許可証がなければ長距離のたびは禁止された時代だが、100キロ以内であればまだ自由であった。甲州でブドウを分けてもらって味わったり、一晩宿泊させてもらったり、人々の親切に触れたりで貴重な経験をしたようだ。
戦中の世相は空襲一色ではなく、それ以外の生活があったことは当然であるが、戦災だけが強調されるあまり、それ以外の生活はどうであったかについては、あまり知られていない。戦災以外は現在と変わらないものなのか、違うものならばどのように違うのか、戦争を知らない世代の好奇心はそれなりにある。
本書はそれに答えている希少なエッセイである。石鹸、タバコ、戦争と男女、進駐軍、蚊、虱、食べ物など、戦時生活のまとまった話が得られる書である。
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忘れてはいけないこと
2023/08/10 16:46
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
作家吉村昭さんは昭和2年(1927年)東京日暮里に生まれた。
生まれた頃から「事変」と称する戦争が続いていて、
昭和20年の敗戦まで戦争とともに生きてきたという。
ただ吉村さんは年齢が少し満たなかったおかげで入隊もせず、
疎開もせずに東京に残っていたという。
「日本人が過去に経験したことのない大戦争下の首都」で、
庶民はどのような生活を送っていたのかを書いておくことに意味があると綴ったのが、
この『東京の戦争』である。
2001年に刊行されている。
そのあと、2006年に吉村さんは亡くなっているから、
戦争の記憶としてこの一冊が残された意義は大きい。
「空襲のこと」「電車、列車のこと」「蚊、虱・・・」「戦争と男と女」
「人それぞれの戦い」「進駐軍」「父の納骨」など
16篇の回想記から成り立っているが、
その一篇一篇がまるで短編小説のような雰囲気だし、
実際ここに書かれた事実がいくつかの短編となって遺されてもいる。
吉村さんは戦時中に母を亡くし、終戦後間もなくして父も亡くしている。
23歳であった兄も戦争で亡くし、東京大空襲の際には多くの死体を目にしている。
それは吉村さん固有の経験というより、
当時の多くの日本人がそうであったといえる。
そんな中でも、普段と変わらない生活を多くの人たちが営んでいた光景も描かれる。
戦争がおわって78年。
誰もが忘れかけている時代だからこそ、
何度も読み続けていきたい。
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あの頃の思い出
2017/05/07 12:35
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投稿者:猫目太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の十代の思い出である「戦中の東京」。戦中の凄惨さは控えめで「あの頃吉村少年がどの様に過ごしたか」「戦時中の浅草」という、著者の思い出が語られる。年が明けるごとに戦況が悪化し、娯楽が少なくなる。生活水準の低下が、人間性に直接影響し、大人達の変貌が多感な吉村少年を恐怖させる。そんな中でも、ひとり旅や自転車等に乗れ、浅草に通い寄席や演劇を楽しむ。戦後直ぐに学校へ行ける余裕のある、恵まれた環境にあったいえる。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
作家であるために表現方法が詳しく戦争下にあった時代を赤裸々に語る事が出来る。庶民目線の戦争模様は貴重な一冊である。
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遠い特別な過去ではない
2022/07/11 15:52
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
吉村昭氏が戦中戦後の体験をつづったもの。単なる時代の描写にとどまらず、作家の視点と筆で、さまざまなこと(実像)を現代に生きる読者に伝えてくれる良書だ。
この本を読んで、「1945年±5年」という美術展を思い出した。8月15日前後で断ち切られたかのようなイメージのある戦中が現在と地続きであることを痛感させてくれる。
人間の欲や同調圧力、いい人も悪い人もいて、迷信にとらわれる人もいる。心も歪む。
戦争という悲劇の中に、現在と同じ多様な色相が見えてくる。
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20100901読了。当時の暮らしぶりや国民生活を知る事のできる資料的価値も高い読み物である。
物資が不足する事で民衆は混乱し、モラルも低下していく。
思春期から大人へと成長していく多感な時期を筆者は生きてその目に映る様々な出来事を端的に述べている。
大佛次郎氏の終戦日記のボリュームはないが、非常に読みやすくまたいろいろと考えさせられる一冊でした。
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「東京での戦争は、開戦から5ヶ月後の昭和17年4月18日の東京初空襲からはじまった」
その日、著者は凧揚げをしていて、通過する爆撃機の風防の中にオレンジ色のマフラーを巻いた2人のパイロットを目撃する。オレンジ色のマフラーとともに、機体に描かれた中国国旗の星印もしっかり見た。
本書の中では触れられてはいないが、「中国国旗の星印」を付けた米軍機による東京初空襲とは、真珠湾奇襲への報復として決死の計画で米側が決行した「ドーリットル空襲」作戦に違いない。映画『パールハーバー』で詳しく描かれたこの作戦は、未経験の航続距離を飛び決行後の帰還はかなわず、中国本土に不時着し保護を求めるという、冒険的報復作戦であった。
15歳の著者が目撃したのは、リメンバー・パールハーバーの最初の一撃であったのだ。
著者の語り口はいつもどおり淡々としている。カメラのように事実のみを冷厳に写し取っている。冒頭の目撃談にも、「凄いだろう」といった気負いはかけらもない。
「千人針」の空しさにいての記述にも、空しいとは一言も書いてない。出征する男の母や妻が、「お願いします」と一人ひとり声をかけ、頼まれた女性も必ず一針結び目をつける。その千個の結び目のついた白布を肌身に付けていると戦死しないと信じられていた。著者はその風習を淡々と記す。牛乳屋の店主のために妻が銭湯の前に立ってお願いする様子。著者の母が兄のために駅前に立って「お願いします」と声をかけていた様子。そして、牛乳屋の店主も兄も戦死したこと。全てが淡々と事実のみが写し取られている。
焼けた遺体も餓死者の遺体も、空襲の最中に露になった人の姿も、戦後の窮乏生活の中逞しいとだけはいえぬ人の姿も、すべてはクールなカメラ映像のように事実が記録され語られている。
「悲惨」とも「無残」とも語らない。「醜い」とも「憎い、悔しい」とも決して言葉にしない。
事実の重さだけでもって物語らせる。
その著者流の「重さ」をこの頃ひとしお感じる。ある偶然から、著者と亡父が同じ生まれ年であったことを知ってからかもしれない。
事実のみに語らせるのが著者のこだわりであったとするならば、昔話は一切固く口にしないというのが亡父のこだわりだった。亡父も著者も、同じ時期、同じように東京の町工場と一体の家に暮らしていた。著者の体験を読むとき、亡父の「語らなかった」昔話を盗み聞きするような気になる。そして、淡々とした語り口から伝わる「事実」を思い知り、「語る気になれなかった」父の心情に思い至る。私自身もいつも黙り込んでしまう。
「大戦下の首都で日々をすごした人間は限られていて、その庶民生活を書き残すのも、一つの意味があるのではないか」
と著者は言う。
その著者も昨年亡くなられた。
だが数多くの事実が、著者により書き残されていることは、救いである。
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図書館で借りました。読んで良かったです。
印象的だったのはドキュメンタリー報道でインタビューを受けている人の話と吉村氏の戦争の記憶が異なっていたと言う辺りでした。もちろん、どちらも正しいと言うこともあるかとは思いますが人間の記憶と言うものはあてにならないものだなと改めて教えてもらったような気がします。
周囲の影響やお話や報道によりだんだん染まってしまい自分の記憶が改ざんされてしまうこともあるんだなあと思いました。やはりニュースソースは複数から出来れば違った目線で物事をとらえたものを確保する必要があるな、と。
今はネットでちょっとニュースなどを見てそれで終わりにしてしまっておりますがそれではイカンなあと自戒を込めて。
空襲の後、亡くなられた人たちを埋葬した受刑者の話も初めて知りました。今度そちらの小説も読んでみようと思います。
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回想文学の傑作。淡々とした筆致が当時の情景を写実的に描いているようで、何かぼんやりとしているところに惹かれる
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吉村昭が自らの戦争体験について語っている本。この時代に生まれた作家にとって、根底にあるのはこうした戦争の体験であることを再認識できる。
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昭和2年生まれの著者が下町で見た戦争下の生活。時刻どおり運行する市電、しかし悲惨な車両。山梨に八王子から乗り継いでぶどうを一人で採りに行った思い出。空襲下で感じていたこと。病気の母を亡くし、電報を駅長に見せて切符を無理矢理売ってもらった話。墓場で見た出征による別れを惜しむ若い男女の逢い引き(セックス)シーン。食糧事情・・・。戦争をこのように日常生活の観点から書いた本は新鮮でしたが、段々このようなことを書くことが出来る作家は減っていくと思うと、貴重な体験談です。
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昭和20年、日本の都市は、アメリカの無差別爆撃にさらされた。一説にはその爆撃で、50万人の日本人が死亡した。大東亜戦争の日本の死者300万人の、1/6である。
マリアナを失陥した時点で、戦争の帰趨は決まった。
日本は、すべてを投げうって、その時点で降伏すべきであった。そうすれば、多くの日本人が死なぬに済んだ。
戦争を始めるのは難しいが、終わらせるのはさらに難しい。教訓とすべきである。
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作家・吉村昭氏が自らの戦時下での生活を淡々と語る。
吉村少年が見た町の様子、人々の様子。
通った寄席のこと、兄弟たちのことなど。
淡々と日々は過ぎていく。
だけど、その隣に空襲や兄の戦死がある。
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戦時戦後の人々の様子がわかる。作者は比較的裕福な家庭だったからか本人の性格もあるのか戦争というものにをどこか達観しているように思う。それは彼の兄弟、親が次々に亡くなっていき死が生きるなかで自然なこととして受け入れていたからなのだろうか。
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終戦を兵士としてではなく、かといって幼子としてでもなく、出征間際の年齢で迎えた著者の回想録である。
「生れついてから××事変と称する戦争がほとんど切れ間なくつづき、遂には「大東亜戦争」と称されたあの戦争に一個の人間として直接接したことが珍しい経験なのかも知れぬ、と思うようになったのである」
とあるように、著者の一歳年上の男子は徴兵され東京を離れていたし、小学生であれば学童疎開でやはり東京を離れていた。東京で生まれ育ち、東京で終戦を迎え、戦後も東京で暮らした庶民の生活というのはなかなか貴重であろうという話である。
本書には戦中戦後の明日をも知れぬ日々の中にたくましく生きる姿がある。もちろん東京大空襲もある。
「私は、防空壕の中で耳を塞ぎ突っ伏していたが、爆弾が頭上に迫ってくる音は、貨物列車が機関車を先頭に落下してくるのに似たすさまじい大轟音で、体が瞬時に飛散するような激しい恐怖におそわれた。爆弾が落ちると、体は大きくはずんだ」
そこらじゅうに死体が転がる異様さの中にあっても、少年が懸命に日々を生きる様子がそこにある。
苦しいことも多く、両親を始め兄弟も次々と他界する。だがどうしてか、悲壮感はさほどない。60年後の回想録だからだろうか、かなりニュートラルな描写である。その淡々とした筆致が、むしろ生々しく戦時中の暮らしを浮かび上がらせる。
大混雑する列車や、地方への買出しなどの風景は他の本でもよく見られるものであるが、それでも人それぞれに見てきた光景は異なるわけで、また一つ「新しい戦争」を垣間見ることができた。