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紙の本
源義経の合戦と戦略 その伝説と実像 (角川選書)
著者 菱沼 一憲 (著)
義経伝説は「時代に翻弄された悲劇のヒーロー」という日本人好みの物語として、種々肉付けされてきた。「平家物語」諸本や「吾妻鏡」、公家の日記から合戦経過を克明に辿り、義経伝説...
源義経の合戦と戦略 その伝説と実像 (角川選書)
源義経の合戦と戦略 その伝説と実像
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商品説明
義経伝説は「時代に翻弄された悲劇のヒーロー」という日本人好みの物語として、種々肉付けされてきた。「平家物語」諸本や「吾妻鏡」、公家の日記から合戦経過を克明に辿り、義経伝説を徹底解明。その戦略を浮き彫りにする。【「TRC MARC」の商品解説】
〈目次〉
はじめに─組み立て方─
第一章 義経の時代と生い立ち
一 義経の時代
義経の生きた時代/『平家物語』について/『吾妻鏡』について/古文書・日記類他について
二 義経の生い立ち
武家の棟梁/義経の生い立ち
第二章 挙兵から一ノ谷の合戦まで
一 頼朝の挙兵と義経
頼朝の挙兵/黄瀬川での再会
二 京・鎌倉政権の交渉
木曾義仲の挙兵/義仲軍の上洛と平家の都落ち/義仲の上洛と洛中狼藉/後白河院と頼朝の交渉─さぐり合い─/後白河院と頼朝の交渉─威嚇─
三 義経上洛
義経の最初の仕事/上洛前夜/攻撃の開始/頼朝軍入洛の戦略
四 一ノ谷の合戦
平家追討と安徳天皇の安全/一ノ谷の合戦への途/一ノ谷の合戦への視角/『玉葉』二月八日条の語る合戦/なぜ「一ノ谷」の合戦か/戦争劇/「一ノ谷の合戦/「鵯越の逆落とし」の罪/再考「一ノ谷の合戦」/湊川の合戦の場合/「鵯越の逆落とし」の解明/山の手を攻略したのは誰か/平家の人々の退路の不審/平家と摂津・播磨/搦手義経軍の進軍ルート
第三章 在京期
一 頼朝在京代官として
在京期の活動の評価/在京頼朝代官の課題/武士狼藉について
二 頼朝在京代官の職務
一ノ谷の合戦後の配置/守護人・惣追補使の展開/在京代官義経と平家追討/洛中守護/大義と現実/武士狼藉停止問題/義経の武士狼藉停止作業─摂津国垂水牧─/義経の武士狼藉停止作業─紀伊守護人豊島有経─/頼朝の政治方針と義経の命題/畿内近国以西への守護人の配置/義経の直轄国
三 自由任官問題
没落への布石/従来の説/『吾妻鏡』の説/自由任官問題への疑問/検非違使任官の真実/後白河院陰謀説について
第四章 西海の戦陣
一 屋島の合戦
屋島の合戦の概観/範頼主力部隊の出陣/範頼軍の九州上陸/義経再出陣の事情/義経の再出陣と朝廷側の対応/義経の出陣準備/義経の阿波渡海について/阿波の反平家勢力/阿波国津田島と海運/阿波民部大夫成良/住吉神社の鏑鳴り/逆櫓談義/梶原景時の動向/屋島の合戦の総括
二 壇ノ浦の合戦
壇ノ浦の合戦への準備/義経軍と範頼軍/熊野水軍の動向/義経の熊野勢力の取り込み/弁慶と伝承世界/熊野と弁慶/壇ノ浦の合戦の概要/『平家物語』の壇ノ浦の合戦/周防国大島津から壇ノ浦へ/長門国の動向/潮流の問題/義経軍勝利の要因
三 論功行賞をめぐる義経の蹉跌
戦後処理/京都と鎌倉の評価の違い/義経の自尊/頼朝軍の事情/腰越状的理解への疑問/論功行賞をめぐって/鎌倉幕府成立史における義経の位置づけ
結びにかえて
あとがき【商品解説】
著者紹介
菱沼 一憲
- 略歴
- 〈菱沼一憲〉1966年福島県生まれ。国学院大学大学院文学研究科日本史専攻修士課程修了。国立歴史民俗博物館科研協力員。
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電子書籍
指揮官としての義経、代官としての義経
2021/08/20 13:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
義経の軍事面での働きに対して従来の奇襲逸話ではなく指揮官として王道の戦略をとっていた義経の姿がよくわかる。一ノ谷では搦手の大将として大軍を率い(鵯越を攻めたのは多田行綱)屋島では四国の反平家勢力と連携を取っていたことを述べている。政治面では義経が京都の治安を回復させて優秀な代官として評価されたこと義経は政治センスがなく勝手に任官したのが頼朝の逆鱗に触れたという吾妻鏡のみの評価を覆し、検非違使任官後も義経の平家追討の権限は変わってないことから任官は頼朝も認めていたことを論証されている。平家滅亡後の頼朝との対立は手柄を取られた範頼配下の御家人たちと義経が率いた西国武士との恩賞をめぐる対立で頼朝は関東御家人の側に立たざるを得なかったことがわかった。今までの義経に対する見方がガラッと変わって面白い。
紙の本
当時の史料から義経の軍事的・政治的足跡を解明!今までに類を見ない斬新な義経像が打ち出されている。
2005/06/14 23:21
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
義経と言えば、意表を衝いた奇策を編み出し、少数の兵力で敵の大軍を打ち負かす軍事的な天才として描かれて来た。著者は、本書の中で合戦の経過を当時の史料から克明に辿ることにより、通説的な見方とは異なる義経像を展開している。
例えば、一の谷合戦は、義経が少数の騎馬武者を率いて急峻な「ひよどり越え」を駆け下り平家軍を打ち破ったことになっているが、実際は、義経は大軍を率いて敵軍の背後を大きく回り込むかたちで丹波路を抜け一の谷の沿岸部に出て、そこから平家軍を西側から攻撃するという正統的な戦術を取ったのではないかとしている。
一方、「ひよどり越え」にイメージされる山の手からの攻撃は、義経軍と途中で分かれた別の武士が少人数の別働隊を率いて行なったのではないかという興味深い見解を打ち出している。
また、屋島の合戦も通説では、義経の「独断専行」に関東武士の間に不満が高まり付き随う兵が僅かしかいなかったので、嵐の中を少人数で四国に渡海し、得意の騎馬戦術で平家軍を奇襲して打ち破ったことになっているが、著者は、このような合戦像は鎌倉方の都合の良いように後から脚色されたのではないかとしている。
著者は、当時の反平家方の勢力分析から、実際は、義経は時間をかけて四国東岸の勢力と連絡を取り合い綿密な作戦を練っていたとし、嵐の中をあえて渡海したのも、それら海上運送のプロたちの判断と航海術があってからこそ成功したとしている。
以上の著者の分析によると、義経は天才的な閃きで一気にことを決する果敢な武将というよりも、事前に作戦を練り充分な成算をもって戦に臨んだ合理的な武将ということになる。
本書の中では、合戦と並んで、義経の政治面にも重点を置いて検討が加えられている。
義経は、木曾義仲を討って後、兄頼朝の代官として一年間京の治安維持に当たったが、義仲のように粗暴な振る舞いで周囲の反感を買うようなこともなく、それどころか後白河院を初めてとして多くの京の人々から治安維持の実績を評価され信頼されていたと言われている。
これまで、頼朝贔屓の歴史家や作家から、義経は戦には長けていたかもしれないが、政治的なセンスは零に等しいなどと酷評されて来たが、もしそうであるなら、海千山千の都人からあれほどの好意は抱かれなかったのではないか。やはり、義経には相応の政治的なセンスと立ち振る舞いの良さがあったのではないかと著者は指摘している。
著者は、最終章で、義経が何故、悲惨な末路を辿らなくてはならなかったという疑問に次のように鮮やかに答えている。
頼朝が打ち立てた鎌倉武家政権内部には、当初から二つの相容れない派閥があったという。一つの流れは、朝廷と友好関係を結び政権をバランス良く運営して行こうとする親京都派、もう一つの流れは、朝廷の関与を排して関東に独立政権を築くことを目指す関東独立派。両者の派閥抗争は熾烈なものがあり、前者の流れに属する義経は真っ先にそのあおりを受けるかたちで排斥されたとしている。それは、親京都派であった二代将軍・三代将軍及び源氏の血縁者が関東独立派によって後に次々と殺害されていることからも証明されるという。
本書には、これまで見てきたように類書では見られない一歩踏み込んだ斬新な義経像が打ち出され、この時期の歴史研究に一石を投じている。
斬新な見解故に、個々の点では異論無きにしもあらずだが、義経の政治面の分析には傾聴すべきところがあるように思われる。通説に果敢に挑んだ力作と評したい。