「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
紙の本
西條八十 (中公叢書)
著者 筒井 清忠 (著)
【山本七平賞特別賞(第14回)】【日本児童文学学会特別賞(第29回)】【読売文学賞評論・伝記賞(第57回)】作詞家として活躍しただけでなく、詩人・フランス文学者としても大...
西條八十 (中公叢書)
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
【山本七平賞特別賞(第14回)】【日本児童文学学会特別賞(第29回)】【読売文学賞評論・伝記賞(第57回)】作詞家として活躍しただけでなく、詩人・フランス文学者としても大きな足跡を残し、大衆に「詩」を与えた男、西條八十。昭和文化史に多大な影響を与えた「忘れられた巨人」の生涯を精緻に描く初めての本格的評伝。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
筒井 清忠
- 略歴
- 〈筒井清忠〉1948年大分県生まれ。京都大学文学部卒業。京都大学教授等を経て、現在、帝京平成大学教授。日本文化論・歴史社会学専攻。著書に「石橋湛山」「日本型「教養」の運命」など。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
踊り踊るならチョイト東京音頭ヨイヨイ
2005/12/25 16:28
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:桑畑三十郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
西条八十のことはよく知らなくても、東京音頭は誰でも聞いたことがあるだろうし、少し前の映画「人間の証明」では、「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?」が有名になった。
若かりし頃の八十は、家の財産を持ち逃げした実の兄のもとへ、「自分は未成年者であるから兄を殺しても死刑はまぬがれるだろう。しかし刑は長くかかりそうだから母や妹のことはくれぐれも頼む」と、本気で殺す覚悟で乗り込んだり、結婚直後に突然天ぷら屋を始めたり、株で大損したりと、人間味あふれるエピソードをたくさん残している。
昭和8年に東京音頭が発表されると、毎晩八十の家の裏の空き地で音頭が流れ、自分で作ったものだから「うるさいから、早くやめて」と言うわけにもいかなかったというのも笑える。
第二次大戦前後に作った軍歌は、外地で戦う兵士の間でよく歌われ、慰めになったとか。しかし八十は決して軍国主義だったわけではない。むしろ検閲ぎりぎりで反戦の歌を作っていたことが本書を読むとよくわかる。そして戦後「青い山脈」の大ヒットへとつながっていく。かくして大衆に愛された八十だったが、それゆえ嫉妬され大学の職を追われたりもする。
本書は事実を淡々と書いているだけなのに、当時の歌謡曲がいかに時代に大きな影響をあたえていたかがよくわかり、読んでいくとまるで八十と同時代を体験しているようでとても感動した。人を感動させるのによけいな修飾語はいらないのだ。
八十をよく知らなかった私が読んでおもしろかったのだから、戦後「青い山脈」を口ずさんだ人は読んでおもしろいこと間違いない。
紙の本
口ずさむべき共有の詩。という財産。
2005/08/08 22:13
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現代詩という袋小路に唄われていた詩たち。
たとえば、1999年に出版された岡井隆著「詩歌の近代」に
「口ずさむべき共有の詩の財産を持たぬまま、田村隆一のように、北原白秋作、山田耕作作曲の『砂山』の三番『かえろかえろよ/グミ原わけて』を唄いながら、深酒のあと深夜のアパートの階段を昇って行くほかないのであろうか。・・」と書いておりました。
さて、この本で、私たちは「口ずさむべき共有の詩の財産」の在りかを教えられることになります。身近にありながら評価をしてこなかった詩がここにあります。
この本から一つだけ引用したいと思います。
「衆議院議員の辻政信は、ソ連を訪問した時、ソ連側は『みんな、民族の歌』を歌うのに、同行の社会党・共産党の議員団は『佐渡おけさや越後獅子』を歌うという『ぶざまな、醜態を、いたるところで演じた』と批評する。日本には『新日本の使命と、明るい希望を歌った歌がない』ため『社会党や共産党の連中が、ソ連に行ってまで越後獅子や佐渡おけさを、歌わざるを得ないことに、淋しさを感じました』というのである。」
この辻政信の文は1956年に出ておりました。
そう、辻政信の言葉から49年後に、はじめて
『ぶざまな、醜態・・』を丁寧にすくい上げて一冊の名著を筒井清忠氏が書くことになります。
この名著を読んでから、どれくらいたったでしょう。
私はW・H・オーデンという詩人の言葉が思い浮かびました。
「夕方、この百姓はトランプをやり、詩人は詩を書くかもしれない。しかしそこには、彼らふたりが賛成しているひとつの政治的原則がある。すなわち、名誉を重んじる人間が、必要とあらば、そのために死ぬ心構えをしていなければならない半ダースあまりのもののうちで、遊ぶ権利、とるに足りないことをする権利は、決して小さな権利ではないということである。」
現代詩のなかで、ひと昔前の流行歌「越後獅子」を歌う権利。
その作詞は西條八十なのです。
この叢書は、その『ぶざまな、醜態・・』呼ばわりされた詩人・作詞家の人生を泥を落とすように丁寧に取り上げた本であります。
最後には著者「あとがき」の心踊りを紹介しておきましょう。
「大正・昭和という時代を生きた日本人は、階層も年齢も性別も問わず、『西條八十』の歌を口ずさみながら生きてきたといってもよいのである。その影響力において西條八十に匹敵しうる者は誰もなく、近現代日本人の抒情性はまぎれもなくこの人によって形作られたのである。・・・よくぞこれだけの巨人の研究が手つかずに残されていてくれた。これも【蔑まれた】のおかげだというような奇妙な気持ちにすらとらわれてきたものである。」
現代詩の袋小路は、こうして無暗にさげすまれてきた歌謡曲によってあらたな展開をもたらすかもしれない。という思いが私の中で確信にかわるという(きっとあなたの中でも)、そんな本であります。