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商品説明
【読売文学賞小説賞(第57回)】ためらいつづけることの、なんという贅沢…。セーヌ河に浮かぶ船を仮寓とし、行方も知れず漂う「彼」の日々。停滞と逡巡のゆたかさを伝える魅惑的長篇。『新潮』連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
堀江 敏幸
- 略歴
- 〈堀江敏幸〉1964年岐阜県生まれ。明治大学教授。「熊の敷石」で芥川賞、「おぱらばん」で三島由紀夫賞、「スタンス・ドット」で川端康成賞受賞。ほかに「子午線を求めて」「書かれる手」など。
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紙の本
自己の内部の時間に身を任せて生きる日々の重み
2005/09/26 12:35
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:とみきち - この投稿者のレビュー一覧を見る
のっけから『いつか王子駅で』の再来かと思うような堀江節。息の長い文章といい、唐突な状況説明といい、段落の終わりにふと配された言葉をきっかけに、まったく別の時間に起きたストーリーが展開する構造といい。
「あれもこれも、ぜんぶ好きに使ってくれたまえ」と持ち主に言われて、フランスのとある河岸に停泊中の船に暮らすことになる主人公「彼」は、「河岸でぼんやり日を忘れるという自身が課した仕事」を淡々と重ねていく。それは、物理的な時間の流れに支配されず、自分の内面の時間に身を任せて生きる日々である。
船に移り住む数日前に購入した文庫本、ブッツァーティ作の『K』。中に描かれる化け物みたいな鮫「K」と、つきまとう「K」の意図を誤解した末に生涯を閉じるステファノ少年の影は、彼の心に住み着き、生活の一部となる。その作品だけでなく他の書物の一節や、自身の遠い過去、近い過去へと意識は自在に往来し、そのときどきの内省が綴られていく。これもまた、『いつか王子駅で』の手法と同じである。
自己の内部の時間に身を任せて暮らしていても、その内省の日々はときに、極めて日常的な事柄によって均衡を破られ、物理的な区切りをつけられる。トナー切れを示すファクスの赤ランプの点滅や、自転車でやってくる郵便配達夫、フランス滞在資格取得の手続き等である。出来事とは言えないほどの出来事が、彼にとっては一つの事件である。
忘日の日々はそもそも、自身の人生に「踊り場」を意識的に設けるものである。河の向こう岸に踏み出すまでの「ためらい」の時間をつくり出し、自分をそこに押し込める。迷いながら漂い続ける彼の立ち位置を、ファクスでのやりとりを通じて理解を示し、相対化する役目の人物、日本にいる枕木さんという年長の友人もまた、次に踏み出す一歩に迷っている存在だ。
人生の機微をあらわすために選び抜かれた言葉の数々に触れるたび、作家がその言葉を選んだときの気持ちを思う。「命の芯」「並列型と直列型」「まっとうさ」「生活臭」「適切に沈む」等々。言葉が言葉を呼び、比喩が連想を呼ぶ。人間が言葉を使って考え、感じて生きる生き物であることを、しみじみと思う。そして、「踊り場」を自らつくり出すのは、次の一歩を踏み出すことよりも、大きな勇気と決断を伴う作業なのではないか、と思う。静かに心にしみ入る小説である。
紙の本
いつまでも向き合っていたい小説
2005/08/25 16:32
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:pipi姫 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「いつまでもこの本と向き合っていたい」と思わせる馥郁たる香りの漂う小説だ。それは、贅を尽くした重厚で落ち着いた調度が安らぎを与えてくれるホテルのラウンジで、軽い酔いにうっとりしながら「いつまでも語り合っていたい」と思わせる心許せる人と飲む、そのような贅沢な時間と同じ。
ストーリーなどはない、エッセイのような小説。登場する人物たちはたった数人だけれど、とてつもなく魅力的だ。
フランスはセーヌ河上流に繋留された船に住む日本人青年が高等遊民の生活を続けていく様子が三人称で語られる。彼の思考のたゆたう先を読者もともに味わう作品だ。声高でない「イラク戦争」への批判が底を流れる。
主人公の「彼」はほんの目の前にある対岸に渡ることを潔しとしない。すぐ近くなのに彼にとって対岸は遠い岸辺だ。それは「彼」と他者との距離でもある。
もう一人の重要人物は、「彼」にその船を貸している年老いた大家。偶然の道行きから主人公が異国で知り合った実業家だ。大家は病院に入院したまま、死の日を待っている。まもなく死ぬというのに異様にエネルギッシュで口の減らないこの病人は、まるで映画「みなさん、さようなら」の主人公みたいだ。大家の口にのぼる処世訓は、一代で財を成した事業家の豪快さやウィットがけれん味なく発揮されて小気味よい。
もう一人の客人は、西アフリカ出身の郵便配達人。いつのまにかすっかり知己となった郵便配達人は「彼」の数少ない友人の一人だ。いつもゆっくりとコーヒーを飲んで行く。郵便とはすなわち外界とのコンタクト。「外」を「彼」に運んでくる人が西アフリカ出身の長い足の持ち主というのも素敵だ。
そして最後に主人公「彼」の友人、枕木という男。枕木が日本からフランスの動かない船宛にファクスをたびたび送ってくる。メールでやりとりすればいいものを、彼らはファクス通信で繋がっているのだ。その枕木さんからのファクスがまた会社勤め人間のやるせなさを感じさせてどこか切ない。
本書にはさまざまな古い本——ミステリーであったり寓話であったり——がふんだんに引用されていて、それがまた興味をそそる。引用される物語じたいがおもしろいと同時に、何度も「彼」のなかで反芻されてこの小説の大きなモチーフの一織をなす。
異国に暮らす孤独な「ためらいの人」の主人公は作家が生んだ、現代社会へのアンチテーゼだ。このような知性のありかたを好ましく思ういっぽう、その「踏み出せない」彼岸への一歩を「彼」はどのように運ぶのだろう、と不安を感じもする。何の起伏もなく淡々と綴られるかのような小説だけれど、きちんと起承転結、いや、起と結はある。
その「結」に一風の爽やかさを感じるのはわたしだけではあるまい。
とぎれのない上品で知的な文体は全編アフォリズムにあふれていて、どこからでも引用可能なほど、深い人間洞察に満ちている。
作家とともにゆったりとした思考の時間を分かち合いたいなら、この小説はお奨め。ぜひ熱い珈琲を飲みながらどうぞ。クレープも添えて。
紙の本
作者とうまく繋がれるかどうか、そこのところが大変難しい書物
2005/05/02 22:43
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は小説という形を借りて作家がウダウダ言っているだけの作品である──などと書くと言い過ぎの感もあるが、有体に言えばそういうことになる。ただ、問題はそれで終わりかどうかである。
この本を1冊読み終わってみて「なんだこりゃ?ウダウダ言ってるだけじゃないか」という感想しか持てなかった人は、恐らくこの本を読むべきではなかった人だ。「読み終わってからそんなことを言われても困る」と言われても、実際そうなのだから仕方がない。
おっそろしく退屈な小説である。あらすじを書けと言われたら恐らく3行、丁寧に書いても多分5行もあれば充分だろう。ストーリーらしきものは存在感が薄く、ほとんど何も起こらない。主人公の内省が内容の大半である。舞台がフランスであることが、それに輪をかけてとっつきの悪い書物にしている。
登場人物はと言えば、主人公である「彼」と、彼に住居として船を貸している「大家」、そして日本から「彼」とファックスのやりとりをしている「枕木さん」、彼の船に郵便物を届ける配達夫──これでほとんど全て。あとは端的に言って脇役である。
フランスのどこかの川に浮かぶ動かない船の中で主人公がいろいろと考える。本を読む──『K』という短編集、チェーホフ、その他もろもろ。そして考える。音楽を聴く──最初から船にあったレコード、河岸で誰かが叩く太鼓。そして考える。郵便配達夫とコーヒーを飲みながら会話する。そして考える。枕木さんとの会話を思い出したり、ファックスでやりとりをしたりする。そして考える。船を貸してくれているフランス人の老人を見舞う、会話する、考える。
「考える」とありきたりに書いているが、その内容は(それこそがこの小説の肝にあたるので、ここではあえて具体的には記さないが)とても深い。人生を考えることになる。意味を探ることになる。あたりまえのことを見直すことになる。おっそろしく内省的な小説である。
私はこの本を読み終わって「良かった」と思った。「ウダウダ言ってるだけじゃないか」では終わらなかった。幸いである。ただ、それは「この本を読んで良かった」という感慨ではなく、「この本を読み終わってちゃんと得るところがある自分であって良かった」という感慨のような気もする。その違いをお解りいただけるだろうか?
この本を面白いと思う人間が偉くて思わない人間がダメだと言うのでは決してない。ただ、作者とうまく繋がれるかどうか、そこのところが大変難しい書物であるような気がする。
by yama-a 賢い言葉のWeb