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商品説明
【小説すばる新人賞(第17回)】ある日届いた「となり町」との戦争の知らせ。僕は町役場から敵地偵察を任ぜられた。だが音も光も気配も感じられず、戦時下の実感を持てないまま。それでも戦争は着実に進んでいた…。第17回小説すばる新人賞受賞作。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
三崎 亜記
- 略歴
- 〈三崎亜記〉1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部史学科卒業。
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紙の本
悲しくなるほど現代人の想像力の欠如を描ききっている
2005/04/30 05:43
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
とても悲しい。なのに考えずにはいられない。奥深い小説であり、読む者の心に波紋を巻き起こす。これほど一読をお薦めしたい作品も近年珍しい。
いつもどおりの日常。そう、何も変わらない生活なのに、戦争が起こったという。それも、隣り町との戦争。
しかし、どこにも戦争の影響はない。どこにも戦争の気配はない。なのに、広報には戦死者の人数が記載される。
不思議な小説である。不思議な展開である。戦争が起こったというのに、どこにも戦争など起こっていない。そして、日々の暮らしが何の変化もなく続けられる。
変わったことと言えば、役所からの偵察業務の任命通知。この展開さえ何が起こったのか、通知を受けた者にさえわからない。
ああ、人間の無感覚をこれほど揶揄的に描ききる小説があらわれるなんて…。あまりにも悲しい。
イラク戦争の惨劇をニュースの報道で見ても、人の死を実感として感じられない日本人。邦人が殺害された時だけ、人の死の実感を伝えようとするジャーナリズム。戦争で人が殺される想像力や痛みを失った現代人。
この小説は、そんな社会批判を具体的にしているわけではない。なのに人が無感覚になった時の頂点を描ききっている。そこにこの小説の悲しさとリアルさがある。
リアルな戦争はどこにも描かれていない。なのに、社会の、人の、現代のリアルな現実を描いている。
役所が、戦争も土木工事も、同じ業務の一環としてたんたんと遂行するさまの描写は、今日の政治・行政への痛烈な批判を含んでいる。そして、職務を遂行するだけが仕事と考える役人の無思考の愚かさが悲しい。そんな役人ばかりではないが…。
今の現象をこれほどリアルに描いた小説は珍しく、悲しいほどに評価したい。
しかし、偽装結婚をした役所の女性が、偽装結婚相手と業務としてセックスをするという設定には納得できない。いくらなんでも、それほど人間を悲しいものとは思いたくはない。
最終章で、「逢いたい」という男性の言葉に駆けつけた女性に安堵した。しかし、それもつかの間…。
新鮮な小説であり、一読をお薦めするが、人を愚かに描きすぎている点があることを指摘しておきたい。
紙の本
100%架空の世界であり、想像すれば滑稽な世界なのだがそこに底のない暗さと恐怖を感じてしまうのがこの本である。
2005/07/06 13:15
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:エルフ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある日突然町の広報で「となり町との戦争」が始まることを知った主人公の僕こと北原修路。
そもそも彼が今住んでいる舞坂町は通勤に便利だから選んだだけで町の事も知らず、また知人すらいない。
しかも開戦を迎えた後も今までと変わらず日常を過ごしていた僕は次の広報で「戦死者12人」という文字に目を奪われてしまう。
自分の気付かぬうちにとなり町との戦争は確実に始まり、今もどこかで戦闘が行われているのである、目には見えぬどこかで・・・。
そんな僕の元へも「戦争」が形あるものとして表れたのは役場から「戦時特別偵察業務」の任命を受け、役場の女性・香西さんと擬似結婚までしてとなり町へスパイ業務をすることになった日から・・・。
姿の見えぬ敵、自分の知らぬ場所で行われている戦闘、増える戦死者。そして突然の終戦。
この本が一番他の作品と違っているのは暴力や戦闘の生々しい場面がひとつもないところである。
それなのに「となり町との戦争」が行われていることを読者は肌に感じ怖さを覚える。
それは日常の延長として戦争が始まり、そして戦う意味も分からぬままにその中へと巻き込まれていく恐怖であり、そのことを疑問に思わぬ人々の無関心さの恐怖でもある。
もし私の元にある日同じような広報が届いたとしたら?
きっと眉だけしかめて何事もなかったようにゴミ箱へ捨ててしまうかもしれない。
あるいはこの本の町民と同じく自分の日常への利害にだけ目を向けてしまうであろう。
それはテレビのブラウン管の向こうの世界と同じで電源を切れば忘れてしまう。つまり目の前で起きてない出来事や自分と親しい人に関わりのない出来事は全て右から左へ流れる情報の一部でしかないからである。
この本には全くリアルさはない。それなのに主人公の僕が感じることが妙に生々しく読者の中に滑り込んでくる。
静まり返った森の中、スパイ行動中に一度だけ味わう身の危険、そして最後に唯一聞いた鉄砲の音。
100%架空の世界であり、想像すれば滑稽な世界なのだがそこに底のない暗さと恐怖を感じてしまうのがこの本から受ける印象だ。
今までにない不思議な感覚の一冊。
紙の本
事業の一つとして
2006/12/14 00:24
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の中の「戦争」という単語を、別の単語、例えば町合併事業に置き換えたとしてもお話が成立してしまうかもしれない。
地方自治体が対立解消手段として、あるいは公共事業として、交戦権を行使する世界。主人公である僕のもとに、となり町との戦争のお知らせが届く。そして僕は、となり町を通って通勤しているという理由により偵察要員に選ばれる。こうして戦争に参加することになった僕であるが、最後の最後まで、彼は戦争の影しか見ることができない。彼が戦争を感じるのは、広報誌に掲載された戦死者数と、役場の担当者である香西さんからの情報のみ。
読み手にとっても、この戦争の存在感が希薄に感じられるのは、何のために戦争を行っているのかがまったく見えないせいかも知れない。業務として、淡々と処理をする香西さん。慣例に従って、全てを外部委託して自分たちでは何も分かっていないのに、生死の判断だけはしながら戦争を遂行する。
これは、お役所仕事に対する痛烈な批判であるとともに、そういうものに黙って従って生きている人々への批判をこめたお話なのかもしれないと思った。
紙の本
リアリティを感じないというリアル
2005/04/28 23:23
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:森山達矢 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読後、表紙を見ながら余韻に浸った。この四半期のなかで最高の一冊である。
この本のテーマは、現実に対してリアルさがないというリアル、である。
すべてのことに対する手ごたえのなさ、実感の無さ、そうしたリアリティの喪失というリアルを追求したものだと思う。
死や人を殺すことが抽象的になればなるほど、生きる実感はますますとらえどころがなくなる。そして、生きる実感が抽象的になればなるほど、死や人を殺すことが実感の無いものとなっていく。
こうしたことの背景として、筆者は、非人格システム(小説では町の行政機関)を挙げている。町の行政機関のエージェントである香西さんは、そこにいるけどそこにいないような感じがするし、人が死ぬという状況においても、行政機関の計らいによって、主人公はそうした状況から周到に隔離され、現実に人が死ぬという場面には遭遇しないのである。
このような抽象システムによって創られる現実のなかでの、リアルさの無いリアリティ。日常と非日常との境界線が、無くなりつつあること。戦争の日常化と日常の戦争化。こうしたなかで、僕らの現実に対する感覚はだんだんと麻痺し始める。僕らは、戦争を考えないようにし、僕らの身の回りから戦争というものを排除しているというわけではない。もしかしたら、戦争は僕らの日常にすでに組み込まれているのではないか。
この不気味な状況をみごとに表現していると思う。
紙の本
舞台化されるべき!!
2006/10/20 02:38
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あんず - この投稿者のレビュー一覧を見る
となり町との戦争、ありえるわけがない。
そんな設定だった。
そのままいってほしかったが、
多くの読者がいう、後半の失速は否めない。
でも、
この、ありえない話に、多くの人が立ち止まって
読み進めてしまった。
あなたも本屋で見つけたら、
数ページ立ち読みしてみるといい。
ありえない話「となり町戦争」
でも、映画になったら、今度観てみようと思っている。
舞台にも向いていると思う。
香西さんを誰がやるか。。。
となり町との戦争はないかもしれない。
でも、となりの国との戦争は?
ありえない話。
ほんとの話杉並区の「広報すぎなみ」では
テロ対策を特集を組んで宣伝していました。
「区民の安全・安心を守るために」
危機管理対策課
これほんとの話。
まずは、読むべし!
紙の本
戦争認識を問うだけにとどまらない作品
2005/01/18 17:26
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:権大納言 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある日、広報で知ることになる「となり町」との戦争。文章は回覧板で見ることができるような内容を戦争に置き換えたようなもの。
しかし、そこには戦争でイメージできるドンパチやケガ人などの生々しい描写は一切描かれない。報道で人が何人死んだという記述だけがされていく。主人公も偵察などをするのだが、それらしい気配はない。本当に戦争を行なっているのだろうか…という思いにさせられながら読み進めることになる。
この小説では「戦争」と「地域生活」がキーワードのような気がした。
まず、戦争。よく考えてみれば、実際の戦争を体験したことのない世代の私たちにとってみれば、戦争とはどんなものなのか分からないということに気づく。
人が死ぬ場面や銃弾の雨嵐のイメージはしてみるものの、あくまでもテレビの中の映像に過ぎない。だが、それが全てではないし、見えないところでも戦争は行なわれている。人も死んでいるのだ。
いかにそうしたもので植え付けられた知識だけで戦争を考えていたかという思いがする。
そして地域生活。となり町、という市町村レベルの地域を扱っているだけに、広報や住民説明会といった私たちに身近な言葉も登場する。また、主人公に業務の説明をする役所の女性など事務的、感情なし、業務最優先、といった人も出てくる。それら役所への痛切な批判も見える。
また、大切な人を守りたい、という感情も身近なところにいる人だけに強くなる。
こちらは戦争というキーワードと打って変わって知っていること、理解できることばかりだ。
戦争というものへの考え方だけに留まらず、感じる部分は人それぞれ多い作品ではないかと思う。
紙の本
久方ぶりの読後感
2005/08/09 10:09
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:綱島温泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本を読んで、自分が高校時代の夏休みに読んだ大江健三郎の万延元年のフットボールを読み終えた後と似た読後感を得た。なんとも素晴らしい作家が登場したものだ。ここ十数年、日本の文芸は商業的なエンターテイメントものばかりが注目されていたこともあり、すっかり文芸物を遠慮していたのだが、これなら、文句なくおすすめできる。
紙の本
「彼女」と「戦争」の核心について
2005/07/28 00:47
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さいとうゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る
アパートの郵便受けに入っている「広報」で戦争の開始が告げられる。町民税の納期や下水道フェアのお知らせに挟まれる形で、「となり町との戦争のお知らせ」が告知されている。あたかも道路工事か町民センターの建設がはじまるかのような手つきで、戦争の火蓋は切って落とされる。
戦争がはじまるはずの9月1日になっても「僕」の周囲に変化はない。いつもどおり会社に行き、いつもどおり「となり町」を通過してアパートへ帰る。戦争の有無をいぶかしむ「僕」のもとへ再び広報は届き、小さな文字で戦死者の数を告げる。
自分のまわりでは誰も死んでいない。戦争に参加しているような雰囲気さえ微塵も感じられない。しかし戦争は始まっており、今日もどこかで町民が「戦死」している。「僕」にとってそれは、まったくリアルでない「戦争」だった。
《あなたはこの戦争の姿が見えないと言っていましたね。もちろん見えないものを見ることはできません。しかし、感じとることはできます。どうぞ、戦争の音を、光を、気配を、感じ取ってください》(p.101)
町役場の総務課「となり町戦争係」で働く「香西さん」が、「僕」と戦争を結びつける。彼女の電話で「指令」を受け、「僕」は「となり町」へと居を移し、敵をあざむくためか香西さんと結婚までする。すべてが「業務」であるかのように振る舞う彼女に惹かれていくのと同時に、「僕」もまた戦争の核心部へといざなわれてゆくのだ。
週に一度の香西さんとの性交も、始まっているはずの戦争も、「僕」にとってつかまえどころのない、あやふやな「現実」だった。目には見えない奥底で操られているような、甘美でスリリングなゲームに参加させられているような感覚のまま、「僕」は生死の境目を紙一重で切り抜け、戦争の終結を見届ける。
これが本当の戦争であると、指差すことのできる事象などない。それはあくまで象徴として、断片が部分的に切り取られているにすぎないからだ。同じように(ここを比喩でつなげてしまうあたりがこの小説の「核」なのだろうが)、これこそ真の彼女であると確信できるような香西さんの「私性」が顕わになるような場面などない。
「僕」は「戦争」が欲しいくらい、「香西さん」が欲しいと思っている。だが彼女にとって、与えられた役割以上にこだわるべき〈私〉などないのだ。議会の決定によって戦争の遂行が義務づけられ、その滞りのない進行を補助する彼女の仕事は、公共事業に携わる熱心な役場職員以上でも以下でもない。「僕」との生活や性的な交わりでさえ、彼女にとっては「業務」の域を出ないからだ。
与えられた人形に「僕」は懸命に魂を吹き込もうとするのだけれども、人形は決してこちらに向かって微笑んではくれない。時折、ひょっとしてという期待だけをはらみながら「戦時」は続き、週に一度天使は裸で「僕」を訪れ、痕跡を残さないで去ってゆく。
「僕」には「戦争」がわからないし、「僕」には「彼女」がわからない。知ろうとしたところでどちらも、中心に空虚が抱え込まれていて、その内側を探そうとすること自体が空回りを繰り返す。そういえば「僕」はまだ、「香西さん」の下の名前を、彼女に向かって呼んだことがない。
紙の本
私の結論としては新しい“スタイル”の作品という点では、伊坂幸太郎氏の斬新な作風に匹敵すると思うのである。
2005/01/16 22:42
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る
直木賞作家をはじめ人気作家を数多く輩出している小説すばる新人賞であるが、今回で17回目を数えた。
私だけでなく年の初めに刊行されるのが楽しみとなっている方も多いのであろう。
それほど確固たる地位を築いてきた賞だと言えそうだ。
さて、本作であるがとっても内容的には奥深い作品である。
すばりレビューアー泣かせの作品である(笑)
時代設定は現在より少し先(年号は平成じゃなく成和23年となっている)になるのであろう、主人公が住む町“舞坂町”と“となり町”とのあいだで戦争が始まる。
主人公である北原修路は町役場から偵察業務従事者に任命されるのである…
過去の戦争を書いた作品は数多いが、近未来のそれもとなりの町との戦争を書いた作品なんてお目にかかれるものじゃない。
なんと“戦争で町の活性化をはかろうとしている”のである。
決してSF的な話じゃないし、非現実的なんだけど登場人物がリアルに描かれているのが目につくのである。
三崎さんって、私が思うに繊細な心情描写が持ち味なので、今後は純文学的な作品路線(たとえば堀江敏幸のような)を邁進した方が才能開花するんじゃないかなと思う。
特に作中の主人公と香西との距離感のもどかしさが印象的だ。
終盤明らかになる彼女の兄弟のエピソードには驚いた。
リストラ等、不況の世の中公務員のあり方が問われているが、果たして香西のような仕事に邁進する公務員っているのであろうか?
現公務員の著者の理想とも取れるし反論とも取れる。
このあたり微妙なところである。
作者って本当に平和主義者なんだと思う。
もはや世界一平和な国に住んでいる私たちに戦争って言葉は非日常的な言葉である。
でも世の中は変わっていく。予断を許さない。
作中で主人公の代わりに亡くなる人がいる。
人が殺されていくことの辛さを少しでも感じ取れたらと願ってるのであろう。
読み終えた方の大半はさまざまな思いを胸に本を閉じられたことだと思う。
次作もっと期待して待ちたく思うのは私だけじゃないはずである…
トラキチのブックレビュー
紙の本
もしも町レベルで戦争を始めたら……
2006/07/25 13:53
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
突然、住む町がとなり町と戦争を始める。
突拍子もない、この設定を町の広報誌で知らせる——といった、日常的な風景に落とし込みます。そこに登場人物には戸惑いが、読者にはおかしみが生まれます。
本当に新人かしら? といった力量を見せます。
この地に足の着いた小説はなんだろう。クールな描写と奇妙な設定は、伊坂幸太郎を思いおこさせますが、三崎亜記のほうがより隣町的な世界を見せてくれます。
「僕」は住んでいる舞坂町総務課となり町戦争係から、戦時特別偵察業務従事者任命を受け、その係の女性ととなり町に潜入します。しかも、女性とは新婚夫婦を装って。
お役所的な手続きで進む、戦争と結婚生活。もったいぶった役所言葉におかしみを感じながら読むと、そこには「戦争の意味」や「死」に対する役所——ひいては国家や先導者の意図や感覚が見えてきます。
が、最後まで物語をひっぱる力に欠けていて、後半はややつまらなかった。丁寧に緻密に組まれているプロットで破綻はないんだけれど、おかしみも興味も失せてしまいました。
紙の本
遠く離れた、非リアルとしての戦争。
2007/12/21 02:54
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る
三崎亜記は、本作で第17回小説すばる新人賞を受賞。福岡出身の新進作家。
ハルキ臭い。
この人ハルキ・チルドレンだったろうか。私はハルキストなので、十分すいすいと読めるんですけども。【失うもの】、【ねえ、香西さん】、【深淵】、おまけに【井戸】。巻き込まれ型なのも共通してますね。
書かれている文章だけだとハルキっぽいですが、内容はスリムでハルキより分かりやすい。テーマが具体的。 つまりは、「何も傷ついていない人間」が、「傷ついている人間」に対して何ができるか、ということ。これは、「何かを体験、経験していない人間」は「その何かを人間している人間」を共感、理解できるか、ということとしても置換される。大きいですが、漠然としたテーマでもありましょう。
「戦争」は具体的でもあるが、抽象的なメタファーにもなり得る。わざとぼかしている(死人が主人公の前に直接的に現れない、戦争の描写が少ない、など)のは、「書かない」ことでより逆説的にそれを強調することにもなり得る。また、抽象的にする事で、具体的に出来ない、漠然としたおどろおどろしさ、その恐怖を描くことにも成功しているのでは。
【絶対悪でもない、美化された形でもない、まったく違う形としての戦争】
戦争の第三の道。
それは、戦争すら業務の一つとして捉えているように、システム社会の比喩としても描かれる。戦争マニアのおかっぱ頭や、香西さんの弟のように、戦争は感情を表出させるものではなく、事務的な物として描かれている。
それは、戦争を新しい視点で捉えなおす、という事にもつながるが、その裏に潜むのは、死生観を見つめなおすことでもある。
三崎亜記は、「非リアルな戦争」を通して、死生観をも新しく見直そうとしている。(この部分も村上に共通していると言えば共通している。【死は生の対極ではなく、その一部として存在している】)
「死の周辺にいる(いた)者」と、「死の周辺にいない(いなかった)者」とは絶対的な隔たりがあり、感情的になりがちなその事実を、消化(昇華)するのではなく、その存在をただ受け止めるしか無いという諦念にも似た意識。
【たとえどんなに眼を見開いても、見えないもの。それは「なかったこと」なのだ。】
たとえ自分が戦争に受動的に加わっていたとはいえ、人を殺したという事実が目の前に無いのであれば、それは「なかったこと」、つまり「殺していない」ということ。しかし、その事実を【どうでもよい】とし、とにかくそれでも生きていかなければならない、たくさんの人の死の上に自分の生があったとしても、それでも生きなければならない。これは一種の「汚れ」の意識ではないかとも窺える。だからこれは「逃げ」でも無いし、「避け」でも無い。ただ、そこに(眼には見えないけれど)自分と関わる死は確実に存在しているということへの自覚。
「眼に見えない戦争」を、「始まっているのか、終わっているのか分からない戦争」を経験した結果、かけがえの無い人を戦争で失くしたという事実によって、やっと主人公も戦争や痛みを理解する事が出来た。
まず傷つくことからしか、けじめをつける事もできない。
何かを理解するには何かを失わなければならないという事実を、相対的を越えて絶対的に表現したことはなによりも良かったと思う。
紙の本
非現実的な設定で描かれる人物たち
2021/06/17 23:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:akihiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
いわゆる戦争ものではない、不思議な小説でした。舞台は現実的な町ですが、設定が非現実的で、夢を見ている時のような感覚で読みました。
登場人物が魅力的に感じたのか、不思議な感覚を持ちつつも一気に読み終えてしまいました。
紙の本
巨大事業戯画
2013/10/20 16:17
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
となり町との戦争。
それは市の広報誌に小さく載っていた。
まるで道路工事か、町内でのイベント案内かのように。
(終戦予定日まで載っている)
が、戦争が始まっても、日常は全く変わっていないように見える。
少なくとも表面上は。
全く実感の湧かない「戦争」
銃声一つ聞こえない。
ただし、次に来た広報誌の「町勢概況」の中に転入出者数、出生数、志望者数に混ざって「戦死者数」が記載されるようになっていた。
どうやら戦争は本当に行われているらしい。
そんな中、主人公北原に「戦時特別偵察業務従事者の任命について」という通知が届く。
しばし考えた後、北原は、この訳の分からない戦争を観察してみよう、と任務を受ける。
こうして偵察員として戦争に参加するが・・・。
「なぜ、となり町と戦争をしなければならないか」
「この戦争には、どんな意味があるか」
という事については、一切、語られない。
「地元説明会」なるものが開かれ、この事を問う者と町の担当者とのやりとりのシーンもあるが、町の職員は暗に
「そんな事は政治家に聞け」
「そういう決定をしたのは、あなたたち自身が選んだ政治家だ」
と言っている。
実施を覆す事ができない既定事実としての「戦争」
それを事務的に淡々と進めていこうとする両方の町の担当者たち。
「偵察業務」を行う際の注意事項(ガソリン代の請求方法など)や、報告書の書式など、「戦争」なのに、やたらと「お役所仕事風」
緊急事態で機密文書を持って逃げろ、という指令の際も、担当者は文書課に機密文書の移動の認可をもらった上で指令を出していたりする。
この作品内での「戦争」は「巨大(公共)事業」のカリカチュアなのだろうか。
となり町の役場には「この戦争に勝てば、こんないい事がある」といったスローガンだらけ、という描写もあるし、主人公が住む町の職員も「この戦争は、ある意味、となり町との"共同事業"」とさえ言っている。
広報誌に載る「戦死者数」は、立ち退き等、「犠牲」を強いられた人の数にあたるのかもしれない。
なんにせよ「統計上の数字」という扱い。
唯一、「戦争」が意識されるのは、主人公が機密文書を持って、となり町から脱出するシーン。
・・・ではなく、その後、脱出の際、手を貸してくれた雑貨屋のおばさん(実はスパイ)が、正体がバレて、銃殺された、と聞かされるシーン。
それまで、緊迫感がまるでない状態だっただけに、急に冷たいものを頬に当てられたよう。
「統計上の数字」の裏に「一人の人間」がいる事を痛感させられる。
ただ、となり町との戦争は訳も分からないままに始まり、訳も分からないままに終わる。
そして、明確な勝敗(効果?)すら分からない。
下っ端として加わった者から見た巨大事業とは、こんな感じなのだろうか。
紙の本
淡すぎる世界がもどかしい……靴の上から足を掻こうと思ったら足がない、ってね。
2010/02/17 23:22
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
設定は面白いが、文学文学しないでもうちっとエンタメ路線で行って欲しかった……というのは個人的な好みだけど。
戦争にリアリティを感じない現代の日本人を暗喩したかったと解釈してもいいんだけど、どっちかって言うと、「今、ここ」を生きられない自分たちを浮き彫りにしちまいましたってのが本心なのかな。一応生きてるんだけど、ただなんとなく、っていうか、死んでないから生きてる、みたいな。
そーなのよ、生きてるって感覚が希薄なんだよね、今の日本は。感覚はにぶい。頭もまわんね。そもそも「今ここ」ってのがよくわからん。からだには重みがなくて、フワフワしてるような感じ。気持ちわりぃよな。
どっかの頭でっかちが「戦争起こしちまえ、負け犬人生もそれでチャラ」と声を大にして叫んでいたような記憶があるが、それもまあ、あながち暴論ではないような気もする。
別に戦争である必要はないんだけど、理不尽な「かく乱」ってヤツが必要だと思うよ、今の世の中にゃ。今の鳩山政権みたいに全員助けて全員沈没するような政策続けても先は見えてるからねえ。
かく乱ってのはフェアなのがいい。天変地異(地震or噴火)か疫病。あとは戦争を除けば原発事故とデフォルトくらいか。うへっ、オレが死んでからにしてくれい。
それにしても生命力ないよなー、この小説って。よわよわしー