紙の本
最低限、人間として生きるとはどういうことか?
2006/04/22 17:38
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間とは何だろう。そして、人間の最低限の条件とは何だろう。ただ息をして生きていれば、それが人間なのだろうか。この小説は、人間としての最低限の条件とは何かを、戦中の極限の中で生きる人々を中心にしながら、鋭く問いかける小説である。
自分が生きるために、他人が軽んじられても仕方ないのか。戦争なら捕虜を人間として扱わなくてもいいのか。生きること、人権、人間としての最低限の条件とは何かが読者に鋭く突きつけられる。
戦中、人権が奪われ、戦争の駒として扱われる日本人。その日本人が生きていくためには牛馬のように思考することをやめることしかないのか。侵略国の人々の命や権利は、日本人よりも軽いのか。
戦争の実態とフィクションを交えながら、現実と観念のハザマをさ迷う青年の苦悩を描きながら、人間を問う力作である。読んでいて苦しくなる。私が同じ立場になればどうするか。
フィクションであり、観念的な部分を多く含んだ小説だと分かっているのに、鋭い刃が私の心臓を貫こうとする。主人公とともにもだえる自分を発見する。
人間でありたい!人間には最低限の権利がある!そう考える人が、戦中に戦争に反対したり、捕虜を人間として扱うことがどんなに困難なことであるか。良心を持っていても、侵略者・犯罪者になるとはどんなことなのか。
著者の突きつける鋭さに挫けそうになる。実際に体験すれば自分はどうするのか。挫ければ、他人が殺される。挫けなければ自分が殺されることを覚悟しなければならない。
それでも人間として生きたい!人間として生きるためには、生きることさえ奪われる覚悟が必要なのだ。そんな選択を迫る戦争があった。私たちはその真実から眼をそらしてはいけない!
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軍需産業で働く梶、徴兵免除を条件にチャイナの東北部の鉱山の労務部で働くことに。美千子との新婚生活と戦時下での鉱山での仕事をしていくなかで非軍事捕虜が預けられることに。この特殊工人と呼ばれた捕虜たちにヒューマニズムをもって接していこうとするが、現実に何かができるわけでもないのに最後まで”人”であろうとする矛盾・葛藤に面する梶。結局逃亡のかどで見せしめとして処刑されることになった特殊工人を救おうとして憲兵に捕らえられ拷問にかけられることに。そして出所した梶を待っていたのは免除されたはずの召集令状だった。
著者が実際に大連で生まれ育ち、1943年に召集されてソ満国境を転戦、捕虜となっており、おそらくこの著書も実体験に基づくところが大きいんかな。
戦時下とゆう特殊条件の下で権力がどう作用するのかとか、それに人はどの程度抗えるのか、極限の状態に追い込まれた捕虜の精神がどうなっていくのかとか、戦争に巻き込まれる一般人の悲劇、それから性の描写も生々しくていろいろ考えさせられること大であった。
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第二次大戦下の満州で生きる日本人知識人の話。
戦争という極限下で、「人間の條件」とは何かについて考え、悩む主人公。
第二部の特殊工人の王との対話と、その後の梶の行動が迫力ある。
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今年から設定、8月の自主課題図書。
読書家な友達からのお勧めによる。
その際賜ったお言葉。
「決して感情移入して読んではいけないよ?」
読後。
…ええ、そのお言葉、身に染みました。
でも…できるかっ!
どう頑張ったって引きずり込まれるわっ!
というわけで、どっぷり感情移入して読み、ぐったり疲れました。
つ、つらかった…!
「戦争はいけない。」そんなコトみんな知ってる。
でも「何でいけないか。」ということを、こういう本を読んで、ひとりひとりが考えなくちゃいけないと思う。
知らない、では済まされない。
目をそらすわけには、いかない。
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「世界」2月号から澤地久枝と佐高信の「世代を超えて語り継ぎたい戦争文学」がスタートしました。
第1回目は五味川純平、この本の作者です。
実は私はフィルム(私がフィルムというのは映画のことです)でしか見てませんでした(つい最近もWOWWOWで放映されました)。
澤地さんが大学の授業で五味川純平を知ってますか、という問いにほんどゼロ解答とか。
少しでも知っている者は沈黙していることはありません。安易な能天気なものばかりが読書ではないと喝破されてあわてて原作を読みました。
やっぱり文学のパワーは一味も二味も違いました。
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息をつく間も無く、激しく生きる。平凡な幸せを夢見ながら、理不尽と戦う。不条理なことを許せない。それは、そうだろう。では、長いものには巻かれるか。
戦争とは悲惨な人類の歴史だが、その中にあって、人間は初めて人間たるのかも知れない。生きるとは、感情の起伏の記憶である。然るからして、何もない日常では、生きた心地がしない。困難に立ち向かってこそ人生。しかし貫徹できないのが生身の人間。それを感じさせてくれる小説。
私には、これがワイルド・スワンと並行して存在した、日本国の凄惨さを謳う小説のように感じる。昭和の前の世界。思い出せない過去。
この感覚はなんだろう。
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この本は、戦争を知らない世代の人間はぜひ読むべきだ。戦争というものがいかに愚劣なもので、人の運命をどうしようもない形でもてあそぶものだと理解できる。戦争というとんでもない状況の真実が描かれている。
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娯楽小説に寄せている向きも感じないではないが、抗えない戦争の渦の中もがき振り回される梶、王、沖島らには心揺さぶられるものがある。かといって流れに呑み込まれる者、乗っかる者も人ごとのようには思えない。
次巻梶はどこへ向かうのか予想もつかない。
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第二次大戦末期の軍需産業、鉱山を舞台に、人種差別、暴力、嫉妬、詐欺、保身など、あらゆる不正義がまかり通る状況の中でもがき苦しむ主人公。戦争や差別には反対だが、妻や生活のことを考えると表立って反抗できず、苦しむ姿を描いている重たい作品。人間の条件というタイトルを考えさせられる、重たい内容。
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太平洋戦争中の満洲が舞台。戦争中もヒューマニズムを貫けるかどうか、葛藤する主人公梶。炭鉱で強制労働させられる中国人たちやそれを使役する日本人とのやりとりがリアル。苦しいが知っておくべきことが詰め込まれている。上中下巻の3冊構成のうちまだ炭鉱にいるだけいいところか。この後梶は軍隊に入れられる。
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日本企業および軍隊の原理が読み取れる小説。大日本帝国において、日本軍ほど絶大な権力、影響力を持った組織はなかった。そのような時代、満州の会社に勤める主人公の梶は、ある日、上司から採鉱現場へ行くようにと命令された。それを受けて、梶は妻の美千子とともに、採鉱現場に近い山場のほうへと引っ越す。そこでの現場の衝突や特殊工人の労働搾取など、現代の日本企業に通ずる記述が見られる。第2部の最後、梶が憲兵隊との衝突の末、召集令状が下るまでが今回のおおまかな流れである。
本作は主人公梶の心情、葛藤が特に注目すべきである。本のタイトルにあるように、人間が人間として、どうあるべきかという葛藤が何ともリアリティがある。日中戦争で泥沼化した時代、次々と召集が下った。そのような状況下で、日本の企業、組織の闇の面が見え透けるのが本作の特徴である。
本作の中盤から終盤にかけて、憲兵の特殊工人に対する凄惨な仕打ちに、梶は周囲構わず反抗した。特殊工人たちを人間扱いしないことに憤った梶は憲兵隊という巨大権力に立ち向かったが、正常な論理が通じない時代、そのような行動は国賊と見なされる。憲兵からの拷問を受け、やがて解放されるが、それが結果的に召集を招くこととなってしまった。このように、人道的に正しい行動を取ったとしても、それが巨大権力を相手にしてしまうと、その後痛い目にあうという事例がここから読み取れる。国家が本質的に暴力をはらんでいるということがよくわかる。国家とは、個人を簡単に抑圧できる恐ろしい存在である。
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【上・中・下ともに読了済です】
人間とは、一体どんな存在なのだろうか?
人として正しいと信ずる道を進む。そのことが、いつも自己の幸福につながるとは限らない。
むしろ「正直ものがバカを見る」ことの方が、世の常なのかも知れない。
主人公の梶は、満州の鉱山で中国人捕虜を、同じ人間として扱おうとした。
その結果は、徴兵免除の資格喪失、兵役送りである。
正しい生き方とは何なのだろうか。
大切なものを守るため、失ったものの尊厳を取り戻すため、悪事に手を染めることは許されないのだろうか。
外野から傍観する他人は、批評家気取りで一般論を掲げて糾弾することもあろう。
愛する妻、美知子の元へ帰り着くため、戦場から死に物狂いでの逃避行を繰り広げる。
心を許した戦友と別れ、我が子のように慈しみつつ生き延びた若年兵を軍隊の矛盾の中で失う。
その中で盗みを働き、殺人を犯した梶に対して、石を投げる権利を持つ者があろうか。
同じ極限状態に置かれた者だけが、その行為についての正邪を語る資格があるのではないか。
戦争はないに越したことはない。
しかしながら、人類のあゆみを振り返ってみるならば、事実として戦争のない時代はなかった。
人と人の、国家と国家の命の奪い合いという極限状態においてこそ、人や国家の本性というものが現れる。
しかし、その本性でさえも、それが正しいのか間違いなのか、誰にも決定することは出来ないのかもしれない。
いろんなことを考えさせらる、素晴らしい作品でした。