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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2004/01/30
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/155p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-429903-0

紙の本

家守綺譚

著者 梨木 香歩 (著)

庭・池・電灯付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々出没数多…。それはつい百年前。新米知識人の「私」と天地自然の...

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家守綺譚

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商品説明

庭・池・電灯付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々出没数多…。それはつい百年前。新米知識人の「私」と天地自然の「気」たちの交歓録。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

梨木 香歩

略歴
〈梨木香歩〉1959年生まれ。児童文学者のベティ・モーガン・ボーエンに師事。著書に「西の魔女が死んだ」(日本児童文学者協会新人賞等)、「裏庭」(児童文学ファンタジー大賞)など。

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みんなの評価4.4

評価内訳

紙の本

愛着を持たずにはいられない一冊

2008/02/09 17:59

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐吉 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる」駆け出しの物書き綿貫征四郎は、若くして亡くなった学友高堂の実家に、ひとり家守として起臥している。時代はおよそ百年前の明治の末、場所は登場する地名から京都周辺と察せられるが、いずれもはっきりとは示されていない。

 とある嵐の晩、征四郎が布団を引っかぶって寝ようとすると、床の間の掛け軸から何やら音が聞こえてくる。

 『布団から頭だけそろりと出して、床の間を見ると、掛け軸の中のサギが慌てて脇へ逃げ出す様子、いつの間にか掛け軸の中の風景は雨、その向こうからボートが一艘近づいてくる。漕ぎ手はまだ若い……高堂であった。近づいてきた。
 ――どうした高堂。
 私は思わず声をかけた。
 ――逝ってしまったのではなかったのか。
 ――なに、雨に紛れて漕いできたのだ。
 高堂は、こともなげに云う。』

 のみならず高堂は、征四郎に「庭のサルスベリの木がおまえに懸想している」と告げ、征四郎は征四郎で、その言葉に「実は思い当たるところがある」と得心する。そうして「家守」征四郎の「綺譚」は始まる。河童、仔竜、人魚、小鬼、桜鬼……さまざまな怪異が、まるで季節の風物がごとく、征四郎の周辺に現れては消えてゆく。

 この作品は、そうした云わば怪異を描いているからこそ「綺譚」なのだが、だからといって、不思議でしょう? 怖いでしょう? 奇想天外でしょう? というのではない。はたまたそうした怪異が当たり前の、独自の空想の世界を創出しているのでもない。物語は、主人公の身辺雑記か日記のように淡々と語られ、そこに自然のスピリット(気、魂、精霊)とでもいうべきそれらの怪異が、なんの気負いも衒いもなく、それこそ日常茶飯事のように描かれている。四季折々の風景の細やかな描写とともに、端正な筆致で綴られるそれらの怪異譚に浸っていると、実際にそんなことがあっても不思議ではない気がしてくる。

 物語の舞台は、今でもその名残が残っているんじゃないか、と思えるくらいのちょっと昔。ただし、現代のさまざまな喧騒とは無縁に、時間がゆったりと流れていて、人がもっと自然に近い場所で暮らしていた時代である。だから読者は、昔はきっと夜になるとこの辺りは真っ暗だったんだろう、夏にはこの川で泳ぐこともできたんだろう、この近くにも狐や狸が棲んでいたかもしれない、というのと同じ感覚で、河童はこんな具合に暮らしていたのか、狐や狸が人を化かしたりもしたのか、なるほど桜の散り際には桜鬼が暇乞いに現れたのか、と納得できてしまう。時代や場所が明確でないだけに、そうした世界がことさら近しく感じられる。かつては自然の気がそんなふうに感じられ、人はそんなふうに自然と交流していたのだということが、すとんと腑に落ちるのである。

 それにしても、この物語世界の居心地の良さはどうだろう。人が天地自然のスピリットとおおらかに交歓し、しかもそれがちっとも特別なことではなかった時代。もちろん佐吉は、この物語に描かれているような時代や場所に暮らした経験はないが、なのになぜか懐かしいと感じてしまう。あるいはそれは、多くの日本人の記憶にある、ひとつの原風景とも云うべき心象風景なのかもしれない。

 明治期の小説を思わせる小気味好い文章、居心地の良い物語世界、そして何より、そこに描かれた人と自然との交流ののびやかさ。『家守綺譚』は、どれをとっても上質な、まさに読書らしい読書が愉しめる一冊である。煩瑣な日常を忘れさせ、しばしの至福の時間を与えてくれる、愛着を持たずにはいられない一冊である。

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紙の本

不思議との共同生活

2005/06/05 22:49

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:はなこちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

作者の梨木香歩さんは、どこかにありそうで決して見つけられないだろう不思議の世界を作り出す名人である。この作品は、そんな不思議の名人がわざわざ「綺譚」と銘打って書き出した作品であり、作者の得意とするわざとらしくないノスタルジーの溢れる和製ファンタジー小説となっている。
舞台は(おそらく)明治時代の日本。売れない物書きである主人公が、湖の底に消えた友人の家の管理人となって、その家でたくさんの不思議と出会う話である。
この小説では、不思議な世界が当たり前に存在するものであるかのように、登場人物の生活の中に紛れ込んでくるため、よみてはまるでこの時代の人々は本当にそんな不思議との共同生活を行なっていたのではないかという錯覚に陥る。家の掛け軸からいなくなった友人がひょっこり顔を出したり、知り合いの寺へ行く道には狸や狐や、竹の精やらがやたらと顔を出す。庭の池には河童がひょっこりやってくるし、雨の夜にはサルスベリが家へ入れてくれとせがむ。
どれもこれもありえない、嘘・ファンタジーの世界であるが、読み手はすんなりとその世界に迎え入れられ、すんなりとその共同生活を共にすることが出来る。そこには「うそばなし」を嘘にしない、本当の真実が隠されているのではないかという気にもなってくる。本当はこういった世界こそが、私たちの本当に属する世界であって、今の現実の方が虚構なのではないかと。
現実的過ぎる現実世界に疲れたときに、ちょっとほっとして、すっきりできる、そんな心の休憩所みたいな、そんな小説だった。

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紙の本

時代の進歩に齟齬を覚える魂に深い安らぎを与えてくれる作品

2005/04/16 10:31

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まざあぐうす - この投稿者のレビュー一覧を見る

百年少し前の日本が舞台となった物語。
主人公綿貫征四郎は、縁があって亡き友高堂の家守をすることになった。
高堂家の北は山に面し、南は田圃に面している。山から田圃に向かって疎水が流れ、家の中に池がある。四季折々の植物に恵まれた環境の中で、新米知識人として物書きを生業とする綿貫征四郎は、河童や小鬼、白竜の子、桜鬼、聖母に出遭う。床の間の掛け軸の絵から、時折亡き親友高堂が現れる。
綿貫に想いを寄せるサルスベリ、綿貫が踏み破った床から育ったカラスウリ、狸に化かされた後に届けられたマツタケに添えられていたホトトギスの花など、植物と綿貫を巡る28の綺譚集。
28の植物の写真を眺めながら再読すると味わいが深い。例えば、高堂が床の間に落としていったセツブンソウ、鈴鹿の山の斜面一面に咲く花を知っていますか。「見慣れぬ純白の繊細な造りの花」「下界にまみれぬ、清澄な気配を辺りに放っている」と表現されているセツブンソウを知ると、綿貫の「成程これでは深山の奥にしか棲息できまい」と思う気持ちに深く共感できる。また、南蛮ギゼルも同様だ。「不思議な浮世離れした感じ」を好み、南蛮ギゼルが出て来たのを嬉しく思う綿貫の気持ちに少し近づけるような気がする。
空間的にも時間的にも別次元の物語でありながら、28の植物が読者との接点として重要な役割を果たしていることを感じた。
物語のクライマックスは、最終章の「葡萄」ではないだろうか。夢の中で湖の底とおぼしき広場にゆき、テーブルに置かれた葡萄の魅惑に負けずに、夢から現実へと戻ることができた綿貫征四郎。綿貫の物書きとしての成熟を予測させる夢であることを感じさせられる。親友の死を次なる作品の中で昇華できるのではないだろうかという期待感が心地良い読後感につながる。
綿貫の元に時おり届く村田の土耳古からの便りも物語の世界に空間的な広がりを与え、続く作品『村田エフェンディ滞土録』への布石となっていて興味深い。
現実に深く着地した世界から、読者をファンタジーの世界へと導くのが梨木作品の魅力ではないだろうか。28の植物のみならず、鬼の子や鳶を見て安んずる心性を持った主人公綿貫自身が読者をファンタジーの世界へ導くのに一役買っているように感じる。
ワープロからパソコンへと進化した世界に生きながら、「ペンが進まない」というより、「筆が進まない」と云う方を好む綿貫の言葉に深い共感を覚える。100年経た私たちの魂も未だ旅の途上にあるのかもしれない。
見返しの「白鷺」「巴の雪」の日本画も表紙もすばらしい。『家守綺譚』の中には、時代の進歩に齟齬を覚える魂に深い安らぎを与えてくれる時間が静かに流れている。心と体が疲れたとき、ふと読みたくなる一冊である。

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紙の本

花鳥風月と暮らす庭

2010/01/07 18:32

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ジーナフウガ - この投稿者のレビュー一覧を見る

家はそこに暮らす人の気配を失うと、途端に朽ち果てて腐ってしまう。
その為、駆け出し文筆家綿貫征四郎は、今は亡き親友、高堂の父より、

現在住み手の居ない家と庭の守する職を得る。
と、綿貫の書き記す私小説の様な案配で語られ出す物語。

日課の様に庭のサルスベリを撫でる内に、知らぬ間にサルスベリより懸想され、弱っている所を、
掛軸に描かれた池から、ボートに乗ってやって来たのは逝ってしまったはずの友人・高堂。

事も無げに「百日紅は話し好きなやつだから、たまに本でも読んでやることだな。」等とのたまう。
面白いのが、私の本を読み聞かせてみると、百日紅が身悶えして喜び、

「腐らずに細々とでも続けるように」と、云ってくれている点。日常から、
ほんの少しだけ遊離した世界や物事の存在を、飄々と自然に有る物として、共存する姿がとても良い。

征四郎に懐いた犬のゴローが、迷子になって干からびている河童を無事に住み処の滝壺まで送り届けたり、
そんなゴローを隣家の犬好きのおかみさんが温かな心で見守ってくれているのも、
実にしみじみと味わい深く思える。

他にも、この本独特の素晴らしさとして、周囲に咲く植物の描写が詳しく写実的なので、
植物の名前を余り知らない人間でも安心して物語に入って行ける所があると思う。

庭に落ちた雷。それ故、蕾に雷の子種を授かり、
タツノオトシゴを身籠った白木蓮の花。確かに言われてみれば、曇天を切り裂いて光る稲妻に、

龍の姿はとても良く似合うから、雷の子どもとして、タツノオトシゴが出産される、
という発想はなる程面白いアイデアだなと思った。綿貫が売文業で中々芽が出ず、

日々を切り盛りする能力が、人並み以下であることから、世知に明るいであろう長虫屋に、
要らざる劣等感を抱いてしまう箇所等も、あぁ、そんな物かも知れない、と妙に納得してしまった。

綿貫という男が己を飾ることなく、赤裸々に思いの丈を吐露するタイプの人間だからなのだろう。

植物それぞれと向き合っていく姿を淡々と描いているこの物語には、
何とも形容し難い独特の風合いと魅力とが兼ね備わっている。

池に姿を現した人魚を外敵であるサギの襲来から守ろうと、
池全体に網で覆いを掛けようとするものね中々思うに任せなかったりで。

一人じりじりしている所を、後輩の編集者、山内に見つかり、
池を覆える位大きなネットを調達してくるのと、交換条件として、

原稿を早く仕上げるよう催促される始末で。愛すべき無能者っぷりが、
反って天然自然の植物達に愛され、また周囲からも、

放って置けぬ存在として認知されるのだろうとすら思える。
どうやら死んだ高堂も綿貫という男の事が気がかりなのだろう。

山歩きをして、そのまま野宿したがる綿貫に
「いい場所とはつまり、人が埋められる気分になる場所なのだよ。」

諭しに現れる。二人の関係に湿った所がなく、相手が死んでいようがいまいが、
変わらない適度な距離感を保っている所に、交友の深さを感じる。実に珍しい友情関係だと思う。

人の世を放擲したという高堂と、人の世の行く末を確かめてみたいという綿貫の、
二人だからこそ分かりうる、終始変わらぬ関係の厳しさに若干の羨ましさすら覚えた。

日本ならではな、風土に愛着を持つ事が出来る、心穏やかな読書時間を楽しめる傑作です!!

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紙の本

日本の四季を感じましょう

2005/06/24 23:16

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Roko - この投稿者のレビュー一覧を見る

学生時代の友人「高堂」の父から、家のお守りをして欲しいと頼まれて住むようになった一軒家は、古いけれどもなかなか趣のある家のようです。庭には様々な植物が茂り、鳥など様々なものがやってきます。
庭のサルスベリの木に惚れられてしまったり、川で出会ったカワウソに同族だと思われてしまったり、主人公は今まで知らなかった世界へどんどん引きずり込まれていくのです。
この本から漂うのは、昔の日本の家ってこういう感じだったんだろうな?という感じと、家のすぐそばには自然があって、その自然と仲良くいきていくのって楽しいなという感じなのです。日本には四季があって、そのうつろいに合わせて生きていく楽しさを、もっともっと残しておかなければと思ってしまうのです。
普通の世界のすぐ隣に別の世界があるって、想像しただけでも楽しくなってしまいます。ほら、そこの木の枝にとまっているスズメだって、花の蜜をねらっているメジロだって、そこにいるのは、あなたのことを観察するためかもしれない?なんてね。

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紙の本

本を読むというしあわせ

2012/05/17 21:17

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:どど - この投稿者のレビュー一覧を見る

一篇一篇を大切に味わいながら、何日もかけて読み終わった。
急かされる様に先を追う読書の楽しみもあるが、ことばや文章や空気を味わうのがしあわせすぎて、先を急ぐことのできないような読書を久しぶりにしたと思う。
「本当よりも本当らしい」ことたちを、「それが本当で、何か不都合がありますか」、と受け入れる主人公。非常に浮世離れしておりだまされやすくときどき自信喪失してしまう彼の、受容の姿勢に強さを感じた。

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紙の本

つまるところ、音なのだと思う。

2006/04/09 19:04

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る

つまるところ、音なのだと思う。

『間断なきツクツクホウシの熱狂も今は遠く、僅かに残るその声は、あるときは精も根も尽きたという風に力無く、またあるときは突然耳元で銅鑼を叩くように始まりそれもあっけなく終わり、ああ今年の夏もこのまま何ということもなく過ぎ去るのかと焦りとも哀しみともつかぬ気持ちでいる。およそ日本に住まいして、この地の夏を幾度となく経験した者で、ツクツクホウシの音の衰退に感慨を覚えぬものがあろうか。』

梨木香歩という人の文は、その音が、ただただ心地よい。

その音の心地よさゆえに、全てをいちどきには味わえぬ。辛口の酒のようにちびりちびりと味わうがよい。中身についての薀蓄やら講釈やらはまたの機会にしよう、口にふくんで味がよければそれでよいではないか。……今宵、肴にはこと欠かぬゆえ。

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紙の本

時がゆっくりと流れていた時代。

2004/10/30 14:55

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ミモザ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 手にしただけで、嬉しくて幸せになる本がある。
よくよく吟味され、丁寧に作られた本。この本も、その類の本で、見返しまで、美しい。本を開くと、そこではゆっくりと時が流れ、人と人外のものがゆるやかに共存している。いつとも、どこともはっきりと記されていないからよけいに、この本の中の世界は「原風景」のようで、親しみを感じる。

 学士綿貫征四郎は、亡くなった親友の実家の家守をしている。家鳴りのする時を経た家。自然のままに生き生きと茂る草木。夜に洋燈を灯せば、漆黒の闇が浮き上がる。山の狐狸は人をだまし、河童はうっかりと庭の池に流れ込む。サルスベリの花は人に思いを寄せ、桜に心を奪われれば、花鬼が暇乞いにやってくる。不思議なことがごくごく普通に日常にあり、その不思議を当然のことと教えてくれる人がいる。

 物語はそれぞれ数ページのごく短いものなのに、文字を読み、行間を読み、気配を読み、匂いを読む。自然の質感を肌で感じて、自分の思いを辿れば、一つ一つの淡く軽みのある物語に思いもかけないほどの質量を感じる。草木の名前の付いた各々の章が28話もある至福。

 静かにゆっくりと流れていく時間や、相応の深い闇は、確かにあったはずだ。私たちは自然の中に、当たり前のように不思議を見い出し、それに名を付け、時に畏れ、時に敬い、時には親しく待ちわびたろうに。そういう自然を見て、自然の中の物語を伝えてくれる導き手もかつてはいたろうに。

 この本を読んでいると、懐かしさや、温かな思いと同時に喪失感をも深く感じる。物語を一話読み終えるたびに。本を閉じたその刹那に。失ったものを思う。忘れてしまったものを思う。もう忘れたことも、失ったことも、記憶から消えていく。失ったと思ったのに、逝ってしまったと思っていたのに、遠い世界からときおり綿貫を訪ね来る友の存在。自分の失った大切な人を思えば、羨ましさからか、本を読み終わったときの喪失感はさらに深かった。それほどに、この物語の中には「そうあるのが自然」と思える見事な世界があった。

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紙の本

気づきの文学

2004/10/17 16:50

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナカムラマサル - この投稿者のレビュー一覧を見る

時は明治。
売れない物書きの綿貫征四郎は、学生時代亡くなった親友・高堂の実家の家守をして生活している。
床の間の掛け軸から現れる高堂(の幽霊?)を始め、人語を解しているような飼い犬のゴロー、綿貫に懸想するサルスベリ、庭に突如現れる小鬼や巨大な鳶…
綿貫の周りで起こる幻想的な出来事が穏やかに綴られている。


季節の移り変わりの描き方が、とにかく素晴らしい。
たとえば、春の訪れは以下のように表されている。

—「筍があまるほど貯まってしまった。隣のおかみさんに分けようと、仕分けしていたら、土付きの所に、小さな明るい緑色の山椒の芽生えが着いてきている。豆粒ほどに小さいが、立派に山椒の葉の形をしている。芽吹きの季節なのだ。
春が来たのだった。」

こういった文章を読んでいると、懐かしいような、温かいような気持ちになる。
頭ではなく、身体中を巡る血がそうさせるのだ。
日本には四季があり、その変化に気づく繊細さが、日本人の血液には流れている。
梨木香歩の文章には、このことを実感させる力がある。


本書には、「文明の進歩」に言及している箇所が少なからずある。
一例をあげよう。

—「文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。鬼の子や鳶を見て安んずる心性は、未だ私の精神がその領域で遊んでいる証拠であろう。」

古き良き時代の空気を感じさせながら、一本の芯のように本書を貫いている思想が、この文章に象徴されている。
およそ100年前の人々の暮らしと、現代に生きる私たちのそれと比較すると、「文明の進歩」によって、確かに私たちの生活は飛躍的に便利なものになり、より簡略なものを求める傾向にある。
そのために見えなくなったもの、置いてきてしまったものもある。
それが、四季を愛でる心であったり、与えられるよりも刻苦せんとする精神であったりする。
決して「文明の進歩」を否定しているのではない。
ただ、「電気」よりも「洋燈と蝋燭」の方が、精神に馴染む時代があったことに気づかせてくれるのが本書なのである。
一言で表すなら、「気づきの文学」。


作者・梨木香歩は、現代には稀有にして不可欠の存在である。
平成に生きている私たちに、漱石・鴎外と同時代に生きている錯覚を感じさせてくれるのだから。

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紙の本

気持ちがほっこりしてくる和モノ幻想異界譚

2004/05/05 00:42

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:風(kaze) - この投稿者のレビュー一覧を見る

ぽつぽつとエッセイみたようなのを書いている物書き、綿貫征四郎が記録した和モノ幻想異界譚。季節の移ろいとともに、花々や草々、異界の者たちとの触れ合いを綴った掌編集です。

最初の話「サルスベリ」をひもといて、これはいいのに出会ったなと嬉しくなりました。
読み進めながら、気持ちがほっこりしてくる安らかさ、ほのぼのとしたあたたかさが胸の中に満ちてくるような心地。いつしか幻想のあわいへと漕ぎ出して、それがとても当たり前のような、何かそんな気持ちに包まれました。

語り手の私と言葉を交わし、心を通わせ合う人たち、犬や狐、狸たち、花や木や草たち。その様子が慈しみ深く、そっと掌ですくい上げるように描かれていたところ、とても素敵でした。ほうっとため息を吐きたくなるあたたかさ、心誘われるなつかしさがあって、やわらかな気持ちになりました。

装幀も風雅な味わいがあって綺麗ですし、本の見返しの「白鷺」の絵もいいですねぇ。梨木さんの作品に一層の彩りを添えています。一冊の本として、奥床しい雰囲気というのを感じます。

続編が出ないかな、出たらいいなと、そう思わせてくれる作品でした。

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紙の本

日本の物語

2004/02/29 13:55

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:乱蔓 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一見セピア色と見える世界に、季節の植物や風物の色合いが、やわらかく、しかし鮮やかに浮かび上がる。
表紙に一枝描かれた、千両の赤い色のように。
 主人公は売れないモノ書き、湖で消息を絶った友の実家の守を引き受け、移り住んだところから物語は始まる。
そして現れる様々なあやかし…と書くと、まるで稲生のモノノケのようだがそうではない。
訪れるのは、現代では忘れられかけた、四季折々の精霊とでもいうべきものたちだ。
それは散り際に暇乞いにくる桜や、啓蟄の日にふきのとうを集める小鬼、木槿の花が咲くと現れる聖母であったりもする。
 四季の移ろいとともに、現れては消えてゆくまぼろしのようなものを、時にはいぶかしみつつ、当たり前に受け止める主人公。
掛け軸を通ってあの世から亡き友が訪れ、庭のサルスベリがお前に懸想をしているぞと指摘されても、素直に受け入れてしまう辺りからすでに主人公の日常は、異界との境界線が曖昧なのだ。
 それはまるで、坂田靖子の漫画に出てくる、いい年なのに何をして暮らしているのかわからない独身男性が、アヤカシもモノノケも自然体で受け入れてしまうのと似ている。
古くから異界との交流は童子と相場が決まっているけれど、たとえ貧乏であっても、日々の生活に追われることのない、悪く言えば「極楽とんぼ」的なのどやかさが、そういったモノたちを呼び寄せるのだろう。
 もっとも、異界と共存しているのは主人公だけではない。
山寺の和尚は、庭の池にまぎれこんだモノを河童と見抜き、主人公の飼い犬に故郷まで届けさせる。
飼い犬はその後、河童と交流を続け、頻繁に行き来を繰り返す。
隣りのおかみさんは、河童の抜け殻を「一目みればわかります」と断じ、ある時はカワウソについて「かかわりあいになってはいけません」と言い切る。
後輩は亡くなった友が訪ねてくると言うと、「僕も会いたいものだなあ」と不思議がりもしない。
 洋燈のほうが頼りになるけれど、電気に臍を曲げられても困ると電燈をつけたりする、文明の進歩に乗り遅れ気味の主人公と、登場する人物やモノたちの穏やかな諧謔に満ちた言動、植物や風物の描写の細やかさ。
「百年すこし前の物語」ではあるけれど、失われてしまった情景と懐かしく読むもよし、いまだに何処かで息づいている「桃源郷」と信じて読むもよし、どちらでもこれは四季の彩り豊かな「日本」の物語だ。

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紙の本

明治って、本当に狸や狐が人間を化かしていたかも

2019/01/28 16:57

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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

この物語の時代背景は、トルコの軍艦が串本沖で沈没したエルトゥール号事件の直後ということなので明治20年代後半というところなのだが、作者は昭和34年生まれで、その時代の人ではない。舞台のこの時代に設定したのはさすがだ。19世紀の世界なら、キツネやタヌキが人をだましたり、カワウソや河童がうろちょろしていても不思議でない。本当は不思議なのだが。この昼寝をしているときに見る浅い夢、起きているのか寝ているのかわからないよな不思議な世界の住人になるのはとても気持ちがいい。疎水べりの家、私も管理を誰かに任されてみたい

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紙の本

次作もお勧め

2016/02/15 21:41

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投稿者:師走 - この投稿者のレビュー一覧を見る

一編が短いからかあっという間に読めました。

この不思議な雰囲気がすごく好きです。
死んだ友人が掛け軸から出てくる、あの場面が何とも言えない!
キャラクターは全員好きですけど、ゴローがいると増して和みますね。
主人公とサルスベリのくだりもいい・・・

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紙の本

考える時間を与えてくれる

2015/03/26 11:43

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投稿者:september - この投稿者のレビュー一覧を見る

おもしろいとかそういう気持ちは湧いてこなくて、また読みたいって感じた一冊。一章読むごとに考える時間を与えてくれる。あちらの世界とこちらの世界。たとえどんな心境にあっても、どんな季節でも、どんな場所でも変わらずに在る、寄り添ってくれる本。

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紙の本

本屋大賞を見て、読みました。

2014/10/13 01:30

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:shingo - この投稿者のレビュー一覧を見る

本屋大賞を見て、読みました。
植物を絡ませた不思議な日常話。文章がうまく、こだわりを感じます。雰囲気が面白いです。

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