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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.11
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/252p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-380806-0

紙の本

号泣する準備はできていた

著者 江国 香織 (著)

【直木賞(130(2003下半期))】体も心も満ち足りていた激しい恋に突然訪れた破局。その哀しみを乗り越えてゆくよすがを甘美に伝える表題作など、詩のように美しく、光を帯び...

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号泣する準備はできていた

税込 1,540 14pt

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商品説明

【直木賞(130(2003下半期))】体も心も満ち足りていた激しい恋に突然訪れた破局。その哀しみを乗り越えてゆくよすがを甘美に伝える表題作など、詩のように美しく、光を帯びた文章が描く、繊細で透明な12の物語。【「TRC MARC」の商品解説】

収録作品一覧

前進、もしくは前進のように思われるもの 7-26
じゃこじゃこのビスケット 27-46
熱帯夜 47-68

著者紹介

江国 香織

略歴
〈江国香織〉1964年東京生まれ。「きらきらひかる」で紫式部文学賞、「こうばしい日々」で産経児童出版文化賞、坪田譲治文学賞、「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」で山本周五郎賞を受賞。

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評価内訳

紙の本

江国香織は天才である

2004/01/07 23:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 福田和也氏の「悪の読書術」によれば「江国香織は天才である」らしい。福田氏は江国香織の凄みについて「比類のない文章上の技巧、意識の確かさと、古来天才の症例分析でよく語られる境界症例的な精神の危うさが同居している」と表現している(ちなみに境界症例とは精神科の用語のようで、精神分裂病と神経症の境界という意味で使われているようだ)。その上で、江国香織の才能が男性にはわかりにくく、彼女の才能を感じるのは男性としてやや過敏であるかもしれないとしている。そういわれても、私はかなり江国香織が好きである。

この「号泣する準備はできていた」という短編集も上質な作品でできている。物語の流れ、文章のうまさ、余韻の残る読後感、いずれをとってもうまいというしかない。まさに油が乗り切った円熟味を感じる。喩えていうなら、少女の持つはちきれんばかりの明るさはなくなったが、しっとりとした静謐に満ちた女性のような文章である。化粧の濃さや香水の匂いさえも自分自身の一部にしてしまった女性の魅力である。しかも、そんな女性こそがもちうる不安感を描いたのがこの十二篇の物語だ。

行きつけのスナックで日常生活から少しだけ離れた場所で会話を楽しむ四人の男女を描いた「どこでもない場所」という作品では日常生活こそが「昔々の旅先の恋みたいな、遠い、架空の出来事」と主人公の「私」は「幾つもの物語とそこからこぼれたものたちを思いつつ」陽気になっている。しかし、その陽気さこそが危うい悲しさをともなっていることを読者は実感する。また、満たされた主婦のなにげないデパートの買い物風景を描いた「こまつま」では、昼下がりのデパートという幸福感の中でいながら、主人公は倦怠感から抜け出せない。「保護した記憶はつねに曖昧に輪郭をぼかし、保護された記憶ばかりが、つねにしみつく」と主人公は、少女の頃を慈しむ。

江国は「あとがき」の中で、この本は「かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短編集になっているといいです」と書いているが、十二篇の短編のいずれもが喪失をはらみながらも継続していく日常を描いている。それは江国自身の、現在の居場所かもしれないし、美しさの絶頂にある女性がもつ不安そのものだともいえる。そして、そのような日常生活をさらりと表現してしまう江国香織は、やはり天才なのかもしれない。

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紙の本

号泣する準備

2005/02/15 00:55

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:朝倉ちの - この投稿者のレビュー一覧を見る

 恋愛依存症の女たち。それがこの短編集の共通事項だと思いながら読み進めた。それぞれの恋愛感、それぞれの出会いと別れ、そして生活。全部で12編の短編小説がこの本には収められているがどの作品も共通の何かがありそうで、でもそれが何か分らない。強いて言えばどの主人公もそれぞれが「恋愛依存」もしくは「他者依存」であり、満たされない何かに気付いていた。 号泣するほどではない、それが初めの読後感想だった。主人公たちの思い、生活は白々過ぎて感情移入できなかったから。でもあとがきを読んで自分の思い違いを知った。「号泣する準備」これがこの作品集のキーワードだったのだ。

『たとえば悲しみを通過するとき、それがどんなにふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。喪失するためには所有が必要で、すくなくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持ちが必要です。 そして、それは確かにそこにあったのだと思う』

 何かを確実に所有していると自覚すること、それが号泣するための、喪失するための準備なのだ。 

 そうして見ると彼女たちの共通事項はただの恋愛依存症ではなく、一度は確かに手に入れた愛を失い、それでも変わらない生活を続けていく女たちの物語になっていると思う。彼女たちは決して号泣はしない。それでも一度手に入れたものを失う痛さを感じている。

 読み返してみても主人公の気持ちに感情移入はできない。号泣もしない。でも号泣する準備ができていた彼女たちが羨ましいと、ほんの少し思う自分に気付いた。

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紙の本

世界観。

2004/11/19 06:02

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:風花 - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者の作品には独特の世界観がある。
その世界感に最初はついてけず、流し読みで終わってしましました。しかも感想は「つまらない」
でも、ふと「もう一度読んでみよう」と思い、読んだところ、ついていけなかった世界観が私の中に馴染んできました。
ありそうで、なさそうな話。
「熱帯夜」の中の「だって、私たち行き止まりにいるのよ」とか「溝」のなかの「私たち一度は愛しあったのに、不思議ねぇ。もう全然何も感じない」とか「そこなう」の最後、「私はもう二度と彼に会えないだろう」という思い。
そんな心に残る(チクリとくる)言葉が、全てに含まれている。
別世界の話だったのに、いつしか物語にはまりこんでしまっていた。たとえそれが実際におこりえないことでも。
最後まですんなり読めたのは、あとがきで著者が言っていたように、「ひと袋のドロップ」と言う言葉が表していると思います。
生きていくこと、恋愛をすること、その形や表現方法は違くとも、きっと根底は一緒なんだと思いました。
私はまだまだ号泣する準備はできていなけれど、もしもいつかその時が来たら、「すくなくとも確かにここにあったのと疑いもなく思える心」をもって、号泣する準備をしておきたいと思いました。

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紙の本

短篇小説の余韻

2004/09/12 22:22

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:コモンセンス - この投稿者のレビュー一覧を見る

 短篇小説というのは余韻がすべてである。「しみじみとした」余韻、「さわやかな」余韻、「切ない」余韻、…いろいろな余韻があるが、とにかく、読み終わってしばらくそれに浸っていたいような何かしらの余韻がそこに残るかどうか、そこに短篇小説の成否がかかっている。そして、そうした余韻をかもしだせるかどうかは、ひとえに作家の才能にかかっている(もちろん読者にもそれなりの感受性が必要だが、それについてはひとまず措く)。長篇小説を書くために必要な才能が「構想力」であるとすれば、短篇小説を書くために必要な才能は「観察力」である。日常生活の中で、凡人が見過ごしているもの、見てはいてもありきたりの視線で見ているもの、そうしたもの(外部のものとは限らない)に焦点を当て、くっきりと、クローズアップし、読者の目をそこに釘付けにする力、それが「観察力」である。…というようなことを、江國香織の短篇小説集『号泣する準備はできていた』(新潮社)を読みながら思った。
 たとえば、「煙草配りガール」という作品は、「私」と「夫」と「百合」(私の幼なじみ)と「明彦さん」(百合の夫)が薄暗いバーのテーブルで交わす会話で成り立っている。「私」は再婚で、「夫」は初婚だが「私」と結婚する前に12年間付き合っていた女性がいた。「百合」も初婚だが結婚を考えた男性が少なくとも過去に二人おり、「明彦さん」は再婚である。そういう4人が交わす会話だから、大学生がキャンパスの芝生の上で交わす会話とは違って、親密な険悪さとでもいおうか、撤去し忘れた地雷をいつ踏むかわからない雰囲気がある。そんな雰囲気の中で、「私」はふとこんなことを思う。

 「急に、いまここで百合の横にすわっているのがあの男でないということが奇妙に思えた。あるいはいっそ、学生時代に百合がまるまる四年間つきあい、「将来絶対結婚する」と宣言していた男ではないことが奇妙に思えた。いまトイレにいっている男がかつての夫と別人であることも、明彦さんの隣にいるのが彼の一人目の妻—百合は二人目だーではないことも、そしてここに坐っている私が、夫と十二年間つきあって別れたという京都出身のーそういう女がいたそうだなのだがー女でないことも。」

 この感覚は、多かれ少なかれ、誰もが経験したことのあるものではなかろうか。自分の周囲の世界から、現実感が薄らぐ感覚。周囲の世界を構成する個々の事物と自分との関係が必然的なものではなくて、他の関係と置き換え可能な、偶然的なものに過ぎないという感覚。精神科医ならば「離人症的感覚」というかもしれないし、哲学者ならば「実存的不安」というかもしれない。われわれは、家庭の居間で、職場で、通勤電車の中で、こういう感覚とたまに遭遇する。そしてそれを「疲れ」のせいにして、やりすごす。しかし、江國香織はやりすごさない。読者は、彼女に連れられて、日常ののっぺりとした空間に一瞬生じた裂け目の中に入っていく。彼女の短篇を読むことはとてもスリリングだ。そして読み終わった後には、「何ともいえない」余韻が残る。

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紙の本

ストイックなパッションを

2004/07/23 13:45

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:祐樹一依 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 第130回直木賞受賞作。当時、失礼ながら僕は本書の刊行の事実を知らなくて、直木賞受賞に関し、江國氏が「号泣する準備はできていた」というコメントを公表したのかと勘違いし、大人物だなあと思ってしまったものです(笑)。そんな情けない笑い話はともかく、このタイトルはそれだけでインパクトが強く、巧いなあ、と思わせられますね。江國氏は詩を学んでいたこともあって、言葉の使い方がとても巧い。それはつまり読みやすい小説を書ける人であるということで、なおかつ時折出てくるレトリックも、とても綺麗でしかもイメージしやすいのです。

 本書は12の短編を収録した短編集ですが、そのどれもに男女の恋が描かれている。そしてそれらはどれも、ストイックな表層を提示しつつ、実はとても情熱的で幻想的ですらある恋の様相を秘めているのだということに、一読、誰もが気付くことでしょう。そうであるだけに、短編の形をとっているけれども、まるで長編小説の一場面を切り取って集められた作品集を読んだみたいな充実感が得られる。それが物足りないのかと言えば物足りない気がしないでもないけれど、この形であるからこそ、江國氏の小説として形を成しているのだとも思えるのです。切なくて、でも微笑ましくて、少しだけ不思議な、人の恋愛。人が恋愛をするのではなく、恋愛をこそ、人がするのだということを、頭の片隅で呟かれた気分です。

(初出:CANARYCAGE)

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紙の本

日本で生まれた柔らかく優しいミニマリズム

2004/01/31 01:14

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:けんいち - この投稿者のレビュー一覧を見る

 かなりジャーナリスティックな色合いが濃かった芥川賞に比して、直木賞は順当というか、着実に自身の表現世界をもった作家が受賞したという印象が強いが、なかでも、本書は、ともすると「軽さ」や「薄さ」として避難されてしまうような微細な、しかしそれでいて深い出来事を、ていねいに描いていく。それは、かつて村上春樹の翻訳・紹介によって日本でも人気を博した、R・カーヴァーらの「ミニマリズム」を彷彿とさせる(あれほど、暗くないのだが)。
 江國の描く世界は、そういってよければ「ふつう」で、それ自体として穏やかであり、あたたかいと言ってよい(そしてそれは、想定や帯の喚起するイメージにも明らかである)。ただ問題なのは、そうした微温的な人間関係が、実は、どこか、少しずれている点である。その微細なズレこそが、出来事そのものよりも、本書全体に滲み出る情感の源泉だと言ってよい。

 この一年、ほんとうはいろんなことがあった。でもそれは指で砂をすくうみたいに、すくうそばからこぼれていき、あってもなくても同じことに思える。日常というのはそういうものなのかもしれない、と最近は考えるようになった。(「どこでもない場所」)

 おそらくは、上記に引用した本書所収短編の一節こそが、本書全体のモチーフであり方法論であるといってよい。「日常」の微細なズレをも、「日常」として受け入れてゆくこと。そこから、その強さから、あるいは弱さからあふれ出てくるのは、柔らかくも優しい、「日常」のもつ、あるいは人間の持つと言ってもよいような、あたたかさなのだ(たとえそれが、どんなにつらく切ない話であるにしても)。

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紙の本

標準的な暮らし人には受け入れられない。

2009/06/17 23:06

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る

号泣する準備はできていた 江國香織 新潮社

 長編小説かと思いきや、非常に短い文章が12作品集まった本でした。全体を通して、向田邦子作品「思い出トランプ」路線のようでした。身内、親族同士の争いは、大昔、保元の乱とか平治の乱を思い起こさせてくれる部分がありました。
「前進、もしくは前進のように思われるもの」なかなかいい。味わいあり。夫婦の生業(なりわい)というものは、前進しているようでしていないようでしているのです。
「じゃこじゃこのビスケット」卑屈な女性心理なのか、そうでないのか、その辺が男性のわたしにはわからない心理です。
「熱帯夜」女性同士のLove? 標準化して集団のなかで暮らせない人たちのお話です。
「煙草配りガール」妻子もちのわたしとしては、こどもの居ない夫婦の気ままな生活とお見受けし不快でした。
「溝」前作同様、なんとも暗い話が続く。
「こまつま」こまねずみのように働く妻を「こまつま」と言い換えています。作者の日常生活が作品に落とされているようです。暗さだけでは、幸福感に達せません。
「洋一も来られればよかったのにね」作品全体を通じてですが、記憶力が良すぎて、過去の嫌な体験が忘れられずに苦しいということはあります。物足りないことは、この本に登場する主役女性たちに「芯」がないことです。まじめに努力して、根性と忍耐で生活している人間が読むと腹立たしい。また登場する女性たちは、優柔不断でもあります。嫌なら嫌とはっきり意思表示をすればいい。
「住宅地」なんだか、テレビ番組や週刊誌では、男女の浮気はあたりまえと盛んに言っているけれど、日本人の90%は、浮気していないでしょう。生活に追われているので、浮気をしているヒマはないのです。
「どこでもない場所」父のいない子をつくることは、児童虐待ではなかろうか。登場人物の女性に対して、勝手にしてくれと思う。
「手」家族の代わりが動物、そして、セックスフレンド。むなしい。
「号泣する準備はできていた」今読んでいるインド旅行記の作者を主人公に重ねてみたらぴったりきました。
「そこなう」わびしくなった。

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紙の本

号泣という激しさは感じなかったが…

2004/06/14 21:52

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オクヤマメグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者の作品には独特の時の流れが存在しているようだ。
登場人物も実際の年齢とはかけ離れている印象で、生活感があまり感じられない。そんな彼らの物語は帯に紹介されている通り、『透明な』『光を帯びた』『繊細な』という描写が良く似合う。
つまりとても幻想的なのだ。
現実を書いているのかもしれないが、実線ではなくぼやけた感じ。フィルターを通して見ているみたいな。
12の物語を流れるように読み終えてしまった私だった。
表題作も『号泣』というイメージとは程遠かった。
ただし、『洋一も来られればよかったのにね』は何故か心に残っている。

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紙の本

直木賞受賞作ということで手にとってみたが、読後感は“つまらない映画を観たあとのよう”な感じである…

2004/02/29 12:26

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

やはり男性読者には理解不能の世界なんだろうか?
全然ワクワクするものも感じられないし、心が癒されることもなかった。
よく完読出来たものである。
“たかが直木賞、されど直木賞!”と叫びたい。

12編からなる短編集だが、どの登場人物も総じて“やる気がなく現実逃避型”である。
過去の恋愛がいい想い出となってるわけでもなく、ただ単に過去に縋り付いてるだけのような気がする。
少し我慢をすれば切り抜けれるのに…
“恋愛がなかったら生きて行けない”困った人たちだ。

ただ、文章は透明感があって独自の世界を完成してる点は認めざるを得ない。
表題作における描写(本文218ページ)なんかは本当に見事の一言に尽きる。

でも作品全体としたらどうなんだろう?
よっぽど、“恋愛経験が豊富な方”でなければ“号泣する”ことはないような気がする。

もし、多くの女性がこの作品に対して高く評価があるとしたらちょっと“カルチャーショック”に陥りそうな気がする。
きっと異性から見て“こんな生き方をしてほしくない”と思えるようなことが同性から見たら“理想の生き方”なのかもしれない。

そう考えると貴重な経験をさせてもらったのかもしれない。
“小説は事実より奇なり!”かな(笑)

トラキチのブックレビュー

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2004/09/28 23:47

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2004/10/04 14:57

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2004/10/13 00:39

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2004/10/22 04:46

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2004/10/29 21:51

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2005/05/23 08:52

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