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  • みんなの評価 5つ星のうち 4.1 85件
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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2003/10/23
  • 出版社: 角川書店
  • サイズ:19cm/426p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-04-873493-8

紙の本

ツ、イ、ラ、ク

著者 姫野 カオルコ (著)

すべての人の記憶に眠る、官能の目覚め。狂おしいまでの恋の痛み、恋の歓び−。渾身の思いを込めて恋の極みを描ききった長編小説。『ダ・ヴィンチ』掲載の連作短篇「キンコンカンコン...

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ツ、イ、ラ、ク

税込 1,980 18pt

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商品説明

すべての人の記憶に眠る、官能の目覚め。狂おしいまでの恋の痛み、恋の歓び−。渾身の思いを込めて恋の極みを描ききった長編小説。『ダ・ヴィンチ』掲載の連作短篇「キンコンカンコン」を部分的に原案とした書き下ろし。【「TRC MARC」の商品解説】

地方。小さな町。閉鎖的なあの空気。
班。体育館の裏。制服。
渡り廊下。放課後。
痛いほどリアルに蘇るまっしぐらな日々--。
給湯室。会議。パーテーション。
異動。
消し去れない痛みを胸に隠す大人達へ贈る、
かつてなかったピュアロマン。
恋とは、「堕ちる」もの。
【商品解説】

著者紹介

姫野 カオルコ

略歴
〈姫野カオルコ〉1958年滋賀県生れ。青山学院大学文学部卒業。画廊事務を経て、90年「ひと呼んでミツコ」でデビュー。著書に「整形美女」「受難」など。

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みんなのレビュー85件

みんなの評価4.1

評価内訳

紙の本

色あせない恋はあこがれ

2006/02/14 14:58

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:土曜日の子供 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この物語は、全身全霊で人を愛した、本気の恋をした、世の中の全ての人への賛歌だ。
 著者はクールに熱い恋を語ってゆく。
 思春期の純粋でストレートで何かに取り付かれたようでさえある一途さ。あとから振り返れば、若さのせい、恋愛ホルモンのせい(?)と思えるかもしれない。しかし思春期とは、怒涛のような暴走に、後々得た知識でもって解釈をつけようとしても、やはり「あのときはほんとにああだった、ああするよりなかった」と、覚めた目で熱い時代を振り返らざるを得ない、不思議な時期だ。
 小学校・中学校時代の独特の空気というか、精神状態というのか気分というのか、行間からかもしだされてくるムードに、かつて経験したその頃の時代を思い出し、妙に共感してしまう。
 登場人物の性格の描き分けがはっきりしていて、インパクトが強く、小学校から社会人になるまでの彼らの姿を追っていると、まるで実在している誰かのような気がしてくる。ふと、今現在、自分の同級生たちの日常も案外こんな感じだったりするのかもと思ったり・・・。でも、ほんとにほんとのお互い確信を持てた恋をしている2人は、やはりくっきりと全体から浮かび上がる。ほんとにほんとの、ピュアで五感が紛れもない真実の恋だと告げてくれるような出会いは稀有だから、始まりはどうあれ、過程はどうあれ、結末はどうあれ、やはりそれは光輝いて誇らしげで、ちょっぴり羨ましい。

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紙の本

大人のさかしらなたしなみをはねつける<若さのきらめき>をとことん味わえる恋愛小説

2005/08/14 11:03

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

市立長命小学校2年2組の準子たちは、「晴れた日の中休みには、ドッジボールを『したがる』ことが小学生の社交」であることをわきまえる子供たち。「午前中に誰かがタクシーを呼べば、午後には町中にその者が贅沢をしたことが知れ渡る」ほどの小さな町で、彼らは自我を密かに、そして持て余し気味に育んでいた。
 中学生になった準子たちの前に、若き産休交代教師・河村が赴任してくる。それは準子が恋とは、「する」ものではなく、「落ちる」ものであることを知るきっかけだった…。

 一言、お見事としか言いようのない恋愛小説です。
 準子ら子供たちは、ままならない日々の中で、人生から消し去りたいと後に思うほどの浅はかで蒙昧な出来事を積み重ねていきます。まっさらで無垢であるはずの幼い人生のカンバスに、ぬぐい難い<成長のシミ>が広がっていく。人生の澱(おり)がうず高く積もっていく様を、この小説はごく自然に描いています。

 小説の主人公とともに物語を生きることが出来るとき、読者は無上の喜びを知ることになります。本書はまさにそうした小説です。わずか8歳の子供たちとともに、私たちは25年の人生を生きるのです。
 準子ほどの体験を14歳でする人はもちろん多くはないでしょうが、それでも彼女がその日々で激しく揺らした心に、読者のひとりひとりは、甘くそして苦い思いを確かに重ねていくはずです。「その一瞬がただ在って、かけがえのない日々の尊さをまるで知らなかった。二度ともどることなきひとときの熱さにまるで感謝しない」、そんな、自分なりには懸命だったけれど、どうしようもなく閉塞感を味わっていた日々を見出すことでしょう。

 大人になるということは、節度と諦念を、そしてしたたかさや計算だかさを「たしなみ」として身につけることと同義だと人は言うでしょう。
 しかしそれでも、誰かを強く慕うということはそんな「たしなみ」を寄せつけないほど、越えたところにあるものです。34歳になった準子とともに、その高みの‘いや、谷底なのか‘恋に身をやつすことができる物語、それがこの「ツ、イ、ラ、ク」だと私は思うのです。

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紙の本

もう一度○○してみたくなる小説

2003/11/13 17:31

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ハイド - この投稿者のレビュー一覧を見る

物語は主人公「森本準子」が小学2年生の秋から始まります。少女が官能に目覚め、激しく熱く深い恋愛のブラックホールに堕ちてゆく様が、瑞々しい心理描写と独特の世界観を持って描かれます。男女を問わず子供であれ大人であれ誰かを好きになるというそのことだけで、胸は苦しく、心が痛み、言葉では説明できない狂おしさに身悶えするものですね。

本書の帯には「今年度最強の恋愛文学」と記されているので、読み始めた読者は小学2年の主人公がすぐ成長して大人になって恋をすると思うかも知れないんですが…。

ちっちっち。

いきなり文体も乱れるほど物語は意外な展開を見せます。主人公の準子がまさに「ツ、イ、ラ、ク」する恋の深淵に、あなたもいっしょに放り込まれて、後はキリモミ状態。 400ページ強の厚い本書を一気読みすること間違いなしですよ。

随所に散りばめられたヒメノ式と呼ばれる独特のアフォリズムや、なにげない細部に宿るリアリティーが、マニアックで楽しい。多彩な登場人物もキャラクターが起っていて印象深く、主人公ばかりでなくみんなのその後が気になったりします。青春真っ只中の若者からすれっからしの中年まで、すべての読者を胸キュンにさせる超恋愛小説。

ちなみに、わたしはすれっからしで出涸らしの中年男なのですが、書評タイトルのもう一度してみたくなる○○は…もちろん「恋愛」。

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紙の本

大恋愛ってこんな恋愛のことかも

2003/10/30 01:24

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:楊耽 - この投稿者のレビュー一覧を見る

市立長命小学校に通う森本隼子。彼女が二年二組の級友らとともに成長をしてゆく過程を描いた長編恋愛小説です。
熱中して一気に読み終わりました。

隼子が恋に落ち、別れるまでの短い期間がハイライトだと思うのですが、この箇所は本当に面白かったです。
「恋は理屈では無い」。頻繁に耳にする言葉ですが、では「理屈では無い」とはどういう事かと言うと、それを説明するのは難しいと思います。でも、この小説で隼子が恋に落ちる様子は、読者である僕がそれを恋だと意識出来ないほど理屈抜きの落ち方で、つまり、タイトルどおり「ツ、イ、ラ、ク」していました。そして、この理屈では無い恋愛=墜落に憧れや、羨ましさを感じるのではなく、滅多に得られない=一期一会であると、後から気付くのであれ、読んでいる僕に励ましを与えてくれるように感じました。
逆に、最初は主人公の潔癖さを象徴する反面として描かれていた統子のその後が、実のところ僕が憧れる墜落でした。

ところで、この物語では、統子の他にも多数登場する脇を固めるキャラクター達もそれぞれ個性的です。彼らの描き方がこの小説の特徴の一つであると感じました。
それは、これだけ個性的な人物が多数登場していながら、彼らが何かの類型を代表しているわけではなく、それぞれが普遍的な業を背負って生きる人に感じられたことです。
奥付の前のページの編集部作成著者紹介から深読みすると、キリスト教で言う「原罪」を背負って生きる人の生きざまを、意識している人、意識せずに生きる人、両面から、それでも幸せを掴めと励ましている小説と言えるのではないかと思います。
でも、こんな小難しい事は、読み終わっての感想であって、とにかく僕がこの小説に熱中した三日間の寝不足が、心地よい一冊でした。

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紙の本

中身が深い!

2016/01/16 12:51

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

この小説は、表面的には主人公である女子生徒と新任男性教師の恋愛というか、そういう関係を描いたものですが、実は、それだけでは済ますことはできない深さをもっています。主人公が生まれ育った田舎の風景や生い立ちが、最初から延々と語られているところがこの小説の味噌だと思っています。人間というのは、その個体の特徴を形成していく上で、社会的環境や人とのつながり、体験や経験が非常に大きな要素になっているのではないかと考えさせられます。私は、姫野作品の中で、本小説はもっとも好きな一つです。

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紙の本

ぶっ飛ぶ衝撃の恋愛小説

2006/10/09 03:39

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:よし - この投稿者のレビュー一覧を見る

主人公は隼子。長命小学校2年からの彼女の周辺を丁寧に描いていく。友情、目覚め、初恋、恋愛、性など少女から大人の変化。中学2年生の夏、産休代替教師河村との出会いは、身も心も溶かす恋だった。
最初この小説はどこに行くのだろうと、なかなかペースに乗れず、苦労しました。
あるときは新撰組の例えが出てきたり、本の文章で例えてみたり。数式も出てくる。アンケートも出てくる。そんな中でこの小説の行き先が見えませんでした。しかし、一人の教師との出会いからドラマは加速します。
狂おしいほどの官能と恋心。若かった河村もその恋に溺れていきます。
しかし、そんな恋も長続きはしません。お互いの将来を見つめたとき、その結論は「別れ」しかありません。そう決意したとき、事件が起きます。クラスメートからの仕打ち。
学校から追われるように去っていく河村。卒業後、町にいられず、大阪の高校にいく隼子。
まるでゴミ箱を空にするように(コンピューター用語も出てきます)。
次は高校生活を描くのかと思って読み進めると大間違い、いきなり20年後に飛びます。それぞれに齢を加え、大人になっている、同級生たち。その生活も淡々と綴られています。
隼子は東京で会社に勤め、淡々と生活しています。あの頃のことなどなかったように。その会社の組織の変化に伴い、社員のプロフィールを見たとき発見するのです。「河村」の名を。しかし写真ははるかに若い男。ここで、終わりかと思いましたが…。
最後は涙です。こんなにも切なくて少女の心を描いた作家はいなかったと思います。この作品の成功はあくまで第3者として淡々と書ききったことです。それがいろんな引き出しの中から、いろんな例えを引用しても決してわずらわしくないのです。
恋のかたちも初恋、友達の恋、隼子の恋、最後は不倫まで出てきます。
姫野さんは最後にこう括っています。「それが恋というもの」。
こんな少女達の話に引き込まれること間違いなし。現代の少女達とはこういうものかと驚くよりも、きっと誰にもあった恋心を思い起こさせる小説です。

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紙の本

作者の意図を超え、わたしたちは引きずり回される。

2004/01/21 13:44

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:cake - この投稿者のレビュー一覧を見る

弟130回直木三十五賞を京極夏彦・江國香織といった作家と争った恋愛小説。自覚の無いエロスを身に纏った少女を中心とした一種のファム・ファタルもの、ともいえなくもない。

読み始めて、
1.時代背景等が(意図的に)説明されないこと(後述)、
2.登場する女の子たちの書き分けがうまくないこと、
3.視点人物がころころかわること
に疲れた。

しかし、小学校を舞台とした第1章,第2章に堪えれば、その視点の不安定さが、個性が埋没される「学校という組織に属す集団」の不気味さをよく演出しているようにも思われてくる。女の子たちの書き分けが不鮮明であることも、登場人物が類型に堕すことを避けた結果によるのかもしれない。
結果として、不安定・不鮮明な集団から、恋愛に身を捧げはじめる主人公の少女が立ち現れてくるあたりから、俄然ひきこまれる。不安定な文体さえ、思春期に官能を知った少女の戸惑いと歓びを演出しているように思われる。

しかしのしかし、その恋愛の日々が過ぎ去った後の、後日譚にあたる第7章以降は、激情の後、恋愛と性欲とが主人公にとって峻別されていることを表しており、重要ではあるのだが、説明的で、読者にとってはふたたびもたつくパートとなる。

しかしのしかしのしかし、そのもたつきがラストを「うそくさくなく」着地させている、とも言える。これがたとえば伊坂幸太郎のような洗練された構成と文体を持つ作家の手によるものなら、「そんなご都合主義な」と切り捨てられてしまいかねない。
そういった意味では、異性を意識しだす小学生の頃から、失恋によって停止した時間が溶けほぐれる青春の終わりまでが、生のままに描かれた異形の青春小説・成長小説としても読める。恋愛小説は「ほれたはれた」しか描かない、というイメージをもった人にもすすめたい。


さて、あいにくと直木賞選考の俎上では、

>>姫野カオルコの『ツ、イ、ラ、ク』は強烈に推す選考委員がいた一方、全体の構成力に問題があり、読者が引きずり回されると落選。評者サイト>http://cake.milkcafe.to/

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紙の本

緊張感いろいろ

2013/02/12 20:17

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:KAZU - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書はオーストラリア−日本間のフライト中、いっきに読み上げた。「ツ、イ、ラ、ク」という題名が題名だけに飛行機の中で読むのにある種の緊張感をおぼえてしまったというのは出来過ぎた感想ではあるが、それは作り話ではなく、嘘でもない。小中学生の頃の、今にも壊れてしまいそうな恋、性に関する緊張感。そして日本ならではの共同体意識(村意識ともいうのだろう)の中での緊張感。20年後に起こる偶然の再開の緊張感。この小説は全く違う次元の緊張感をいろいろと味あわせてくれる点において、随分と楽しむことができた。

姫野カオルコ氏の著作はいくつか読んできたが、この作家の癖というか、特徴というか、話の例えがあちこちに飛んでしまうことが目に付く。しかも、その例え話がやたらと「理系」しているのである。その点は、直木賞審査のコメントにも「読みにくい」との指摘として現れている。工学研究者の僕としては、その例え話は決して理解不能なわけでもなく、的を外しているとも思えない。思えないのではあるが、やはり何か違和感を感じるのである。それは、「右脳」を使って感覚・情緒的に読書をしている最中に、いきなりの理詰めの例え話で「左脳」を使わされ、理論的な思考を余儀なくされるからであろう。

著者はあとがきで「気温も上昇するほどの情熱をもってこの原稿に取り組んでくださった(角川書店の)宮脇眞子さんのアドバイスと励ましがなければ、この小説は完成しなかった。」と記している。実は編集者の宮脇氏は僕の高校からの友人である。そして、ここで裏話をさせてもらうと、僕は宮脇氏から、原稿の「理系」的例え話が学術的に正しいかどうかの問い合わせを受けたのである。これは、業界用語でいえば、「裏を取る」ということであろうが、姫野氏の言うとおり、この友人である編集者のプロ意識には頭の下がる想いである。例えば、P272の「ケルビン温度…原子と分子の熱運動が完全に…」という記述。それは学術的に正しい記述なのである。

しかし、理系的例え話による「左脳」使用の強要により、折角の「右脳」刺激による感情の高まりを阻止される代償は大きいと言わざるを得ない。これが、この作家の長所でもあり弱点でもあるのだろう。そして僕にはやはり「左脳」を全く使うことなく読める村山由佳氏の作品群にどうしても軍配をあげてしまうのである。さて、これから直木賞受賞作、村山由佳著「星々の舟」。普段「左脳」を酷使している僕にとって、やはり恋愛小説は「右脳」だけで読みたいのである。

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紙の本

姫野カオルコの集大成

2004/02/24 23:15

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:遊子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

姫野カオルコ作品の集大成である。
以前からエッセイに笑い転げ、恋愛ベタな主人公のでてくる小説を
読んでは「女」ってヤツは…なんて思っていた。
特にエッセイは何度読んでも面白いと他人にまで勧めるくらいだ。

この『ツ、イ、ラ、ク』はそんな姫野作品の集大成ではないだろうか。
物語のなかでナレーターに徹していた作者がチラリと顔をみせ
自己主張していったりする。それがまたエスプリが効いていて小気味いい。
また、これまで作者が主張してきた「男」というのは小さい頃は
少年だったり、男の子だったりするが「女」は生まれながらにして
「女」という固有の生き物であるという持論を前面に押し出している。

小学校だろうが、中学校だろうが「女の子グループ」という
一見かわいらしいサロンは、実はどんな集団よりも恐ろしい。
新撰組の局中法度は何をしてはいけないと箇条書きになっているが
女の子グループのご法度は犯しても犯したことに気づかない
ことだってある。いかに自分がこのグループで安泰にやっていけるか
日々切磋琢磨しなきゃいけない。
そして、幼いからこそ、不条理が通る。オピニオンリーダーの
意見は絶対なのだ。…よく私もそんな世界を生きてきたなと
今になってしみじみ思う。

そんなサロンのなかでだんだんと社会性を身に付けていく少女の成長を縦軸に
大人の男との恋愛で見も心も成熟していく女としての成長を横軸に
物語は進んでいく。
ここまで顕著じゃないにしろ誰しも学校というサロンの中で
社会性という名のずるさや妥協を覚えて大人になっていくものだ。
「学生時代はよかったなあ」なんて口癖になっている人多いでしょう?
本当にそうだったかこの小説を読んで、振り返ってみては
いかがだろうか。

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紙の本

劣情小説

2004/01/01 23:23

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:リエイチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者はこれを「恋愛小説」だと言う。でも私は「劣情小説」だと思った。
 劣情……1、いやしい心情 2、肉情。情欲。(広辞苑)
 舞台は、主人公森本隼子とその仲間たちが小学2年生の時から始まる。小学2年生、幼児期を抜け出し、男と女の違いを意識し始め、原始的欲望のまま、自分の感情をオブラートで包む術を知らない年頃。その人がもつ1、いやしい心情 が、露骨に表れる。グループの中の統子という少女がその象徴だ。「ああ、こういう、いやらしい、粘着質な子、いるな」と思わせる。不快指数が高まる。
 小学校時代から、中学で、隼子が若い男性教師とカンケイをもつまでの前半は、まさに2、肉情、情欲の世界。ほのかな性欲の芽生え、公然と、体をさわりまくる体育教師。それをいやだと思いつつ、抗議することもせず、我慢する少女たち。(もし、自分の娘がこんなことをされたら、絶対教育委員会に訴える!)       
 小学校時代から「ソウジュク」だった隼子は家庭環境による寂しさゆえか、好きな歌手の歌詞に刺激されて、妄想たくましい少女に成長していた。そして、教師を誘う。たいして好きではなかったはずなのに…。
 作者は恋愛小説というが、始まりを見る限り、ふたりは性欲から始まり、それからそのカンケイが恋になったという話だ。だから、前半は「劣情小説」。
 後半、ふたりの関係がばれそうになって、別れてからの話は、ぐっと落ち着いて、恋愛小説らしくなってくる。なにより、前半のエロ描写では、作者のほとばしる興奮が、こちらに伝わってくるような、文体乱れまくりの文章だったのが、後半になるとしっとりと落ち着いてくる。そういえば、「ひと呼んでミツコ」も前代未聞の型破りな文体だった。
 著者の、執筆中の興奮が伝わってくる小説なんて、そうはない。いやはや、これは姫野カオルコ自身の「劣情」小説だ。

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2004/09/29 00:06

投稿元:ブクログ

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2004/09/30 21:50

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2004/11/30 00:55

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2005/04/03 11:22

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2007/01/28 02:19

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