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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:2003/08/01
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/253p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-401303-X

紙の本

博士の愛した数式

著者 小川 洋子 (著)

【日本数学会出版賞(第1回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第1回)】【読売文学賞小説賞(第55回)】この世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたった...

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博士の愛した数式

税込 1,650 15pt

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商品説明

【日本数学会出版賞(第1回)】【全国書店員が選んだいちばん!売りたい本本屋大賞(第1回)】【読売文学賞小説賞(第55回)】この世界は驚きと歓びに満ちていると、博士はたったひとつの数式で示してくれた−。記憶力を失った天才数学者、と私、阪神タイガースファンの息子の3人の奇妙な関係を軸にした物語。『新潮』掲載作。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

小川 洋子

略歴
〈小川洋子〉1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞、「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞。他の著書に「偶然の祝福」など。

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みんなのレビュー790件

みんなの評価4.2

評価内訳

紙の本

喪う

2005/11/28 16:55

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つな - この投稿者のレビュー一覧を見る

 過去形で書かれた物語には、何だか切ない匂いがする。
 この物語は、80分の記憶しか持つことの出来ない博士、家政婦の私、その息子ルートの交流を描いたもの。博士は不慮の事故により、それまで持っていたものの殆どを喪ってしまった。残されたのは、事故に遭う以前までの記憶、研究していた数学の知識、子供に対する限りない慈しみの情、そして80分の記憶しか保つことの出来ない脳。
 博士から語られる数の話は、静謐で美しい。また、そっと博士に寄り添う家政婦の私の姿、博士に全幅の信頼を寄せる息子ルートの心も、優しく、ただ切ない。本当に美しい魂の物語。
 博士が喪ったものは数多いけれど、残されたものは削ぎ落とされた美徳だったのだろうなあ、と思う。どちらが幸せだったのか。普通に考えれば勿論事故に遭う前だと思うのだけれど、この物語を読むとどちらなのか分からなくなってくる。美しく静謐な世界が広がります。

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紙の本

小川洋子の透明な世界

2005/03/21 12:36

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:はなこちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

小川洋子の作品を読むと、いつも私は、作品の世界と自分との間に透明なフィルターがあるのを感じる。
彼女の作品の登場人物による語りはいつも淡々と進められる。どこか頭の芯を冷やして、彼女(もしくは彼)の存在する、「普通」とは異なる世界を淡々と語っているのだ。そして読み手は、透明なフィルターのむこうから、その世界を覗き見る。
彼女の作品にはけっしてダイナミックな筆致だの、作品世界を浮かび上がらせるようなリアルな描写だのはない。けれども、そうやって冷静かつ客観的に描かれた虚構の世界に、読み手は安らぎと、そして不思議な現実感を——この世界がどこか現実にひっそりと存在していそうな、そんな感覚を覚えさせられるのだ。
この作品は、そんな彼女の描いた、不思議な世界の物語のひとつである。
この本を読んで、そしてこの現実世界のどこかにひっそりとこの不思議な世界があることを、どうか願ってほしい。

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紙の本

数学と野球がこの物語の美しい秩序を支えている。物語の登場人物がそこから定理を導こうとしている。

2003/10/18 18:36

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ」に収められた三浦雅士と柴田元幸の対談でスチュアート・ダイベックと小川洋子を知った。「柴田元幸が褒めるのであれば間違いはあるまい」と思って各々1冊ずつを注文したのだが、「博士の…」のほうは bk1 では在庫切れ──それだけ売れているということであろうが、他の書店では平積みになっている本が在庫切れとは、bk1 も情けない(ということで、他店で買っちゃいました)。
 記憶が80分しかもたない老数学者と、そこに通う家政婦、家政婦の息子である野球好きの10歳の少年の3人の心の交流を描いた物語である。数学と野球が見事に物語りに組み入れられている。
 数学は面白い。僕も大好きである。学生時代には苦手科目であったが、年を取るにつれて好きになって行く。会社に入ってから、仕事上の必要性から微積分、指数・対数、行列式などを勉強しなおしたことがあるのだが、それ以来ますます好きになって行く。この物語では、素数というとっつきの良いところから始めて、フェルマーの最終定理に至るまで、見事なまでに巧みに数学が織り込まれている。
 「数学には必ず答えがあるから好き」と言った人がいたが、僕が考えるに数学の魅力はそんなものではないと思う。現にこの物語の主人公である博士のような偉い数学者たちは、およそ答えがあるのかないのか解らないような問題を、日夜解こうとしているのである。「必ず答えが出る」というのは、学校の先生が作った問題しかやったことのない人間の言うことでしかない。
 僕の考える数学の魅力は、その堅牢な構造である。一分の隙もない、整然とした構成である。美しい秩序、と言っても良いかもしれない。現にこの本の中にも「数学の秩序は美しい」という博士の台詞が出てくる。そして、この物語においても、あたかも数学であるかのごとき美しい秩序が成り立っているようにも思う。
 博士は、事故にあった1975年以降の出来事ついては80分しか憶えていられない。家政婦は毎朝博士に会うたびに自己紹介しなければならない。そのたびに博士は誕生日や靴のサイズなどを訊き、その数字にまつわる薀蓄を述べる。家政婦の息子には、頭の形を見てルートと名づける。
 僕は、このような設定で進む筋を追いながら、この作品が一体どのような「解」を見つけて物語を閉じようとするのか、とても気になった。
 数学とともに、この物語に大きく寄与してるのはプロ野球、とりわけ「完全数」28を背番号に持つ江夏豊である。実際の試合や選手の記録が、数学同様巧みにストーリーに絡められている。
 数学と野球──この2つがなければ、これは単に安っぽくて美しいお話に過ぎない。数学と野球がこの物語の美しい秩序を支えている。物語の登場人物がそこから定理を導こうとしている。
 さて、あなたはこの物語を読んで、何らかの「解」を得ることができましたか?

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

何故だか懐かしさを感じる話

2005/02/26 02:48

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:karasu - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本を読むと、その本の世界の空気に触れられる様な気がする。この本の空気は、ほっこりとした感じがした。
 温かくて、そこら中に子供や素数への無償の愛などを感じられる。ポカポカやサンサンと言う様に感じないのは、忘れるという事の残酷さが、常についてまわっているからなのだろう。
 家政婦をしている「私」の語り口調のせいか、何処にあるとも知れない郷愁を覚える。それがまた、この本に一層引き込んでくれるのだ。
 「私」やルートが、博士から数式や素数の話などを聞いた時の様に、私も、素晴らしい発見を知ることが出来た気になれた。

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紙の本

完全数28のひみつ

2004/10/15 21:31

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:KAZU - この投稿者のレビュー一覧を見る

最近、姫野カオルコ著「ツ、イ、ラ、ク」の書評で僕は、「理系的例え話による「左脳」使用の強要により、折角の「右脳」刺激による感情の高まりを阻止される代償は大きいと言わざるを得ない。」と書いた。そしてその舌の根も乾かないうちに、180度逆の感想をこの「博士の愛した数式」で述べることとなるとは…

僕のbk1での「肩書き」は偶然にも「書評の鉄人28号」である。オーストラリアの大学で研究員をしている博士なので、bk1の方は僕に科学技術関連書籍の書評をしてもらいたくて、「鉄人28号」に任命(?)してくれたのかもしれない。そんな期待を僕は裏切って、恋愛小説だとか、経済関係の書評ばかりしている。それはともかく、僕の誕生日は5月28日。28という数字の素数は、1、2、4、7、14の5つ。5月28日とは凄い日に生まれたものだと自分でも感心している。その素数を全て足すと、1+2+4+7+14=28。そう自己完結しているこの数字を「完全数」と呼ぶのである。

語り手でもあり、主人公でもある家政婦の年齢も28。そして博士の愛した(?)江夏投手の背番号も。事故で記憶が80分しか持たない元数学者と、理数系とは縁遠い家政婦とその息子の心の動きは、博士の繰り返す数学の美しさへの感動を媒体として、見事な小説になっている。自然対数「e」は確かに、今僕の仕事の上でも、実験結果を表現する数式にいつも入っている。自然現象と数学の美しさを改めて感じ取れた。大学時代は「あの忌まわしい数式。テイラー展開、オイラーの公式、複素関数、フーリエ級数、量子力学、縮退…」僕もこの博士に人生の早いうちに出会っていたら、もっともっと自然現象を美しく、そして楽しく、現在の仕事に打ち込めていたかもしれない…

などと考えながらも、読み終えるころには涙で眼がにじんでしまったのである。

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紙の本

阪神タイガースに捧げられたオマージュ

2003/11/23 20:51

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 作者の小川洋子さんは大の阪神ファンだという。住む町を選ぶのに甲子園の近くという条件を出したというから、相当の虎キチである。きっと今年の阪神の優勝に歓喜したのではないか。まして阪神タイガースを登場させたこの本が人気を博しているのだから、小川さんにとって二〇〇三年は忘れられない年になったにちがいない。

 この美しい物語は八〇分しか記憶が続かない老数学者とその家政婦となった主人公とその息子をめぐるものだが、阪神タイガースと江夏豊がいなければ成り立たなかったかもしれない。数学者と子供の心を通わせる道具として、作者は江夏の背番号を思いついたという。彼の背番号28は自分以外の約数の和が自分自身(28)になる完全数であった。阪神のファンならではの発想だったといえる。

 今年の阪神は強かった。でも、今年の阪神はこの作品の舞台となった一九九二年とはまったく違うチームだった。あの十八年前の優勝チームとも違う。今年の阪神は井川とか矢野とか活躍した選手はいたが、やはり星野監督率いる阪神であった。この物語に登場する阪神は違った。亀山といい中込といい、選手自身が美しい素数として活躍していた。江夏もそうだ。なにしろ彼は誰にも邪魔されない、完全数を背番号にもった選手なのだから。

 物語の中で1から10の和を求める挿話がある。監督というのは、この和を求める時に除外される違和感のある10なのだ。一番から九番までの九人の選手が野球を面白くさせる。阪神というチームはそんなチームだったはずだ。だから、もし小川さんが今年の阪神優勝がわかった後でこの作品を書いたとしたら、このように美しい物語にならなかったかもしれない。でも、阪神タイガースファンにとって、こんないい一年はなかっただろう。なぜなら、十八年ぶりの優勝と「博士の愛した数式」という阪神タイガースに捧げられたオマージュを手にいれたのだから。

 ちなみに、私は福岡ダイエーホークスのファンです。

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紙の本

うつくしい小説うつくしい魂

2003/09/11 12:02

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:水品杏子 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ときどき、数学者が数式を「美しい」と褒め称える文章を目にすることがあるが、そう言われても、私が数式を美しいと思ったことはただの一度もなかった。もとより数学は嫌いで、まして数式を愛するなど考えられないのであった。
それがどうだろう。この本を読みはじめると、私は博士が愛した数式を、うつくしく、いとおしく、思っているのだった。

これは、《80分以上記憶が持続しない数学博士》と、通いの《家政婦の私》と《タイガーズファンの息子》。三人の交流と、《博士》の記憶が失われていってしまう様を、《私》がしずかに綴った物語だ。

読み始めてからすぐ、山場でもなんでもない、些細な所で、どうしようもなく寂しくて、泣きたい気持ちになった。それは80分以上記憶が持続しない、という設定とか、それがもたらす切なさのためではなかった。
この小説は全編幸福のイメージに満ちている。私が泣きたくなるのはむしろ、その過剰に美しい幸福なイメージで日常が語られる時なのだった。
最後まで読むと泣きたい理由は明らかになった。これは、幸福のイメージの中にある、喪失の回想録であったのだ。
喪失と言っても、この小説にはたとえば著者の代表作のひとつである「沈黙博物館」のような閉じられた印象はない。妙に開放的な喪失、上手く言えないが、受け入れられた喪失、であるように感じられた。
たしかにこれは「至高のラブ・ストーリー」で「著者最高傑作」に違いない。
幸福ラスト数頁は堪えきれずに泣きながら読んだ。

これが誰にとっても泣ける物語かどうかは知らない。
しかし私は、どこか遠い所から小説の中の幸福な風景を眺め、その失われた幸福、これからも失われ続けるであろう幸福を、いつしか、自分に起きた過去の出来事と照らし合わせて体感していたのだ。
失った人のことを想い出すと、幸福なイメージに包まれるのに、同時に胸が痛い。そういうことなのだ。

数式をうつくしいと思った、と私は初めに書いたが、ふと思い直す。数式がうつくしいのではないのではないか? その数式を見つめる人間の魂が、うつくしいのではないか?
私はこの「博士が愛した数式」を、うつくしい小説だと感じている。

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紙の本

この本ばかりは、文句のつけようがない。書評数の多いのも納得である。亡くなる前の義父の記憶の衰えを、主人公のように優しく見守ることができたなら、それが私の悔いでもある

2004/08/22 21:00

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

珍しく長女が涙を流しながら、この本を返しに来た、そのときの言葉は「いい話だったよ」。そう、私も同じ思いだった。読みながら連想したのは、ダニエル・キース『アルジャーノンに花束を』と川上弘美『センセイの鞄』。そして神林長平『膚の下』。ただし、神林の作品は、内容ではなく、傑作ということでなのだけど。

多分、ルートくんだろうか、十歳にしてはすこし幼過ぎるかなと思える少年の姿が、なんとも愛らしいカバー装画は、戸田ノブコ。特に、目次があって章立てされているわけではないけれど、一応十一章構成。各章の長さもまちまちなので、章の切れ目でおやすみをしようとすると、なかなか本を置くきっかけがつかめず、一気に読んでしまうしかないのが、なんとも勿体ないような話だ。

主人公、というか語り手は私で、私には十八の時に生んだ、今年十歳になる息子がいる。私と息子は、彼のことを博士と呼ぶのだけれど、博士は私を「君」と呼び、息子のことをルートと呼ぶ。頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだからだ、という。で、私が博士と出会うのが1992年3月のこと。

舞台は、瀬戸内海に面した小さな町ということになっているけれど、東京、大阪を除けば、どこの地方都市であっても当て嵌まる、そんな場所。で、私は、あけぼの家政婦紹介組合に所属する最も若い家政婦で、それでもキャリアは既に十年を越えている。で、そんな私に割り当てられたのが、すでに家政婦を9人も交替させている手強い顧客だった。

私を迎え入れたのは、上品な身なりの老婦人。彼女がギテイとして紹介したのが、博士である。私の仕事は月曜から金曜まで、午前11時に来て、お昼を用意して食べさせ、部屋の掃除をし、買い物をして、夕食の支度をして7時に帰る、それだけである。そのギテイは裏庭の先の離れに住んでいる。

その彼が、博士。17年前の1975年に交通事故に遭い、頭を打ったせいで、それ以降の記憶の蓄積ができていない、30年前に自分が見つけた定理は覚えていても昨日食べた夕食のメニューは覚えていない、記憶が80分しかないという老人である。彼が私に会った時の第一声は「君の靴のサイズはいくつかね」であり、数字にまつわる質問や会話は、この小説の随所に見受けられる。そう、彼は64歳になる、ひどい猫背のために160センチの身長よりずっと小さく見える数理専門の元大学教授。

そして、彼の洋服には自分の短い記憶を補うように、クリップでメモ用紙がたくさん留められている。数学に関するメモに混じって《僕の記憶は80分しかもたない》というものも混じっている。そして私について《新しい家政婦さん》というメモが追加され、そこには似顔絵と、後日、《と、その息子10歳》と追記されることになる。そう、ルートのこと。

冒頭の文章から、悲劇的な結末を予感させる。読者は、いつ哀しみが襲うかと話の杜のなかを歩むのだけれど、途中からもう博士が可愛くて可愛くて仕方がなくなる。だから、このまま終わってほしいと思うのである。ただ下衆の勘ぐりをする私は、川上弘美の話のように老人と若い女の恋物語にだけはなってくれるよな、と願ってばかりいた。それがどうなったかは、読んでもらうしかない。

この本は、別の楽しみ方をすることもできる。簡単で美しい数式や数字が沢山、出てくる。素数、約数、友愛数、虚数、完全数、過剰数、自然数。中学高校の授業を思い出しながら、数字の不思議を味わうのも乙なものだ。たとえば、28=1+2+4+7+14。そして22。その意味は小説を読んでもらおう。

最後に、これは痴呆症の老人との付き合い方、いやもっとストレートに言えば、家族がいずれ抱えるであろう老いた両親との付き合い方を示す話でもある。物忘れがはげしくなった両親を、ただ嘆くのではなく、こういう目で見ることができれば、もっと私たちの未来は明るくなる。私より確実に10年は早く老いる夫にも読ませたい。

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紙の本

本屋には本との出会いがある(1)

2015/09/30 22:35

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kyod - この投稿者のレビュー一覧を見る

当時、虎ノ門のスターバックスのとなりにあった書店で偶然手に取りました。初版でした。小川洋子という作家を読んだことはありませんでした。
事故で80分間しか記憶を維持することができない天才老数学者と、家政婦として派遣された主人公、その息子。数学をスパイスに彼らの静かな生活と関係が描かれています。
たしか文芸コーナーに平積みされていました。表紙がまず目について、本文を少し読んで、興味を覚えたので購入。仕事をサボって、そのままとなりのスターバックスで読み始めました。
途中でやめられずに読み切って、最後で涙がボロボロこぼれてきてあわててハンカチで顔を隠したのを憶えています。
後に第1回本屋大賞も受賞した名作です。
きっとあの本屋の書店員さんも読んで欲しくて平積みしていたんだろうなあ。

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紙の本

記憶を失ってもなお美しい生き方

2015/09/19 02:15

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投稿者:ピコ - この投稿者のレビュー一覧を見る

80分しか記憶が持たない。
そんな博士が忘れてはいけないことをメモに残して張り付けておく。
頑なに心を開かなかった訳もまた切ない。
数式を美しいと思ったことはなかったが、この作品を読んでから、世の中のものは全て数式で表せるのではと思った。
博士の世話を依頼した女性、ただ冷たい人だと思いながら読み進めていくと、思わぬ結末に更に切なさは増す。
美しい作品。

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紙の本

愛しさが散りばめられた宝物の一冊

2004/07/28 08:05

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:こけもも - この投稿者のレビュー一覧を見る

 最終章を読み終え、涙が止まらなかった。しばらく余韻に浸り、涙の理由を考えた−−「静けさ」「淋しさ」「温かさ」……。わたしにとって自分の気持ちを伝える一番の言葉は、「温かさ」になる。

 これは不幸な事故に遭った天才数学者(博士)と、健気で純粋な少年ルート、職業意識を持ち自立して生きる主人公(ルートの母親)3人のふれあい物語だ。皆まっすぐに今を生きる人たちだからこそ、彼らが共有する時間には特別なきらめきが存在する。とくに博士とルートとのやりとりは、無邪気で透明で読んでいてとても心地よかった。老人と子供の交流って、いつの時代も美しい。博士のルートに対する愛情の深さが心に染み入ってきた。これほどまでに小さき者をいつくしむとは、博士はいったいどんな家庭でどんな幼少・青年期を送った人なのだろう。架空の人物にもかかわらず、わたしは博士の生い立ちに思いを巡らせた。

 「温かさ」と共に作品の性格を伝えるもう一つの言葉は、「静けさ」。作品中に登場するレース編みのように連なる数字とその宇宙的広がりには、主人公でなくともため息がもれる。揺ぎない数学の真理の潔さは実に清らかだ。けれど静かに控えめに光る博士の才能と過去には物悲しさも混じり、つらかった。後半、記憶の続かないはずの博士が見事にアイロンをかける場面は、未亡人との日々を投影しているかのようで明朗なのになぜか悲しい。過去の「悲しさ」(−マイナス)×「淋しさ」(−マイナス)=現在の「温かさ」(+プラス)となり、静けさ(0ゼロ)の中にたたずむ……そんなイメージがふっと浮かんできた。

 実はうちの上の子も10歳で大のスポーツ好き。読み進めるうちに、息子もルート少年のように思慮深く思いやりのある人になって欲しいなとつい願ってしまった。それにはなにより、母親であるわたしが主人公のようにしっかりと現実を見つめ、背筋を伸ばして凛と生活を送らなければと教えられた。お料理上手なお母さんっていいな、とあらためて感じもした。キッチンの描写が、質素だけれど温かく、美味しい匂いが漂ってくるようだった。こんな家庭の風景はわたしの憧れである。

 それと、野球を巡る数字の解読はまるで魔法のようで、不思議な錯覚に陥った。子供はこういう話、好きだろうなあと感心しながら。

 老人、子供、料理、野球、数学……わたしの好きなものばかりが散りばめられた(数学は「?」マークかも知れないが、嫌いではなかったので)愛しい作品に出会えたことを神様に感謝したい。いつもは読みっぱなしのわたしが、この作品だけは気持ちをしっかり文章にしたためておきたいと思った。まっすぐな姿勢と澄んだ心が人と人とをつなぎとめること−−この真実を思い出させてくれる作品は、これからも幾度となく開きたくなると思う。

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紙の本

会いたくて仕方がないよ。

2004/07/15 19:45

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投稿者:ノリ - この投稿者のレビュー一覧を見る

たったいまこの本を読み終わったところです。

ものすごく展開が早い話でもないのにドキドキするような内容でもないのにすごく惹きつけられてすごいスピードで読みふけり結局暇つぶしにもならなかった…。

老人と家政婦と子供との日常を描いているといえばそれまで。なのにどうしてどうしてこんなに胸を締め付けられているんだろう、しかも読み終わったときには博士に恋をしているような自分に驚く。ほんとにねえ 何でなの??

ほっておけないような博士の人柄と数字に対する愛がひしひしと伝わってくる。そうか…子供や数字に対してあんなにも愛を持てる人だからきっと気になってしまったんだ!と気付いた時にはもう遅い。



もう一度博士に会いに行ってきます。

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紙の本

なぜか涙があふれてきた…

2004/07/04 17:54

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投稿者:ひさ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 登場人物が亡くなるストーリーでも、すごく感動するストーリーでもないのに、読んでいる間中、なぜか涙が止まらなかった。
 
 数学の世界が美しく、清らかで、愛おしいなんて考えたこともなかった。
 数字なんて、当然に存在し、それに感動したり、愛したりなんて考えられなかった。

 学生時代、数学の授業で習った数式は丸暗記しただけの、即物的なものであった。でも物語の中に登場する数式は、それがまるで生きているような、そして本当に神の手帳が存在し、そこに導いてくれるかのように、美しく、優しく、静かな、メロディになって心に響いてくる。それは、博士が愛しているからこその数式であり、その博士を愛する、「私」や「ルート」の数式だから…数式にいのちが宿ったように数字が本当に愛おしく思えてならなかった。

 この世は、神が作ったすばらしいものなのに、今の私たちは、さも人間が作り出し、発展させてきたように、傲慢になってしまっているのではないか。そして、ほんの小さな事象に無関心になっていて、感動を忘れているのではないか。そして、愛情を注ぐということを現代人は忘れてしまったのではないかと思わずにいられなかった。

 人は、見返りを求めない愛情を注ぐとき、人として、美しく、清らかで、静かなのであろうと思う。博士の、数式や「ルート」に対する愛情が、まさにそれで、その清らかな美しさに心がしびれ、涙がとまらなかったのだと思う。

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紙の本

優しく微かに発光する、「マル」。

2004/06/20 10:31

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投稿者:まりんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る

映画を観ていたようだった。

私は学生時代、数学が大の苦手であった。
テストの度に台風が来ればいいのにと思っていたし(延期になるだけなのだが)、数学なんて普段の生活に全然役立たず、強いて言えばスーパーに行って、おつりが計算出来ればそれでいいと思っていた。
そんなだったから、高校を卒業する頃には、私の頭の中に数式なんて残っておらず、大学では一切『数』とつく授業は取らなかった。

この本を友人に勧められた時、タイトルだけ聞いて数学入門書だと勘違いした。
勿論その時は適当に笑顔を作り、相づちに終始した。

レンタルDVDを返却するために出向いた複合型レンタルショップの書籍コーナーを徘徊していた時が、私とこの本の初対面現場だった。
「ああ、これか」と何も考えず手にとった。

『彼のことを、私と息子は博士と呼んだ。そして博士は息子をルートと呼んだ』

これがこの本の出だしである。

人にも第一印象があるのと同じで、本にもそれがあると私は言い続けてきた。
この本のそれは「マル」だと思った。
まず、角がなく、かといって形はそんなにはっきりとしておらず、おぼろげで、淡く発光しているような感覚を覚えた。
言葉にすると、「優しい」が一番近いかもしれない。

私は今日までにこの本を3度読み返した。

まず書籍コーナーの新刊棚で、出会い頭、2時間かけて立ち読みをしてしまった。
私は立ち読み客であるにも関わらず、直立不動の状態でハンカチで涙を拭いては読み進め、段々と手に持っていたヘルメットやら、鍵やら、財布やらを足下に置き、読み終わるまで店内に居座る嫌な客と化した。一端手を止めて、購入して家でゆっくり読もうという気は微塵も起きなかった。博士とルート君と「私」さんの心の交流が温かくて暖かくて、まるで数式を愛する博士が数学という分野に持っていた愛のように、私はこの本を読み進める手を止められなかった。
最後まで読み終わり、私は読み終わった本をすぐにカウンターに持っていき、カバーを掛けて貰い、DVDを返し、家に戻り、ニューシネマパラダイスのサントラを聞きながら、ベットの中でまた読み返した。そしてまた今日も読み返した。友人にも勧めた。

本文253ページの間に、様々なドラマが詰まっている。
作者の力量も勿論だが、数字を可愛いと思ったのは初めてだ。

私はこの本の御蔭で、いくつかの数学用語を知った。
その一つが双子素数。
私の無知を笑わないで頂きたい。
だって、これまでの人生で数学は敵だったのだから。

「双子素数がおそろいの服を着て並んで立っている」
想像する。
「41」と「43」という双子の姉妹が、並んで立っている姿。
なんて可愛いんだろう。

この本は、読む人毎に微妙に違う物語になると思う。
それは、読者の想像力によって補う部分が多いから。
帯に「ラブスートーリー」と打たれてはいるが、私が読んだ『博士の愛した数式』という本は、そうではなかった。しかし、不思議なことに読む度に感覚が変わってくる。次読み返す時、ラブストーリー編になっているかもしれない。

こんな素敵な本を紹介しない訳にはいかない。


特に数学から目を背けてきた、アナタ。
是非読んでみて下さい。
勿論ストーリーも素晴らしいのですが、それを彩る数字や数式、これらがなんと不思議な事に、愛らしく、美しく見えます。
ヒトヨヒトヨニ…ルート2のことは覚えてますよね?
そのルート2を守っている「√」、

『何でも匿ってやる寛大な記号』

なんだそうです。
「√」が数字のお母さん代わりだったなんて、素敵な発見だと思いませんか?

この本には、そんな世界が一杯です。

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紙の本

繊細で美しいラブストーリー。

2004/06/07 00:28

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投稿者:きり - この投稿者のレビュー一覧を見る

80分の記憶しかもたない「博士」と家政婦とその息子の「ルート」。
博士が示す数式はどれも美しく、綺麗で真っ直ぐだった。
曖昧で判りにくい表現かも知れないが、数学の美しさを感じたことのない自分でさえ、そう感じた。

印象的だったのは、博士の朝の儀式だ。
いつも通りシャツを着、ネクタイを締め、上着を羽織り、そして上着に貼られたメモを見て自分の病気を思い出す。
そのときの博士は、きっと自分には想像もつかない程の苦しみを感じているのだろうと思った。

最後まで、未亡人との関係は判らないし、家政婦との関係もなにが変わったという訳ではない。
でも、そこには確かに愛があったのだと私は思う。
しかし、それを書いてしまえば、たちまちに壊れてしまうような、繊細で美しい小説だった。

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