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商品説明
明治42年10月、枢密院議長・伊藤博文がハルビンで暗殺された。狙撃犯は安重根。だが「真犯人」は別に存在し、しかも政府はその情報を黙殺していた。新資料を基に、当時の極東情勢を浮き彫りにするノンフィクション。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
大野 芳
- 略歴
- 〈大野芳〉1941年愛知県生まれ。明治大学卒業。雑誌記者を経てノンフィクションを中心に執筆活動に専念。82年「北針」で第1回潮賞ノンフィクション部門特別賞受賞。著書に「絶海密室」など。
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紙の本
最終的に、誰が真犯人なのだろうか。
2011/06/06 08:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治42年(1909)10月26日、伊藤博文は訪問した満洲のハルビンで安重根によって暗殺されたと歴史教科書で教えられた。瀧井一博氏の『伊藤博文』においても「ハルビンの銃声とともに歴史の彼方へと葬られた。」で終わっている。
しかし、この伊藤博文暗殺事件は全ての真相が解明されたわけではないが、安重根による暗殺事件として処理されている。この事件に興味を持ったのは堀雅昭氏の『杉山茂丸伝』に伊藤が撃たれたときの着衣が山口県立博物館に残っているとあったからだ。そこには銃弾が炸裂し、血に染まったシャツの写真までもが添えられているが、伊藤博文は右後方、それも上方から撃たれたとある。安重根は水平、もしくは下から伊藤を狙ったといわれる。証拠物件と現場の状況とが一致しないのである。このことから、犯人は別にもいて、安重根は事件に関わった複数犯の一人でしかないことがわかる。
まず、この事件では伊藤博文だけが被害者と思いこんでしまうが、伊藤の随行員としてハルビンを訪れた日本人も負傷している。総計13発の弾痕が物的証拠として確認されているが、安重根が放ったのは5発とも6発であるともいわれている。弾痕の場所、数からして複数犯による犯行ということが素人にも理解できるが、なぜ、安重根による単独犯行として今日まで伝えられてきたのだろうか。
その事件の疑問点を解明する一冊だが、全体を読み通してみて、読みづらかった。それは、「この点については後述する」や「これは次章で詳述する」という事実の後出しを仄めかす言葉が幾度も幾度も出てくるからだ。さらに、膨大な資料を読んだことから大局的な流れを外し、資料の解説が続くために事件の流れが分からなくなるからである。
この事件の背景を読み説くには幕末から明治という時代、清国における満洲族と漢民族の対立、朝鮮の身分制度、日清、日露の戦争勃発に至る背景、孫文の辛亥革命、欧米のアジア侵略、特にアメリカのアジア侵略が重要になってくるが、このことをも踏まえておかなければ理解はできない。
児玉源太郎、後藤新平、玄洋社、黒龍会、明石元二郎、西郷隆盛に批判的な叙述が垣間見えるが、その内容を見ていくと資料を読みこまず、予断でストーリーを展開していったことがわかる。
この伊藤博文暗殺事件を読みながら、ケネディ大統領が暗殺された事件を思い出した。あの事件も犯人は捕まったものの、真相については諸説が流れた。「死の商人」といわれる軍産複合体による暗殺説が囁かれたが、ふと、伊藤博文暗殺事件も「死の商人」が引き金を引いたのではと想像した。伊藤はロシアを巻き込んでの極東経済ブロック構築を考えていたといわれるが、このことは欧米の経済ブロックと対立することになる。日露の間に再び紛争が起きれば、誰がほくそ笑むのか。
この事件、多角的に、多面的に見ていくと意外な事実に出くわすので面白いが、真犯人はわからずじまいだろう。
紙の本
正確さが命なのだが
2003/09/26 00:49
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:他日庵 - この投稿者のレビュー一覧を見る
すでに百年近い歳月を閲した暗殺事件の真犯人を、文献資料から見出そうという試みは実に壮大だ。しかし、それが故に、文献資料をどれだけ正確に読み込むか、そしてそれをどう咀嚼し理論構築をするかが、こうした著作の生命線となることは言うまでもない。
本書は、外交文書を丹念に読み解き、やや叙述が回りくどいきらいはあるものの、綿密な考証を展開して読者をぐいぐい引きつける。
だが、四百ページに及ぶ大冊がほぼ終焉を迎える379ページの記述が、それまでのすべての論証の生命線となる「正確さ」に疑念を呈さざるを得ない事態を引き起こしてしまった。
「杉山は、版籍奉還となって職を失い、兵庫県芦屋に転居」というその記述は、著者が巻末に記した参考文献をきちんと読んでいるのなら、間違うはずがない。「兵庫県芦屋」ではなく、「福岡県遠賀郡芦屋町」が正しいことは、杉山茂丸を知る者ならすぐに気がつくだろう。
これではそれまでの論述も、誤った資料解読に基づくものではないのかと疑わざるを得なくなる。実に残念だ。