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商品説明
1000人の社員のクビを切り、「クビキラー」と恐れられた元外資系人事部長が語る異色の体験的雇用論。正しいクビ切りは企業を再生し、経済を再生するという、まったく新しい見解を披露する。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
梅森 浩一
- 略歴
- 〈梅森浩一〉1958年仙台市生まれ。青山学院大学経営学部卒業。チェース・マンハッタン銀行、ソシエテ・ジェネラル証券東京支店で人事部長を歴任。現在、アップダウンサイジング・ジャパン主宰。
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紙の本
人事部長のバイブル
2004/06/06 10:35
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あすなろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
採用は簡単で、辞めてもらうことは非常に労力の要る仕事である。日本の企業において、退職者の募集をすれば、必ず優秀な社員が真っ先に手を挙げてしまう。これでは、何のための募集なのか意味がない。
「辞めてもらうべき人にきっちり辞めていただくことは重要な経営判断」であり、かつ「訴訟を起こされない」ように話を進める必要がある。
本書は、「遠くない将来の日本企業の人事部長のバイブル」と言える。
紙の本
クビ!使用前&使用後
2003/11/03 22:46
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投稿者:なかかよ - この投稿者のレビュー一覧を見る
先月友人がクビになりました。この本を書店で見た時、それが頭をよぎり、手に取らずにはいられませんでした。冒頭に人事部が社員をクビにする状況が克明に書かれています。友人が言われたのと殆ど一緒の状況、セリフでした。友人から「クビ」について話があったときにはその会社の対応に怒りに震えましたが、この本によりクビの舞台裏が解ってくると段段と会社の意図が見えてきます。
「クビ」は、会社内では適正な仕事量を適正な人間で行なう(ペイフォーパフォーマンス)為の手段であり、社会的に見ると人材の流動化の意味があるそうです。また一言にクビと言っても,社員であるという身分を使えるクビや、退職金が上澄みされるクビ、再就職支援会社に払うお金を貰えるクビなど多種多様です。その為,うまく立ち回れば、「クビ」になっても得をしながら自分のキャリアアップの転職をすることが可能です。この本では具体的な方法が書いてありました。
さて前述の友人は今どうしているかと言うと,専門分野を活かして転職、なかなかやりがいのある毎日を送っているそうです。以前の会社では専門でない仕事を嫌がっていましたがえらい違い様です。全員が全員上手く行くわけではないでしょうが、これが人材が上手く流動化した例だと思います。
紙の本
「クビ!」論
2003/06/29 05:18
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投稿者:ハーゲン - この投稿者のレビュー一覧を見る
首になりたくないかた、首にしたいかた、とにかく必見 たしかに日本経済復活のエッセンスがこの中につまっています。著者は、日本のいいところも素直に評価している反面、欧米流のドラステックな、雇用体系のなかで今の日本人に求められているものを実にわかりやすく、自分の体験を織り交ぜて、ある意味の哲学書的な面も持っている必読の一冊です。
紙の本
来年入社する方へ…
2003/09/27 03:26
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投稿者:tamutamu - この投稿者のレビュー一覧を見る
tamutamu書評グラフ
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新鮮度 :********
共感度 :********
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僕は、今年(2003年)にある企業から内定を頂き、来年から新社会人となります。何が起こるか皆目検討もつかないこの時代、本屋さんでこの本の表紙を見た時、手に取らずにはいれませんでした。
まず、この本をオススメしたい人を列挙します。
1会社から社員のクビきりを命じられているが、どうすればいいのかよくわ
からない人。
2クビになりそうな気がする人で、何とかクビきりを免れたい人。
3来年就職活動をする人、または来年から社会人になる人。
4今年齢が50歳くらいで、このまま定年までやり過ごして退職金だけもら
うことだけを考えている人。
この本は非常に今までにない臨場感がありました。実際にクビを宣告される時のありさまがひしひしと伝わってきます。それだけに、最初は少しドキドキ
しながら読んでいたことを今でも覚えています。
人付き合いがあまり得意でない著者“梅森”さんの、クビきりに対するプロ意識、姿勢、現在の日本企業の問題点・改善策を熱く語っています。
特に、本の最後の方になると少々言葉がきつくなり、圧倒されそうになりました。この本からのパワーは読まないと感じれません。
梅森さんのクビきりは、非常に見事なもので、もし僕が梅森さんにクビを宣告されたら、素直に受け止めることでしょう。そのクビきり方法、本に何度も出てくる「退職パッケージ」等、もう警察の誘導尋問に近いものがあります。
また、この本を読んで僕も今の日本の“その場しのぎのクビきり”には納得がいきません。そのあたりについて、特に熱くなっていますので、ぜひ読んで
“体感”してみてください。
さて、この本にはクビきりにあたって、どんな人をどのようにクビきりするかが書かれています。また、クビきりを宣告されても今の日本企業ならまだ回避できるかもしれないらしいので、社会人の方で自分の身が不安な方や僕のように来年から社会人になる方はクビきりの対象にならないための注意点を学べると思います。
僕がこの本を読んで最も感銘を受けたこと、それは
「 クビにならないように働くだけではダメ! 」
これはグローバルな視点から捉えていて、僕の考えを書き出したらきりがないので、本書をお読みになればと思います。
クビきりが社会の活性化につながる日本のしくみになることを望みます。
紙の本
正しいクビ切り論への共感と仁義なき世界への違和感。「何のために働くのか」という疑問は「何のために生きるのか」「どうやって人生を過ごすのか」という大きな問いかけへとつながっていく。
2003/07/28 00:10
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投稿者:ヨーダ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は米、仏に本社がある外資系企業の日本支店で1000人を越える社員の指名解雇、つまりクビをきってきた。人呼んでクビキラー。しかし、クビ切りといっては聞こえが悪いが、正しいクビ切りの本質は、「人材の流動化」と「実務の能率化」にある、という。クビ切りが結果的に人と企業お互いのためになるというその意義を感じられるから、この仕事を恥じずに、むしろクビキラーとしての誇りや矜持をもって仕事に臨めるのだ、と。こうしたクビキラーが活躍する、雇用体制が崩壊しつつある現代だからこそ、「働く」ことの意味や本質が問い直され、構築され直すというのは多分ほんとう。
著者は外資系企業にも問題点があることを明かしてはいるが、こと働くことに関してシステムははっきりしている。端的には、プロとして雇う以上は過程ではなく結果を評価する、結果を出せなかったら辞めていってもらう、逆に結果を出せば即座にpay for performanceを会社に求められる、取りっぱぐれがない、ということ。
これに対し日本企業の様々な問題点が浮き彫りになる。職人世界に生きていると考えれば、次の現場仕事をさがせばいいだけの話だが、日本企業は切るのみで「解雇と採用のセット」(リシャッフル)の一方である「採用」を機能させていないから、(転職市場も未成熟なために)なかなかそうもいかない。というかそもそも、高度成長期にはあった「終身雇用」や「年功序列型賃金」という保障のもとに、社内でしか通用しない「何でもこなす人材」=ゼネラリストを育て上げてきたから、彼らがグローバルな競争にさらされたとき、個々のプロフェッショナルに歯がたたないという悲劇がおきてしまう。そして〈私には、日本企業の経営者たちが「グローバリズム」の中から、都合よくクビ切りだけをつまみ食いしているとしか思えません〉と手厳しい指摘が「クビキラー」の口からなされてしまうという始末(ただこの著者の梅森さん、リストラや雇用調整の現場から日本の未来を憂いているのであって、悪い人じゃありませんよ)。
最後にちょっと気になったのが、仁義なきともいうべき世界への違和感。あとがきに、自分が育児休暇をとっていた間、仕事の代行を頼んでいた部下を、自分がもどってきたら、もういらないとばかり上司としてその部下のクビを推挙するというエピソードが示されるが、これはかなりおそろしい(さすがに著者もこの時ばかりは唯一涙したというが)。しかしそういう時にも、人事部長として私情をきって粛々とクビ切りをすすめることが仕事であったそうだ。こういった世界に住んでいると、仁義とは何か、もうよくわからなくなってくるのでは。ここまでくるとモラルはどこに?という思いを強くする。たしかに人は仁義というものに関して殊更美談を好む傾向があるが、これは唾棄されるものでもないだろう。例えば戦国時代の仁義を示すエピソードとして。一一茶会の席で大谷吉継に椀が回ってきた時、彼は癩(ライ)病を煩っていたのだが、その椀のなかに膿が落ちてしまう。続く誰もが、嫌がって飲もうとしないところ、盟友である石田三成がうまそうにこれをすべて飲み干してみせる。これを意気に感じた吉継は敗戦を見越していたにもかかわらず、関ヶ原で三成に力を貸すのを惜しまない一一 (史実かどうかはさておき)自分はこれは単なる美談で済ますというより、ひとの生き方にとって大切な支えとなる仁義やモラルのあり方を示す話だと思うが、これも外資系の働き方の流儀からすると「私情と仕事の混同はプロ意識の欠如」となってしまうのだろうか(比較する時代がおそろしくかけ離れているが、本質は同じでは)。さて。