「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
いまの日本では、市民エリートを育成して自分たちで政治をチェックしない限り、座して地獄に堕ちるしかない! では、どういうシステムを構想すべきか? 忘却のかなたに置かれた「アジア主義の顚末」にヒントを探る。【「TRC MARC」の商品解説】
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
絶望で癒される
2003/05/17 21:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
宮台さんの本を読んで素直な気持ちになれたのは初めてだ。いつも、彼のアカデミックな博覧強記とテレクラ的フイールドワークの行動力に嫉妬半ばのイチャモンをつけたくなるのに、今回は身につまされた。とかく、誤解されやすいロビー活動も彼なりの真剣な振舞であり、絶望からの出発という敢えて、クサイ言葉を使ってみせるこの本は現時点での彼のメッセージが過不足なく伝わった。
《「まったり革命」その後》《市民エリートを育てよう》《アジア主義の顛末に学ぶ》も重要な各章なのだが、このレビューでは最終章の《絶望〜》についてを主に言及します。
ある若者は絶望なんて、もう死語ですよ、希望もないと、見切る。暴力的な欲望も封印する。生の現場が貧しくとも耐えられる虚無はただ、思考停止で先送りしているにすぎないのではないか、彼等の稼ぎでわれわれはこれから、養われるのであるから、適当に相槌打って、「我慢の子として生きる君たちに感謝しなくてはならないのかもしれんな、たまにはガス抜きしたら」と煽って見る。
辺見庸『単独発言』の言い草ではないが、この世の闇の発生源には国家と資本と性の問題が、たがいに深く結ぼれ絡まり合っている。
一番、御しにくいのは国家であって、一見、思考停止している欲望が雪崩を打って、「内面の国家」を望み、国家動員されるかもしれない。だから、性と資本でガス抜きしてもらいたいのだが、「援交」と言うと、又、誤解される。
白石一文『僕の中の壊れていない部分』>田口ランディ『セブンディズ・イン・パリ』>村上春樹『海辺のカフカ』。
>で絶望の深度をマッピングすると、一番軽い春樹さんは「絶望という世界の謎」から出発しながら、「自分の謎」というレベルの話で癒される。ランディは神秘主義的で「ここではないどこか」が、当然「ある」と信じ込んで、早々と救いが訪れる。白石一文は「世界からの訪れ」ななく、一条の光さえ見えない。でもどこかでいつか見えるんじゃないかと「待ち続ける」。
「ありえないものを待つ」という痛切さが、「世界は確かにそうなっている」(入替え不可能な存在であることを望む人間の入替え可能性)という絶望を伴った深い認識を与えてくれる。
「かけがいのないもの」を求める限り、「この社会は生きるに足らず」、にもかかわらず、生きるとすれば、どういう契機が可能か。
「かけがいのなさ」を望み、入替え可能の凡庸さに徹することでしか、「社会への帰還」は許されないのか。
そして、時々、「これってあたし」的ヌルイ癒しで癒される。そうでなくて、「世界は確かにそうなっている」という絶望で癒すのだ。徹底した絶望から希望が奇跡なって立ち現われるかもしれぬ。
紙の本
本隊に帰還せよ
2003/03/06 20:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る
清水幾太郎の書かれなかった著書に『倫理学』(岩波全書)がある。世評高い『現代思想(上下)』と同じシリーズに『倫理学』を持つことができたらという夢想は、準備段階で書かれた名著『倫理学ノート』の読者であれば、誰でも持つものではないだろうか。「善は定義できない」と冷たく言い放つムア、感激するケインズと反発するロレンス。そしてヴィトゲンシュタイン、スラッファ。彼らの思想を原典にあたりながら的確に要約紹介し、その対立と発展のドラマをまるで講談のように語ってみせる達意の文章に圧倒されたことを思い出す。私が読んだのは93年頃だが、もっと早く80年代の学生時代に読んでおけばよかったと思ったものである。長く絶版状態が続いていたが、2000年に講談社学術文庫に収録された。あの林達夫が誉めていた著作だということをつけ加えておこう(未読の方、本当にお勧めです)。
さて宮台真司であるが、私の見立てによると、彼はこの清水幾太郎パターンを辿っているように思える。ジャーナリスティックなセンスにあふれた多作な社会学者、ロビー活動等で現実の政治にも積極的に関わる…という類似点を感じている。このままだと、論壇の定番書き手の一人として定着して、そして遠からぬ将来「転向」してしまうのではないか。それはあまりに惜しい。
宮台真司は、本人もあちこちで述べている通り、サブカルチャー評論が本線の書き手である。本書で述べられている社会システム論の素養、哲学・法学等の深い理解は、詳細なサブカルチャー史を書くときにこそ、本当に活きてくる類のものである。アニメの実証的な議論のさなかに憲法の原則論が水準高く挟まれる…そういった論述に痺れてみたい。
一読者としては、氏のSF論を読んでみたい。三浦雅士『青春の終焉』ならぬ『SFの終焉』を説得的に書くことができるのは、宮台真司か浅羽通明しかいないと思っている。
宮台先生、ポイント・オブ・ノー・リターンにご注意を。