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紙の本
リセットはしない。リスタートをする。自分という生命に出会うために。
2010/08/23 13:20
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はりゅうみぃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
快楽の本棚-何やら艶めいたタイトルだ。
サブタイトル「言葉から自由になるための読書案内」の意味も、一見しただけではよく分からない。言葉から解放されるために言葉で書かれた本を読む=読書するのは本末転倒に思える。
そもそも、文筆業を生業とする筆者がなんだって「言葉から自由にな」りたいと思ったのか。謎だらけである。読まねば分からない。
ページを開けば、冒頭からたっぷりと20ページ強を使って、「はじめに―自分という生命に出会う」という序章があり、この本を書くに当たっての筆者の経緯と決意が読みやすく、けれど力強い文章で語られる。
ここを読むと、この本の執筆目的が読者にオススメ本を紹介する類の「読書案内」ではなく、「津島佑子」という人物を形作った本を著者の人生と共に振り返りつつ、言葉(文章)を産みだす大元、自己の本質を探り当てるまでの軌跡を記したいのだとわかる。
いってみれば「本」に限定した筆者の回顧録とも自叙伝とも言える性格のもので、著者個人に興味がなければ退屈に感じるかもしれない。
が、言葉から自由になるために、こうやって言葉を尽くしてしまう行為を探ることは、「読むこと」「書くこと」という「文学」の原点を模索することに繋がるような気がする。
筆者の執筆動機がおぼろげながら見えてくる。
本作では、筆者はかなりのページを割いて、子供時代を振り返っている。
言葉で「語る」という手段を満足に持たない未熟な時代にもっとも心を魅かれたもの、それがその人の本質に最も近いと筆者は考えたからだろう。
理屈ではなく心魅かれるもの、例えば路傍の小石だったり、蝉のぬけがらだったり、世間体や固定概念にとらわれることなく、ただただ興味をひかれしまうものをじっと見つめたり、はたまたわくわくしたりする気持ち、言葉をもたない幼年期には確かに強かったような気がする。
が、成長するにつれ、文字を覚え本を読み、そこで得た知識や語彙を駆使して感覚を表現することを教育の名のもとに強制され、同時に社会への参加も始まって、個々の感覚とは違う「世間」の目、集団の秩序といったものを教えられる。
つまり、知識や社会性と引き換えに、言葉や常識といった枷を感性の表現に強いることになっていくのだ。
「快楽」の言葉に、艶っぽさを認めて当たり前である。性と悦びは切り離せないものだから。
が、「性」という漢字が「生きる」「心(りっしんべん)」と記すように、性と快楽は決して色めいた意味だけで使われるわけではない。
わくわくやドキドキなど心の高揚を覚える時、人は「生」を実感する。
女らしさ、男らしさといった、世間から与えられた性区別・ジェンダーアイデンティティへの懐疑や不安から解き放たれて、1人の個として生を悦ぶ心。
快楽とは枷から解放されること=自由と深い繋がりがある。
本作は、文筆業に長く携わって生きてきた筆者だからこそできる、形成された自己を解体していく作業記録だ。言葉を尽くして、これまで確立してきた個性=言葉で固めた鎧を脱ぎ去り、柔らかい自己をむき出しにしていく、人生をしたたか生きてきた人にしかできない挑戦である。ルーツを探リ原点に戻ることで、これからの道標をはっきりと見つめ、今後の人生をさらなる悦びに溢れたものにされようとする筆者の生への覚悟とも言えるだろう。還暦という言葉があるように、過去を振り返ることは未来を見据えることでもあると、ここにはしっかり記されている。
今の私にとっての読書とは、言葉にならない感情を書きしるされた言葉(本)の中に見つけることで悦びを感じる行為だと思う。善し悪しに関係なくどんな書物でも必ず心動かされる箇所があるし、それこそが「私」自身、すなわち個性である。読書を楽しむとは、その箇所と巡りあう時をわくわくしながら待つということだ。
言いかえればいまだ枷の中・個性の確立で精一杯ということに他ならないが、それでも少しづつ私なりの「快楽」の本棚を築いていけていることが、じんわりと嬉しい。
いつか筆者と同じ年代になった時、私も筆者と同じ挑戦と覚悟をしてみたいと思う。
巷には本が、物語があふれている。
選ぶ自由。選ぶ快楽。それが私を作る。