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  • みんなの評価 5つ星のうち 4 10件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.1
  • 出版社: 筑摩書房
  • サイズ:20cm/392,6p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-480-84715-4
  • 国内送料無料

紙の本

ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎

著者 デヴィッド・エドモンズ (著),ジョン・エーディナウ (著),二木 麻里 (訳)

偉大な2人の哲学者の、生涯ただ一度の灼熱した言葉の応酬…。そして、火かき棒が一閃する−。両者の間に横たわる深淵を探りながら、20世紀中欧の知識人を襲った苛酷な運命の軌跡を...

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ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎

税込 3,190 29pt

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商品説明

偉大な2人の哲学者の、生涯ただ一度の灼熱した言葉の応酬…。そして、火かき棒が一閃する−。両者の間に横たわる深淵を探りながら、20世紀中欧の知識人を襲った苛酷な運命の軌跡をたどる。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

デヴィッド・エドモンズ

略歴
〈エドモンズ〉イギリスBBC放送所属ジャーナリスト。ドキュメンタリー制作に携わる。
〈エーディナウ〉イギリスBBC放送所属ジャーナリスト。執筆やインタヴューをおこなってきた記者。

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みんなのレビュー10件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
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  • 星 3 (1件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

藪の中から

2004/06/23 06:03

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ねっどたっしい - この投稿者のレビュー一覧を見る

 長い長い題名に惹かれて購入。ただし原題は「ウィトゲンシュタインの火かき棒」。
 1946年10月25日に起こった事件から遡る形で、20世紀を代表する哲学者二人の人生を追う。ポパーの自伝「果てしなき探求」やマルコムの「回想のウィトゲンシュタイン」でのイメージとはかなり違うが、人間的な二人が活躍する。ラッセルを始め周辺の哲学者の記述も面白い。翻訳は非常にこなれている。
 「哲学とは何か?」はたまた「哲学者とは何か?」といった疑問に楽しく応えてくれる。もっとも「哲学の結論に意味があるのか?」といった新たな疑問もくれるが。これをきっかけに、今度は二人の作品に挑戦だ!

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紙の本

火かき棒事件の真相は。

2003/05/15 11:17

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

1946年10月25日、ケンブリッジ大学のH3号室。晩秋の季節ともなると、夜はかなり冷え込む。暖炉には赤々と石炭が燃えている。ウィトゲンシュタインとポパーが論戦をはじめる。実際は、論点が噛み合わないから、議論にはならないはずなのだが、いきなりの足を止めての言葉の殴り合い。その様を見つめるいわば後見人役、分析哲学の祖、ラッセル。さらに取り巻き連中が。「最初で最後の」夢の顔ぶれ。

たぶん、まだ無名に近かったポパーの多弁に、ウィトゲンシュタインは激昂したのか、先端が真っ赤に燃えた火かき棒を手にした、その瞬間、シーンは停止する。

映像だったら、ストップモーションのまま、フラッシュバック。作者は、事件の真相を探るために、当日の参加者の証言を記述したり、三人の哲学者のプロファイル、文化都市ウィーンなどを重層的に紹介していく。

ウィトゲンシュタインとポパーは、年齢は離れているが、ともにウィーン生まれのユダヤ人。一代でオーストリアの鉄鋼王を父に持つウィトゲンシュタインは、破格の大金持のお坊ちゃま。ポパーとて弁護士の父を持つ、裕福な中産階級の子。
飛行機のエンジン設計や自邸の設計など、多才なウィトゲンシュタインは、第一次世界大戦の塹壕の中でも執筆していたといわれる『論考』などの著作もさることながら、一時、アカデミックな場から離れ、半ば隠遁するがごとく、小学校の教師を務めるなど風変わりな生涯を送っている。天才ならではの不遜ぶりが、なぜか、結構小気味良い。

「理論が科学的であるためには、反証可能でなければならない」というポパーは、家の凋落により、苦学して大学で学び、博士号を取得する。

昔、大学受験の英文というと、決まって引用されていた師匠格に当たるラッセルも、自転車に乗って移動していたら、離婚を思いつき、別れてしまったというかなり、エキセントリックな性格の持ち主。

ナチスから逃れるため、遥かニュージーランドで教鞭をとり、ようやくイギリスで奉職にありついたポパーにとっては、ウィトゲンシュタインの鼻をあかすことは、またとない栄誉であり、恰好の宣伝の場であると勘ぐるのは、ぼくが下衆だからなのだろうか。『アマデウス』のモーツァルトとサルエリのたとえを持ち出すのは、ポパーに対して失礼か。

名前だけ知っていたウィーン学団−楽団じゃないよ、それはウィーン・フィルハーモニーとかの方−の実体とウィトゲンシュタインとポパーのポジショニングも知ることができた。

「火かき棒事件」は、いしいひさいちの『現代思想の遭難者たち』P.184にも取り上げられている。で、肝心の「火かき棒」だが、ちょうど日本がバブルの頃、サザビーズのオークションで、法外な値段で落とされて、現在は日本の、とある美術館に所蔵されている。

と、いうのは、嘘。

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紙の本

「火かき棒」が象徴するもの

2003/03/30 15:41

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 哲学には未解決の問題があるか。いや、そもそも哲学には「問題」(プロブレム)があるのか。ウィトゲンシュタインにとって哲学の目的は「蠅とり壺にはいりこんだ蠅に、出口をしめしてやること」であった。それは「謎」(パズル)を解くことに等しい。

 『論理哲学論考』のころのウィトゲンシュタインなら、言語のかくされた構造に注意すれば謎は解けると言うだろう。後記のウィトゲンシュタインなら、哲学はフロイトの精神分析のような「言語による治療」にほかならないのであって、言語の表面に注目することで謎は解ける(「哲学の目的の一つは、潜在的に無意味であるものを、はっきりと無意味なものとしてしめすことにある」)と答えるだろう。

 だが、ポパーはこのような考え方にはくみしない。ポパーにとって、帰納法や確率や因果関係や無限の概念(潜在的無限と現実的無限)、あるいはロック由来の一次性質と二次性質の区別は、まぎれもなく哲学の「問題」だった。「わたしたちがどう支配されるか、社会がどう構成されるか」も、これらにおとらず哲学者がとりくむにふさわしい「問題」であった。

《じっさい、たとえば目前には国際問題をかかえた現実世界があった、H3号室の議論のはげしさを十分理解するには、そのうしろにある政治的な枠組みを見とおさなければならない。一九四六年[本書のタイトルに出てくる「大激論」が交わされた年]とは、どんな年だったのだろうか。ファシズムの脅威はようやくおさまったばかりで、もう冷戦がはじまっていた。哲学者は政治にかかわるべきだろうか? ポパーも、ラッセルも、こたえはおなじではっきりしていた。「かかわるべきである」。》

 ──以上は、第一八章「哲学的パズルという「謎」」からの抜粋である。それが本書のエッセンスだ、などと言うつもりはない。(私自身は、ウィトゲンシュタインにとっての「問題」は、パズルとしての謎ではなくて答えのない謎、そもそも言葉でもって問うこと自体がなりたたない「エニグマ」としての謎だったのではないかと、若干の異和感を覚えている。)

 二木麻里さんが「訳者あとがき」で書いているように、このノンフィクション作品は、「ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとカール・ポパーの二重評伝」「群雄割拠する二十世紀前半の哲学界をえがく、ぜいたくな絵巻」「ウィーンとユダヤの民の近現代史」の三通りの読み方ができる。いずれの読み方においても、この本は第一級の作品である。

 なにより面白いのは、二人の異星人のような哲学的人生とその情熱を、「火かき棒」事件(ポパーとのはげしい応酬に際して、ウィトゲンシュタインは真っ赤にやけた火かき棒をふりかざしたとされる)という「象牙の塔のおとぎばなし」に託してあますところなく叙述しきった点である。このことを本書全体を通じて十分に味わいつくしてこそ、先の抜粋は意味をもつし、「火かき棒」が象徴するもの、そして「火かき棒」事件に託した著者たちのメッセージが鮮明になる。

《大きな問題にたちむかうときは、たんにそれがただしいからと主張するだけではたりない。どうしても情熱がいる。いまはもう、そういう知的な焦燥感は霧のようにきえてしまった。寛容性、相対主義、自分の立場を決めることをこばむポストモダンな姿勢、不確実性の文化の勝利、これらすべてをかえりみれば、火かき棒のような事件はもうおこらない。それにおそらく、いまではあまりにも学問の専門化がすすんでいる。そして高等教育の内部にもあまりにたくさんの運動や分裂がある。重要な問題は失われつつあるようにみえる。》

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2010/08/27 12:29

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2010/04/03 18:15

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2011/05/07 00:21

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2012/04/23 17:29

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2012/11/14 14:43

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2017/08/17 10:50

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2011/07/23 12:39

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