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商品説明
日本の戦後史において、原子力の果たした役割とは何だったのか。豊かさの実現に原子力がもたらした功罪と歴史をたどり直して検証し、先端技術に対峙する社会のあり方を探る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
武田 徹
- 略歴
- 〈武田徹〉1958年生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程単位・博士論文執筆資格取得後退学。ジャーナリスト、評論家。著書に「偽満洲国論」「隔離という病い」等。
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紙の本
原子力的日光の日だまりの中で
2003/02/01 23:37
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「核」問題をスイシン派にもハンタイ派にも組しないで、むしろ、そのニッチモサッチモ、いかなさを通年体を装った各論(核論)の集合体でもって、著者は【原子力的日光】の及ぶ範囲の時空を横断する全体的な構造についてのアプローチを試みる。
■1954年論 水爆映画としてのゴジラー中曽根康弘と原子力の黎明期
■1957年論 ウラン爺の伝説ー科学と反科学の間で揺らぐ「信頼」
■1965年論 鉄腕アトムとオッペンハイマーー自分と自分でないものが出会う
■1970年論 大阪万博ー未来が輝かしかった頃
■1974年論 電源三法交付金ー過疎と過密と原発と
■1980年論 清水幾太郎の「転向」−講和、安保、核武装
■1986年論 高木仁三郎ー科学の論理と運動の論理
■1999年論 JCO臨界事故ー原子力的日光の及ばぬ先の孤独な死
■2002年論 ノイマンから遠く離れて
この各論が彼の持ち球である。どちらにも共感出来ないポジションから、如何に活路を見出すか思案する。あくまで、科学的思考をぎりぎりまで、手放さないで、論理から道理に繋げて良き賭け手を持った投球を心がけて、一球を投じる。そのような投球術はメインカルチャーだけでなく、サブカルにも目配りし、計算された変化球は「核」という取っ付き難いテーマーを上手に料理しており、結構、面白く読んでしまった。
著者はマーク・ゲインの『ニッポン日記』(筑摩書房)から始める。ーその日、GHQのホイットニー准将は草案を持って部屋に入ってきた。その部屋で吉田外相、松本博士、白洲が松本の憲法草案を検討中であった。
ホイットニーは言う。「諸君、総司令官は諸君によって準備された草案を研究された結果、全然、容認できないと言われる。わたしはここに総司令官の承認を得た文書を携えてきた。これについて討議に入る前に、諸君がお読みになるために十五分だけ時間をお与えする」(略)ホイットニーたちは彼らが読んでいる間にベランダで待つ。ちょうど十五分経つと、白洲が呼びに来る。
ホイットニーは部屋に入るなり、芝居がかって言った。
「We are out here enjoying the warmth of atomic energy(原子力的な日光の中で日向ぼっこしていましたよ)」ー
何故か、キューブリックの核戦争の恐怖をブラックユーモアで描いた『博士の異常な愛情』の甘い音楽にのって、キノコ雲が画面を覆うラストシーンを思い出した。耳の傍で囁く。「アトミックサンの光を浴びて、いつか、どこかで、又、会いましょう」NOWHEREはどこなのか。
日本憲法誕生の過程で核が如何様に影を落としたか、自主憲法を巡る憲法論議はいまだに続いている。一月二十七日、名古屋高裁金沢支部は高速増殖炉「もんじゅ」の設置許可は無効と断じた判決を出した。原発訴訟で初の住民側勝訴である。提訴から十七年半、風は「核燃料サイクル」を柱とする国の原子力政策を根幹から揺るがした。北朝鮮の核問題と言い、我々は眼を逸らすことも、逃げ出すことも出来ないのだ。禁断の実は食べてしまったのだから、後戻り出来ない、立ち向かって、活路を見出すしかないであろう。ゴジラを撃退するために最終兵器を一度だけ使い、後にそれが悪用されるのを封印するためにゴジラと共に消えていった芹沢博士をもう、呼び戻すことは出来ないのだ。フォン・ノイマン、アトムの天馬、「博士の異常…」のピーター・セラーズの三博士は呼び戻せなくとも、誰かの身体を借りて、生き続けているみたいである。