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紙の本
偏屈を愉しむ
2009/11/26 15:17
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
阿房宮は、秦の始皇帝が渭水の南に築いた宮殿である。それが、宮の一字がとれたとたんに阿呆になる。
阿房列車は、すなわち阿呆列車である。
なんの用事もないのに、汽笛一声、揺られ揺られて列島のあちこちへ出かけ、車中でも宿でもしたたか飲んで、飲みつぶれて、名所見物もしないで帰ってくる。本書は、そんな話ばかり延々と書きつらねている。
要するに、本書には見事になかみがない。徹頭徹尾、内容のない話を独特の語り口で読ませるのだ。
偏屈を故意に前面に押しだして笑いをさそう点で、『阿房列車』は内田百間の師、夏目漱石の『吾輩は猫である』の末裔である。
もっとも、『猫』は、奇矯な高等遊民たち複数が屁のような気炎をあげ、無用の知識を際限なく放電するが、かたや『阿房』は、畸人は独り百間先生のみ、教養はチラとかいま見せるていどだ。そのつつましさは俳諧的であり・・・・じじつ、百鬼園内田栄造は俳人でもあった。百間は、郷里岡山県の百間川にちなむ俳号である。
それにしても、著者の偏屈は筋金いりだ。
偏屈の人は、理屈の人である。
「これから途中泊まりを重ねて鹿児島まで行き、八日か九日しなければ東京へ帰つて来ない。この景色とも一寸お別れだと考へて見ようとしたが、すぐに、さう云ふ感慨は成立しない事に気がついた。なぜと云ふに私は滅多にこんな所へ出て来た事がない。銀座のネオンサインを見るのは、一年に一二度あるかないかと云ふ始末である。暫しの別れも何もあつたものではないだらう」
理屈の人は、一献、たちまち酔狂に至る。
「そら、こんこん云つてゐる」
酔つた機みで口から出まかせを云つたら、途端にどこかで、こんこんと云つた。
「おや、何の音だらう」
「音ぢやありませんよ。狐が鳴いたのです」
山系が意地の悪い、狐の様な顔をした。
ヒマラヤ山系こと平山三郎は、当時国鉄本社職員で、百間先生の気まぐれに毎回辛抱強くつきあった有徳の士。寡黙で動かざること山のごとく、「山系は行きたいのか、いやなのか、例に依つてその意向はわからない」茫洋たる人物だ。だが、どうしてどうして、平山三郎の回想録『実歴録阿房列車先生』ほかは、山系君と呼ばれる有能なサンチョ・パンサが付き添ってこそ『阿房列車』が無事に発着したことを示している。
紙の本
時代をこえた名著
2018/05/18 12:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ら君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
各所からオススメと聞き、読みました。
予想をはるかに超えました。
列車は、移動手段ではなく、目的なのです。
観光したり、行き先で知り合いに会うなどすることを嫌います。それは、目的が変わってしまうから。
変わり者ですね。
変わり者具合が、傑出していて最高でした。
紙の本
古き佳き汽車旅
2004/06/13 09:38
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:気楽な読書人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
九州は、現在であれば飛行機か新幹線で日帰りできてしまう。
それをのんびり「汽車」で一昼夜。
コムパアトで持参の美禄を飲み、
足りなくなるとボイに追加を頼む。
何事もなく旅程は進み、東京へと帰る。
ただそれだけなのだが、随所に織り込まれた「棘」がなんとも心地よい。
従者「山系君」とのやりとりも他愛のない内容なのだが、思わず頬がゆるむ。
この作家の名前すら知らない若い人も多いと思うが、是非とも一読を勧めたい。
特に汽車の好きな方、あるいはノスタルジー的な意味で
シャーロックホームズを読まれる方には好まれると思う。