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「主権在民」・「男女平等の普通選挙」・「団結権・団体交渉権の保障」など世界で最初に「社会権」の保障を掲げ、当時としては最も民主的な憲法(ワイマール憲法)を持つことでお馴染みのワイマール共和国(1919-33)の歴史について書いた本です。しかし、そんな憲法の名声とは裏腹にこの共和国の歴史は苦難の連続でした。第1次世界大戦(1914-18)でドイツ帝国(第2帝国)が敗れた後、スパルタクス団の蜂起(1919)に始まり、敗戦による賠償(金)問題、その支払いの遅延を理由に起こったフランス・ベルギーによるルール占領(1923-25)。そこから発生した爆発的なインフレーション(当時の首相シュトレーゼマンにより奇跡的に回復)。これ以降の賠償問題は、ドーズ案(1924)・ヤング案(1929)・ローザンヌ会議(1932)で賠償金の削減は徐々に削減に成功。また対外的には、ロカルノ条約(1925)・国際連盟へのドイツの加入(1926)・不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)(1928)と平和路線を成功したかに見えましたが、1929年の世界恐慌の影響を受け、それはヒトラーによるナチスの介入を招き、1933年についにナチスが政権を取ったことによりこの共和国は倒れてしまいます。第1次大戦からヒトラーの政権獲得までの歴史をよくまとめている良い本だと思いますが、書かれたのがけっこう古いのが唯一の難点でしょうか。
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民主主義+熱狂で生み出されたドイツの歴史のうち若干タブー扱いされ過ぎていてわかりにくいので購入。副題が問題意識にそっていてGoodです。前半は歴史のおさらい、とはいえドイツ史・ヨーロッパ史ともに詳しくない私には難解かも。後半の方が読みやすかった。私には「アドルフ・ヒトラー」よりこちらの本の方が文体がなじみやすい感じです。特に第九章以降は現代日本とあてはめても非常に示唆深いですよ。
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1次大戦後からヒトラーが大統領として現れるまでを著したものである。
歴史、特に世界史に弱い僕でも十分についていけてかつ、
細やかなエピソードも添えてあったりでなかなか楽しく読めた。
暴力を利用しようとするものは利用され、
暴力を無視しようとするものは蹂躙される。
それに対抗できるものが一律にあるとは言えない気もするが
少なくとも手綱のついていない暴力をあらかじめ許してはいけなかった。
それに関しては政治家がすべて一致団結できればまだ
ヒトラーも抑えられたかもしれないけれど、
時はまだ、共産革命だったりが本気で信じられていたので
ナチス以外にも私兵があったという事情がことをややこしくしている。
結局、過半数もとらないままヒトラーは大統領になれてしまった訳であるが、
つまるところ、本命馬でなくても世界を揺るがせられるのは
野望持ちにとって朗報で、そうでない一般人には恐るべきことだ。
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ワイマル共和国に関する知見を大いに深められた。マイネッケ『ドイツの悲劇』と合わせて読むと、よりナチスを生んだ社会状況について考察を深められるだろう。
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[ 内容 ]
[ 目次 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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読んだ結果、ワイマル共和国は、「民主国家」であるとはいえない、のではないかと考えざるを得ないわけである。
歴史としては、「社会権を設定した。」「ヒトラー政権を誕生させた政体」とされ、比例代表制の結果としてみなされがちだが、それは詭弁であろうと思える。ヒトラー内閣も大統領によって任命された内閣であるし、必ずしも大衆の支持を受けていたかと云われると、微妙なところである。また極右や極左がその欠陥をうまく利用し、勢力を伸ばした。自壊したといえば、それまでではあるが。
ビスマルク以来、ドイツ国民は支配されることに慣れていたとも云われる。今のドイツでも徹底した間接民主制が取られていることもその顕れなのだろうか・・・。
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ワイマール共和国の政治の歴史。第一次大戦末期からヒトラーが政権を取るまでが書かれている。当時のドイツの特殊性がひどい。地方の権力がここまで強いとは知らなかった。全然近代化統一されてないのだなと。新書でコンパクトに情報をまとめているのはさすが名著。共産主義者に対してかなり厳しい意見があるが初版が昭和38年で驚いた。
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やはり俺は外国人が登場人物である書物には弱い
何度も戻りながら読む
瀧本先生がワイマール共和制は重要だというから読んでみた
一番の原因は、ベルサイユ条約 次いで、大統領制度の欠陥かなあ
国民が官僚に飼い慣らされており民主的な素養が云々というのはわりと抽象度が高すぎてあまり好みの議論ではない
しかしなにをすれば破滅を回避できたのか、最初から運命づけられていたのではという安易な結論に行き着きそうになってしまう
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学生時代からずっと読みたい本に挙げていたが、最近も話題になってることがきっかけで購入し、四半世紀以上を経て漸く読了しました(2014/3/8)。そういうわけで、今の日本との異同を意識しながら読んだわけですが、戦後賠償、経済的困窮など当時のドイツならではの固有の事情が大きく、類似性こそ多くは認められなかったものの、官僚制や君主制に慣れ切って共和制などの民主政治に不慣れで、画期的な憲法も形式に過ぎず、ワイマール体制がナチズムを生んだ教訓は今日も生かすべきと痛感しました。立憲主義がいかにあるべきか、今日的な民主主義はどうあるべきか、そして有権者として自分はどういう姿勢で政治に臨むべきかを考えるのに有益な一冊です。
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ふたつの感想を持った。
ひとつは、いくら制度を理想的なものにしても、
景気や国際状況の前にはその維持すら難しいということ。
人が理想のために生きるのではなく、
生存のために生きることが前提となっている。
これは特別なことではなく、
日本に置き換えてみれば通説であったはずの
天皇機関説の排撃や、現行憲法九条の解釈の変遷、
また統帥権の拡大解釈など様々思い起こされる。
ただ、ヒンデンブルクはまさか国を滅ぼしたくて
首相を選んだわけではないはずだし、
授権法を成立させた議会も同様だ。
より良い(ましな悪を?)選択してきたはずが
その積み重ねにおいて結果失敗だったことは、
ドイツの記述に日本を重ねてしまう。
もうひとつの感想は、ワイマール憲法下では権力が分散していて
政治の意思決定に難があるのではないかということだ。
理屈上は参政権をもつ国民が増え、その分国政に対する権利が
分散されたことになる。
それとは別に地方の行政組織の独立性や政党の激しい対立や
政治団体のもつ暴力的な組織について述べられている。
長期政権は無く、内閣が短いスパンで次々に変わっている。
このような状況では恐慌からも、対外的な債務の弁済からも
国民を守ることは難しそうだ。
ワイマール下でナチスが望まれたことについて現状打破の期待が
大きかったこが容易に想像できる。
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教科書では出てくるけれど、
あまり詳細は出てこないであろう
ワイマル共和国に関しての本です。
戦争、がすべてを引きずる要因といっても
過言ではないように思えます。
もしも戦争がなければ決して
悲しいことにはならなかったでしょうから。
完璧な憲法といえども、
混乱下では灰燼と帰すものですね。
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帝政ドイツは、ホーエンツォルレルン家の皇帝によって支配されていたが、この帝国は同じ君主国でもイギリスのように議会が政治の中心をなす民主的な君主制ではなかったし、帝政ロシアのような専制帝国でもなかった。
ドイツ帝国には普通選挙にもとづく議会もあったし、法律は議会を通過しなければ施行されなかった。
しかしそれが議会政治でなかったというのは、政府が議会から全く独立に構成されていたからだ。
首相以下の大臣は皇帝から任命され、議会にではなく皇帝に対して責任を負うというもの。
例外的な場合を除いて議席を持つ政党員が大臣に任命されることはなく、大臣はもっぱら官僚から選ばれた君主制であった。
このような制度が革命によって一挙にとり払われ、君主制から共和制に変わったばかりではなく議会に基礎をおく政党政治がはじめて行われることとなった。
ワイマール共和国の誕生である。
帝政ドイツ時代に参戦した第一次世界大戦でドイツは主要な戦闘においては一度も負けた事はなく、占領地域は東西にわたって広く敵地にはいりこんでいた。
報道は軍の厳重な統制下におかれ、国民は最後の段階にいたるまで自国が負けるとは考えていなかった。
マルヌ河畔の戦いにおいてフランス軍を撃滅することに失敗して以来、ドイツの究極的な勝利はむずかしくなり、戦線は膠着。
長期化した戦争によって国民は苦しい生活を余儀なくされた。
1918年に首都ベルリンで起きたストライキは、参加者40万人ともいうべき大規模なものであった。
1918年9月、ドイツ参謀総長のヒンデンブルグと参謀次長のルーデンルドルフは、突然政府に通牒を送る。
内容はアメリカの十四か条受諾による休戦条約締結するために国制を改めて議会に立脚した政府をつくらねばならぬという要求であった。
戦争の英雄であったヒンデンブルグは政治的には無能であったが、野心家のルーデンルドルフは1916年に参謀次長の職に就いて以来、陸軍を掌握しただけでなく、軍の力を背景として政治に干渉し、全ドイツを彼の独裁下においた辣腕家であった。
ルーデンルドルフは戦争反対論を厳重に禁圧し、自由主義者や社会主義者の主張する国制改革や議会の重視に強く反対してきた人物である。
その彼が突然掌を返すように敵側の条件による休戦と彼が最も反対してきた議会主義とを要求してきたのである。
ドイツ革命の口火はキール軍港の水兵によって切られた。
無謀な命令に対して水兵の反乱が起こり、キールに飛び火して大規模な反乱となり、さらにはミュンヘン革命となって帝政ドイツに大きく揺さぶりをかけることとなった。
ベルリンでは首相マックス(ルーデンルドルフの指名によって首相就任)が皇帝退位の発表を行い、エーベルトに首相の地位を引き渡した。
ドイツは皇帝の退位によって事実上共和制の路を歩むことになるが、国民への共和国宣言に関しては、マックス内閣で大臣であったシャイデマンが独断で行うというお粗末なスタートであった。
その後一月蜂起という20万人に及ぶデモを政府が鎮圧するという事件を経て、国民議会���選挙、そしてエーベルトを大統領としたワイマール共和国がスタートすることとなった。
ワイマール憲法は、「国家の構成と課題」、「ドイツ人の基本権と基本義務」の二大部分に分かれている。
その中でも、国制上、後に大きな意味をもつのが大統領に関する規定である。
大統領は任期七年とし、議会ではなく直接人民投票によって選ばれることとなり、官吏・将校の任免権、軍隊の統帥権、州が憲法の義務を果たさない場合、武力によってこれに制裁をくわえる権利を持つ。
また公共の安寧秩序が損なわれた場合には武力をもってこれに制裁を加える権利を持つ。
その際には基本的人権に関する諸規定が一時期停止され得るとするから凄い!
大統領は完全な独裁権を行使し得るのだ。
このような強力な大統領制は当時最も民主的な思想家であったプロイスやマックスウェバーの主張によって生まれたものであった。
彼らの主張によれば、「ドイツ人のあいだに議会政治の訓練が行き届いていないために、議会に全権をあたえたならば収拾のつかぬ混乱を起こすおそれがある」と考えたからだ。
「基本権と基本義務」に関しては、この憲法の特色をよく発揮したものであっt。
「経済生活」の項には、社会主義の精神が取り入れられている。
ここでは所有権は保護されているが、公共の福祉のためには、それが制限され得ることを認めている。
経済活動の自由が規定されているが、それと並んで労働者の権利も種々の形で保証されている。
ただ、この憲法自体が円滑に運用されたかに関しては、国民経済が順調に発展し得るか否かにかかっていた。
しかし、時代はドイツにとって暗い影を落とす。
ベルサイユ条約である。
第一次世界大戦の戦争責任はドイツとその同盟国にありとし、ドイツ賠償の義務を規定した。ドイツは三十年にわたって賠償の支払い義務を課せられあらゆる歳入は賠償支払いに向けられるべきものとされた。
また、ドイツは戦費の調達を直接税ではなく公債の発行によって賄ってきたため、軍隊の復員や失業者の救済など不換紙幣が氾濫した。
貨幣価値が低落と社会不安による国内の生産は停滞は国内にインフレを巻き起こし、ドイツの中産階級は没落した。
その後政治的にも経済的にも混乱の極みに達したドイツでは、ナチスドイツに期待が集まるようになるが、それはまた別の話。
当時最も先進的な憲法であったはずのワイマール憲法であるが、仮にドイツが順調に経済発展を積み重ねることができたならば、国民主権の国家として成長していくことができたのかもしれない。
しかし、時代はそれを許さなかった。
最も先進的な憲法と、史上空前の経済混乱、そして飽くなき政治闘争。
ドイツは不幸にして政治・経済における光と影を凝縮した時間の中で体験することとなった。
憲法論議の進む今、この時代をさらに見つめ直すことで、未来への道筋を見つけられるのではないだろうか?
歴史的教訓だけで終わるか、この時代に光をもたらす暗夜の灯となるかは、我々ひとりひとりにかかっているのかもしれない。
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第一次大戦後ドイツに誕生し、そしてナチスの台頭を許して崩壊したワイマル共和国の政治史。
社会主義的革命によって誕生した、民主的憲法を掲げた共和国が、いかにして右傾化していき一党独裁に至ったか。
ドイツ国内の状況と国外との関係を丁寧に追いながら時系列に解き明かしてゆく。
ある意味、混乱を宿命づけられていた国家だったとしか言いようがない。
帝政から共和政への政治体制の大転換だけでも大事なのに、ヴェルサイユ体制という外部からの強烈な軛、ようやく安定したかに見えたタイミングでの世界恐慌。
政治も社会も経済も、安定を目指して遂になし得ず、混乱を極めれば極めるほど民主主義的な手法では収拾がつかなくなっていき、政党政治は形骸化し、民衆は強烈なリーダーシップを求め始める。。。
それでも本書を読んで感じたのは、ここに登場した(特に成立初期~中期までの)どの人物も政党も、祖国を真剣に憂い、本気でドイツをよくしたいと思って行動し、その主義主張をぶつけ合っていたのだな、ということ。
その結果が悲劇に至ったとは言え、冒頭で著者が「(ワイマル共和国時代について)うまく書けば小説に劣らぬ面白い物語ができるにちがいない」と述べているのもうべなり、と思える。
(ただし、共和国末期ごろには段々と政争に勝つこと自体が目的化していく様子が読み取れる。。。)
ナチス誕生の前舞台をしっかり知ることができた。
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◆戦後ドイツ史の前提、そして世界史的に重要な位置を占めるワイマール憲法の問題点を露呈した戦間期ドイツの政治。これを丁寧に描出する古典的ロングセラー◆
1963年刊。
著者は東京大学名誉教授。
憲法論・憲法制度史から見て絶対に外せないワイマール共和国。その成立から崩壊までをドイツ国内の政治史を中心に描写する古典的ロングセラーだ。
教科書的には、第一次世界大戦後、敗戦国のドイツが巨額の賠償金と経済的復興がなかなか進まない中、紆余曲折、あるいは左右からの中道への攻撃の中で、政治のかじ取りが困難になり、遂に沈没していったというものだろう。
本書はこの基本的流れをより詳細に解説していく書と言えそうだ。
元来、ナチスドイツから戦後ドイツへの変遷に関し、ワイマール憲法やその制度は、戦後ドイツ(特に西ドイツ)において、これらの継承と超克の両面を併有しているが、これを正しく理解する上でも、ワイマール時代の政治的問題点の理解は重要である。
日本国憲法を含む他国の憲法との比較の観点に加え、
さらに言うと、ワイマール憲法の長所と短所は、旧憲法を含む戦前日本の問題点の克服という視点で見ても、ワイマール的憲法観・諸制度を継受した現行憲法の意義を理解するためにも重要だし、前提知識であるとも言える。
勿論、現行憲法を基軸とする戦後日本の諸制度を照射する上でも同様だ。
こういう観点で本書を読んでみて、色々思うところはある。
その中で、
➀ 帝政に親近感を持つ国防軍保守派を野放しにせざるを得なかった(人事面で改革派を引き上げられなかった)。
➁ ソ連一国主義の体現者コミンテルンに右往左往させられたドイツ共産党(ないしこれに近い、独立社会民主党)。
➂ 巨額過ぎる賠償金。特にフランスの感情的対応が、結果としてドイツを政治的にも経済的にも袋小路に追いやってしまい、窮鼠猫を噛む状態が理性的・合理的外交政策の喪失に直結した。
➃ 右派・左派の強固な対立が議会運営を阻害。さらに夫々が各地で武力叛乱を起こす等、自らのインフラ基盤の破壊、人的資源の無駄遣いに帰結。
➄ 議会第一党の社会民主党が、1923年~28年まで政権を担当せず、議会不安定の状況に事実上手を貸していた。
➅ 議員は中道・左派が相当数であったにもかかわらず、官吏が帝政時代の延長で、特に軍隊・司法官の発想と国民との顕著な乖離。
➆ あるいは、バイエルン(中心地はあのミュンヘン)の反プロイセンという歴史に根差したドイツ各地の独立・自立志向が負に働いた。
という辺りが印象に残る。
なお、意外なことに、フランスによるベルサイユ条約順守・強硬政策が採られていた際、中道右派のヴィルト内閣は、なんとソ連との間で、平和友好を基軸とするラッパロ条約を締結した。
これは、第一次世界大戦における戦時賠償金を相互に否定、ロシア革命で没収された資産の返還要求の放棄の他、この条約による相互関係を前提(秘密協定ではない)に、どいつ軍の兵器製造と兵員訓練をソ連で行う一方、ソ連軍需工場へのドイツの技術��援が水面下で推進した。これは、後の展開を考えると見逃せない事実の摘示と言えるだろう。
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1963年刊行、中公新書整理番号2ケタ。文章はところどころ古さを感じるところもあるけど全然読める。
高校世界史レベルで言うと、WWⅠ→キール軍港の反乱→ドイツ革命→ヴェルサイユ条約→ルール占領・シュトレーゼマン外交→世界恐慌→ナチス政権奪取、くらい。大筋間違ってはないけど、細かく見るといろんな人がいろんなことしてるなぁ。ナチスの台頭一つにしても、抑えこもうとするヤツ、歯向かおうとするヤツ、取り入ろうとするヤツ、取り込もうとするヤツ、、あ後から見るとナチスの政権奪取は歴史の必然とついつい思っちゃいがちやねんけど、歯車一つ、思惑一つで歴史は変わってたかもなぁ、と思いを馳せるにはすげーオモロい一冊。