紙の本
圧倒的な非対称社会に警笛
2004/04/04 20:07
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投稿者:どらえのん - この投稿者のレビュー一覧を見る
小学生や中学生の頃、
「南北問題」
という言葉を社会の時間に聞いた覚えは無いだろうか。
「イタリアはミラノなどがある北部が発展しているため、南部との経済格差が問題になっています」
と習ったことを覚えている人もいるだろう。
南北問題もイタリアの問題も、地理的条件が生み出した経済格差であった。
しかし現代にあっては、宗教の違いによる「利子」への考え方が経済格差を生み出し、その差はかつてない絶対的な差を生み出している、と著者は指摘する。
裕福な側はその圧倒的な力で持って世界を支配し、維持し続けようとしている。貧困側は現状を破らんとし、ビルディングを破壊し自爆テロを起こす。
また筆者は、圧倒的な非対称性を「人間」と「動物」にも見出し、自爆テロとして「狂牛病」を捉えている。
西欧社会とアラブ社会、人間世界と動物世界の均衡点はどこにあるのだろうか。
エントロピーが増大する方向に社会はすすんでいるのだろうか。
筆者も答えを出していない。
紙の本
「ニューロ‐神学」的経済学
2002/06/09 17:50
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ニューロサイエンスに裏打ちされた神学‐経済学原論である。
《キリスト教的一神教と古典派経済学(さらには、西欧における生産・流通・分配の構造そのもの)の間には、いままで考えられてきた以上に、深い本質的な関係が存在しているのではないか。私たちは、これまで明らかにされることのなかった、神学と経済学を結ぶ「見失われた環」を再発見するための探求をはじめる必要がある。イスラームとキリスト教、同じ一神教の二つの文明圏における、今日の「衝突」が意味するものを最大の深度で理解するためにも、この探求は重要なのである。》(「緑の資本論──イスラームのために」,71-72頁)
認知論的考古学(スティーブン・ミズン『心の考古学』)が明らかにした大脳ニューロン組織の革命的変化から二万年、さまざまな機能に特化された諸領域を横断的に接続する新しいニューロン・ネットワークがもたらした「流動的知性」の働きの内部に横断性や変容性や増殖性よりもずっと根源的な「超越」のあり方を発見し、これを「一[いつ]」と名づけた「第一次形而上学革命」(ミシェル・ウエルベック『素粒子』)。
この現生人類の「霊的」飛躍がもたらした「一神教的記号論」の思考は象徴界と現実界の直接的一致の原理に根ざしたものであって、想像界の魔術的・多神教的増殖性を、たとえば貨幣(シニフィアン)が父なき処女懐胎や自己増殖によって貨幣(シニフィアン)を生むことを否定する。
……以下、いつもながらの、しかし9.11によって屈折した中沢節が続く。
紙の本
緑の資本論
2002/05/08 09:14
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投稿者:よしあき - この投稿者のレビュー一覧を見る
緑の資本論。商品を主体にした資本論を一神教的に読み解いてゆこうというこころみ。宗教との関わりの中で近代社会を読み解いてゆく。
西洋の祝祭が繁栄を祝う、クリスマスなのにたいして、イスラムの祝祭は禁欲的なラマダンであるという対比は両者の思想の違いをわかりやすく理解することが出来た。
近代社会の必然的趨勢として、ラカンにいわせるのなら、象徴界と想像界の曖昧さにより、社会がヴァーチャル化するという意見にも素直に賛同できた。
紙の本
「シュトックハウゼン事件」に見るマスコミの愚劣
2002/07/16 18:15
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投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中沢新一が、いまなお左翼的シンパとは驚きだ。左翼は過激でなければつまらぬが、彼自身はまったくそうではない。むしろ資質としては「詩人」に近いかもしれない。その資質は、本書「序文」にも現れている。
「九月十一日のあの夜、砂の城のように崩れていく高層タワービルの映像を見ているとき、そこに同時に、透明で巨大な鏡が立ち上がるのを、たしかに見たのだった。その鏡は無慈悲なほどの正確さで、私たちの生きている世界の姿を映し出していた。なんの歪みもなく、なんの曇りもなく、なんの希望もなく、鏡は静かに、幻想の雲でできた世界の姿をくっきりと浮かび上がらせてみせた。(略)いままでの体制は総崩れ、これからはなにもかもがむきだしのリアルワールドで、思考されなければならない。(略)私はもう思考の主人公ではいられなくなった。私が思考するのではなく、思考のほうが私を駆り立てて、ことばに向かわせるのである」。かくして以下の三編は書き上げられた、と続くのである。
その三編とは「圧倒的な非対称」「緑の資本論」「シュトックハウゼン事件」だが、ぼくはこの中では、雑誌でも読んだ三編目のエッセイが面白かった。
七三歳の老作曲家シュトックハウゼンを襲った災難話である。
二〇〇〇年九月一六日、彼は「ハンブルグ音楽祭」(目玉は彼の連続演奏会)のために現地に赴き、ホテルで記者会見もする。その折、シュルツ記者に、ニューヨークの「9・11テロ事件」について問われ、「あれはアートの最大の作品、ルシファー(光の王子)の行なう戦争のアート、破壊のアート……」と答えるが、「いま言ったことは誤解を招くので、オフレコにして下さい」と頼む。ところが、その発言を引き出すことが目的だったシュルツ記者は、前後の文脈は周到にカットし、「北ドイツラジオ」で、「あれはアートの最大の作品」発言を流す。そのため、四回にわたる連続演奏会はただちにキャンセルされ、数時間後には「音楽祭」そのものも中止となる。老作曲家は「記者会見を再度開いて欲しい」と懇願するが聞き入れられず(後に、主催者側代表が市会議員選挙に立候補していたためと判明)、老作曲家はハンブルク市を追い出された。
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■中沢氏の本を最初に手に取ってから21年になる。それは、1984年3月第1版6刷の、せりか書房・「チベットのモーツアルト」を八重洲BOOKCenterで買ったのが最初の著者・著作との出会いでした。ロマンティックなその本の「題」に惹かれたのです。 翌85年は、円高ドル安のプラザ合意がG5でなされ、日本が戦後体制・終了の通過儀礼を行った年であり、翌年からのバブルに火を付ける前年でもあったが、私にとっても人生節目の出来事多発の年であった。また、浅田彰氏の、せりか書房「構造と力」・筑摩書房、「逃走論」など、現代思想の最前線を、「スキゾフレニック」・「構造主義から脱構築・解体構築」などの言葉とともに、「ストロース・・・ポランニー・フーコ・デリダ・ドウールーズ」など、現代思想家の存在を知った年でもあった。学生時代や、ビジネス・実業の世界とは違う新鮮な知的世界に興奮した記憶がある。この年、中沢新一34歳。浅田彰27歳。
「チベットのモーツアルト」とは中沢によれば、ジュリア・クリステバが伝統的な意味の構造を微分差異化し・・その記号の解体などをエレガントなモーツアルトの音楽やチベット仏教の声明音楽の中に象徴的に見出し、意味の無限化、多様な官能や身体へと運動させて行く様を「チベットのモーツアルト」と彼女の論文で表現した。それを中沢が、ネパールで密教僧として追体験し、執筆の世界でこの本のタイトルに使用したのだそうです。
<続きは以下>
amato-study.comに書評があります。
アースダイバーと併せて、アマトのお勧め本です。
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む、むずかしい…。さっぱりわからなかった。ドイツの現代音楽家の話は割と好き。読みやすかったから。ジャーナリズムはいまや私欲のためにしか動かない。宗教についてはまったく頭がついていきませんでした。勉強不足。
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9.11テロの直後にイスラム教の素晴しさ、
彼らから資本主義世界がどう見えるかについて説く。
著者が提唱する「対称性」という概念を、他ならぬ著者自身が
率先して実行に移す、その姿勢に好感が持てる。
読んでいて頭の中で三大宗教が
なんとなく同軸上に位置づけられてきた気になって喜んだ。
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イスラム銀行とイスラム教、キリスト教と資本主義を対比させた論考が面白かった。イスラム銀行のことをよく知らなかったので、へええと思った。後半の文章は、ああ人類学という感じ。
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大事なことを言っているのはわかるが、わかりにくい。
池田信夫氏がみそくそに言っているのも、経済学者にわかる言葉でわかりやすくかたっていないからだと思う。
(1)人間と動物の関係が、縄文時代までは対称的(力が同じくらい)だったが、それ以降圧倒的に人間が強くなり、非対称になっている。しかし、この非対称について、ゆるしをこう意識が大事である。(p26)
中沢さんは、宮沢賢治を引用してこれを語っているが、それ自体、動物を殺す場面を忘れ去って、デパートできれいに精肉が並んでいること自体だけを意識してはいけないというのはわかる。
(2)イスラムのアラーに比べ、キリスト教の三位一体論は、特に、聖霊を含むことによって、資本主義と整合的になっている。(p101)
利益をあげるという発想、利子という発想を厳しくイスラムでは否定しているが、キリスト教では、旧約聖書のその記述はあるものの、今は受け入れている。その理由として、特に、聖霊という増えることが可能な概念を付け加えたことにあるという。
と自分は、中沢さんの難解な議論を理解した。もし自分の理解がだだしければ、なんとなくわかる。
(3)物部氏の技芸は、土地の精霊の威力を、象徴的な具(道具)によって捕獲・掌握して、管理するモノの技芸にあった。(p164)
このようなモノ、地霊に対する力をもった物部氏を蘇我氏と聖徳太子が破ることによって、合理化の時代が始まった。
これも理解できるし、だからといって、縄文時代から続く、地霊へのおそれの精神も捨ててはならないということだろう。
もう少し、わかりやすく、例えば、内田樹さんの様にたとえをいれて語ったら、中沢氏への誹謗中傷も減るのではないか。
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中沢新一がオウム事件に深く関与してしまったことの、言い訳がウダウダと述べられてて憐れみを誘う。
イスラム社会の経済に関する文章は興味深かった。この本を読むまで、ぜんぜん知らなかったから。
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九月十一日のあの夜、砂の城のように崩れ落ちていく高層タワービルの映像を見ているとき、そこに同時、透明で巨大な鏡が立ち上がるのを、たしかに見たのだった。その鏡な無慈悲なほどの正確さで、私たちの生きている世界の姿を映し出していた。なんの歪みもなく、なんの曇りもなく、なんの希望も、そしてなんの絶望もなく、鏡は静かに、幻想の雲でできた世界の姿を、くっきりと浮かび上がらせてみせた。
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この奇特な宗教学者の書くものには、他のニュー・アカデミズムの論者に対するのとは別種の興味を抱きながら、新しい本が出る度にその文章を読むことを楽しみにしていた。その理由の一つに、文章が平易であり著者の思考によどみがないことがあげられる。さらには、引用された言葉が借り物でなく自己の思考の中に血肉化されていることで、著者の輪郭が明らかにされながらも貧弱にならないという長所を持っていることがある。多くの論者がレオパルディの鴉のように、他の鳥の羽根を拾って節操もなく自分を飾り立てるか、さもなくば自前の貧相な尾羽の色を晒している中にあり、何を語っても著者には独自の羽根の色が備わっていると言えるだろう。
9月11日に崩壊するタワービルの映像を見ながら、著者はそこにわたしたちの生きている世界を正確に映しだす透明な鏡を見たという。それ以来「私はもう思考の主人でいられなくなった。私が思考するのではなく、思考の方が私を駆り立てて、言葉に向かわせるのである」と、序文に書きつける。こうして短期間に書かれた三編の文章に、「緑の資本論」を補強する意味でつけ加えられた以前に書かれた一編を添えて編まれたのがこの一巻である。
この本を読んでいてモロッコのスークで買い物をした時のことを思い出した。土産物の短剣の値が、もとの値というものがあるのかと疑いたくなるほど、商談中にどんどん変わるのである。売り手と買い手の間に納得がいったとき、はじめてその商品の値が決まるイスラムの商法には原価だの利潤だのというものがない。イスラムの世界にあっては一木一草悉皆アッラーの神の顕現である。お金についてもそれは同じで、金から金が生まれる資本の自己増殖は「魔術的」であるとして許されない。だから、当然のことに銀行には利子というものがない。
古代の人間にとって、作物を繁殖させ、獲物を贈与してくれる大地や森は「魔術的」な存在であった。ところが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の母胎となる唯一神の誕生は、そうした「魔術的」な生成する神を認めないメタレヴェルの神の誕生を意味した。現実世界と神とは鏡像のような関係としてあり、現実世界に属する「モノ」が勝手に増殖することなどあってはならないのだ。だから、ユダヤ教は同胞には利子を取って金を貸すことを認めていないし、キリスト教もまた高利での貸しを認めない。利子こそ自己増殖するモノの典型と考えられるからだ。
ところが、資本主義が発展してきたキリスト教社会では、利子という存在を放置することができなくなった。スコラ哲学の「三位一体論」のパラドクスは、父(神)と子であるキリスト(現実世界)をつなぐ「聖霊」という存在を配置することで、余剰分である利子という概念を正当化しようとした、というのが中沢の説である。マルクスを援用して説き明かすこのあたりの論理展開はスリリングかつ精密で、下手な推理小説を読むよりずっと面白い。
富の集中が産み出す世界のひずみは資本主義の発展を抜きにしては語れないだろう。その資本主義に免罪符を与えたのがキリスト教であるとしたら、同じ神から生まれながら、いまだに自己増殖するモノを認めない唯一の一神教であるイスラム教を信じる者の眼には、資本主義の体現者たるアメリカの姿はどのように映っているのだろうか。私たちは一度でもそういう眼を自分のものとして世界を見たことがあるだろうか。
9月11日以来、世界は貿易センタービルの崩壊について実に様々な言葉で語ってきた。しかし、このような言葉であの事件の底にあるものを語った例を寡聞にして知らない。著者は、システム化された情報や交通により安全で清潔な球体と化した「富んだ世界」と、直接的にモノや神に接している単純な「貧困な世界」との間にある関係を指してこの世界が「非対称」であると言う。
「『貧困な世界』は自分に対して圧倒的に非対称な関係に立つ『富んだ世界』から脅かされ、誇りや価値をおかされているように感じている。(略)圧倒的な非対称が、両者の間につくりだされるべき理解を生み出す一切の交通を阻んでしまっているために、愛であれ憎しみであれ、そこに交通の風穴を開けるためには、交易や結婚や交流や対話によるのではなく、テロによる死の接吻ないし破壊だけが残された手段となってしまうのである」。しかし、テロによる非対称の破壊もまた不毛であると、中沢は言う。
宮沢賢治の『氷河鼠の毛皮』という作品を引きながら、人間が非対称の非を悟り、対称性を回復していく努力を行うことにより世界に交通と流動が取り戻されるだろうと語る中沢の言葉は荒れ野に呼ばわる預言者の言葉のようだ。誰もが、自分の中から紡ぎだした思考ではない、流行りの言説をさも自らのものであるかのように滔々と論じて恥じない中で、自分の言葉で、しかも自分を安全圏に置くのでなく、時には危険なまでに対象に寄り添って語る著者の言葉は孤独であるがゆえに美しく響く。
表層的には圧倒的に非対称な世界の「富んだ」側に立つと思われる今の日本では、著者のあまりにもナイーブに聞こえる提言は冷笑もて遇されるかも知れない。しかし、イスラムの国のように強固な信仰に支えられてもおらず、キリスト教のように巧緻な理論も構築し得ず、薄い地面の一枚皮を剥いだ下には、「魔術的」な世界が口を開けているのがこの国の真の姿である。対称性の回復という願いを託すにはもっとも相応しい心性を保ち得ているのかも知れない。久しぶりに遠い未来にではあるが展望の持てる言葉を聞いた気がする。
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9.11の直後に書いたと言うことから10年以上前に書かれた文なのに
今、むしろ近未来について示唆にとんだ内容だった。
⚫️圧倒的な非対称
経済が作る非対称性が、宮沢賢治で言う動物と人間との関係とか、意外な角度から納得させられる。
もののけ姫の解説って言ってもいいかも。
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非対称の世界。
11.9と9.11
ベルリンの壁崩壊と同時多発テロ
西の勝利と東の報復
キリスト教とイスラム教
画一大量生産と多様性
同時多発テロが何を意味するのか。
イスラムの立場からはどう世界が見えているのか。
日本に住む私たちは、圧倒的にアメリカ的だ。
アメリカの意向に国が左右されているし、
アメリカを模倣してきた。
アメリカの色眼鏡をかけて、イスラム教を覗くと、
そこは危ない所だ。
しかし、本当にそうだろうか。
そういう疑問の色眼鏡を、本書は与えてくれる。