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商品説明
犯罪、狂気、貧困、政治の分野で共通して起きていた一見進歩的な言説の転換。「大正的な権力」はいかにして昭和のファシズム体制へと結びついていったか。大正デモクラシーとは何だったのか?【「TRC MARC」の商品解説】
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紙の本
統治の再編成としての大正デモクラシー
2001/11/11 23:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:稲葉振一郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はフーコー権力論を日本近代史、具体的には大正デモクラシーに適用した成果である。こういう仕事は初めてではない(今では入手不可能となった榎並重行・三橋俊明『別冊宝島 思想の測量術』『細民窟と博覧会』他は、主に開化期を対象としていた)が、刑事政策、社会事業、精神医療、と「ミクロ政治学」をやるときのおきまりのコースの他、「天皇機関説」論争や吉野作造の民本主義論など「マクロ(普通の)政治学」の話もあり、と比較的目配りよくまとまりもよいので、お勉強になるよい本。
ただし、大正期を「近代」から「現代」への転換期とみなしていろいろほじくる研究は政治史に限らず、労働史とか農業史とかこれまでもたくさんあり、それなりの成果も上がっているはずなんだが、そうした先行研究とのつながりが門外漢たる私にはいまいちよくわからない。
「大正デモクラシー」に潜在するやばさ=統治の対象としての「民衆」の発見、それが昭和ファシズム=「民衆」の動員への準備をなしていた、という指摘自体はそんなに独創的なものではないし、逆に昭和期をそう片づけること自体への批判(動員の中に潜在したオルタナティヴや抵抗の契機の存在の指摘)がたとえば米谷匡史「戦時期日本の社会思想」(『思想』97年10月号)とか、あるいは坂野潤治『日本政治「失敗」の研究』(光芒社)によって提起されていたのでは、とかいろいろ考える。