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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2001.9
  • 出版社: 講談社
  • サイズ:20cm/484p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-06-210780-5
  • 国内送料無料

紙の本

青春の終焉

著者 三浦 雅士 (著)

【伊藤整文学賞(第13回)】「青春」をキーワードに現代文学を読み解く。伝染病のように広がった青春という現象から、佐藤春夫、中村光夫、三島由紀夫の論争、ドストエフスキー、太...

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青春の終焉

税込 3,080 28pt

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商品説明

【伊藤整文学賞(第13回)】「青春」をキーワードに現代文学を読み解く。伝染病のように広がった青春という現象から、佐藤春夫、中村光夫、三島由紀夫の論争、ドストエフスキー、太宰治、村上春樹等の小説の本質を鮮やかに解明。『群像』連載を単行本化。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー8件

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評価内訳

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紙の本

文学青年に読ませてはいけない快著です

2002/01/15 20:35

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:伊豆川余網 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一読、永年抱いていた「文学」というつかえが降りた。遙かむかし文学部を選びながら、大学生時代どうして小林秀雄が評価されるのか、わからなかった。どうして文学史というと中村光夫なのか小田切秀雄なのか、分からなかった。すべては「青春」に感染し、その価値の高め方がうまかった、もしくは、しつこかったということだったのか。それを諒とした時代だったのか。この本は「青春」という幻想を「近代文学」の価値基準にしてしまった文学者たちの悲喜劇を描いていると言っていい。見物はその真面目くさった「自我」にあきれながらも、年来の重しをはずされてほっとする。上記3名のほか江藤淳、吉本隆明、花田清輝、山本健吉、平野謙はじめ、かつて教科書や参考図書で読まされた多くの批評家が、当人たちの共感敵対とは関わりなく、「青春」という病との関わりで分かりやすく登場する。村上龍や村上春樹の出番もあるが、このお歴々の登場させ方の方が面白い。
 著者の射程はいわゆる「近代文学」にとどまらない。明治近代に入って「自我」を見出し、これをを描きうる文体を創り出したという「近代文学」の幻想こそ「青春」の病症なのだがら。式亭三馬も滝沢馬琴も自我がなかったから自我を書かなかったのではない。そんなものに価値を見出さなかったというわけだ。著者がおざなりに寛政とか文化とかの年号を示さず、意図的に西暦だけで江戸の戯作者と明治の文学者を比較しているのもいい。「20世紀初頭の日本文学に起こったことは、意図的に」「大人の視点をはずすこと」「女の視点をはずすこと」だったに過ぎないのに、そこから生まれた「青春」のみが価値を与えられ、批評の基準に据えられた。太宰治も三島由紀夫も、その空気を吸わされた。そのため恐らく当人たちの天賦からすればほかの時代でも個性的な大作家になったのに、20世紀初頭に現れたために勝手に「青春の文学」者に祭り上げられてしまったのだ。
 著者も引いているが、小説も書いた冷徹な批評家斎藤緑雨の35歳の早世が惜しまれる。何しろ漱石と同年生まれである。緑雨は、「大人の感覚」の持ち主だった。「ですます」など駆使しなかったが(長生きしたら用いたに違いない)、時代の病とは無縁だった。
 本書の副題は「1960年代試論」。つまり、戦後の経済成長が高まりをみせ、世に「青春」の文字が溢れ出た時代の検証が原点にある。著者が「青春」時代を過ごしたこの季節は、同時代人やその追随者がどんなに再生を願っても、もう戻らない。いったん大衆化した「青春」は、もう知識人の主題には成り得ず、誰もこの「病気」に好んでかかりたいとは思わないからだ。まことに新しい世紀の第1年に相応しい、傑作評論である。

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紙の本

終焉なんて

2013/02/11 15:04

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:帝國グマ - この投稿者のレビュー一覧を見る

三浦雅士って人は今井裕康っていう別のペンネームでドラゴン(村上龍)の本の解説をやっている。そうですその解説をしたというドラゴンの本とは「限りなく透明に近いブルー」なんです。ほんとなんであんな乱交本の解説を・・・・・。
 ちなみにこの三浦さんは高卒で青土社の「ユリイカ」の編集者まで登り詰めた苦労人。そんなこんなと考えを収束させれば「青春の終焉」というタイトルもうなずける。

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紙の本

これが青春だ!

2001/11/07 18:07

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:神楽坂 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「青春」とは、人生のいつ頃を指すのだろうか? 当人が青春だと思っていれば、いつまでも青春なんだという人もいるが、一般的には中学、高校、大学の間の何年かをいうと思う。しかし、本来の意味での「青春」はもはや終わっている。「青年」および「青春」という概念は産業資本主義とともに誕生し、しかも、「青春」はブルジョワ階級の青年男子にのみ許された特権であったというのだ。だが、60年代から70年代にかけて、「青春」自体も終焉を迎えた。
 考えてみれば、単に未熟な人間でしかなかった子供が「少年少女」という特権を得たのも、近代に入ってからだった。今、青春時代を過ごす若者ならば、実感しているのではなかろうか? 自分たちが何らの特権も持たず、非日常的な時が流れているわけでもないことを。70年代の青春ドラマの熱気が現代に通用しないのは、学生たちのせいではなかったのだ。

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紙の本

青春の終焉・廃墟としての未来

2002/03/24 16:08

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者は、青春の終焉は教養の終焉でもあったと書いている。教養の終焉とは、成長(ビルドゥンクス・ロマン)の終わりでもある。十九世紀の馬琴に匹敵する影響を二十世紀の日本に与えたのは、漱石でも吉川英治でもなく、成長しない少年を造形し性の未分化を描いた手塚治虫のバロック的な作品(少女漫画の起源)であったと著者はいう。

 《教養の時代の終わりは、少なくとも日本においては、明確な日付を持っている。一九七○年十月二十日である。ミシェル・フーコーの『知の考古学』の邦訳が刊行された日だ。》(375頁)

 かくして青春の終焉とともにすべての観念は考古学の対象と、つまり瓦礫、廃墟と化す。

 《論理としての青春はいまや完全に雲散霧消した。バロック的なものが漫然と空白を埋めているにせよ、青春という倫理をもたらした歴史哲学的な認識、すなわち身も蓋もない言い方をすれば進歩の思想もまた、雲散霧消したのである。いや、いまや歴史哲学的な認識への飢えさえも存在しないほどだ。バロックもたんなる意匠にすぎない。ベンヤミンのメランコリーは、その雲散霧消すなわち廃墟への、苦い予感によってもたらされたものとしか思われない。》(482頁)

 ──本書は一種の世代論ともいうべき構えのもとで書かれている。実際、著者は登場する文学者や思想家の年齢差を克明に、いや執拗に記している。「歴史哲学的な認識」が雲散霧消した後に残るのは年齢差しかないと言わんばかりに。それでは性差はどうか。性差はもともと青春のテーマ(性欲、男性の?)から除外されていた。青春の次は子供か(子供は考古学者ではない。子供は解剖する)。あるいは幼年期か(フロイトの深層心理? それともユングやバハオーフェンの神話の古層?)。あるいは天使か(ピエール・クロソフスキーのベンヤン評、「天使の魂。実際、彼は天使のごとき人物だった」。またショーレムの『わが友ベンヤミン』によれば、ベンヤミンとごく親しかったある女性は彼のことを「肉体がない」と評したという)。

 青春の終焉によって廃墟と化した未来には、単性生殖する超人がひかえている? 

※完成版(?)は下記に掲載しています。
 http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI2/100.html

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