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商品説明
【木山捷平文学賞(第6回)】主がいなくなり廃園となりつつある離家の庭で、その猫に出会う。猫と距離をとってきた私と妻の心に、その猫は徐々に近づいてくる。そして、別れは突然やってくる…。いとしさと苦しみ、愛する小さな命への愛惜あふれる物語。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
平出 隆
- 略歴
- 〈平出隆〉1950年福岡県生まれ。一橋大学社会学部卒業。現在、多摩美術大学教授。詩人。詩集に「胡桃の戦意のために」、歌集に「弔父百首」、評論集に、「破船のゆくえ」など。
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紙の本
めったに出会えない上質の小説
2001/12/07 00:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:野沢菜子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読み終わるや、もう一度はじめから読みたくなった。めったにないことである。書かれている言葉をひとつひとついとおしみながら読みたい、そう思わせる上質の作品である。読後感がなんともいい。
家に遊びにくるようになった近所の猫を夫婦で可愛がっていたのに、猫はあっけなく死んでしまう、とまあそれだけの話である。それだけの話が、子どものいない夫婦の感情の微妙な動きや、背景としての、夫婦が離れを借りている昔風の日本家屋や季節の移ろいに合わせた庭の描写、大家の老人の死と家の解体という成り行きなどで色づけされ、ごく個人的な心象風景の後ろに大きな時代の動きが浮かぶ構造になっている。ストーリー、文章表現、構成、どれをとってもすばらしい出来の小説。心と心の出会い(動物、また人間との)、消え行く者・物への愛惜の念、人の世のはかなさと、それでも味わえる生きる喜び、などなどがしっとりと描かれる。読書の真の喜びを味わわせてくれる小説である。
紙の本
日常って、好きな時間のことなんだ
2001/10/27 02:50
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あきら - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本に書かれた文章によって、ふっとまわりの風景が変わって見える、そんな一瞬が何度もあった。昭和ももう終わろうとしている年の秋、妻と二人暮しの家に、ある日お隣の猫がやってくるようになった。猫の名はチビ。それから夫婦の部屋にはチビがつくる流れができるようになる。でも夫婦とチビは干渉しあうわけではない。だってチビはお隣の猫。滅多に啼かず、抱くとするりと擦り抜けていってしまうふしぎな猫。
「チビはいつものようにしていた。つまり自分の関心は天文や動植物相にあり、人間界のことには構わない、という顔のままだった。こちらからは見えない隙間へと無差別に浸透していく流れに対してだけ、尖った耳を澄ましつづけているようだった。」
いつしかチビは夫婦の部屋で毎晩過ごすようになり、夫婦もチビの訪問を待ちわびるようになる。チビの訪問は事件から日常になる。別れは、チビがいなくなるというだけでなく、彼がいた日常が、彼に染められていた空間がなくなってしまうってことなのだろう。それは時とともに移り変わってゆく街並みにも言える。
なんでもない日々。でもそんな日々が好きだから、それを日常として生きている。日常って、好きな時間のことなんだ、って思い出した。
紙の本
家族、老人、介護、バブル経済の崩壊、相続税などの諸問題を見え隠れさせる立派な現代小説
2001/11/02 18:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る
平出隆、初の小説『猫の客』である。詩人としては長いキャリアだが、散文はまた違うので多少の危惧はあったが、一読して驚いた。巧いからだ。全29章から成るこの中篇小説、「はじめは、ちぎれ雲が浮んでいるように見えた。浮んで、それから風に少しばかり、左右と吹かれているようでもあった。/台所の隅の小窓は、丈の高い溝板塀に、人の通れぬほどの近さで接していた。その曇りガラスの中から見れば、映写室の仄暗いスクリーンのようだった。板塀に小さな節穴があいているらしい。粗末なスクリーンには、幅三メートルほどの小路をおいて北向うにある生籬の緑が、いつもぼんやりと映っていた」で始まる。つまり、板塀に小さな節穴があいているためカメラ・オブスキュラ(暗箱)の原理で、狭い小路を人が通ると窓いっぱいに倒立像が見えるというのだ。時は1988年、昭和も終わろうとする秋から初冬にかけての話である。30代半ばの妻とわたしは、新宿から南西に伸びる私鉄で20分、急行の停まらぬ小さな駅から歩いて10分ほど、1950年代末に買ったという140 坪の敷地内の離れを借りて暮らし始め、その小路を「稲妻小路」と呼ぶようにも。大家の四人の子はすでに巣立ち、老夫婦二人、母屋で暮らしていた。ある日、巨大な欅のある隣家の男の子(五歳くらい)が、稲妻小路にまぎれ込んだ仔猫を拾って飼う。二年前に離れを借りた折、「子供とペットはお断り」と言われたが、夫婦には子もペットもなかった。「チビ」と名を与えられた仔猫は、「真っ白な毛並みに薄茶がかった灰墨の丸い斑模様がいくつか入る、どこにでもいそうな日本猫の雌で、ほっそりとして、またとても小さかった」。首の鈴から、夫妻は「シャンシャン」と呼ぶようになっていた。仔猫はいつの間にか離れ宅にも来るようになり、遊び疲れると部屋に入って「勾玉のかたちになって」、ソファで眠りもした。冬になり「チビは徐々に、少し開けた窓の隙から、小さな流れがくり返し、あるかないかの傾斜を浸して伸びていくように、こちらの生活に入ってきていた。しかしそのとき、ひとつの運命といえるものも、その流れに寄り添っていた」。そしてこの小説、16章で大きく転調し、チビが死ぬ。後半はその後日談になるのだが、最後に「チビの死」を謎めいたものにしたことで、この小説、さらに奥深く、ミステリアスなものになった。『猫の客』にはさまざま特色があるが、その第一は瑞々しい感性、それを描写する独特の写生文だろう。ぼくも野良猫になつかれる質で、いまは雄の黒猫と一緒に暮らしている。従って、本書の猫の生態と心情、感情移入して読みもしたが、この手の小説にありがちな感傷的な描写がないことも特色の一つである。また隣家の猫を中心とした日常を淡々と描きながら、家族、老人、介護、バブル経済の崩壊、相続税などの諸問題を見え隠れさせるあたり、立派な現代小説になっている。ぼくが選考委員なら芥川賞に強く推したい傑作だ。