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紙の本
初詣に行くまでに神社とは?
2002/12/21 17:21
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る
坪内の靖国はアミューズメントパークという視点から、1869年招魂社として創建された現代では政治的な踏絵の装置として利用され、様々な衣装をまとった靖国神社を歴史的検証した意欲作である。官房長官の私的懇談会[追悼・平和祈念施設の在り方を考える懇談会]が12月13日、報告書をまとめた。それによると=国立の無宗教の恒久的施設が必要との結論がだされ、既存の靖国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑と両立でき、これらの存在意義を損なわない。新たな施設は個々の死没者を奉慰(慰霊)・顕彰するための施設ではなく、靖国神社と趣旨、目的は全く異なる。宗教法人の宗教施設と国立の無宗教の施設との性格の違いは異なった社会的意義を保証する。とし、その基本的性格はこの施設の追悼は死没者一般が対象になり、具体的な個々の人間が対象に含まれるか否かを問うものではない。=と報告書を提出する。しかし、靖国を棚上げして、新しい施設を作っても首相が今のまま靖国参拝を続ければ、何ら問題は解消しないだろう。
私にしたところで、何故、毎年、靖国が外交上の問題として取り上げられるのか。憲法20条における宗教とは何なのか。戦後民主主義そのものもキリスト教を根っ子に持ったGODの上に成り立ったものではないか。アメリカ大統領は就任式において宣誓は神に対してなされ、法廷においてもしかりである。貨幣、紙幣にも[IN GOD WE TRUST]と刻印されている。
この憲法がアメリカの占領下において誕生した不幸な歴史を背負っている事を奇貨としたのか。継子いじめの憎なのか。[キリスト教の神]の名において約束したわけでもなし、天皇は現人神から人間となり、国体はカラッポの空間で無宗教なる相対的価値観で如何様にも解釈出来ると高をくくっているのか。第9条さえ今では戦争放棄を記したものか判らなくなった。
解釈の規範は是々非々で憲法を支えている不可視なものを問おうとしない。[靖国]を問う事はこの不可視なもと相対することに繋がるはずである。靖国に祭られている神は近代国家の[伝統の創出]になくてはならない装置だとして、利用され、役割は終わったとして簡単に封印出来ないであろう。
最近、神社の散策が多くなった。私のコースは賀茂川沿いに下賀茂、上賀茂神社である。靖国と違って近代に捏造された新参でなく、社家や氏子に守られた神域はアメリカ国家よりは勿論、古い伝統を有しているのだ。でも、参拝帰りに賀茂川に面したスターバックスで珈琲を喫するが。京都の神社は靖国のように招魂社の跡地を貸し駐車場に転用する台所事情はないのであろうか。
戦後民主主義は一件落着ではないのだ。現憲法の精神は何なのか。一体、近代化を推進した旧憲法と、現在の解釈憲法とどう違うのか。近代国家の[伝統の創出]の装置として、旧憲法と靖国は明治人達の力業を[国体という和魂]で列強に精神的な闘いを挑んできたが、その核となったのはやはり、天皇制であろう。ドナルド・キーンが『明治天皇』(新潮社)、ハーバート・ビックスが『昭和天皇』(講談社)を上梓したが、外国人でなく、そろそろ、本書の著書のような人が【天皇】に取り組んで欲しい。
紙の本
なんで靖国神社参拝でさわぐのか?
2002/01/09 19:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:cyappi - この投稿者のレビュー一覧を見る
いったいなんでそんなに騒ぐのか、いまいちピンと来ない。本書を読んでますます騒ぐ必要が無いとわかる。つまりなんで騒ぐのか(誰が騒ぐのか)といえば、マスコミが刺激的なものを撒き、そのもとといえば、政治家の名前を売るためのコマーシャルに利用されているだけでしかない。本書もその一つと思われる人もいるかもしれないけど、それはまったくの間違いで、靖国神社(招魂社)と、その周辺の歴史と有り様を、ドンドン溢れるばかりの材料で教えてくれる。例えば、石原裕次郎のファンが「祐」の字に反応してしまう様に、坪内さんも「靖国」の字に反応してしまうのだ。きっと。人は「噂」とか「口コミ」が大好きで、そういう物にたいして警戒心が薄い。それが本当かとい事よりも、どの位面白いかに比重を置く。そのうち、あたかも、ずーっと前からその事が当たり前だと錯覚する。そしてそれを信じている。靖国神社もかわいそうな位、その的となっている。沢山のフツウの人に読んでもらいたい。
紙の本
靖国神社とは?
2001/08/26 13:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
この夏は、良い意味でも悪い意味でも「靖国」問題は盛り上がった。良い意味では、これまで「靖国」問題というものが何であるのか、考えるきっかけになっただろう。だが、一方で結局問題の先送りというか、曖昧な形のままで何の解決も見ないまま来年に「靖国」問題が持ち越されてしまったということだろう。それにしても、一体「靖国」とは何なのだろう。すくなくとも「日本人」にとって、いかなる存在であったのか。
坪内祐三は、冒頭でどうして本書を書くに至ったのか述べている。きっかけは、「招魂斎庭」という場所が、駐車場になっていたのを見たからだという。「招魂斎庭」、文字通り祀られている「御霊」を招き寄せる場所。それが、駐車場に変わっていることに、「反射的に」「酷い」と感じたという。
「いずれにせよ、私は初めて、その駐車場を見た時、招魂斎庭が駐車場になったのを知った時、静かなる衝撃を受けた。私は、その衝撃の由って来たる源を知りたいと思った。」
こうしてこの衝撃が、はたして個人的なものなのか、あるいは普遍的であるのかを知るために、靖国神社およびその界隈の「土地の記憶」を掘り返す作業が行われていくのである。
さて、坪内祐三に従って、靖国神社の「土地の記憶」を掘り返していくと、この空間が宗教的な意味合いの強い空間、またナショナリズムを高揚させる空間というより、現在でいうアミューズメントパークに近い空間として人々に受け取られてきたことが見えてくる。靖国神社の歴史を見てくれば、ここで様々なイベントが行われて来ている。たとえば、サーカスであったり、競馬であったり、奉納相撲。戦後にたった一度行われた奉納プロレスというのもある。ここは、娯楽のスペースであり、子供たちにとっては夢の空間であったのかもしれない。
実際、靖国神社は何度か遊興施設のようなものを作ろうとする計画が起こっている。「鮭」などの絵で有名な高橋由一は、「霊場には必付属の遊興場あるへし」と宗教空間だから遊興施設が必要だと述べていたという。遊興施設のアイデアは、戦後にもある。靖国神社を中心に、映画館や娯楽場を作ろうとしていたというのである。
靖国神社というと、どうしても戦没者を祀っているところというイメージが強かった。しかしながら、本書を頼りに靖国神社の由来、およびその「土地の記憶」を見てみると、人々が集まりそして娯楽に興じるアミューズメントパークの側面を持っていた、というのは驚いた。靖国神社のこの側面は、なかなか知られていないと思う。だから、「靖国」を考えるとき、改めて靖国神社がいかなる空間であったのかを思い出してみるべきだと思う。そうすれば、また新たな議論が出来るのではないだろうか。