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- カテゴリ:一般
- 発行年月:2001.7
- 出版社: ありな書房
- サイズ:22cm/534p
- 利用対象:一般
- ISBN:978-4-7566-0169-8
- 国内送料無料
紙の本
絵画の自意識 初期近代におけるタブローの誕生
著者 ヴィクトル・I.ストイキツァ (著),岡田 温司 (訳),松原 知生 (訳)
「あるもののイメージあるいは表象」としての「タブロー」に重点を置き、初期近代の西洋において、メタ絵画的な作業が芸術の近代的条件を確立していくプロセスを明らかにする。【「T...
絵画の自意識 初期近代におけるタブローの誕生
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商品説明
「あるもののイメージあるいは表象」としての「タブロー」に重点を置き、初期近代の西洋において、メタ絵画的な作業が芸術の近代的条件を確立していくプロセスを明らかにする。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
ヴィクトル・I.ストイキツァ
- 略歴
- 〈ストイキツァ〉1949年ブカレスト生まれ。ソルボンヌ大学でフランス国家博士号取得。スイス、フライブルク大学の正教授。近現代美術史を講じる。
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紙の本
作画、この不思議な魔術
2001/08/27 18:16
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投稿者:海野弘 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私たちの知っている〈絵画〉というのはいつできたのだろうか。美術が好きな人は〈絵画〉をタブローなどと呼ぶ。タブローというと、油絵で、額縁に入っていて、美術館に展示されている。近代では〈絵画〉といえばタブローのことで、タブローを描く人だけが画家であった。
なぜ近代において、タブローだけが〈絵画〉として特権化されてきたのだろうか。そして、タブローとはどんなものだろうか。
この本はタブローが成立した一五二二年から一六七五年までをあつかっている。はじめにことわっておくがこの本は難解であり、読むのがしんどい。しかし真夏の猛暑の中で、たまには硬い本を読むのも悪くない。私は鎌倉の近代美術館に「バックミンスター・フラー展」を見に行った時、往復の電車の中でこの本を読み、しばし暑さを忘れたのである。
ストイキツァはルーマニアのブカレスト生れの美術史家である。旧ハプスブルク帝国領の中欧からはなぜかユニークで、すごい美術史家が出る。さまざまな文化が折重なっているからだろうか。ストイキツアは、フォルマリスム、記号論、精神分析、人類学などの成果を美術史学に結集しようとしている。それだけに目がまわる。
この本は「絵画の自意識」と記されているように、〈絵画〉がそれを描いている〈私〉を意識し、描いている対象と描いている自分の両方を相対化して見られるようになったことを〈タブロー〉の成立と見ている。
簡単にいうと、絵が世俗化したのである。中世においては、絵は聖像画であり礼拝画であった。それが幸なるイメージになってしまう。たとえば、近代の絵は、窓とか鏡にたとえられる。窓から外の景色が見える。その眺めが一枚の絵に置きかえられる。窓の外の風景だから、ちらっと見るだけで、聖像のように拝むわけではない。なんでもない眺めなのである。したがって、タブローには、なんでもない風景とか、野菜や陶器といった静物が描かれる。つまり日常的な室内の一部のように見える絵なのである。
ステイキツァは、タブローの中に描きこまれた枠(フレーム)や窓に注目する。それはワルター・ペンヤミンの〈敷居〉の観念に似ている。窓、戸口、柱、枠などによって絵画の平面が分別され、多層化多重化していく。その精密な分析と、おびただしく挿入された図版が実に面白い。絵画の中に描かれている絵画により、絵画空間は二重化される。枠を描きこむことで、それを描く〈私〉、見る〈私〉は、絵の外に出て、絵を相対化し、絵を描くとはどういうことなのか、絵を描いている〈私〉とはなにかを意識するのだ。
そしてついに〈私〉は絵の裏側まで描いてしまう。絵の裏は無である。私たちは近代のタブローの終りにさしかかったという。なにもない裏側に達して私たちは、これからなにを描くのだろうか。 (bk1ブックナビゲーター:海野弘/評論家 2001.08.28)