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紙の本
豊かになるということ
2008/01/15 16:01
21人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る
イブン=ハルドゥーンを御存知だろうか。私は大学受験の際、イブン=バトゥータ(旅行家)とならんで、彼の名前を「暗記した」ので名前は知っていた。大学受験で世界史を選択した諸君なら、私同様、見覚えのある名前だと思う。その彼の代表作が、先ごろ岩波文庫から出た、この「歴史序説」全4巻である。私が一番感銘を受けたのは、ハルドゥーンのいう「人間社会全般に通じるある種の法則」についてである。彼曰く、成功する文明を構築する人間には共通の性癖があるという。それは「勤勉であると同時に禁欲的である」と言うことなんだそうだ。これは、二宮尊徳の例を引くまでも無く、日本古来から言われている「知恵」であり、マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』書いていることに通底するものでもある。勤勉で禁欲的であれば、人間はかなりの確率で成功し、豊かになって、なかには文明を構築するものさえ出てくる。
目からウロコだったのは次の指摘だ。「しかし人間、豊かになると必ず失うものがある。それは『アサヴィーヤ』だ」。アサヴィーヤとは訳に困る言葉なのだが、共同体における団結心とか、利他心とか、周囲のために自分だけ犠牲になっても構わないという自己犠牲の精神と訳すのが妥当なところだろう。要するにハルドゥーン曰く、「人間は貧しいときは周囲と協調し、団結しあって働くものだが、それが功を奏して成功し、豊かになると、次第に一人一人が利己的になって、かつて見られた共同体への帰属心とか団結心とかが失われる。それが人間が築く社会だ」と言うわけだ。私はこの指摘を見て、「なるほど」と思った。まさに現在の日本で起きていること、そのものずばりだからだ。かつて日本が貧しかった時、日本人は互いに協力し合い、時には「一杯のかけそば」を分け合う時さえあった。その代わり、集団の締め付けは厳しく、村の掟に背くものは容赦なく村八分と言う制裁を課せられたし、学校では「連帯責任」としてプーさんを出したクラス全員が狂師から鉄拳制裁を受けるなど言うことも時にはあった。それは「自由」を愛するものには時として生き難い社会ではあったが、周囲との協調を第一優先する弱者にとっては非常にありがたい、生き易い社会でもあった。社会の団結心は強く、当時の日本は「強い社会」だったとも言えるだろう。しかし、「勤勉で禁欲的」を地でいった日本人は大成功し、一人当たりGDPが米国と肩を並べるようになると(最近は怪しいが)、日本は高坂正尭言うところの『豊かさの試練』に直面するようになる。豊かになることよりも豊かさを維持することのほうが遙かに難しいことは中国の古人が「創業と守成と」で述べている通りである。まあ、貧しく勤勉な連中は自由を犠牲にしている分、強さを持っているが、豊かな社会に育った連中は、優美である代わりに自分勝手で利己的で、その社会は弱くなるということなのだろう。
昨今、自分のことは棚に上げて、他にばかり犠牲を求める「無いものねだり」が横行している。自分の懐は一切痛めずに、「政府」「行政」「エリート」にばかり「オブリージュ」を求める風潮が蔓延している。私は、そんな連中が幾ら吼えても、耳を貸すものはほとんどいないと信じるものである。自分の懐を一切いためず、ただで他人に道徳を説き自分だけ高みにのぼるのはさぞ痛快だろうが、それでは問題の本質からずれていくばかりである。我々は豊かになったことで沢山のものを手に入れたが、同時に多くのものも失っていることをまず自覚することが肝要なのではないか。そして、その失ったものは、過去を懐かしんでも取り戻すことは出来ない。それが神ならぬ人間に与えられた「業」なのではないかと私はあきらめ半分思っている。
あっと、ついでながら昨年一年間でbk1で購入した書籍の総額が36万円を越え、★★★待遇に処せられた。この場を借りて、お礼申し上げたい。