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収録作品一覧
戦争と一人の女〈無削除版〉 | 坂口安吾 著 | 9-31 |
---|---|---|
鳩の街草話 | 田村泰次郎 著 | 32-46 |
もの喰う女 | 武田泰淳 著 | 47-60 |
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紙の本
戦後短編小説再発見 2
2021/07/25 20:58
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後に書かれた短編小説をテーマごとに収録している。本書では「性」がテーマ。執筆されてから数十年、出版されてから二十年の現在としては男女の性が中心になっていると感じるが、もちろんそこは「戦後短編小説」なので、当然である。それでも吉行淳之介が女性になりたい男性(現在で言えばトランスジェンダーか)との「性」をテーマに書いていたのは、結局不能に終わってしまうとはいえ、驚きだった。それにしても戦争と性、軍隊と性、不妊など「性」だけでもこれだけ種類があるのは、圧巻。
紙の本
作品の質はいいのだけれど。
2002/02/09 00:39
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ユカリタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
どちらかというと、精神としての性より肉体としての性に主眼をおいた作品が多い気がする。戦争が源泉活力となり不感症ながら安定した関係を築こうとする女と、女の奔放を戦争が収束していると知り、戦時下での一時的な関係と割り切って女のみずみずしい肉の感触をむさぼるという坂口安吾の作品を筆頭にして、食欲というものを通じて暗に性欲を感じてそれに自己嫌悪するもの、ずうっとずっと性描写と前後話を第三者的に見せ付けられるもの、男や義父に犯されそこに父の影を見いだして裏街道に転々とさせられ沢山の男に辱められてもそれに逆らわず嫌がらず流されて物凄く悲惨で淋しい結露を辿るが当人は案外うすら幸せそうであったというもの、風俗嬢の話で激しい刺激的描写とそれが日常化した世界、など収録されている。
肉体って何か? こういう行為に何を持たしたらいいのか?
この収録作品に限って言えば、愛情を伴った行為は幻想ではないのか、という気がしてくる。それはやや私を疲れさせる。事実にしろ事実でないにしろ。
読み続けていくと、熱い描写と反比例して、なんだか冷めてつめたい気分になっていく。所詮こんなものなのだと。
紙の本
前編:エロスの闇を見すえた傑作短編集!坂口安吾、武田泰淳、富岡多恵子らの筆力に圧倒される!
2001/07/13 22:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:藤崎康 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この注目すべき短編小説集の編者たちが言うように、戦後、焼け跡・闇市からの経済復興と、高度成長と、バブル景気と、その失墜とを経験した日本人が痛切に体験したのは、「平和」の中であらゆる人間関係が密度をうしない、希薄になり、個人として社会に浮遊するという、寄る辺なき「生」を生きることの孤独であった。こうした社会の変化の一側面は、生きもの度(エロス)の高い状態から低い状態への推移であったといえる。本書に年代順に収められた短編を順に読んでいけぱ、それははっきりと実感できる。
巻頭に収められた坂口安吾の「戦爭と一人の女」(1946)は、主人公の野村と奔放な不感症の女とのなまなましい関係を、しかし、いかにも安吾らしいアッケラカンとした文体で描いた傑作だが、この作品はゲラ段階でGHQの検閲によって大幅に削除された。削除の理由は「戦争讃美」である(本書のテキストは文庫では初の無削除版)。だが、不感症であるにもかかわらず、いやそれゆえにこそ男と交わることを貪欲に求める女は、戦争を望んだわけではなく、自分の意思とは無関係に訪れた戦争という状態の中で、感情および官能の「強度」を、あるいは充溢した生きもの度を、目覚めさせられたのである。つまり彼女は好戦的なのではなく、戦争によって偶然しいられた極限状況に深く魅せられたのだ。しかも女はそのことについてまったく意識していない。
「女は戦争が好きであった。(・・・)平凡なことに満足できないのである。爆撃が始まると慌てふためいて防空壕へ駈けこむけれども、ふるえながら、恐怖に満足しており、その充足感に気質的な枯渇をみたしている。」「(女は)空襲国家の女であった。女が野村を愛すのは、野村の中のものではなく、空襲の中にその愛情の正体があるのを、女だけが知らないでいた。いつもこんな女だったら、俺は幸福なんだがな。そして戦争がいつまでも続けばいいと野村は思った。」「近所のオカミサン連が五六人集って強姦される話をしている。真実の恐怖よりもその妖しさに何かの期待のあることを野村は感じていた。」(いずれもGHQによる削除部分)。いうまでもなく、死の恐怖や危険が接近すればするほど、性的なエネルギーも高まるのである。安吾はそれを説明的にではなく、いわば小説家としての本能によって、いきいきと描いている。(bk1ブックナビゲーター:藤崎康/現代文化論・映画批評 2001.07.14)
〜 書評後編へ続く 〜