「honto 本の通販ストア」サービス終了及び外部通販ストア連携開始のお知らせ
詳細はこちらをご確認ください。
このセットに含まれる商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
商品説明
眼下に吉原を望み、日本初のエレベーター、百美人、戦争絵を擁し、絵や写真となり、見世物小屋、広告塔としても機能した浅草凌雲閣、通称「十二階」。「十二階」という器の内外をめぐるまなざしに、様々な角度から迫る。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
細馬 宏通
- 略歴
- 〈細馬宏通〉1960年生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。現在、滋賀県立大学人間文化学部講師。専門はコミュニケーション論。著書に「ステレオ−感覚のメディア史」など。
関連キーワード
あわせて読みたい本
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
この著者・アーティストの他の商品
前へ戻る
- 対象はありません
次に進む
紙の本
新たなまなざしの交錯地点に
2001/07/18 01:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福島秀美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
失われた塔「浅草十二階」についての詳しい記述だけでも興味を大いにそそられる上に、この塔が近代日本人にもたらしたさまざまな「まなざし」をも解き明かしていく本書は、知的興奮を味わえること間違いなしの一冊である。
かつて浅草に聳えていた塔。塔には日本初のエレベーターがあり、内部では写真による美人コンテストが開催された。しかし、例えば東京タワーがテレビ塔として建てられたように、何らかの機能を付加されていたらいざ知らず、ただ「登るため」にのみあったこの塔は、次第に飽きられ、忘れ去られてその存在意義を失っていく。そして、関東大震災によって途中階から折れ、最後には爆破されてこの世から消えた。
その三十三年足らずの存在期間において、塔から、そして塔へ向けられる無数のまなざしが交錯するさまを、著者は多岐な分野にわたる資料を丹念に分析することで明らかにしてゆく。例えば、塔の上から目の前に広がる景色を眺めるまなざし。塔から吉原の美女を覗き見るまなざし。塔の下に広がる色街に足繁く通った石川啄木が塔へと投げかけるまなざし。次第に忘れ去られてゆくその塔を見つめるまなざし——。
それにしても不思議な本である。塔から投げかけられたまなざしが対象を見失ってさまようように、忘れ去られた塔へと向けられたまなざしが塔を凝視することをためらってとまどうように、物語はどこか一点に収斂していくわけではない。もちろん、それは著者によって意図されたところでもあるのだろう。塔が失われてしまった以上、塔からの、そして塔へのまなざしは、我々がどんなに想像を馳せても完璧に再現することはできない。
しかし、浅草十二階は、失われた後も人々のまなざしを集め、人々にまなざしを投げかける存在となった。現代の我々もまた、浅草十二階をまなざし、これによってまなざされる存在である。そして『浅草十二階』は、その行き交うまなざしの新たな交錯地点に、そっと置かれるべき書物なのである。
紙の本
十二階と関西人
2001/06/23 09:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:NEMO - この投稿者のレビュー一覧を見る
細馬さんはユニークな人だ。だいたいエレベータ内での会話の気まずさが気になって、動物行動学の一環としてエレベータに興味を持つ。ヘンだ。次にエレベータについて調べる。冗談抜きで、世で指折りのエレベータヲタクになるまで調べる。
浅草に足を運び、徹底的にお年寄りにインタビューする。そのくせ、事実を調べぬいてこんなまったりした文書を書く。力こぶという言葉からもっとも遠い存在になりたがる。なんだろうな〜。
なにがいいたいかというと、読後感が妙だということ。面白いなんて生易しいものではない。何も知らずに2001年宇宙の旅のを初めて見た後みたいになっちゃう。
なんだかんだいっても、つまりは結局こういうのを面白いというんだ。この本に出会う人はラッキーだよ。
紙の本
明治23年に建てられた十二階の「凌雲閣」にかかわる、映像・文学・演劇など多様な問題を論じた異色の論考。
2001/08/27 18:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:宇波彰 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、「以前からエレベーター内における人間行動に興味を持っていた」という著者が、「日本初のエレベーターが設置された」凌雲閣(浅草十二階)のエレベーターのことを調べようとして始めた考察が出発点になっている。しかし、著者の構想力はエレベーターの内部に閉じこもっていることができなかった。凌雲閣に関わるあらゆる問題がそこから噴出したように見えるのであり、読者はいたるところで思いがけない事実を知らされる。
たとえば1890年に建てられたこの「明治一の高塔」の設計者に、東京駅を作った辰野金吾が加わっていたことは、評者が本書で初めて知ったことである。(本書によると、辰野金吾は浅草国技館も設計してという。)凌雲閣は、東京のランドマークとして機能していたらしいが、「高さ」にあこがれる東京人の好みに応じて、イギリス、アメリカから「風船乗り」がやってきて、気球と落下傘を使ったショウを披露する。「風船」とは気球のことであり、当時の子供たちのあいだで「紙風船」がはやったのは、「風船乗り」の影響であると著者は推理する。
この風船乗りのショウを見てたいへん感心した菊五郎、黙阿弥に頼んで「当世評判の風船乗りスペンサーと凌雲閣を題材にした散切物」の新作を書いてもらう。(「散切物」とは、時代の風俗を題材にした出し物のことである。)それが「風船乗評判高殿」(ふうせんのりうわさのたかどの)で、菊五郎は外人の風船乗りに扮して、英語で演説するが、その英語を書いたのが福沢諭吉だったというエピソードも添えられている。
歌舞伎座でのこの芝居の上演によって凌雲閣はさらに有名になり、「その姿を描いた絵双紙は飛ぶように売れた」という。さらに凌雲閣に登っていくことを図像化した双六(すごろく)も作られる。つまり、凌雲閣はイメージ化され、神話化されていく。また凌雲閣で、当時の「美人写真」が展示されていたことについても、著者は豊富な資料を使って論じている。日清戦争の時に戦争の写真がどのようにして撮影され、印刷されていたかは映像ジャーナリズムの問題の出発点になる。
さらに著者は、凌雲閣と文学との関連についてもきわめて興味ある指摘をしている。田山花袋、島崎藤村などの作品が論じられている。特に凌雲閣をテーマにした石川啄木の作品の解読を進めていく途中で、『ローマ字日記』を子細に検討し、啄木が凌雲閣に時々登って自分の孤独を慰めたという俗説を批判しているあたりは、新たな文学論としても非常に面白い。
そして、いたるところに珍しい図版を挿入した本書全体が「十二階」(十二章)から成り立っていることにも、凌雲閣への著者の並でない関心をうかがい知ることができる。 (bk1ブックナビゲーター:宇波彰/札幌大学教授 2001.08.28)
紙の本
【著者コメント】「浅草十二階」について
2001/06/11 13:18
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:細馬宏通 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の細馬です。帯がわりにこの本の手がかりを少し書きます。
この本は大きく分けて二つの興味から書かれています。ひとつは、さまざまな文学や映画、マンガ、ゲームに登場する十二階って、いったいどんな塔だったんだろう、ということ。十二階に関する話には伝聞がけっこう多くて、調べ始めると曖昧な部分や矛盾が多い。そこで時代を追って資料をあたっていくと、明治・大正を象徴する塔として捉えられがちだった十二階は、実は時代を追って変化した塔だったということが明らかになります。本書では、華々しく登場した十二階がやがて飽きられ、さびれ、新たな見世物として宣伝し直される過程を追いました。
もう一つは、塔とまなざしをめぐる言説の変化を明らかにすること。十二階は、明治・大正という、まなざしのあり方が大きく変化した時代の塔でした。しかし、この塔を表わすのによく用いられる「パノラマ」「エッフェル塔」といったことばは、残念ながら現代の手垢にまみれていて、まなざしの変化を覆い隠してしまう。そこで、紋切り型のこうした表現をいったん棚上げにし、言説や視覚メディアの変化の過程を追います。写真家小川一眞、そして田山花袋の役割の大きさが浮かび上がります。彼らのメディアにおける動きを追っていくにつれ、明治・大正は、「一望」と「臨場感」という異なる感覚を混同していく時代だったことが明らかになるでしょう。また、花袋とは全く異なる感性を持った石川啄木に対しても、新たな見方が可能になるはずです。
本書の刊行と同時に、「浅草十二階計画」というページを立ち上げました。十二階に関するさまざまなできごとや言説に興味をお持ちの方を歓迎します。