紙の本
コレデオシマイ
2003/09/22 01:56
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:田川ミメイ - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜか今、この本が、わたしの周りで小さなブームを起こしている。
年と共に死が近しく感じられるからか。
今の時代、「どう生きるか」と同じように、
「どう死ぬか」ということが、大きな問題となっているからか。
本書は、古今東西の著名なる人々の
「最期の時」ばかりを集めた本である。
全3巻。収められた「死」は、923。
「15歳で死んだ人々」「36歳で死んだ——」「73歳で——」と、
臨終時の年代別にまとめられている。
いったい、山田風太郎は、どうやってこの本を書いたのだろう。
ひとりについての記述は、短いものは1頁、長くて4頁ほどなのだが、
これだけの数を集めるとなると、
資料を読むだけでも、相当な労苦があったはずだ。
しかも、それらはきちんと著者の視点で書かれている。
ただ資料から抜き書きしただけのものではない。
山田風太郎は「感じる」ことがあったからこそ、書き続けたのだろう。
ひとつひとつの死に対して。
1巻はまだ若い頃に亡くなった人ばかりのせいか、
その当時不治の病だった「結核」や、
予期せぬ「事件」「事故」による死が圧倒的に多い。
それが、50代、60代になると、
にわかに「癌」や「脳溢血」といった「病気」が主になってくる。
それだけに死は、生々しく迫ってくる。
だが、病に伏せる人々の中には、
自分の生の期限を悟るヒトもいるようだ。
河竹黙阿弥は、明治25年4月のある日、娘のお糸に言った。
『おれは来年ゆくから、そのつもりでいてくれよ』
「来年」の話をすると鬼が笑うというが、
この「予言」を鬼が聞いていたのかどうか、
彼は、その言葉通り、翌年の正月3日に、軽い脳溢血を起こして倒れる。
だが、床に就いたものの特に苦痛はなく、黙阿弥は、
脚本のアイデアを話したり、替え歌を作って「愉しんで」いたという。
22日午前9時頃、彼は突然、
『きょうはいよいよゆくぜ。午後まではもつめえ』
と言い、念仏を唱えだし、午後4時過ぎ、眠るように息をひきとった。
山田風太郎は、「真に珍しい大往生であった」と書いているが、
まさに、これほど理想的な臨終など、滅多にあるものではない。
「来年」の死を予言しても、常と変わらずに時を過ごし、
「きょう」の死を察してなお、「冷静」に「そのとき」を迎える。
その「生死」に対する「見極め」と「覚悟」を思うと、
自然と彼が生きている間の「生き様」までが見えてくる。
この本は、「臨終」の一点に絞って書かれているというのに、
読んでいるうちに、そのヒトの「人生」や「生き様」を
目の当たりにしているように思えてくるのだ。
なんとも不思議な本である。
勝海舟が、最期に呟いたのは、たったヒトコト。
『コレデオシマイ』
この臨終図巻の中で、自分の「死」を覚悟し、
それを平穏のうちに迎えることのできるひとは、
より強い「生きる覚悟」を持っていたヒトたちだった。
死ぬ覚悟と、生きる覚悟。
どちらも生半可なキモチでは得ることができない。
そうとは知っているけれど、
もしも、できることならば。
最期の時には愛する人と海など眺め、
「コレデオシマイ」と言いつつ、笑いあいたい。
この本を読み終えたとき、そんなことを思っていた。
紙の本
数多くの死のドキュメント
2001/11/12 17:27
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:神楽坂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
全3巻で923人もの死のかたちを描いたドキュメントである。何人かで執筆したものをまとめたのかと思ったら、山田風太郎一人ですべてを書ききったというから驚きだ。子供の頃に相継いで両親を亡くし、彼自身は貧弱な体格や病気のために軍隊に入れず生き残った。それゆえに、死に対する特別な思いがあるのだろう。第1〜3巻まで、死亡した年齢順に編集されているので、この第1巻には若くして死んだ人たちが収められている。
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よく知られた人物が、何歳でどのように亡くなったか、年齢順に並べられている。最年少は、もう一度、恋した相手に会いたいために自分で放火して火あぶりになった八百屋お七。十五歳。最年長は、当時ギネスブックに載った泉重千代で、百二十一歳。
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橋本治「パンセ? 文学たちよ!」で紹介されていた本。確かに自分と同じ年齢で亡くなった方から読み始めてしまうし、確かに若くして亡くなった方は、あまり面白くない。特高の拷問とか、肺結核とか、梅毒とか、現代ではありえない死の迎え方のオンパレード。いろんな意味で勉強になった。人間、苦しまずに死ぬ、というのは大変なことのようだ。
2007.06.13-07.13
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15歳から55歳までの様々な死に方。
「人間五十年、化天の中をくらぶれば夢まぼろしの如くなり」
―――死は大半の人にとって挫折である。しかし、奇妙なことに、それが挫折の死であればあるほどその人生は完全形をなして見える。
信長こそその大典型。
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没年齢別に、古今東西善人悪人…様々な形で名の残る人々の臨終際を記した本。人選が秀逸。
長寿大国で、天寿を全うし病院のベッドで死ぬのにも、語りきれないドラマがあるけれど、この本を読むと今の日本は「死の形」の選択肢も狭くなってきたのかなあ、と思ってしまう。
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キリストなどもいるが、やはり作家が多いようだ。
「もう少し生かしておきたかった一人」というのが面白かった。
坂本龍馬(32),小栗虫太郎(45),島津斉彬(49),夏目漱石(49)
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山田風太郎による人間の死に方図巻、全3巻。15歳で死んだ八百屋お七から100歳以上の長寿者まで。私は時代劇や歴史物を読んだり見たりするときの虎の巻として使ってます。
死んだ時の知り合いの証言や記述を集め、どうやって死んだかを通して、その人の人生を浮かび上がらせる文章力が見事。反面、この図巻に乗っている人たちのことは、読み手は当然知っているものとして語られるので、知らない人については個別に調べる必要もあります。また死に方を知りその人物に興味を持つことも、反対にこれ以上知りたくないと思うこともあり(凄惨すぎる死に方をした作家の本はもう読めないな…とか)。
若い死はやはり残念だけれど、働き盛りの壮年での急死は本当に無念だったと思う。東京裁判での死刑囚たちの描写は本当に涙がぽろぽろ出てきました。
垣間見える山田風太郎の死生観も良いのです。
豪快と評される人物の女性への接し方を「いい気なもんである」
切腹前の武士の辞世の句を「昔の人はこういう事態によくもこんな辞世を残せたものだと感心する」
立派に死んだとされる人物が、死刑判決を聞いたときに取り乱したという記述に関して「前日覚悟の遺書を書いたはずだが、それでも現実の死刑宣告は彼にとって衝撃だったのであろう。矛盾よりも、人間とはこうもあろうと思わせる」
志半ばに死んだ人物を「死は大半の人にとって挫折である。しかし奇妙なことに、その死が挫折であればあるほどその人生は完全形をなして見える」
晩年の名言を「負け惜しみだろう」
遺言が叶わなかったことに対して「死者の意志は生者の都合により反故にされる」「人は死ぬときに自分の名を残したいと思うものと、消し去りたいと思うものがいる」など。
死病にかかった人物の苦しみを「彼の数々の奇行乱行はこの苦闘の飛沫であった」
裁く立場から裁かれる立場になった人物を「人間には人を断罪することには熱情的だが、自分が断罪される可能性のあることには不感症の傾向がある」「人は最後の関頭に当たって、突如として敵が寛大でありえるような妄想を抱くことがある」
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様々な人々の臨終の模様だけを集めた本。とても興味深い。
目次を読んでなんとなく「ゲバラがいないな」と思ったのだけど、著者の興味を惹く人物じゃなかったのかな。
作家や詩人・武士が多いなと感じたのは「やっぱり山田風太郎だから」という先入観からか。
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前々から読みたかったのだけれど、2008年になってようやく手にした全3巻。タイトルどおり、古今東西の有名人や歴史的人物が、何歳で亡くなったかをエピソード交じりに並べた厖大なエッセイ。
いや、本当にこれはエッセイだと思う。ただ史実的なことを並べただけに見えても、風太郎さん節があちこちに見えて、とても面白い。おまけに中の文をとって言うと、「人の生き死には面白い」のだ。不謹慎だろうが何だろうがこれが事実だ。でなければ、どうしてこの分厚い3冊を最後まで楽しめるものか!
若くして死んだ人物から、長寿な人まで死んだ年齢順なので、時代はあちこち飛んでいる。違う人のエピソードで出てきた人物が、今度は自分が主役でひょっこり出てきたりする。うん、楽しい。
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死に際の言葉や死後の周囲の様子などを読んでると、
生まれた時代や環境の中で苦しんだり、理解されなかったりという人がたくさんいて、死を見て生を感じるような不思議な感覚を味わいました。
名著!!!
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第1巻は、15歳で刑場の露となった八百屋お七にはじまり、長年テレビ時代劇の銭形平次を演じつづけた所為で結腸癌を肝臓に転移させて55歳で急死した大川橋蔵まで、延べ324名を網羅し、ごくコンパクトにそれぞれの死にざまを活写するが、まさに、死にざまとは生きざまそのもの、であることよとつくづく感じ入る。
天誅組首領として19歳で殺された白面の貴公子中山忠光、その姉の子が後の明治天皇となった。スペイン風邪から結核性肺炎を罹病した村山槐多は23歳だったが、その実自殺同然の死であったと。安政の大獄で殺された橋本左内は25歳。大正12年、摂政宮-後の昭和天皇-を狙撃して絞首刑に処された難波大助も同じく25歳。明治維新まもなく反逆罪に問われ梟首された若き熱血詩人雲井竜雄は26歳。北村透谷も石川啄木も26歳で逝った。日本映画創世記の若き天才監督山中貞雄は日中戦争で召集され29歳で戦地に死す。「嵐が丘」を書いた早世のエミリー・ブロンテは30歳。大逆事件に連座して絞首刑となった菅野すがも同じ30歳。共産党の非合法下、築地署の留置場で特高らによって拷問死に至った小林多喜二も30歳だった。存命中はまったく認められず貧窮の内に31歳で病死したシューベルト。丸山定夫率いる移動劇団「桜隊」の一員として広島で被爆した宝塚出春の新劇女優園井恵子も31歳、原爆投下の2週間後に死んでいる。因みに桜隊は丸山以下全員が原爆の犠牲となって死んだ。敗戦後の日本人を悲しくも爆笑させた怪異珍顔の落語家三遊亭歌笑は、銀座松坂屋の前で進駐軍のジープに撥ね飛ばされ即死したが、これも31歳の若さであった。等々、拾い出せばキリがない。
――2009/09/25
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私が持っているのは、この本棚の画像の文庫じゃなくて、徳間書店のハードカバーの方です。箱というか、なんていうのか知らないんですが、よく、ハードカバーについている、ケースのようなものに入っていて、これまたなんというか知らないんですが、薄い半透明のかさかさした紙(こどものころはなぜか「ブーブー紙」と呼んでいました)に包まれている、本です。
この本は大好きな山田風太郎の作品の中でも大好きな部類に入る本です。ときどき書かれる山田風太郎の人、時代、死に方への感想がとても好きです。
私の好きなところは田中絹代の最後のところなのですが、大衆の支持以上に何を望むのか、という彼の視点があらわされていると思います。
例えば、高村光太郎のところを読むと結構はっきり書いています。高村光雲の作品を芸術性が低い(という書き方ではなかったかもしれませんが)としている高村光太郎の作品より、大衆は上野の西郷隆盛像を愛するのだ。そして、そのことの方が評価に値するのだ。
「芸術」と「芸術性は低い」が大衆を楽しませ、慰め、勇気づけるものとの対決。
田中絹代は、芸術家ではなかったけれど、お葬式には何千人もの大衆があらわれ、彼女の死を悼んだではないか、それ以上のものがあるだろうか、と。
山田風太郎の作品も、「難解な芸術作品」ではないかもしれないけれど、多くの大衆に喜ばれ、待ち望まれ、楽しまれたものでした。
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必要なときに取り出して読む本です。世界の有名人の死様コレクションです。あの有名人があんがいみっともない死に方をしていたりして、笑ったり、安心したり、自分もこのように死ねたらと思う人もいらっしゃいます。東京都知事だった美濃部さんのような死に方は理想的です。全3巻、世代別に分類されています。
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15歳から120歳まで古今東西老若男女の死にざま図巻。
1巻では比較的若死にの部類が収録されているため劇的な最期が多いです。
山田先生の文体が面白く不謹慎ながらページをめくる手が止まりません。