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国境の越え方 国民国家論序説 増補 (平凡社ライブラリー)
著者 西川 長夫 (著)
「文明」「文化」のもつイデオロギー性を暴き、「国民文化」が、近代国家が創出した「新しい伝統」にほかならないことを明らかにした「文化の政治学」。筑摩書房92年刊の増補版。【...
国境の越え方 国民国家論序説 増補 (平凡社ライブラリー)
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商品説明
「文明」「文化」のもつイデオロギー性を暴き、「国民文化」が、近代国家が創出した「新しい伝統」にほかならないことを明らかにした「文化の政治学」。筑摩書房92年刊の増補版。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
西川 長夫
- 略歴
- 〈西川長夫〉1934年朝鮮生まれ。京都大学文学部文学研究科博士課程修了。立命館大学国際関係学部教授。著書に「国民国家論の射程」「フランスの解体?」など。
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読んでおきたい
2024/01/24 14:41
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
刊行から時間を経ることでむしろ価値がましていくタイプの本があるが、本書もそうであろう。冷戦の終了で世界は良い方向に向かうと考えた人が多かったろうが、そうはならなかったのはなぜか、そしてこの世界についていかに考えるかという点でも読んでおきたい。
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前編:ポスト国民国家時代の「イミン」のすすめ
2001/06/28 18:17
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越川芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る
名訳の誉れたかい池内紀訳のカフカ、その短編の中の一つに「ある学会報告」と題された面白い寓話がある(岩波文庫『カフカ寓話集』)。この作品は、「未開」の地とされるアフリカで捕えられたサル(「私」)が、「文明」の地で唾の吐き方や罵倒の仕方を覚えたりして、いかに人間として「進化」を遂げたかを、ヨーロッパ的「知」の結集の場ともいうべき学会で語るというかたちを取っている。まさにヨーロッパ文明(キリスト教)中心主義、人間中心主義を皮肉る痛快な諷刺小説といえるのだ。
しかし、キューバ出身のパーフォーマンス・アーティスト、ココ・フスコは、あるエッセイ(「間文化的パフォーマンスのもう一つの歴史」)の中で、この短編が単なる寓話ではなく、コロンブスの新大陸「発見」以降500年にわたって実際にヨーロッパで行なわれてきた民族学的な「人類展覧会」への引喩としても読めると指摘している。このエッセイには、1493年、コロンブスによってカリブ海から連れ去られたアラワク族の者が2年間スペインの宮廷で展示されたという一文から始まり1992年までの、ヨーロッパを中心にした「先進国」での展覧会のリストが載っている。もちろん、「野蛮人」としての先住民を見世物にした「人類展覧会」の意図は、興味本位の覗き趣味とか、異民族のキリスト教への改宗を正当化するためとか、ヨーロッパ人による人類進化のプロセスを確認するためとか、といろいろだ。
「異民族とは、西洋人の各発達段階を暗示するモデルだったのだ」という荒俣宏の言を俟つまでもなく、たとえ学問的な興味からであっても、人類展覧会の裏には、オリエントやアフリカに対するヨーロッパの優越思想が隠されている。カフカは、そうしたヨーロッパ人の「他者」への無意識の優越感と、その裏返しとしての恐怖心をこの小説で突いたのだ。
このことがよそ事でないのは、わが国においても、ヨーロッパの博覧会や展覧会にならった大阪での「人類館」開設(1903年、明治36年)のという、沖縄・アイヌ・朝鮮・台湾に対する似たような試みがあったし、いまでもエキゾチズムというかたちで、ひそかに周縁文化に対するステレオタイプな偏見がまかりとおっている。
「歴史を知っただけで人種的偏見は無くなりはしない。朝鮮人に対して強い偏見を抱いているのは、何も知らない若い世代であるよりは、むしろ歴史的事実をある程度知っており、また加害者として朝鮮人に接した世代の人びとに多いと思われるからである。アメリカのベトナム映画などをみてもよく思うことであるが、加害者であるという意識が相手に対する反感や蔑視をいっそう強化するという現実がある」
『国境の越え方』の著者、西川長夫は、そう述べる。加害者側から見た人種差別の一面をついた卓見だ。なるほどKKKのような白人至上主義者や、天皇を信奉する国粋主義者や、ナオナチでないかぎり、大方の人は声高に人種差別を叫んだりしない。しかし、叫んだりしないからといって、そうした差別意識を免れているかどうかは怪しい。というより、われわれは皆(加害者側も被害者側も)、社会の中で差別意識を刷り込まれてしまっていると考えた方がいいのはないか。なぜなら、西川もいうように、「社会は差別を必要とし、国家は仮想敵を必要とする。……国家と国境が存在するかぎり、隣国問題が存在する」からだ。 (bk1ブックナビゲーター:越川芳明/翻訳家 2001.06.29)
〜 書評後編へ続く 〜