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紙の本
救いがあるのが救いがたく
2007/10/20 12:00
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:消息子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「わたし」、SF作家フィル・ディックが、女友達の自殺を止められず、麻薬に溺れ、自殺を図って失敗するホースラヴァー・ファットの物語を語っていく。もちろんホースラヴァーとはフィリップであり、ドイツ語でdickは「でぶ」、すなわちfatであるのは有名な話。冒頭数ページですでに「わたしはホースラヴァー・ファットだ。必要とされる客観性を得るために、これを三人称で記している」と述べているくせに、フィル・ディックとホースラヴァー・ファットはあたかも別の人間であるかのように語られる。
ファットはあるときピンク色の光線を照射され、ヴァリス、すなわち「巨大にして能動的な生ける情報システムVast Active Living Intelligence System」によって頭の中に多量の情報が注ぎ込まれてくる、というように、およそ、ディック自身の1974年以降の神秘体験をなぞった話が続く。癌の末期の女友達シェリーを巡って、ディックとその友人たちは不毛な討議を繰り返すなか、ファットは妻子に逃げられ、再び自殺を図る。ファットはシェリーを助けることに生き甲斐を見出すが、癌は再発し、ファットは「救済者」の復活という考えに取り憑かれる。
「救済者」探求に出ようとした矢先、ファットと友人たちは『ヴァリス』なるSF映画にピンクの光線などファットの体験と符合する多くの徴を発見し、映画の制作者に会いに行く。映画を見るあたりまでが実体験をなぞった話らしい。ディック自身が友人と見に行った映画とはデイヴィッド・ボウイの『地球に落ちてきた男』だったとか。
映画制作者宅で彼らは「救済者」に出会うのだが、話は何とも釈然としない流れになっていく。救いはないようなあるような。
神秘体験で「イカレタ」ディックの代表作。毀誉褒貶甚だしく、傑作から駄作まで様々な評が……
確かにディックは救いを求めていたが、救いがないこともどこかで知っていた。そのバランスが、過去の傑作を生んでいたと思うが、『ヴァリス』のディックは救いがどこかにあることを信じている。そこが救いがたいと私には思えるのだが。