紙の本
切なさに涙
2004/06/16 09:17
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投稿者:魔法使いサリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
この文庫が発売された時、読んで「やられた!」と思った。あまりの衝撃の強さにすぐには読み返すことができなかったが、先日、数年ぶりに今度は心して読み直してみた。
やはり、この物語はすごい。読みながら私は主人公の心に、少女の心に、他の登場人物の心に入り込み、あまりの切なさに何度も涙した。あの夏の日、ブレイクハート・ヒルを照らしていたまばゆい太陽の光を見たような気がした。運命の冷たい手が悲劇へ続く曲がり角の方へそっと彼らの背中を押が見えた。トマス・H・クックの「記憶3部作」の中ではこの「夏草の記憶」が私の一番のお気に入りである。
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これは読書ではない。読書の概念を新手法で変えた鮮烈な体験だ。
2002/02/04 12:59
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投稿者:カクタス - この投稿者のレビュー一覧を見る
これはとんでもない作品である。もちろん素晴らしいという意味で。クックは今まで誰も成し遂げなかった(というよりできなかったというべきか)文学的なオリジナリティをこの作品でものにしたのではないか。具体的な内容はルールに反するのでどうしても間接的な言い方になってしまうが、いわゆる<文学>という既成概念はこの作品には当てはまらない。オリジナリティを獲得した作家のみに形容される定義したがたい賞賛の言葉の数々…「ジャンル分けできない」「フィクションのようなノンフィクションのような」心を打つリアリティがあるのだ。心の琴線を爪弾く…という常套句があるが、まさにこの作品にこそふさわしい。紛れもなくこの作品を読むことは「ひとつの体験」であり、最後のピリオドが打たれたときこの体験は完結するのだといえる。
もともとこの作品を読もうと思ったきっかけは、ウイリアム・カッツの『恐怖の誕生パーティ』(原題はサプライズ・パーティ)を始めとしたラストのどんでん返しや切れ味の鋭さ好きな傾向の延長戦としてにすぎなかったのだが、この作品ではいい意味で裏切られた。明らかにカタルシスの深度がちがう。近頃の表層的というかデジタル的な癒しブームなどとは本質的に違うのだ。丹念に読みすすめればきっと報われる、個人的にはひさびさの収穫。*ありがとう、クックさん。名前どおり名料理人の一皿でした。
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その一言がきつい
2001/03/11 00:07
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投稿者:松内ききょう - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの「緋色の記憶」の作者だから、という、ただそれだけで手にして読み始めた。最初ちょっと後悔した。緋色の記憶にあったような、だらだらと焦れったいフラッシュバックがない分、たぶんこうなるんだろう、的なことが読めてしまう。それにしても、少女の気持ちを中から見透かすようなこの書かれ方はどうだろう、なんて生意気にも感心しているうちに、形勢は逆転した。その一言の重さ、ラストの重さ。さすがに「緋色の記憶」の作者だ。
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「ミステリ」と思わなければ
2001/01/27 04:45
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投稿者:CURB - この投稿者のレビュー一覧を見る
途中までは悪口を言うつもりだった。
大ざっぱに言えば「ミステリ」とかいう部類に入るものとして手に取ったし、アマゾン・コムの方でも「サイコ・サスペンス」と呼んでいるようだが、読み進むうちに私が思い出していたのは、マルケスの『予告された殺人の記録』だった。
もう、十数年前のことで、記憶はいい加減だが、『予告された殺人の記録』は、一人の男が殺人を予告してそれを実行するという、タイトルどおりの話だった。しかし、込み入った人間関係や主人公の複雑な心理や入り組んだ事件の連鎖などで一巻ができているのではない。殺人は確か、祭りの日に実行される。その朝から殺人の実行までの一日にも満たない時間の主人公の行動が描かれるだけだ。ただ、特異なのは、同じ時間のできごとが、複数の異なる人間の目撃談として、複数の視点から開示されていることだ。この多少読みにくい技法が齎す効果は、しかし、覿面だった。異なる角度から発せられた光が中央で重なる。そしてそれぞれの光の位相が微妙にずれていることによって、その重なりの部分に、一人の男の立体的なホログラムが立ち上がる—まさにこのように、作品の最後を読む私は、陽炎のような一つの後ろ姿が、ゆらゆらと通りを下って行くのを、目の前に見る錯覚を体験したのだ。そして、これは、言語と私たちの脳との幸福な結婚によってのみ可能な「文学的」な効果で、私はこの作品を「文学」として愛した。
『Breakheart Hill(夏草の記憶)』にも事件は1つしかない。その事件にまつわる記憶が語られる。その一部にリンクがはられていて、そこから別の記憶へ飛ぶ。すると、またリンクがはられていて、また別の記憶へ、ときにトップに戻って、今度は別のリンクから、という手法で履歴も階層構造もでたらめになった中に、ただ、記憶だけが羅列されていく。
なにかの不思議な工程を見せられるかのようだった。例えば真っ白なパソコンの画面を思い浮かべてもいい。そこを一本の走査線のようなものが走る。画面に淡く薄い色がかけられたのである。しかし色はあまりに淡く薄く、先ほどの真っ白の画面から何が変わったのかもわからない。そして、また走査線が走り、また色がかけられる。ページを繰るごとに、同じ作業が繰り返されるだけの退屈さは、アマゾンの読者書評が「だるい、だるい、ダブルだるい」と言うのも頷けるものだ。ただ、文章のぬるま湯のような読みやすさに乗せられて、本を投げ捨てるのだけは免れて、三百ページ弱(ペーパーバックで)の終わり近くまで来てみれば、驚くべき効果が待っていた。
気がついて見れば、画面には一枚の絵ができている。二百数十回塗り重ねられて、消そうにも消せない深い陰影を備えて。いつのまにか、私の心には Choctaw の町とその中で生きられた十代の恋が、私自身の思い出として残っていて、何やらそこはかとなくせつない気分になったのである。これからすれば、最後部に提示されることなどは何ほどのことはない、と思った。大体、『シックス・センス』のような、結末を知ったら台無しになるような作品は、もともと台無しの作品だ、ということだ。
芸能人の誰々に似ていると聞かされると、人は期待して、そしてがっかりする。挙句に文句を言ったりする。私は、似ているじゃないか、と思う。「似ている」と「美しさの程度が同じ」とは無関係だということ知らないお前が悪いんだ、と。『夏草の記憶』もマルケスと比べてはいけない。しかし、ここで行われていることは正に「文学」であって、「ミステリ」や「サイコサスペンス」に分類するのは間違っていると思う。
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私はちょっとダメだけど…
2002/02/04 01:58
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投稿者:marikun - この投稿者のレビュー一覧を見る
記憶シリーズの1冊。このシリーズは本当に暗いですね〜(笑)。読んでいて気持ちがドヨーンとなります。
アメリカ南部で、現在は医者として成功している主人公が高校時代の事件を回想します。主人公のクラスに転校してきた美少女。主人公はその美少女に恋をするのですが、少女はある事件に巻き込まれてしまいます。ところがその事件の真相は…。
この作品、世間的な評価はとても高いんですよね。
このミステリーがすごい2000年版 3位
週刊文春ベストミステリ1999年 5位
でもこの作品ラストで真相がよく分からなくなってしまいました…(^^; でも、これは私の理解力不足なんでしょう…(笑)。
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記憶シリーズ3部作の最終巻。前作の『死の記憶』が自分の中でイマイチだった為、やはり『緋色の記憶』のインパクトは超えられないのかなあとあまり期待をせず読み進めていました。相変わらず大変な長編で、まあこの記憶シリーズが長編なのは最後の最後で衝撃的などんでん返しがあるからなのですが、今回のどんでん返しは私にとって本当にどんでん返しで、自分が今まで読み進めてきた上で理解していたと思っていた事は間違いだったのかー??と前のページを何度も繰ってしまう程、驚きのラストでした。いやーびつくり。完璧にしてやられました。ここまで長いのも納得、って感じのエンディング。ここまで頑張って読んできてよかった、と思えるエンディング。ラストシーンも余韻があってとてもよかったです。とにかくエンディング数ページの為だけに書かれているような本なので、その数ページの為にそこまでの400P強を読んだろうじゃないか!という根性ある方にはぜひぜひおススメしたい1冊です。
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"記憶シリーズ"のうちの1冊。シリーズに共通する、人間の暗い部分を鋭く描くのに加え、思春期の複雑な感情が丁寧に表現されている。相乗効果がいい。
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アメリカ南部の小さい町で開業している医者のベン。
そのベンがハイスクールに通っていた30年前に起こった痛ましい事件。
物語は、そのベンの過去の回想という形で描かれている。
北部からやってきた美しい少女、ケリーへの恋心。
生真面目で、いつも自分はいつかこの小さい街から出て、都会で何かを成すに違いないと思っている、秀才ガリ勉タイプのベンの、あまりに屈折した恋心が描かれているんだけれど、物語はそれと同時に60年代のアメリカ南部の状況や、過去のインディアンや奴隷市などの話しなどを、正義感が強く激情家なケリーを通して描かれており、色々な事を考えさせる作品でもあった。
事件そのものは、最初からベンの回想は暗くて、悔恨に満ちていて、事件の細かな真相はわからないけれど、誰がやったのかは容易に想像がつくような描かれ方だった。思春期の、あまりに屈折して素直に愛を表現できないベンへ、同情とも哀れみとも軽蔑とも思えるような感情が湧いてきて、じれったい感じがした。
文章も、ところどころ読みにくく理解しがたい表現や言いまわしなどもあり、暗くて息が詰まるような、そんな気分に拍車をかけていたように感じられた。
本の裏書を見ると、誰もが予想しえない真相って書いてあるんで、どんな真相なんだろうって思いながら読んでいたけれど、自分的には、途中で予想しえて
いたものではあったので、特別驚きはしなかった。
描き方が、あまりに犯人を特定的に思わせるような描き方だったので、意外と言えば意外と言えるかもしれないが、その事件を引き起こす事になった直接的な原因は、その部分が描かれるまでは、誰も想像しえなかったとは思う。
些細な悪意によって、とんでもない事件を巻き起こしてしまったわけだけれど、それは、誰の心の中にも必ずある心の闇の部分であり、ここまで自分で自分を追いこんでしまったベンが哀れでならなかった。
また、ケリーにしても、自我が強過ぎて、周囲の人間の気持ちまで思いやることができなかった彼女の性格にも、私は何故か共感できなかったかな。
この物語で一番驚いたのは、事件の真相よりも、事件から30年後にケリーの母親からベンが呼ばれて、その家で目にしたことが一番驚いた。
えっ?そうだったの?って、あまりに意外であり、またあまりに哀れだったかな。
ところで、この本の解説で初めて知ったんだけど、私はこの作家の「緋色の記憶」と言う作品を以前読んだ。似たようなタイトルで同じ作家だったから、今回の作品にも興味を持ったんだけど、なんと「記憶3部作」と言われてるらしい。
「緋色の記憶」は3作目で、今回の作品は2作目にあたるそうな。。。。
勿論、話しの内容は全く関連性は無いのだけれど、どれも主人公の一人称で過去が語られる趣向になっているそうだ。
自分的には、この作品も良かったけれど、やはり賞を取った3作目の方が、作品としての完成度が高いと思った。
今回の作品は、思春期の子供たちの姿を実によく現しているし、とても読み応えのある作品ではあったけれど、如何せん、全体的にしつこい部分があって、贅肉が付いてるような無駄が多いような、そんな印象��受けた。そういう部分が物語りの雰囲気を演出する為の意図的な描き方なのかもしれないけれどね。
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愛と憎しみ。
愛しているから憎む。
チョクトーの町すべてが、ケリーのかつてのことばを借りるなら、ひとの世のすべてが、現実と仮定の合間に挟まれて身動きがとれず、知るべき事を知りえずにりいるのではないだろうか。しりえないまま人生の機を織るうちに生じたひとつの傷が、次の傷を生み、さらに別の傷をこしらえて、やがては悪意なき恵泉の黒々とした長い縞柄が、織り上げられてしまうのではないだろうか。
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ドーナツの穴を書く、というが小説教室での私の課題でありまして。「ドーナツの穴って空気しか無いじゃん!」と思うじゃないですか。でもそこを書かなければならないと言った場合どうするか。『夏草の記憶』を読んだとき「これだよ!」と思いました。てなわけで私にとって本書は、「ドーナツの穴」問題の、一つの優れた回答になっているミステリーです。
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あまりにも取り返しのつかない終わり。「愛と憎しみは表裏一体」みたいなテーマや話の展開自体はわりとありふれたものだが、随所随所が胸に痛い。
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2年前に読んで以来の再読になります。他のレビュアー方が書かれている通り、道尾秀介氏の「ベスト・本格ミステリ」のうちの一冊です。私自身、直前に道尾氏の作品を読んで本書のことを思い出し、再び読むにいたりました。
クック作品の中でも、随一の、「青春」小説だと思います。ミステリー小説としては、「叙述トリック」によるラストの驚きと、そこにいたるまでの巧みなストーリー運び(特に、時系列を無理なく越えて語る語り口)が光っています。もちろん、叙述トリック自体を「ズルイ」と感じてしまうなら、得られるのは驚きより、戸惑いかもしれません。ストーリー展開も、事件をめぐる事態が劇的に動くわけでもなく、あくまで関係性の揺らぎと主人公の心理(苦悩、迷い、希望から絶望への転落、など)に軸足を置いたものです。そのため、「クドイ」と思う人もいるかも……(実際、私自身も、読みながらところどころで感じてました)。
しかし、それらの(彼の著作全体にも当てはまる)特徴も私には、どうしてもそう語らざるを得ないものだと思えました。トリックも、あくまで主人公の一人称視点から見た「転回」であって、わずかずつしか過去の記憶を語らない姿勢にしても、主人公の性格がなせるものだからです。そのうえで、主人公が徐々に過去の真実に向き合うよう変化していく経過をたどれば、この作品が、ただ「暗い」だけのものではないと感じられるのではないでしょうか。
私としては、主人公がヒロインに寄せる想いの描写や展開の、あまりのリアルさに、一喜一憂、我が事のように「腸が捩れる感覚」を味わいました。同時に、主人公といっしょに、美しいものに触れられた気持ちにもなれたのです。決して気軽に読める作品ではありませんが、描写の濃厚さと、待ち受けているだろう真実の息苦しさのなかに、青春小説らしい、「爽やかさ」のようなものが見いだせるのではないかと思います。未読の方は、是非。
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最後はほんとに意外だった。
なんだか切ない片思いで、読んでて私まで憎さと愛に挟まれた気持ちになってしまった。w
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ミステリーは、自分の場合、ともすれば、先を急ぐあまり、作品を吟味し、堪能することを忘れて一息に読みすすめてしまいがちだ。
それがミステリーを読む快さのひとつかもしれないが、
走り抜けるように読み飛ばして、快感だけを記憶し、タイトルしか覚えていない場合が多い。ということでミステリーは自分にとって危険なジャンルだ。
しかし、クックの作品は、ページを手繰る手を止めさせず、かつ、文章を味わう喜びも満足させる。
物語人物の抱える謎と秘密、悲哀や心の機微、皮肉な運命は、
読む者に美しい映像浮かばせる、ビロードの手触りのような精緻な描写で綴られていく。
読書を終えたとき迷子に気づいたような心細さを感じるが、
それは今始まったことではなく、
もっと以前から迷い子の孤独を抱えながら過ごしてきたこと、
そしてこれからもそれは終わることはないのだという、深い感慨を覚える。
クックの作品の稀有な点は、生きて老いることの悲しさを改めて読む者に確認させながらも、
けしてその事実が人を打ちのめさないところだと思う。
罪も悲しみも悲惨も、美しく輝いていた場面や記憶とともに、抱えていくということを、静かに受け入れようと決心させる厳粛さが、人を惹きつけてやまないのだと思う。
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記憶三部作のうちのラスト。
「緋色の記憶」も「死の記憶」もまだ未読。
陰鬱とした話だが、なんか、淡々と流れる時間がうまい。引き込まれて、読みあげてしまった。
「ふともらしたたった一言が…」と、帯にある。
え、じゃ、犯人は?あの人?
未だに、分かっていません。
読解力なしかも…