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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:1999/04/01
  • 出版社: 春秋社
  • サイズ:20cm/388p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-393-32301-7

紙の本

哲学・航海日誌

著者 野矢 茂樹 (著)

他者の心、行為の意味、コミュニケーションの可能性…。現代哲学の根底に渦巻く数々の謎を、アスペクト論、物語としての意図、言語ゲーム間コミュニケーションなど、独自の視座から考...

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哲学・航海日誌

税込 2,750 25pt

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商品説明

他者の心、行為の意味、コミュニケーションの可能性…。現代哲学の根底に渦巻く数々の謎を、アスペクト論、物語としての意図、言語ゲーム間コミュニケーションなど、独自の視座から考えて考え抜いた著者の哲学的考察。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

野矢 茂樹

略歴
〈野矢茂樹〉1954年東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修了。現在、東京大学総合文化研究科助教授。著書に「論理トレーニング」「無限論の教室」など。

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みんなのレビュー6件

みんなの評価4.2

評価内訳

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  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本

他我問題の呪い?

2004/02/29 17:46

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:キューティス - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者の野矢さんの(哲学的、という限定不要の)センスの良さと親切さにはいつも感心させられる。本書もその点ではすばらしく、お勧めという点では文句なしである。しかしあえてここで問題にしたいのは、「他我問題」(他人の心を知るとはどういうことか?という哲学の伝統的な問題)に対する著者の、大森荘蔵ゆずりの執念とそれがもたらすものについてである。他我問題は、本書の扱う話題(言語や行為など)の一部にすぎないが、本書が他我問題の問題提起から始まることからもこだわりが感じられる。
著者は大森と同様「内面/外面の二元論」を批判する。そこまでは良い。そして大森の現象主義的な「自我から他我へ」という発想を批判し、独自の考えを提出するのだが、そこで勇み足を犯していると思う。それは「知覚や感覚の非人称性」という主張である。普通に考えると「誰のものでもない知覚」など存在しない。著者はあえて常識に反する主張をしているわけである。そしてその主張を導く本書の知覚・感覚論は、鋭く優れたものである。
著者は見る・聞く・触るなど(いわゆる知覚)がどういうものかを検討し、1.知覚(複数観点からの見えを含みこみ、それゆえ観察可能な「対象」を持つもの) 2.感覚(単眼的で観察対象を持たず、特定の身体に視点が固定されているもの) 3.アスペクト(「として見る」形式で記述される意味相貌)−−以上の3つの側面に分析する。そして「知覚」とは「特定の位置から何が見えるか」、「感覚」とは「特定の身体状態で何を感じるか」というものであって、私/彼の区別から切り離して理解可能な内容しか持たない点でそれらは非人称的である、と主張する。確かにその通りだ。しかし知覚や感覚に帰属主体としての「人」が必要なことに変りはない。「人」とは、文法的には知覚・感覚・感情・思考など一連のこころ系述語が適用可能な対象である。それはこの本のIII章で述べられている「行為者」(意図と行為という枠組みを適用して理解可能な対象)と重なるだろう。
子供は生まれ出て後、世界に様々な対象があることを徐々に知り、その中に「人」という特殊な扱いを要する対象があることを知り、やがて自分が「人」の一例であることを知る(ここでいう対象とはいわゆる「実在」でなくてもよく、著者の言う「現象の根拠なき秩序」と理解しても良い。要するにわれわれの世界に対する根源的理解と態度のありかたを言っている)。このような「人」のカテゴリーとしての根源性を、著者は軽視し過ぎではないか。
「知覚の非人称性」という主張はやはり無理がある。例えば野球選手が飛んできたボールを見分けるというのも知覚であろう。行為者としての人の反応行動能力や熟練と「知覚」とは切り離せないし、注意・関心・慣れといった人の状態も知覚の成立に関与する。
様々な物(対象)の理解が物相互の因果関係の理解を含んでいるように、人というカテゴリーの理解は物と人との因果連関の理解を含んでいる。それは最初にうのみに受け入れることで人間生活が始まるような原初的な世界理解の一部である(もちろんそれを踏まえた上で後から部分的調整のゲームを行うことは可能であるが)。いくら時代遅れの二元論などと言われても、われわれは机や本のような「対象」と、それを見ている「人の状態」を区別して理解している。著者の言うような「知覚の世界」という奇妙な表現は決して使わないが(知覚像を見ている、のではなく、見るということが即ち知覚なのである)。そして対象と知覚の因果関係は、対象の理解を構成する内的・文法的関係である。
そういう理由で、著者の知覚論が行き着いた「知覚因果説批判」は、本書で最も受け入れがたい章である。知覚因果のような基本的な日常語法をミスリーディングとして批判しないと他我問題から脱出できない? そんなに呪いの根は深いのかと考えさせられる。

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2007/09/17 02:20

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2009/05/16 14:20

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2010/01/18 23:27

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2013/12/07 14:55

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2015/05/24 21:33

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