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  • カテゴリ:一般
  • 発売日:1998/10/30
  • 出版社: 新潮社
  • サイズ:20cm/338,4p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-426201-3

紙の本

存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて

著者 東 浩紀 (著)

【サントリー学芸賞(第21回)】ハイデガーの存在論とフロイトの精神分析を継承するジャック・デリダ。その謎めいた脱構築哲学を解読し、来るべき「郵便空間」を開示する。ロジック...

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存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて

税込 2,200 20pt

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商品説明

【サントリー学芸賞(第21回)】ハイデガーの存在論とフロイトの精神分析を継承するジャック・デリダ。その謎めいた脱構築哲学を解読し、来るべき「郵便空間」を開示する。ロジックの速度・情報の圧縮・知的テンション…。27歳の俊英が挑む未知の哲学空間。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

東 浩紀

略歴
〈東浩紀〉1971年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究所博士課程在学中。哲学、表象文化論専攻。

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みんなのレビュー23件

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評価内訳

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  • 星 1 (0件)

紙の本

デリダへの郵便的応答

2003/04/23 19:24

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ジューク - この投稿者のレビュー一覧を見る

本著は著者のデリダへの「郵便的」応答である。

著者が対象とするデリダ中期のテクストは難解と奇天烈をもって知られ、この哲学者の毀誉褒貶に大きく貢献していた。デリダ支持/不支持の者を問わず、他テクストとの「論理的」非一貫性ゆえになおざりにされがちなこれらテクスト群を、著者はデリダ自身が避けては通れなかった「必然」、あえて言えば「論理的」要請として捉えなおす。いわく「なぜあのような奇妙なテクストはデリダによって書かれなければならなかったのか?」

デリダによる中期テクストは、自身が前期テクストで確立した形式的脱構築への「抵抗」であると著者は言う。本著の理論的要諦はまさにそれに尽きる。デリダは二つの脱構築——ゲーデル的形式的脱構築とデリダ的郵便的脱構築——を提出している。前者の脱構築は、テクストの読みをコンスタティブ/パフォーマティブの形式的決定不可能性の中に宙吊りさせ、衝突させる戦略(「代補の論理」)であり、結論的に言って後者の脱構築可能性によって支えられている。なぜならば、「固有名」に端的に宿る非−世界的な「余剰」(単独性)は、前者の脱構築をもっては、つねに否定神学的にその指示形式(シニフィアン)“のみ”が超越論化されてしまうのに対し、後者の脱構築をもっては、その指示形式=論理形式であるエクリチュールは個々の単独性を亡霊的に「配達」するだけであり、「超越論性そのもの」は行き先も送り主もわからないデットストック空間に宙吊りにされるからである。この意味で超越論性は「散種」という限りでつねに多義的であり、シニフィアンとエクリチュールの差異化の運動(「リズム」)の中で、テクストからテクストへ「転移」し、読み手へ「配達」あるいは「誤配」される。

だが問題なのは、東のデリダへの応答(本著)自体が彼自身の欲望と関心によって支えられ、デリダとデリダの言葉を固有化する営みであるということだ。いわば、東は形式的脱構築をデリダに施したが、同時に自らを郵便的脱構築の可能性に晒すことになったのである。これは本人も自覚している通り非常に逆説的であった。本著は著者の処女作であり、自身の極めて強い実存的動機とによって書かれた。が、対照的に本著はあくまでデリダ(の非論理的なテクスト)の「論理的」理解を目指し、スタイル自体もきわめて理論的=形式的である。この動機と方法論の決定的差異こそが、著者の生み出した「郵便」概念のベースにあるのは明白だが、同時にそれが本人に自覚されることによって差異が解消される(本書が閉じられる)のは非常に示唆的であり、まったく新しい意味での大文字の「哲学」の可能性を差し出しているとも言える。

東は、自らのテクストを、自らとりだした概念である「郵便空間」へと再び送り出すことによって、本著を閉じている。いや、ひょっとしたら、それを送り出したのは“東浩紀ではなかった”のかもしれない。だとしたら、それはいったい誰なのか? 私たちは本著の最後に、デリダが語る「幽霊」が、東の語る「郵便空間」より東自身へと到るのを見るのである。デリダに言わせれば「哲学者とは、ちょっとは大きな郵便局なのだ」(本著引用より)から。

東のテクストは、この種の専門書にありがちな(まるで本著の対象となったデリダ中期のテクストを踏襲したかのような)難解句と隠喩を排した平明な文体による「理論的」構成を趣としており、読みやすい。後半部はデリダの「二人の父」であるハイデガー存在論とフロイト精神分析の専門用語が多々参照され、不慣れゆえに時に困惑するが、哲学の基礎教養があるのならば重箱の隅をつつかずとも読了できる。また前半部は現代思想の入門書としても読め、「お得」である。2000円は安いだろう。

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紙の本

高密度でビット数の高い音楽のような哲学

2001/02/22 21:26

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 昼食のあと少し固いめの本を読みながら、うつらうつらしてきたら十分かそこらの仮眠をとるのが日課になっています。いつだったかの『アエラ』の特集でサラリーマンの午睡が話題になっていましたが、私の場合もうかれこれ十年以上も前からの習慣なので、そうと気づかぬうちに流行の先陣を切っていたわけです。
 
 以前、東浩紀著『存在論的、郵便的』を二月かけて読んだのも、そういった夢うつつの中での出来事で、これがまた実に心地よい体験でした。もちろん、読み方が読み方なので、細部に立ち入ってのきめ細かな意味をつかむことはもとより全体の結構もたよりなくはかなげだった(あくまで読者の側の話)のですが、そうであるにもかかわらず淀みないスピードでずんずん読み進めることができたのです。(「純粋消費」などという言葉がもしあるとすれば、それはちょうどこのような快楽をもたらす経験をさすものなのかもしれません。)
 
 『週間東洋経済』(1999.2.13)の書評欄では、「80年代初頭に出た、浅田彰の『構造と力』のように、早熟な思想家の処女作は、著者の意図を遥かに超えて時代の行方を予言する。本書もまた、21世紀における市場社会の“脱構築”を冷徹に予告しているようだ」(古田隆彦氏)と紹介されていました。私にとっては後半やや意味不明の評言でしたが、「市場社会の“脱構築”」という言葉の内実をどう構成するかによっては、評者のいわんとすることがわからないでもないような気もします。
 
 いずれにせよ、七◯年代以降のデリダはなぜあのような奇妙なテクストを書いたのか(暗号のようなテクストでもって何を語ろうとしたのかではなく)を終始一貫してテーマに据え、後半に進めば進むほどますます抽象度に磨きがかかる文体や「……である。どういうことか。」といった歯切れのよい叙述のテンポでもって、「高密度でビット数の高い音楽のような哲学」(PLAYBOY[1999.2]掲載のインタビューにおける東氏の発言)に仕上げた力量は並みではありません。

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2005/06/12 22:30

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2009/12/19 00:04

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2012/01/27 03:33

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2010/12/26 16:29

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2011/03/09 21:50

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2012/08/13 19:23

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2017/03/20 11:09

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